今回は長野県塩尻市にあるゑちごや旅館に泊まってきました。
現在のJR中央西線が通る山間の道は江戸時代に中山道木曽路として整備され、旅人の通行に伴って多くの宿場町が形成されました。木曽路屈指の難所である鳥居峠の近くに位置している奈良井宿は木曽十一宿の中でも賑わった宿場であって、今では重要伝統的建造物群保存地区に登録され古い町並みが南北約1kmに渡って残されています。
今回は木曽町周辺をロードバイクで走って昔の旅人と同じように鳥居峠を越え、奈良井宿に一泊する際の宿に選んだのがこのゑちごや旅館。天気も良くて日中の開田高原~中山道木曽路ライドも充実し、その後に奈良井宿に宿泊…と心に残る行程になりました。
歴史と外観
まずは歴史について。
- ゑちごや旅館は中山道木曽路の奈良井宿に建つ旅館で、旅館業の創業は江戸時代の寛政年間(1789~1801年)。建物自体は創業よりももっと古い。現時点で創業から235年経過しており、宿場町の宿として多くの旅人がここに泊まった。
- 実は旅館業の副業として薬売りをやっていた。明治42年(1909年)の中央本線の鉄道開業に伴い、徒歩よりも鉄道の方が早いし楽であるため奈良井に限らず宿場町は次第に廃れていった。昔は奈良井に宿が30軒ほどあったが、今も営業しているところは少ない。時代の流れに対応するためにゑちごや旅館では薬業をはじめ、明治時代から戦前(戦時中は旅行どころではない)まで続いた。玄関に薬売りの看板や薬を入れていた袋が展示されている。
現在ではご主人、女将さん、娘さん2人の計4人家族で生活されています。相当な歴史ある宿だけに高齢の方が営業されているのかと思っていましたが、予想に反してかなり若い方でした。
そんなゑちごや旅館は、自分が鄙びた旅館に泊まる趣味を始めた数年前からずっと泊まりたいと思っていた宿。
現在は一日一組限定で営業されていますが、中山道や奈良井宿自体が観光名所であることに加えてインバウンドの人気も高く、実際に宿泊するのは難易度がとても高いです。休日はおろか平日も普通に予約で埋まっているので自分がなぜ宿泊できたのか今でも分からない。これだけで一年分の運を使い果たした感がある。



奈良井宿は旧中山道の左右に建物が保存されており、お店や飲食店、宿泊施設に加えて民家も同じように立ち並んでいます。つまり観光地であると同時に今も人が住み続けており、町並みと観光地が見事に融合している印象を受けました。その町並みは所々に旧中山道と直行する方向に細い路地が通っていて、ゑちごや旅館はちょうど建物の左側側面が路地に面しています。つまり建物群ワンブロック分の左端に位置し、側面部が見えるという点で宿場町の中でも珍しい存在。
その外観の古さはまるで時代劇か何かに登場しているのではと錯覚するほどでした。
よく考えてみると宿場町の宿って、現存する宿泊施設の中で最も古い部類に属すると思います。宿が必要とされるようになったのは多くの人が遠方に旅することが増えた江戸時代から。その当時の建物が今まで残されているのも素晴らしいし、宿として現役であること、そして今回実際に泊まれたことは本当に素敵だ。
立地としては玄関が表通りの旧中山道、建物裏側がJR中央本線の線路に面しており、奈良井宿唯一の「旅籠」して現代まで歴史を重ねてきました。屋外・屋内を含めて一般的な旅館にはない、宿場町の建物独特の造りが多いです。


代表的な造りとしては、奈良井宿建築様式の特徴でもある「出梁造り(だしばし-)」が見られます。これは二階を手前側にせり出すように造り、外壁より外側に張り出した梁が軒を支える様式。二階の面積を広げると同時に庇の代用として活用されました。
また、庇を上から固定する「猿頭」も独特な造りです。これは板を1枚ずつ階段状に重ね合わせた鎧庇を押さえている桟木のことを指し、猿の頭が重なったように見えるからこの名で呼ばれたとのこと。上の写真でいうと横一直線の軒先の上、直行する方向に組まれている部材が猿頭です。


