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旅の記録、宿泊先や行程とか

高知屋旅館 和洋折衷な木造旅館に泊まってきた Part 2/2

【訪問日:2020年10月25日】

夕食をいただく

この宿に到着してからというもの、目に入ってくる風景すべてが新鮮すぎて必然的に時間の流れも早くなってくる。さっきまでは館内を散策していたのですが、いつのまにか夕食の時間になってました。

夕食は散策のときに確認した1階の車庫奥の部屋でいただくことになります。

なお、ここには一通りの食器類やテレビなどがあり、ご主人や女将さんもここで食事をとっている様子でした。

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豪華過ぎる夕食

夕食はこのように、割烹旅館のような派手なものではなく家庭的なものがメイン。メニューも幅広くて、豚の生姜焼きがあったのが個人的にグッときました。

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旅館の食事って、もう何から何まで美味しいのが特徴の一つだと思う。

宿の雰囲気が料理自体の美味しさに上乗せされて、さらに旨味が増しているのはもちろんのことだけど、一品一品が御飯のおかずとして完成されているものだから白米の消費が進んで仕方ない。

この日の走行ルートが自分にとっては負荷が高いものだったこともあり、運動したあとの食事=美味しいという理屈もプラスされてなおさら絶品でした。

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アルコールももちろんあります

当然のようにビールも注文して一杯やりながら食事を満喫する。

何が素敵かって、明日は年休をとったので「日曜の翌日が仕事じゃない」っていう点なんですよね。普段だったら日曜の夜って労働の気配を感じてしまって鬱状態になるものの、明日も行動しまくれるという事実だけでもう酒がうまい。

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夕食のあとは宿の前をぶらぶら散歩してみたり、真っ暗な大広間で雰囲気に浸ったりしながら時間を過ごした後に就寝。

散策してたら眠気が襲ってきたので布団に潜り込みました…Zzz

翌日の朝は静かにやってきた

翌朝。

いつものように目を覚ますと、昨日の疲労がすっかりなくなっていた。

どうやら精神的にリラックスできる宿に泊まったことで、肉体の疲労回復にも役立ったようです。

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ごきげんな朝食だ

秋の朝、それに平日ということもあって宿周辺は非常に静かなもの。そんな中でいただく朝食はしんみりとしていて、味噌汁の温かさが身に染みていく。今日も良い一日になりそう。

と、ここで女将さんが宿の各所を案内しながら色々説明してくれることになったので、お言葉に甘えることにしました(実は昨晩の夕食時に話があった)。

従って、今日の予定で行くはずだったところは急遽キャンセルします。もっとも、今日はある風景を見に行く予定だけで、別に今回でなくても行けるんですよね。いつの間にか消えてなくなってしまうわけではないし、この貴重な宿のお話を伺えるとなればそっちの方を優先するのは当然。

そういうわけなので、ご説明いただいたことをつらつら書いていきます。

まず、高知屋旅館の創業は大正14年で、はじめは料亭として始まり、戦後から旅館となったそうです。今では国道439号が北に走っていますが、昔は宿の前の通りがメインストリートだったとのこと。

今では宿の近くには店もなく、国道439号が整備されたときにみんな向こう側に移ってしまったようです。なので宿のほかには民家が並んでいるだけで、その面影を確認するのは少し困難でした。

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続いて大広間へ。

大広間は出征前の兵隊さんがよく使用されていたとのことで、宴会の傍らで芸者さんが当時使っていた鼓や茶釜が今も残されています。これって相当貴重なのでは…と思うと同時に、出征前というと生きて帰ってこれるとは限らないわけで、宴会といっても自分が想像するようなものではないのだろうな、と思わざるをえません。

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そして、いざ戦時中になれば芸者さん達はお嫁に行かせるしかなく、従ってそれ以降は大広間の使用頻度がめっきり減ったらしいです。今では使っていない布団や座布団の置き場になっていました。

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大広間の手前側の小部屋が芸者さんが演奏されていたスペースで、大広間よりも一段低くなっています。

小部屋といっても8畳ほどの広さがあって、大人数でも演奏に支障はない感じ。大広間のとてつもない広さもそうですが、ここまで豪華な旅館は当時でもなかなかお目にかかれないレベルだったのではないでしょうか。

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大広間には他にも年代物のシーリングファン(この辺りで初めて導入されたものだそう)や、大きな木のウロの置物があったりして、これらも当時の華やかさを感じさせるものです。

