宮城県の高友旅館に泊まった際、日中の時間帯は宮城県を散策してました。せっかくなのでそれについてまとめることにします。
ところで、やっぱり緊急事態宣言は延長する様子です。新規感染者数も減ってないし、医療の状況を踏まえると延長はやむを得ない。
直接宿に向かうのは味気ない
もし仮に気になっている宿泊施設に泊まることを決めたとき、宿にチェックインするまでの時間に何をして過ごすかは個人によってかなり差があると思います。
宿のチェックイン時間は一般的に15時とか16時なので、宿までの移動時間を考えたとしても暇な時間が生じてしまう。あくまで主目的は宿に泊まることになるので、例えば私はそれまでは何もせずに過ごしますというのも一つの手段。
もしくは、チェックイン時間に合わせて移動方法や乗る便を決める人もいると思います。旅の仕方が人それぞれなように、旅先での時間の過ごし方も千差万別。
自分の場合は1日を通してあれこれ歩き回るのが好きという理由から、日中の時間帯も散策にあてることが比較的多めだと思います。これもある意味で難しい一面があって、あまりに行程を詰め込みすぎると旅そのものが忙しないものになってしまう。
最低限の電車の時間とかを把握しておいて臨機応変に行動するのがここ数年のスタイルになっています。
今回は「宮城県の高友旅館に泊まる」という目的から、宮城県内を少し散策してから旅館に向かうことに決めました。
といってもあまりに旅館の場所からかけ離れたところを目指してしまうと今度は移動が大変になるため、適当に近場に絞ることにします。
仙台からほど近い松島にやってきました。
松島は日本三景の一つにも数えられる名勝地であり、湾内に大小多くの島が存在している風景が有名です。
松島
海(青色)や島(緑色)が風景的に映えるのは、それらの色がより鮮やかさを増す夏などの暖かい時期だと思います。
実際に「松島」でGoogle画像検索をしてみても分かるように、出てくる写真はそういう時期のものがやはり多い。なので、今回の冬場の訪問先に松島を選んだのは一体なぜなのか自分でもよくわかりません。
ただ単純に静かそうだから行ってみる気になったのかもしれないし、素晴らしい景色に季節は関係ないと踏んだのかもしれない。
冬の好きなところの一つは、空気が澄んでいるような気がすること。
冬の空は夏に比べてどこか透き通っているような透明度があると思いませんか。海も島も植物についても一年のうちで最も色彩が薄い季節だとしても、自分は空の色だけで冬が好きだったりします。
この日の天候はあまり期待していなかったものの、これだけ晴れてくれると自分の好きな部分が全面的に押し出されているような気がして嬉しくなってくる。
冬場だからか観光客も想像より少なく、考え事をしながら散策するにはこれ以上ないくらいのシチュエーション。
あと、松島周辺って意外にも波が穏やかでした。
景勝地になっているくらいだから荒れてはいないだろうという先入観を上回るほどの静けさで、人っ気の少なさも相まって寂しさがより増幅される。海辺を吹く風も肌寒く、晴れているとはいっても賑やかさとは無縁の様相になっています。
観光船乗り場をスタートし、福浦島をぐるっと回ってから再度五大堂方面へ。その後は気分的にちょっと内陸方面に行ってみたくなり、参道を通って瑞巌寺に向かいました。
今回の行程も完全にその時の思いつきで決めているので、どこへ行こうとかどういう順序で回ろうとか一切考えてない。もしかしたら訪問する場所によっては二度手間になるかもしれないし、この道さっき通ったじゃん!ということにならないとも限らない。
でも、それが楽しかったりする。
見知らぬ土地を歩くというのはそれだけでとにかく心が躍るもの。あまりに入念な下調べはそれを阻害してしまうような気がするし、今後も自分はやらないと思います。
旅先で出会う神社仏閣は、あまり馴染みがない分ついつい立ち寄ってみたくなる。