宿単体で眺めると現存する木造建築の中でも特に古い造りをしていることが分かりますが、奈良井宿全体としては同じような年代の建物が多いこともあってそれほど目立ちません。周囲の景観に溶け込むようにしてひっそりと存在しつつ、それでいて存在感は抜群です。
また引きで見るとよく分かることとして宿場町の宿らしく間口が狭く、奥へ長い構造をしていました。これは当時、税金の額が間口の大きさで変わっていたことによります。





そのまま左の路地を歩いていくと建物の裏側に着きます。JRの線路に面した裏側は道路に突き出した部分の他に小さな庭があり、建物よりも高い松の木が植えられていました。上の写真で言うと裏口と塀がある部分までが旅館の敷地内で、左側の階段は隣の民家の敷地となります。
館内散策
玄関土間周辺
それでは館内へ。
ゑちごや旅館は先に述べた通り奥に細長い構造をしているため、基本的に間口方向には一つの部屋しかありません。従って玄関の奥に一つの部屋があり、その部屋の奥にまた別の部屋…という風に、館内の移動は奥行き方向のみ。従って例えば最奥に位置する部屋に向かう場合は、以下に示すように道中の部屋をすべて通過していく形となります。

表通りに面している玄関には右側にL字形の玄関土間、その左側には板張りの上にゴザを敷いた部分があり、旅籠行燈(はたごあんどん)が灯っています。
江戸の昔から木曽路を旅する人々に暖かい光を投げかけてきた存在であり、今でも木曽路を訪れる人々の心に安らぎと旅情を与えていました。現にこの日はロードバイクでそこそこの距離を走った末の投宿になって、玄関をくぐったときの安心感は相当なものでした。






玄関周辺の安心感の原因は行燈以外にもあって、木造の造りの柔らかさと玄関の高さが低いことがその理由。
屋外と屋内が明確に区切られている一般的な旅館の造りと異なり、広々とした玄関土間に加えてゴザの部分の高さが低いです。ここに腰掛けるとシューズを脱ぐ動作が非常に楽になり、また視界的に自然と壁や天井を眺める形になって落ち着く。また玄関土間と板張りとの間に仕切りがないため空間が広く感じられます。
つまり屋外~屋内の移動がシームレスになる昔ながらの造りが、屋内に入ったという窮屈感をなくしていました。宿泊した時期的にも玄関の戸を開け放ってちょうどよいくらいの気温で、常に玄関に日が差し込んでいて明るかった点も居心地をさらに良くしていると思います。


玄関土間の右部分は、奥の厨房にそのまま入れるようになっています。
ロードバイクは玄関土間に置かせてもらいましたが、こういうのなんかいいですね。レトロなフルオーダーチタンバイクが、江戸時代から続く旅館の土間に置かれている。この組み合わせだけでもう満足できる。





玄関土間の右側の壁にはたくさんの講中札が展示されていました。「講中」は同じ信仰を持つ人々で構成された集まりのことを言い、札にかかれているように神道や学校、商人の団体などがその例です。そういった集団が宿泊する旅籠や宿坊などに掲げられるのが講中札であり、公式サイトの記載によれば以下のとおりです。
江戸時代後期、お伊勢参りが盛んになり一般の旅行者が増えると、優良旅籠を集めた「講」(組合)が結成されました。 加盟した旅籠は入口に講元(代表者)から配られる招き看板を出し、講に入った旅人は鑑札(会員証のようなもの)を持って旅をしました。 鑑札を持って講の招き看板を目指して旅をすれば宿泊に困らないシステムを作りました。 当旅籠はお伊勢参りの講以外にも御嶽講の参詣グループの指定宿でもありました。
その他には副業として薬売りを営んでいた頃の袋も保存されています。

天井に設けられている笠棚はスペースを有効活用した造りで、ここに笠を置いておくと水滴が垂れても下が土間なのですぐに乾くようになっています。

また玄関の天井には出っ張りのようなものが見えますが、これは2階のコタツ(脚を入れる掘りごたつではなく中に炭を入れ、その上に網を敷くタイプ)です。2階の天井が低いためスペースを確保する目的で1階に突き出すようにつくられています。このコタツのおかげで冬場は放射熱で玄関部分も多少温まるという仕組み。
玄関に限らず、後に登場する各部屋にはコタツが一つずつ存在していたそうで、玄関も同様にゴザをめくればその跡があるそうです。この様子からすると玄関真上の2階には部屋が横並びに2つあるみたいですね。
厨房周辺
玄関から奥の戸を開けて次の部屋に進みます。
こちらの部屋は神棚や囲炉裏の跡が残る小部屋で、左側に2階への箱階段、右側に厨房があります。





