今回は、福島県三春町にあるぬる湯旅館に泊まってきました。
ぬる湯旅館は銭湯が併設されている珍しい形の旅館で、銭湯の創業は明治42年。現在の銭湯の建物は昭和2年に建築されたレンガ造りのものです。その銭湯の建物の隣には木造の旅館部分(旧館)が建っており、こちらの創業は昭和初期。おそらく銭湯の改修に合わせて旅館業を始められたっぽいです。
ぬる湯旅館の「ぬるゆ」の名前の語源は、同じく福島県の吾妻山麓にある微温湯温泉 旅館二階堂から取られていました。以前は微温湯の湯の花をここまで運んできて温泉にしたそうで、温泉マーク♨があるのはこれが理由です。
旅館としての建物はこの旧館と、それから30年ほど前に横に新しく建てられた新館から構成されています。後述しますが旧館部分は一般的に宿泊用途では使われていないため、現在では新館のみに宿泊可能です。
- 銭湯:昭和2年建築、男女別の銭湯
- 旧館:昭和初期建築、主に旅館の方の住まい
- 新館:平成初期建築(約30年前)、宿泊者が泊まる建物
今回はロードバイクで福島県の磐梯吾妻スカイラインを走る機会があり、その際の宿として選んだのがぬる湯旅館です。翌日から始まるGW本番はすべて満室だったのに対し、自分が泊まった日の宿泊者はなんと自分一人だけ。木造旅館の静かな雰囲気を楽しむという意味でも、本当に良いタイミングで宿泊できました。
食事の量の違いで宿泊プランは2種類あって、今回は良い方を選んでいます。
外観
まずは外観から。
三春町を通る国道288号から道を一本入り、桜川という川に面した側道沿いにぬる湯旅館は位置しています。建物の配置を見るに、昔はこの細い道がメインストリートだったようです。
建物の配置は左から銭湯、旧館入口、旧館客室部分、新館の順番で並んでいました。従って建物全体の横幅がとても長く、それらがどっしりと構えている様子は壮観の一言。自分も、旅館に到着したときにはその迫力に驚くばかりでした。
ぬる湯旅館の外観の様子。
ただ目の前に立っているだけでも、全体的に古びたレトロな雰囲気が漂っているのが分かる見た目をしている。古い旅館ということで木造部分はまあ一般的ですが、左半分が丸ごとレンガ造りというのは個人的には初めてです。
レンガ造りの建物は耐火性に優れており、例えば舞鶴の赤れんがパークでは、海軍の施設としてレンガ造りの大きな建物がいくつも並んでいたりします。しかしレンガ造り+木造という組み合わせは珍しく、ここではそれらが一体となって建物を形作っている。なんという素敵なことだ。
銭湯部分のさらに左側には、湯を沸かすための高い煙突が立っていました。
そしてこちらが旧館への入口なんですが…こんなに歴史を感じる玄関があるのか?ってくらいに好きになりました。
場所的にはレンガ造りから木造部分へと切り替わる境界に設けられており、「ぬるゆ」の看板とともにこじんまりとしたガラス戸の玄関がある。玄関の周りが全部木造というわけではなく、レンガ造りの建物の下部の石組みだったり、旧館側壁の漆喰だったりがラップするように存在しているのも見事だ。
あとは、玄関を引きで眺めたときに感じる非対称感。
視界の左右で建物の様相がまるで異なっており、単純に建築物として魅力的だと思います。和洋折衷…というか、時代的に「かなり古い」と「ちょっと古い」が融合している感じ。
玄関がある旧館部分は、1階が銭湯兼旅館への入口と居間になっています。
2階には客室ではない部屋がいくつかあって、こちらも旅館の方の生活スペースになっているようでした。
そして、旧館の一番右側の部分。
こちらも1階は旅館の方のスペースで、2階にも部屋があります。旧館2階の角部屋付近には「ぬる湯旅館」の看板があって、「宴会・宿泊に御利用下さい」の文字が見えました。
公式サイトにも「宴会・仕出し・宿泊のほか、長期滞在のお客様も多く、その場合宴会料理とは趣を変えた家庭的な料理もお出ししています」との記載がありました。宿泊だけではなく、多種な用途に利用できるのは便利です。
旧館を眺めながら右側に移動していくと少し開けた場所があって、どうやらこちらが旅館の方の駐車場になっているようです。昔使われていた井戸もそのまま残っていました。
その奥にある比較的新しい外観の建物が新館で、現在では宿泊者はこちらに泊まる形になります。つまり泊まるのは機能的に便利な新館で、お風呂に入るときは旧館を通って銭湯に向かうという流れ。
新館は旧館だけだと部屋数が不足するので後から増築したとのことですが、現代における古い木造旅館のスタイルはこういうのが主流じゃないかなと思いました。
古い建物が好きな人は多いだろうけど、そこで実際に宿泊として一夜を過ごすとなると、あるがままを受容できる人は決して多くはない。なので泊まるのはあくまで近代的な部分にしておいて、古い部分は見るだけ・通るだけという風にすれば問題ない。
古い木造建築は維持管理も大変だし、ぬる湯旅館のような旧館・新館形式は個人的に納得です。
