今回は昨年の春、【岐阜県を走る】シリーズでも登場した岐阜県恵那市の明智町に行ってきました。
あのときの明智町はポタの通過点に過ぎず、あまりゆっくりできなかったのも今回の訪問の理由の一つ。今回は一泊するということで明智町の夜を静かに味わっていきたい。
泊まったのは明智町に唯一残る旅館、さつき旅館です。
明智町を再訪
明智町はその名の通り、かの明智光秀の出身地として有名です。
町内には城跡や学問所、供養碑などが残るなど光秀ゆかりの史跡が多く、近年では「麒麟がくる」関連を推されている様子。予想通り、町のあちこちでそれ目的っぽい観光客を見かけました。
江戸時代になると「遠山の金さん」で有名な旗本・遠山家の領地に指定され、町内には遠山家の家紋(丸に二引き)を入れた瓦、下屋敷跡や歴代の墓所が残っています。
そして明智町が最も栄えたのが大正時代で、数多くの製糸工場が立ち並び、飛騨地方からたくさんの女工が働きに来ていたそうです。このあたりの話もまた【岐阜県を走る】シリーズで出てきたところであり、県内の各地を訪れる度に以外な関係性に驚くばかり。
ちなみに一時は野麦峠で有名な諏訪や岡谷よりも女工の数は多かったらしいです。
女工は多いときで400~500人ほど居たといい、明智の生糸は横浜へ出荷され、横浜から世界に輸出されていきました。いわば日本の経済を支える重要な産業を営んできた場所がここなわけで、そういう知識を仕入れておいてから実際に現地を訪問するのがまた楽しい。
時は変わって現代。
今では明智町は「日本大正村立村」を中心として大正時代の面影を残す取り組みをされており、町のいたる所に味わい深い景色を見ることができます。思えば、前回の訪問のきっかけもそれに惹かれたからだった。
さつき旅館もそんな大正時代に建てられたもので、女将さん曰く旅館の前は小料理屋を営まれていたとのことです。
まずは外観から。
さつき旅館はうかれ横丁と呼ばれる一角にあり、細い路地に沿って建物が組まれています。向かって右側1階部分は駐車場になっており、今回はロードバイクでの訪問だったのでここに置かせてもらいました。
見ての通り構造としては木造2階建てとなっていますが、目に見えているのは旅館のほんの一角に過ぎないため、メインとなる部分は奥まったところにあるようです。泊まってみないと分からない部分があるというのが興味をそそられます。
館内散策
それでは屋内へ。
道が凍結していた等の影響で到着時間が遅くなってしまい、前もって電話で伝えておいた時間ギリギリになってしまいました。玄関の前に来た瞬間に中から女将さんが出てこられたので、なんだか申し訳ない気分。
玄関入ってすぐが土間になっており、そのまま右手奥に向かえば中庭へ続いています。
正面には2階への階段があり、階段の奥の部分は宿の方の生活スペースや台所になっていました。なお2階は客室となっていて階段は二箇所にありますが、今見えている側の階段はあまり使ってないようです。女将さん曰く階段が急すぎて危ないからとのことで、自分も実際に上り下りしてみましたがまさにその通りでした。
それにしても、土間のすぐ前が畳敷きというのが実にいい。
例えば、暖かい時期だとここに座ってのんびりすることもできるし、玄関先で客とやりとりするのも非常に楽。何よりも奥にある生活スペースから直接来れるという点が利便性高くて便利です。
そのまま土間を進んでいくと中庭に到達するのですが、その手前に板が敷いてあって、どうやらここで靴を脱ぐようです。こういうの、なんていうか実家感がある。
そういえば旅館の前は小料理屋だったという話だし、小料理屋の構造が一般的にどういうものなのかよく知らないのですが、間違いなく言えるのは安心できるということ。変に格式高いというようなものではない分、肩の力を抜いて宿の心地よさに浸ることができます。
今回泊まった部屋は、靴を脱いだ地点から直進して左に曲がり、中庭を横目に見ながら再度直進して右に曲がったところにありました。位置づけとしては離れのようであり、母屋2階の客室とは違って完全に独立しています。
暖房については炬燵(重要)のほかにもファンヒーターがあり、これだけで自分にとっては十分でした。一応エアコンもあったものの、個人的にはエアコンは味気ないので結局未使用。布団もすでに敷かれており、外の寒さも相まって途端に眠くなってくる。
とりあえず部屋に荷物を置いて、館内をささっと歩いてみることにします。
館内は非常にこじんまりとしており、何も考えずにふらふらしているのがちょうどいいくらい。
今日の宿泊客は自分一人なこともあり、気兼ねなく歩き回ることができます。思うに、宿に到着した後って大抵同じ宿泊客が多数いたりするので、自分の部屋以外だとなかなか雰囲気に浸るのが難しい。
規模が大き目の温泉旅館なんかだとそんな感じになりやすいんですけど、さつき旅館の広さだとむしろ一人客が個人的にはちょうどいい。宿に一人という状況なので孤独感を感じつつも、この広さを自分で独り占めできていることが嬉しく思えてくる。
さつき旅館は、そんな適度な広さが特徴の一つだと思います。
夕食前に散策するついでに、早めのお風呂に入りました。