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木についてはどれも節が一切ない

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宿の構造という面から見ると、ほぼ全ての木に節がない吉野檜を使っているのが特徴。

柱については1階から2階までぶち抜きで通っており、さらには釘を一本も使っておらず木だけで結合を確保しているとのことでした。節がない吉野檜自体が現代では手に入りにくいほど珍しく、木にはあまり詳しくないのですが、ここまで潤沢にそれを使っている建物は全国を探しても無いような気がする。

しかもただ木を使った無骨な造りというわけでは一切なくて、意匠をこらした装飾が随所に散りばめられているのが良い。窓が付いているところは基本的に欄干がセットになっていて、転落防止の意味もあるようです。

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廊下の曲がり角の天井は扇形に木が組まれている

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女将さんに案内されるまま、次は客室にやってきました。

2階の中庭に面した客室は、ご覧の通り部屋と部屋の仕切りが襖となっています。その上方に目をやってみると欄間があるわけですが、この欄間の絵柄が部屋によって全て異なるのがまた凄いところ。

昔は欄間の職人さんが全国を渡り歩きながら制作をされていたらしく、これらの欄間は静岡の方が来られたときに作られた作品。部屋を移っていくに連れて連作になっており、物語になっているとのことでした。

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寸法管理がどうなっているのか気になるほど精密な絵柄

一方で、中庭側の欄間は一貫して上記のような模様になっているのですが、これも木を張り合わせて作られているのでかなり剥がれやすく、その都度女将さんが手直しされている様子。しかしめちゃくちゃ緻密な絵柄なので、ほんの少し隙間があいただけで取れるそうです(実際に斜めの部分が取れている箇所が多い)。

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この高知屋旅館を構成している全ての「作品」に思いが詰まっていて、それらを眺めているだけでもう満足できる。

ただ漠然と宿の雰囲気に浸るのも良いものですが、こうして由来や昔話を聞きながら味わうとより一層感慨深いものがありますね。

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宿の前の通りに面した部屋の障子は雪見式になっていて、上方にスライドさせると向こう側が見える。現代こそ暖冬だが、当時はこの辺りも豪雪地帯だったとのこと。

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写真が悪くて分かりづらいけど、ガラスは機械で作ったものではなく人の手によるもの。斜め方向から見ると揺らいでいる。

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各所を案内していただく度に、少しずつ自分が過去に戻っていくのが分かる。

現代にいながら大正の時代を感じられる。そんな気がしてくるほど、この宿が歩んできた年月は長い。

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洋風のダンスホールは昭和初期に建てられたもので、反対側にある大広間(での宴会)とほぼセットで用いられてきた。

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2階の回廊の一部には可動式の庇がある。この一辺だけ屋根が短いため。

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最後は中庭を眺めながらお茶を飲んだ。

この宿に今まで一体何人の人が泊まったのか定かではないものの、おそらく自分と同じような感情に至ったと思う。これほど宿を立つのが惜しく感じるのは、初めてかもしれない。

ちなみに女将さんは、すぐ近くにある早明浦ダム(よく貯水量がニュースになるやつ、1975年竣工)の完成と同時に本山町に移住し、そこからずっと宿と一緒に歩んできたと伺いました。こんな素敵な宿なのだから、今後もずっと営業されてほしい…という思いは強いものの、話によれば維持費がかなり負担になっているらしく、残念ながら閉めようか迷われているとのこと。なのでもし泊まりたいと考えている人がいれば、早めに行くことをおすすめします。

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…と、あれこれお話をしながら、心ゆくまでこの宿を堪能できました。

もうちょっとだけ…と思いながら玄関の前で記念撮影をして、後ろ髪を引かれる思いで自転車に跨る。

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何度も振り返って確認しながら本山町を後にしました。

うん、ここは絶対に再訪したい。心からそう思えるほどに良い宿だった。

おわりに

下調べをあまりしないで決行する旅の面白さは、こういう宿に出会えたときにこそ強く感じられる。目に入ってくるもの全てが面白く、興味を引き立ててくる出会いというのはなかなかあるものではないと思います。旅先での出会いは一期一会という言葉があるけど、一つの旅の中で遭遇した思い出を辿るためにまた再訪する、というのも旅の動機としては良いもの。

高知屋旅館、おすすめです。