玄関との違いはその圧倒的な天井の高さ。玄関では2階の床に設けられているコタツに手が届きそうだったのに対して、この部屋では遥か上に天井があるのが分かります。頭上を見上げると囲炉裏の煙で黒ずんだ壁や梁が目立ち、強度部材である梁が剥き出しになっている造りも非常に見応えがありました。屋内に入る前は表通り側のように2階部分があると思っていたのが良い意味で期待を裏切られた感がある。
表通り側には2階の部屋が存在しているため、つまり2階の客室分の高さがまるまる吹き抜けに割り当てられているということ。実に斬新な空間の使い方だと思います。


右側の厨房入口横、囲炉裏の右側にはウニちゃんという名前のウサギ(6歳)がいました。種類はミニとのことですが結構大きく、そもそもウサギを飼っている旅館は個人的に初めてかもしれない。
ふわふわしているのが可愛くてしばらく眺めていたら、女将さんがおやつのニンジンをあげさせてくれてとても嬉しかったです。あっという間になくなっていくニンジンとウサギをセットで見ているとほっこりしてくる。


2階への階段は側面に収納がある「箱階段」となっており、限られたスペースを有効活用していることが分かりました。なお2階の上はご主人たちの生活スペースになっています。



ここには昔囲炉裏があったものの、厨房とその他の区画を区切るため(こうしないと営業許可が降りない)に約50年前に囲炉裏をなくして引き戸を設けました。引き戸を付けたことによってこの部屋+厨房の分だけあった神棚を置くスペースが約半分にまで減少し、この時に神棚の数や種類が大幅に変更されました。昔はもっと豪華だったようですが、現在でもどっしりとした威厳のある神棚が進行方向上部に鎮座しています。
なお玄関土間から厨房に直に入る戸も右側に別途設けられているため、厨房から玄関の様子を確認しやすいのも利点の一つ。建物そのもの、もっというと玄関や厨房の配置は江戸時代から変わっていないことを考慮すると実に合理的な造りだ。
改めて部屋を見渡してみるとこの一角の歴史のスケールが大きすぎる。「収納された番笠+箱階段+黒ずんだ壁+大きな梁」という、他の旅館では見られないような景観はゑちごや旅館ならではのものです。
廊下~坪庭
神棚の下を通って奥へ向かうとこじんまりとした居間があって、夕方以降は女将さんや娘さんがテレビを見たりされていました。夕方や夜景の散策へ行く時には居間を必ず通過することになります(=廊下がない)が、一般家庭の居間にお邪魔しているのと同義なので結構気まずくて通りづらかった。
居間の奥が中庭(坪庭)に面した廊下で、さっき通ってきた吹き抜けの延長線上のような感じで「屋外」の要素を感じさせて風流でした。右側に家族湯形式のお風呂場と別の2階へ続く戸があり、左側の廊下を歩いていくと洗面所があります。





手前の梁の裏には電線を固定・絶縁するためのセラミック製の「碍子」が残っています。



ほんの少しの広さの庭には植物の緑が広がり、木造建築の中に柔らかさを醸し出している。
ただでさえ限られた空間の中に優先されるであろう客室等を造らず中庭を設ける点、また建物の入口や一番奥ではなく中間地点に庭を設けている点が素敵だなと思いました。




お風呂場の様子はこんな感じで、浴槽の広さは一人分といったところです。昔はそもそもお風呂が一般的ではなかったし、ここは旅館というよりは民家の佇まいが多く残る建物なので納得しました。
でもあれですね、中山道木曽路をロードバイクで走って宿場に到着し、荷物を置き浴衣に着替えてからお風呂に浸かったときの感動…。公共交通機関や車が発達した現代においてあえて人力で宿まで向かうという酔狂さ。これは実際に自分と同じような行程をやった人にしか分からないと思う。ロードバイク旅と街道や宿場は実に相性がいいと感じました。