国道方面からの眺めはこんな感じで、新館の裏側のみが見えました。高さ的にぬる湯旅館の肝である銭湯や旧館部分は全く見えず、国道を通っているだけでは存在に気づきにくいというのもグッド。
新館の前には広場があって、宿泊者の駐車場はおそらくここだろうと思います。
館内散策
旧館1階~玄関
続いては館内へ。
すでに述べた通り宿泊者はすべて新館に泊まることになるので、当然ながら入口も新館のものを使います。ただ本記事では説明をしやすくするため、旧館→新館の順番で記載します。
自分がぬる湯旅館に到着したタイミングでは1階に誰の姿も見えませんでしたが、旅館の方は基本的に旧館の奥にある建物(こちらが家の様子)にいらっしゃるか、もしくは新館1階の厨房で食事の準備をされているようでした。
玄関の戸を開けると玄関土間が正面奥まで続いていて、右側に居間、左側に銭湯があります。なので外から銭湯に行く場合は途中で履物を履き替える必要がなく、玄関土間から直接向かうことが可能。よく考えられている。
間口が狭くて建物が奥へと続く、いわゆるうなぎの寝床構造の建物だと玄関土間が長いのが特徴の一つ。ぬる湯旅館においては玄関土間がそのまま銭湯の入口も兼ねていて、そこに居間をくっつけることで受付の役割も担っていました。
そのまま奥に進むと旅館の玄関があって、玄関には昔ながらの漢数字が書かれた靴箱があります。
こういう靴箱は古い建物の中でも残っているところがとても少なく、現役で使われているのを見るのはかなり珍しい。個人的にはこの玄関土間~玄関までの空間がとにかく好きすぎて、世の中にはこういう旅館もあるんだと感動してました。本当に珍しいから仕方ない。
玄関から先の動線は一つしかなく、向かって左側の階段を上って2階に行くだけとなっています。
階段の前には、昔使われていた電話室がありました。
電話室のガラス部分は旧館玄関のガラス部分と似た部分があって、どことなく一緒に時期に造られたんだろうという類似性を感じます。あと電話室のドア部分は斜めの形状になっているけど、これは一体どういうことなんだろうか。
玄関には電話室がセットになっていることが多いものの、今でも現存している電話室はそんなに多くない。靴箱といい、古いものをそのまま残されているのは素直に嬉しいです。
旧館2階~客室
続いては2階へ。
旧館部分は宿泊用として供してはいないものの、新館から銭湯に行く際には旧館の廊下を通ることになります。従って自然な流れで旧館の散策も行えるような形になっており、これは動線として優れていると感じました。
階段を上ると、左手前側に折り返すように廊下が続いています。
階段の段差や手すりは昔のままのようで、手すりについては隙間を埋める目的でスノコが取り付けられていました。全体的に階段周辺は最低限の造りといったところで、特別な装飾などは見られません。
廊下を進むと右側に2部屋あり、さらに左側に廊下を曲がった先に2部屋あります。
今まで泊まった旅館では、1階と2階の廊下の位置関係は一致していることが多いですが、ぬる湯旅館は1階から2階に抜けるにつれて廊下が左側に回転していくような構造をしています。
表通りに面した側しか部屋が存在しない1階部分に対して、2階は建物の左側面にも部屋があります。廊下はすべての部屋に面してないと部屋への出入りができないので、それをカバーするために廊下が曲がる回数が多くなっているようです。
そして、この意味ありげな廊下に取り付けられた板。
実はぬる湯旅館は戦時中に疎開児童の疎開先として用いられた歴史があって、その際に児童の名札をここに下げていました。今でこそ釘の跡しか残されていないものの、建物としての成り立ちが想像以上に深いことに驚いてしまう。
三春町が疎開先に選ばれるということは、言い換えれば空襲の危険がない安全な場所だということ。こうして昭和初期の建物が現存していることを鑑みてもそれは間違いなく、この日に郡山方面から三春町へ向かう道中のことを思い出しました。
あくまで観光という面で見ると、三春町は静かで長閑な町という印象に落ち着くと思います。しかし約半世紀前には戦争に関係していたわけで、ぬる湯旅館での滞在がなおさら印象深いものになりました。
そして、その奥の広めな廊下の右側には旧館の客室があります。旧館において「部屋」ではなく「客室」なのはこの1室しかなく、他の部屋は物置のようになっているとのことでした。
なんだ、新館だけじゃなくて旧館にも客室があるんだ!となるところですが、通常は旧館に泊まることはできません。これは女将さんに電話予約の際に確認したし、当日あれこれお話を伺った中でも変わりませんでした。
仮に泊まれるとすれば、人数が多い団体客が貸切で宿泊して、あまりに人数が多くて「もう寝られるならどこでもいいんです!」という人がいる場合に提供する場合があるというレベル。
