今回は、島根県津和野町にあるのれん宿 明月に泊まってきました。
島根県西部の山間にある津和野町は江戸時代には城下町として栄えた地であり、今でも町の中心部である「殿町通り」をはじめとして城下町時代の古い佇まいが残っています。
どこを歩いていても古い建物に多く出会えるのが津和野の良さの一つであって、藩校や郡庁跡、カトリック教会といった幕末から明治にかけての歴史を感じさせる場所が見どころ。前回のライドでは津和野の郊外にある旧畑迫病院を含めて周辺を散策した結果、いつかは津和野に宿泊したいと思っていました。
明月の創業は明治中期とかなり古く、今の女将さんで5代目、息子さんで6代目となっています。旅館の名前にもなっているのれん宿とは代々引き継いでいくという意味で、建物だけではなく郷土料理やおもてなしといったサービス面も大事にされているそうです。
外観
というわけで、まずは外観から。
明月が位置しているのは市街地内で津和野川と平行に走っている通り(例:殿町通り)ではなく、川と直行する方向の細い道の脇。表通りに面しているわけではないので比較的静かかつ目立たない環境にあり、例えば津和野の散策中に明月を見つけるのは個人的には難しそう。
なお津和野にはJRの山口線が通っているのでアクセスは優れていて、津和野駅から明月へは徒歩5分くらい(400m)です。津和野の中心部の町並みは一定区画内にまとまっているので移動がしやすいのが便利でした。
明月の外観はこんな感じで、最初に実感するのは山陰地方特有の石州瓦屋根が景色に映えるということ。
各地方の建物の特徴を一対一で把握するのはなかなか難しいものの、その中でも石州瓦と山陰は切っても切れない関係にあります。仮に旅先でこの屋根を見ると、あ、山陰にやってきたんだなって一瞬で認識できるからすごい。
建物としては立派な塀や門などが設けられており、旅館の前にはたくさんの植木があったりして瑞々しさを感じます。今回の訪問時期は植物が活発になる夏の季節ということもあり、建物と植物の親和性が良すぎる。
で、ここから中に入るのがちょっと予想外。
明月の建物は宿泊者が泊まる旅館の部分と、その隣に併設されている石心亭(割烹料理店)の部分から構成されています。向かって一番右側にあるのがその石心亭の入口なのですが、どう見てもここが正規の入口のように見えるけど旅館の玄関とはなんか雰囲気が異なる。こっちが玄関ではない気がするが…。
最初はそのまま入ろうとしててちょっと迷うこと数十秒後、最終的に旅館部分の入口は一番左側にあるということに気づきました。
なんですぐに気が付かなかったのかと言うと、左側の門をくぐった先の風景が上の写真の通りだったからです。
こじんまりとした庭の少し奥にはまるで軒先のような一角があり、そこに置かれているのは外出用の下駄。てっきりこっちは裏口なんだなと勝手に思ってしまったものの、実はこここそが正規の玄関でした。これは初見だと意外すぎると思う。
なお明月から通りを挟んで反対側にある建物も明月の管轄のようで、ロードバイクはそっちに置かせていただきました。電車の時間の関係で自分にしては宿に到着するのが遅くなり、日が落ちかけている時間帯での投宿です。
館内散策
玄関~1階ロビー~廊下
それでは早速館内へ。
明月の建物は時代を経ていく毎に適宜改修をされており、この玄関から玄関ロビーにかけての部分は55年前(昭和43年)くらいに現代の形になったそうです。ここで気になるのが「じゃあ昔はどうだったのか?」という点で、これについては玄関ロビーに展示があったので後述します。
いずれにしても確かなことは、投宿する前の時点でその特殊な玄関に驚いたということ。
旅館といえば建物の正面に玄関があり、玄関土間の先に屋内へ続く廊下がある…という固定観念が自分の中にあったのは事実。旅の最中に感情が動かされる出来事は多いほど良いと思っていて、明月では今までの認識を覆すような出会いがあって幸先がいい。
いわゆる玄関にあたる部分は畳2畳の広さがあり、そのうちの2面が屋外に面しています。
屋内と屋外を区切っているのは木戸+障子戸のみというシンプルな造りで、侘び寂び感…というかなんか茶室みたいな雰囲気。建物の縁は縁側になっているので外へ出かけやすいです。
玄関を抜けた先にあるのが玄関ロビーで、さっきまで居た玄関の空間から一気に開けるのでなおさら広く感じました。床や天井の木材はいい感じに黒光りしており、改修後も昔の部材を流用してるっぽい。
向かって正面に帳場、右側に靴箱があって、宿泊客の動線は右側へと繋がっています。
玄関ロビーの造りは古い建物の落ち着いた雰囲気を壊さないように工夫されており、必要最低限のものしか置かれていません。客が座る場所についても長椅子が置かれていたり、その中央に囲炉裏があったりと調和がとれているように感じます。