そのまま廊下を進んでいくと右側に洗面所があります。古い建物とはいえ水回りは最新になっており、使用されている木材も他と比べると新しめ。
泊まることになる客室のすぐ手前側に位置していてアクセスもいいです。
客室前廊下~廊下突き当り
洗面所を過ぎると客室エリアに入りますが、まずはこのまま廊下を進んでみることにしました。玄関から今まで通ってきた部屋は廊下がなく部屋のみだったのに対し、客室エリアは左側に廊下、右側に客室という風に明確に区切られています。

洗面所の奥の段差を上がったところ。右側が宿泊する客室の入口で、廊下はそのまままっすぐ続いています。
廊下の区画は床や壁、押入れ(舞良戸)に至るまですべてが黒光りしており、創業当時から残る貴重なもの。どれだけの年月が経てば、そして床については一体どれだけの人数が上を通行すればここまで年季の入った様相になるのか見当もつきません。



客室は手前と奥の二部屋あり、それぞれの部屋に対応する押入れは客室内ではなく廊下側に設けられています。中には宿泊する人数に応じた布団や枕、そして冬場に使用するコタツが収納されていました。これは寒い時期でも温かそう。
あとこの廊下の一角は窓がないため、時間帯によらず結構暗いです。




押入れを通りすぎて廊下の突き当たりまで行くとトイレがあります。
ここはちょうど外観を確認したときに見えた建物背面の凸部に該当し、中に入るとウォシュレット付きで快適そのもの。洗面所やトイレは建物の規模や古さに関わらず清潔感が求められる部分と思っていますが、ここは全く問題ないと感じました。
ちなみに表通りの旧中山道とJR線路の道路の間には1階分の高低差があって、客室やトイレは2階の高さに位置しています。1階の部屋や廊下を歩いていたはずがいつの間にか2階にいて驚きました。

トイレの窓や、泊まっている部屋からはJRの電車が走行する様子を間近で見ることもできます。
例えばこれが名鉄レベルの通過頻度だったら音が気になるかもしれないけど、JR中央本線のダイヤはそこまで過密でないため個人的にはちょうどいい感じ。ふとしたタイミングで電車の音が聞こえてくると旅情を感じます。
泊まった部屋
さて、今回泊まった部屋は旅館の一番奥に位置する二間続きの客室で、広さは8畳+8畳の計16畳あります。各部屋は中央の襖戸で仕切られている以外に廊下の手前・中央・奥(トイレ前)の3箇所から別々にアクセス可能で、昔はそれぞれが別の客室として提供されていたことが伺えます。
現在では宿泊できるのが一日一組限定ということで、時期や状況に関わらずここに泊まることになります。部屋が広いため一組あたりの人数が多くても問題ないようです。








手前側の客室はこんな感じで、洗面所を過ぎてすぐ右側に曲がる廊下から入る形。また手前側の客室からだと奥側の客室へ行きやすいため、(廊下を通ると暗いので)滞在中の客室の出入りはここに一本化しました。
客室内に押入れがない影響で収納スペースがなく、客室としてはかなりシンプルにまとまっています。置かれているものは座卓、座椅子、衝立、衣桁くらいしかなく、エアコンや空気清浄機といった近代家電は当然のように無し。さらに電気配線も必要最小限と、旅籠時代の雰囲気を崩さず今に伝えていました。


そしてこちらが主に過ごすことになる奥側の客室です。
手前側の客室と設備の数や雰囲気自体は同じですが、奥側の客室には床の間の横に付書院があったり、奥の廊下が広縁のような扱いになっていたりと、明るさの面で大きな違いがあります。特に付書院から差し込む自然光の存在が意外と大きく、廊下への障子戸+付書院の障子戸のダブル効果で室内がかなり明るい。






客室の鴨居には猿の腰掛があり、旧客室名が表面に描かれていました。





いやー…本当に居心地がいいですね。二間続きの部屋をぜいたくに使用できる点もありますが、何よりもあまり近代化されていない昔ながらの部屋に、他の宿泊客に気兼ねすることなく宿泊できるのが本当に素晴らしい。
たとえ歴史がある旅館であっても一般的にはリノベーションされて新しくなっていることが普通(特にエアコンの設置)なのに対し、ここでは電化が最小限に抑えられている。玄関から客室に至る道中も客室そのものも、過去からタイムスリップしてきたと言われても違和感がない。この客室に寝そべって夕方の時間を過ごすのは幸せすぎました。