神社については何度も触れている通り、こじんまりとしているのに加えて周りに人がいないことや、雰囲気が好きという理由から。寺については人がいることの方が多いものの、木造建築はただ単に見るだけでも楽しめるし、自然と一緒になったような立地が多いから好きだったりします。
これらについては、何よりも季節を問わずに楽しめるのがいい。さっき述べた風景の件もそうで、心が落ち着くという意味では状況に関係なく効果をもたらしてくれる。
意識しているにしろしていないにしろ、自分の見知らぬ地で神社仏閣に惹きつけられてしまう点については、予想以上に自分らしさが現れているような気がする。
ひとしきり孤独を味わった後、次の目的地へ向かいました。
仙台名物の牛タン
仙台市内に戻ってきたところで、高友旅館へ向かう電車の時間までにはまだ余裕があります。
ちょうど時刻はお昼ごろなので駅ナカでささっと昼食を済ませたい。仙台を訪れているということもあり、もはや説明不要の王道グルメである牛タンを食べに行きました。
これよ。これが食べたかった。
始めて食べる仙台の牛タンは想像以上にあっさりとしており、それでいて強烈に麦飯を消費させてくるジューシーさがダブルで食欲をそそる。今回は牛タンの量が多めの定食を頼んでみたところ、食べても食べても牛タンが残っているという事実がさらに幸福感を増長させてくる。
セットになっているテールスープも非常に美味で、定食としてあまりにも完成されすぎている印象を受けました。
牛タンをこのような定食の形で食べる機会は今までになく、焼き肉の場でタレと一緒に食べたくらいしか記憶にありません。薄味の牛タンは一体どんな味わいなのだろうかと気になっていたところ、見事に虜にされてしまった。
仙台駅構内には牛タンの店が連なっている一角があって、この店を出た直後にはしごしようか本気で悩みました。
牛タン定食で幸せに包まれたあとは予定通り電車に乗り、仙台の西方にある東鳴子温泉を目指すことに。
この時間帯にこの路線(陸羽東線)に乗る人は十中八九が鳴子温泉郷に泊まる人みたいで、スーツケースを抱えた人が比較的多かった記憶があります。
ふと電車の行き先表示を見ると終着駅が「鳴子温泉駅」になっててどこか情緒があり、車内を見渡す度に「ああ、この人も温泉宿に泊まるんだな」とか考えながら、車内と車窓を交互に眺めてみたり。
はたまた電車の外に広がる平原を横目に見ながら物思いに耽ったり、電車での移動は時間の使い方が多岐にわたって面白い。やってることとしては目的地に着くまでの時間つぶしに過ぎない一方で、このゆっくりとした昼過ぎの怠惰感がどこまでも続いてほしいと思ったりもする。
高友旅館に泊まる
この日泊まった高友旅館についての宿泊記事は、別記事でまとめています。
旅の終わり
翌朝。
高友旅館を後にして帰路につく。
よく家に帰るまでが旅というけど、個人的には最終日に入った時点で旅は終わってると思う。最後の日となればどうしても帰る道筋や帰った後の片付けのことが頭の中にチラついてしまい、たとえ他の行程が入っていたとしても心から楽しめないような気がしてきます。
今回みたいに電車に乗って宿を去るような形だと寂しさがマッハで襲いかかってくる。
今までの経験からすると、旅の終わりはたいてい寂しさとか悲しさという感情が湧いてくることが多い。そこで過ごした時間が濃ければ濃いほど離れるときの悲しみも増すという理屈で、個人的にはこれも旅の特徴の一つじゃないかと思います。
あくまで自分がしているのはいっときの縁みたいな訪問であって、これが終わればまた普段の日常に戻っていくという前提のもとで旅をしている。
この感情に浸れるのは「今回も良い旅ができた」ということに他ならないのかもしれません。
家に帰る日の天気は、晴れ。
最後まで天候に恵まれて、忘れられない2日間になりました。
おしまい。