明月は古い要素を現代に伝える宿と最初に書いたけど、その一部を感じることができる展示が玄関ロビーの展示スペースにありました。こちらには代々のご主人の方針によって、昔ながらの食器類や壺、道具等が並べられていて見ごたえがあります。
開運!なんでも鑑定団に出品したことがあるという、アワビの形状をした皿。
フジツボが周りに取り付けられていますが、昔はこの皿に海鮮を盛り付けたりしていたんだろうか。かなり大きいです。
で、こちらのイラストに描かれているのが女将さん曰く「昔の明月の玄関の様子」だそうです。
玄関だけというよりは建物の構造がまず全然異なっているように見え、屋根の繋がり方や屋根と塀との重なり方も現代とは違いますね。というか屋根の向き自体が90℃変わっているような…。なんにせよ、今に残る形で旅館の昔の状況が分かるのは資料として貴重そのもの。
食器類にしてもそうですが、「残す」というのは宿を長く続けていく上で難しい問題です。
古い部分については改修をしないといけないし、そういう過程で新しくなるものもあれば時代遅れになるものもある。特にもう使わないものは残しておく意味があんまりないわけで、明月のように展示として残されている方針は素敵だと思いました。
玄関ロビーをはじめとして、廊下や客室に至るまで館内にはこのマークがよく目に入りました。
これは何かというと、明月の「月」の漢字をモチーフにした明月のシンボルマーク(家紋みたいなもの)です。円の下側が途中で切れているので、そう言われれば確かに月に見える。シンプルかつ印象に残りやすいマークでよく考えられています。
玄関ロビーから奥に向かうと、まず右手前に男女別のお風呂場が、右奥には先程外観で確認した割烹料理店・石心亭への入口があります。石心亭は夕食や朝食の際の食事会場にもなっているので、時間になればここから入る形です。
確かに現代において旅館業だけを続けていくのではなく、建物の一部を使って同時に飲食店の経営もやれば一石二鳥。事はそう単純ではないかも知れないものの、明月の代々のご主人は料理を担当されているそうなので料理に対する自信のほどが伺えます。
客室は1階と2階の両方にあって、宿泊客の動線は正面にある階段を上って2階に向かうか、その脇にある廊下を直進していくかの二択となります。なお厨房や従業員の方の部屋は階段の裏手にあるようです。
奥の廊下の様子。
明月の館内を一言で言い表すなら、「宿泊者のプライベートを最大限に尊重した構造」というのが正確なところです。トイレや洗面所以外の共用スペースは玄関ロビー周辺の一箇所のみで、後は客室へ繋がる廊下のみという潔い造りでした。
これは旅館の規模にもよりますが、宿の中には団らんのためのスペースだったり、廊下の一角に椅子が並べられていたりするところがあります。
明月の館内には部屋数を確保するために廊下が占める割合が少なく、言い換えればコンパクトにまとまっているという印象。古い外観を残しつつも内装は現代風にアレンジされており、老若男女を問わずにおすすめしやすいと思います。
2階廊下
続いては2階へ。
2階についても1階と同じく、廊下と客室がほとんどを占めています。
奥側の階段を上った先に洗面所がある以外はすべて廊下で、動線が段順なので迷うことはありませんでした。メインとなる廊下が表通りから見て手前~奥の方向に伸びているのも直感的に理解しやすい。
古い建物では曲線の要素が本当に少なく、視界に入るものすべてが直線で構成されています。直線の構造は目的に対する体積を確保しやすかったり強度面で優れていたりするのでよく見られ、自分としてはきっちりしている感じがして好き。
2階 泊まった部屋
そんな中で、今回泊まったのは2階の表通りに面した「栄」の客室です。広さは8畳+広縁があって、なんと室内にトイレや洗面所、ユニットバスまであるという至れり尽くせり状態。
私は「旅館に泊まっているときには部屋から外が見たい」と常々思っており、もっと言うと部屋が表通りに面していると一番良い。今回は数日前に電話予約をして部屋を確保してもらったものの、いざ当日に泊まってみたらまさに自分が求める部屋だったので驚きました。もう本当に運が良すぎる。
設備としてはエアコン、テレビ、加湿器、ポット、冷蔵庫があって、アメニティは浴衣、タオル、バスタオル、歯ブラシと一通り揃っています。ユニットバスについては宿泊当日は1階の男女別の温泉に入れますが、翌日の朝風呂の提供はないので朝にシャワーとかを浴びたい場合に使う形です。
客室の様子。入口の正面に床の間があり、向かって右奥に広縁がありました。
屋外に面している客室には広縁が設けられていることが多くて、今更言うことでもないけど旅館といえば広縁の存在がとても大きいです。
客室にプラスされる形で座るために特化した空間があり、そこから表通りを眺められるという素晴らしさ。この旅館がどういう場所に建てられているといった"町並みの様子"が広縁からだと一目瞭然なので、なおさら旅情を感じやすい。