ところで各客室には床の間が設けられており、奥側の客室については付書院も存在していました。一般的な床の間の造りはよく知られているように、床柱を境にして左右に掛け軸などを飾る「床の間」と、違い棚などがある「床脇」が配置されています。
しかしゑちごや旅館の客室はいずれも床の間自体はあるものの、床脇には天袋しか残されていません。この理由は昔は天袋・違い棚・地袋という一般的な床脇の構成だったところを、宿屋を経営する上で客室にするために押入れを廊下に追加することになり、スペース確保を目的に違い棚と地袋を除去して現在のような形にしたためです。要するに最初は収納スペースが何もなかったというわけで、自分が想像する和室の造りとは異なっていました。
ただし上の話は旅館業を始めたとき、つまり江戸時代のことなので今の形になってから現時点ですでに約235年経過している形になります。旅館において「改修」と聞くと昭和や平成といった近年の出来事だろうと思っていたけど、近年の話では全くないのが驚きでした。





アメニティは浴衣、タオル、バスタオル、半纏、ブランケットあり。設備については扇風機、ポット、蚊取り線香を入れる豚の蚊取り器、インターホンがあり、またWi-Fiが整備されています。エアコンはないですが奈良井宿は標高が比較的高いので夏場(9月上旬)でも結構涼しく、17時以降は半袖だと若干寒さを感じるくらいでした。冬場は、押入れの中身を見たところコタツで暖をとるようです。
水周りは最新なので懸念点があるとすれば室温の管理くらいだけど、エアコンがないと生きていけないという人以外は特に問題ないはず。多少不便だったとしても建物の貴重さを考えれば気になりません。
あと、まさか蚊遣り豚が室内に配備されているとは思っていませんでした。このブタさんには夜の時間にお世話になります。




奥側客室のさらに奥は洗面所前の廊下に通じる通路になっていますが、今では広縁のような扱いで窓際にロッキングチェアやタオルかけが置かれています。
こちらの窓際はほぼ全面が窓になっていて採光性は十二分。特に方角的に朝の時間帯はまばゆいばかりの日光が室内に差し込んできました。

窓の外側には欄干が残っていて、眼下の庭を見下ろすことができました。向かって左側がトイレの建物部分で、階下の1階部分は物置になっているようです。





館内の散策は以上で終了。ひとしきり歩き回った後は窓際のロッキングチェアに座って目の前の線路を通過する電車を眺めていました。
線路脇の道はほぼ地元の方しか通らず他人の視線を気にする必要がなく、すでに日没の時間が差し掛かっている奈良井宿の静寂さを味わいながらのんびりと過ごす。旅館の夕方は、こういう風に時間を忘れて心ゆくまでぼーっとしていたい。
夕食~翌朝
夕方の宿場町の散策を終え、部屋に戻ってきて寛いでいると夕食の時間(18:00~)。料理はすべて手作りの味で、夕食・朝食ともに部屋出しとなっています。今回の夕食の内容は以下の通り。
- 鯉の洗い(辛子酢味噌)
- きゅうりの酒粕和え
- 茹でた夕顔(三杯酢)
- 揚げナスの煮浸し
- ささげの胡麻味噌和え
- そうめんかぼちゃのおひたし
- 枝豆
- 茶碗蒸し
- 山芋のわさび醤油がけ
- ご飯とお吸い物
- 地酒として木曽の桟1.5合を別途注文
- イワナの魚田(田楽)と付け合わせの自家製のピクルス…本当に柔らかくて美味い。酒に合いすぎる
- 野菜の天ぷら
- 白菜のお漬物、ミョウガの味噌汁…お吸い物とは別に味噌汁が出た
- デザートのメロン
温かい料理である焼き魚と天ぷらは出来立てを運んできてくれるため、一番美味しいタイミングでいただくことができます。