さつき旅館は前述したように元々小料理屋だったため、このお風呂は後付されたもののようです。ただし洗い場はかなり広く、狭さを感じることはありませんでした。お湯の温度は冬場にはめちゃくちゃ心地よく感じるくらいの適温で、今日一日の疲れが一気に開放されたような気持ちよさ。
毎回思うけど、宿に着いてお風呂に入ったときの安心感はかなりだと思う。もう今日はあくせくすることもなくゆっくりくつろいで良いのが確約されたようなものだし、身体の力が抜けていくような感覚は気のせいではないと思う。
夕食~夜の散策
こんな感じで館内を散策したり、ときには廊下に座り込んで外の風景を眺めたりもしてました。その後は部屋に戻って布団で昼寝をするなどし、気がついたらもう夕食の時間に。
旅館の夕食ってとにかく品数が多めで、普段の食事と比べると明らかに色彩的にも楽しみがある。
献立は煮物や鶏肉のフライ、刺し身などがあり、宿の食事というよりはどこか家庭の献立を彷彿とさせるような佇まいでした。
夕食の後は夜の明智を散策しに出かけたところ、急に雪がしんしんと降ってきたので急ぎ目で周りました。
確か雪の予報は無かったはずだけど、日中は降らずに夜に降ってくれたというのがポイント高い。たぶん明日起きたらいい感じに積もってそうだし、こういう突発的な出来事が面白いから旅先での宿泊はやめられない。
現地に宿泊するとなると必然的に滞在時間も延長されるわけで、降雪等の自分が想像していないイベントが起きる確率も高まってくる。色んな場所を短時間ずつ味わうのもいいけど、ひとつの場所にずっと留まっているのも旅の選択肢の一つだと感じました。
今回泊まった部屋にはとても古い資料がいくつか常備されていました。確認してみるとどうやら明智町を取材した記事が多く、主に日本大正村が完成した当時のものみたいです。
今ではなかなかお目にかかれないようなモノクロ写真や古いフォントに加え、文章の書き方もついても年代を感じさせるものばかり。もっとも具体的に言うと30年前とかそのへんの記事なので、古いのは当たり前。でもよく見ると現代とほぼ変わらないような風景がそこかしこに載ってたりして、思わず驚いてしまったり。
そういう意味では、明智町は当時から変わっているところもあり変わってないところもある。こうして当時の記録が明確に残っている分、それを顕著に実感できた気がする。
翌朝
昨晩から降り続いた雪は適度に積もったらしく、道路に積もった分は走行に支障がない一方で、町中の雪景色を楽しむくらいにはほどよく白い。まさに自分が欲しかった冬だ。
朝食をいただきながら今日の天気を確認する。
こういう風に、自分が住んでいる土地から離れたところにいるのを実感するにはテレビ番組がてっとり早い。例えば東北を訪れた場合は東北地方の天気予報が放送されているし、九州を訪れた場合は九州の天気予報やニュースが流れている。
旅館の雰囲気などで地域の特色を肌で味わうのはなかなか難しいところがあるけど、テレビだと一発。普段だったらまず目にしない恵那や中津川のニュースを横目で見ながらそんなことを考えてました。
宿泊客が靴を脱ぐ土間と今回自分が泊まった部屋との間には中庭があります。この中庭がまた凄くて、決して広くはない敷地内にある庭なんですが、植物や灯籠などの配置が非常にうまくできている。
四方を建物に囲まれている中庭の居心地の良さが本当に良い。ただ単に中庭を見ながら部屋に向かうだけでもいいし、端っこに座ってお茶を飲みながらぼんやりしてもいい。
夜になれば仄かな灯りに照らされる様子も見えるし、この中庭の存在が、さつき旅館で過ごす時間の良さを何倍にも増幅しているのが分かる。
特に、今回の場合は朝起きると木々の上に雪が積もった幻想的な風景が目に入ってきたのがもう素敵すぎる。これを眺めたら朝早い時間の寒さもどこかへ行ってしまってました。
せっかくなので他の部屋も見せてほしいと女将さんにお願いしてみたところ、快諾いただけました。本当にありがとうございます。
見せていただいたのは、昨日旅館の前の通りから見えた母屋の2階部分。
今では大人数用の客室として使っているようで、基本的に二間続きの状態で運用されているようです。
二間続きの部屋の窓の外にはいずれも木の柵が設けられており、ここから通りを眺めるのは難しい様子。欄干なども無いので、当初は落下防止用の柵なのではないかと思っていたのですが、女将さんに伺ったところそうではないとのことです。
これはむかし小料理屋として営業していた際に、2階で騒いでいる様子を通りから見られないようにするために付けられたんだとか。確かに酔っているのを遠目からじろじろ見られるのもアレだし、そういう配慮がされていたと聞けば納得です。
そして本当に館内を一通り散策し終わったところで女将さんにお礼をいい、宿を後にしました。
おわりに
旅先で気になった場所があり、そのときに都合で訪問できなかったのなら再訪するしかない。
今回の宿はそのまま忘れるにはもったいないという確信があったことから投宿したところ、案の定自分好みすぎる旅館だったのでもう嬉しさでいっぱいです。それもただ古い宿に泊まるのではなくて、その歴史も同時に味わえたのが非常に楽しかった。
おしまい。
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