広縁には椅子や机が置かれているものの、滞在中にここに座る機会は「寛ぐため」意外にありません。寝られればOKという宿泊施設とは異なり、ここで過ごす時間を贅沢に使うための空間。それが広縁じゃないかなと思います。
その広縁からの眺めはこちら。
表通りの幅が比較的狭いので向かい側の建物がより近くに感じられ、町並みの中に泊まっているという実感が凄い。津和野川側にある建物はいずれも石州瓦で統一感があり、「明月」の看板と一緒にこの風景を堪能できるのは嬉しいです。
洗面所やトイレ・バスはこんな感じで、後者についてはホテルでよく見るようなユニットバス方式でした。
要は滞在中で使用するであろう設備がすべて客室内に揃っているため、むやみに共用スペースに出かける必要がないという意味では現代的な造りです。他の客室については見てないので不明なものの、おそらく同じような感じだと思います。
客室内の冊子には、館内図や夕食時の飲み物の案内があります。
館内図を確認したところ、1階には客室が3部屋、2階には10部屋あるみたいです。客室の広さは複数あるものの、ちょうど玄関真上に位置する4部屋については一人泊に良さそうな広さでした。
この日は日中に島根県の日本海側を走り、夕方になって今度は山間部の津和野に移動してきて宿泊という流れ。自分にしては一日の移動距離が長く、山陰旅の行程最終日とあって結構疲れていました。
そんな状態で過ごすのは静かで休息できる宿が一番だし、明日はもう津和野駅から輪行でスッと帰路につけると思うと精神的にも楽。数日前に予約したとはいえ、最後の宿を明月にしたのは正解でした。
夕食~翌朝
夕食と朝食は、館内にある石心亭でいただくことになります。
料理は最初に並べられているものだけではなく、調理ができ次第順次運ばれてくる形式。つまり出来たてをすぐに食べられるので幸福度も上がります。
料理の内容は以下の通り。
- ヒラマサ、ヨコワ(クロマグロの幼魚)、タイ、タコの刺身
- もずく
- こんにゃくの刺し身
- 豚肉と野菜の陶板焼き
- 鮎の塩焼き。入れ物の陶器や石ごと焼けていてその上に乗っている
- エビのすり身を使用したえびそうめん
- 石心という名前の、代々引き継がれてきた魚と野菜の酢の物の料理。しめ鯖やタイ、ナス、奈良漬け等が入っており、蓋をして上から石で圧縮されている。全体が冷やされていて夏向き。
- そば寿司。茶そばを海苔で巻いてある。
- ごま豆腐
- 鮭のホイル焼き
- ご飯と冷たいとろろ汁。とろろ汁はお吸い物の代わりとのことで、新鮮な感じ。
- デザート
旅館における食事は楽しみごとの一つであって、どの旅館においても料理のバリエーションがあるので毎回楽しみになります。
明月の料理はオーソドックスなものというよりは珍しい品が多く、味付けや調理方法もこだわっているんだろうなと思わせる内容でした。明月の紹介文には昔から引き継いできた要素を今に伝える…という一文があったけど、まさにその通りという感じ。
夏=気温が高いので熱い料理は極力控えめにし、どちらかというと冷たくて「涼」を得られつつ食べやすい料理がメイン。特に石心という酢の物は本当にこの時期に向いていて、今は暑すぎて食欲がないという人でも明月の料理は別だと思う。
近所の酒蔵から取り寄せているという日本酒も最高で、良い時間が過ごせました。
夕食後は近所を軽く散策し、夕食時に敷かれていた布団に潜り込んで就寝。和室に布団の組み合わせが自分にとってはベストで、エアコンを効かせた室内で掛け布団を使うのが快適です。
で、翌朝。
電車の時間まで余裕があるので朝食の時間は遅めにし、平日朝の緩やかな時間を満喫しながらの起床になりました。今日はもう走らないので早起きする必要もなく、そう思ったら熟睡できていた感がある。
朝食の内容はだし巻き卵や鮭、そしてダシごと一緒に温める湯豆腐などの落ち着いた品が中心。
しかし精神的に安心できるとお腹が空くもので、夕食に続いて朝食時もご飯をおかわりするほどでした。夏バテ気分を解消したいという人は、旅館に泊まって美味しい料理をいただいてみるのが良いかも。
そんなこんなで明月での滞在は終了。
最後は女将さんにお見送りをしていただいたほか、建物や歴史のことについても説明していただけたので感謝しています。秋から冬にかけては当然ながら料理の内容も変わるようで、料理のみを目的に再訪するのも楽しそう。
おわりに
のれん宿 明月は津和野城下町の中に位置し、昔ながらの雰囲気を維持しつつ営まれている旅向きの宿です。客室の居心地の良さはもちろんのこと、夕食から夜~朝にかけて安心して過ごすことができました。
津和野の町は観光スポットとしても有名だし、ここから別の場所に向かう前に明月で一泊することで、津和野をより深く知ることができるのではないかと思います。それにしても鮎の塩焼きが本当に美味しかった…。夏はやっぱり鮎ですね。
おしまい。
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