長野県ならではの鯉料理に加え、山間部という立地を活かした山の幸や川の幸が中心。素材にめちゃくちゃお金かかっていますという豪華さよりも、昔ながらの料理を味わえるという意味で心から満足できました。
もっと言えば江戸時代や明治時代に泊まった人も、もしかしたら自分と同じ料理を食べていたのかもしれない。そう思わせてくれるほどに現代感が控えめで、素朴な味わいを肴にご飯やお酒を楽しむ。特に日本酒を飲むシチュエーションとして最高以外の言葉がなく、宿場町で一泊する良さが最大限に感じられました。
旅館で食べることができる料理って本当に千差万別で、全く同一の内容はありません。山の近くなら山の、海の近くなら海の、川の近くなら川の料理をいただきながら雰囲気を満喫する。どれもその旅館でしか食べられないものだし、「土地」と食材や料理は切っても切り離せないと思います。




夕食後は団らんされている居間を通過して夜の奈良井宿を少し歩いてきましたが、昼間の賑やかさとは正反対で宿場町の中には人が全くいません。それでいて気温は半袖だと少し冷えるほどに快適で、こういう静けさの中を闇に紛れながら歩くのがたまらない。
ちなみに旅館に帰ってくると愛車が玄関土間に置かれているのが見えて、改めて気分がとても良くなりました。
ゑちごや旅館に今まで泊まった旅人の人数は星の数ほどあれど、自分のように自転車で泊まりに来た人はそう多くないはず。しかも市販されていない唯一無二のチタン製オーダーフレームバイクでやってきて江戸時代から残る旅館に泊まっている。そんな愛車がまるでゑちごや旅館の風景の一部になっている…。この光景を見た瞬間に、この日の滞在がかけがえのないものになっていることに気が付きました。



部屋に戻ってきたら手前側の客室に布団が敷かれていた。こういう風に主に過ごす部屋と寝室を分けられるので二間続きの部屋は好きです。
で、せっかくなので寝るときに枕元に豚の蚊取り器を置き、蚊取り線香を燃やしながら寝ることにしました。ちょうど暑さも比較的収まって蚊がいる時期に泊まっていることだし、有効活用しない手はないだろう。





こんな小さな道具が布団の脇に鎮座しているというだけでもう可愛すぎる。豚の蚊取り器ってその大きさといい形状といい、夏しか使わないにも関わらず一家に一台は欲しくなってくる代物だと思います。
静かに煙が立ち上っていく様子を眺めていると自然と眠くなってきて、夏の夜に実に風情ある過ごし方ができている。一般家庭ならまだしも宿泊施設で豚の蚊取り器を置いて寝るという体感は珍しく、忘れられない夜になりました。
気温については夜の時点で温度計を確認したら24℃。朝はもっと冷えて16℃くらいになっていました。掛け布団一枚だと少し冷えます。
帰りの電車の時間を考慮して朝食(7:00~)は早めにとることにし、朝日が差し込んでくる中での食事タイムとなりました。内容は黒豆、卵焼き、カボチャの煮つけ、ピーマンのおひたし、切り干し大根、蓮根の酢の物、わさび漬けが並び、夕食と同様に野菜が中心となっています。

昔の人もこうして朝にしっかり食べて腹ごしらえをし、街道を歩いていったと思うと感慨深い。当時は宿場町に泊まっている時点で中山道歩きをしていたのは確実であり、朝食の重要さは今とは比べ物にならないと思います。そう考えると普段よりもご飯をおかわりする量が増えていた。
朝食後はしばらくゆっくりと過ごし、いつの間にか電車の時間が近づいてきたため名残惜しくも旅館を後にしました。JR中央本線奈良井駅の本数は多いとはいえないので行程には注意する必要があります。







朝の陽光に包まれる奈良井宿。
お店はまだ開店前で表通りには人がまばらであり、周辺を歩いているのは数人程度しかいません。観光地の夜と朝の様子は現地に宿泊してこそ味わうことができる。宿泊当日、そして翌日の二日連続で快晴に恵まれてとても良い時間を過ごすことができました。
おわりに
ゑちごや旅館は中山道木曽路の奈良井宿に位置し、江戸時代から現代まで旅人を多く迎え入れてきた宿。近年では日本の古い町並みが再評価されてきたこともあって宿泊するのは難易度が高めですが、あえて近代化してこなかった建物の館内はとても雰囲気がいいです。
歴史ある建築物が好きな人のみならず街道歩きをしてみたいという人にもおすすめできるし、宿場町の中に泊まることによって昔の人と同じ体験ができる。ゑちごや旅館はここにしかない要素、ここにしかない楽しみ方ができる宿であって、心からまた再訪したい限りです。
おしまい。
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