今回の場合は、自分が泊まった翌日に小学校のスポーツクラブが貸切で宿泊する予定になっていて、その引率の先生方からどこでもいいですとお願いされたので提供するとのことでした(すでに布団が敷いてある)。
女将さんに特別に中を拝見させていただいたものの、設備としては暖房や冷房は無いです。個人客は大人しく新館に泊まりましょう。
客室を通り過ぎて廊下を進むと、旧館と新館を結ぶドアがありました。
銭湯に向かう際はここを通って旧館に入り、さっき歩いてきた道のりを逆に歩くことになります。新館と銭湯は離れているので通常なら一旦屋外に出なければならないところ、屋内を通って向かえるように工夫されていました。これは便利だ。
新館1階
旧館を散策したところで、続いては新館へ。
新館はどこを見渡してみても設備が新しく、旧館との雰囲気の違いが顕著でした。1階にトイレや洗面所などの共用設備があって、2階は客室のみがあるというシンプルな構造です。
玄関を入って正面に帳場、左側に靴箱があります。
中に上がって建物左側手前から喫煙所、洗面所、トイレ、厨房があり、廊下の一番奥が食事場所。夕食や朝食の際はここでいただく形です。洗面所やトイレはともかくとして、喫煙所が別途設けられている旅館は珍しいと思う。
トイレは男女別ではありませんがウォシュレット付きで、洗面所にはコップや歯ブラシが常備されていました。
新館も旧館と同じく木造建築ですが、築年数が比較的新しいので木材の色も新鮮なままです。
全体的に明るい色彩になっているし、各所には植物も置かれていて気分的に晴れやかになれる。掃除も行き届いていて清潔でした。
やっぱり宿として何が一番大事かというと私は清潔感だと思っていて、どんなに装飾が凝っていたり料理が美味しかったとしても、掃除が不十分だとなんか残念な気持ちになってしまう。でもぬる湯旅館ではそういうことがなくて、気持ちがいい時間が過ごせました。
新館2階~泊まった部屋
続いては2階へ。
2階へ向かう階段は窓が多くて採光が十分確保できており、1階に引き続いて明るい印象です。さらに踊り場には旧館への出入り口があります。
新館2階は向かって左側に廊下が伸びており、そこから客室が5部屋並んでいます。
客室の名前は手前から松・竹・梅・桃・桜で、今回泊まったのは一番手前の松の部屋(6畳)。
部屋の設備としてはエアコン、テレビ、ポットがあって、アメニティとして浴衣、タオル、バスタオルあり。さらに銭湯に行けばシャンプーやボディソープがちゃんとあるため、特に何も持たずに宿泊してもなんとかなります。
松の部屋の様子はこんな感じで、たぶん他の部屋も同じ広さだろうと思います。
すでに布団が敷かれているため自分の好きなタイミングで昼寝することができ、この日はがっつりヒルクライムをしたので横になったらそのまま寝そうでした。
銭湯
部屋でまったりしていると夕食の時間まで( ˘ω˘ )スヤァ…しそうだったので、夕食前に銭湯へ。
ぬる湯旅館のお風呂に入れる時間は銭湯の営業時間(15:00~20:00)と同一で、当日の20時までとなっています。従って朝風呂については入れないようで、これはちょっと残念でした。
さっきから銭湯銭湯と言っているけど、一般的に想像する町中にあるような銭湯とたぶん同じです。左右に男女別の入口があって、男湯と女湯が壁を挟んで存在する構造です。
まず銭湯の入口がこれなんですよね。最高すぎないか??
脱衣所はこんな感じでかなり広いです。あと玄関土間から銭湯に入って真っ先に感じたのが「天井の高さ」で、玄関土間の天井の1.5倍くらいはあるので開放感が凄い。
古い旅館って基本的に天井が低くて、仮に高いところがあるにしても客室くらいしかない。つまりこの銭湯は旅館部分とは明確に構造そのものが異なる場所というわけで、それは入った瞬間に理解できました。
銭湯の外壁はレンガ造りであるのに対して、内装はもちろんレンガではなく綺麗になっています。壁の塗装も剥がれたりしているところはなく、こちらも清潔感があります。
お風呂は広さが異なる湯船が2つ並んでおり、両者は中で繋がっている構造でした。向かって左側の方が底が浅く、右側が深くなっています。
肝心の温度の方は「ぬる湯」の名に反して激熱で、個人的には全身が浸かることができるギリギリの温度。これでもおそらく客が入れる程度にはぬるくなっているんだろうけど、たぶん45~46℃くらいはあります。長湯はできそうにありませんが、一度浸かるだけで身体が温まりました。
予想としては昔ながらの方式で湯を沸かせているので微妙な温度調節が不可能なため、思いっきり熱くしておくので熱かったら水を入れてねというスタイルなんだと思います。でも銭湯って他の人も入ってくるし、自分の都合だけでぬるくするのはアレなので我慢して入りました。
夕食~翌朝
熱い湯で疲労回復した後は、夕食の時間。
夕食の時間は18:00、朝食の時間は7:00の固定となっているようです。これはこの日の宿泊者が自分だけだったからかも。
今回の夕食の内容は豚肉の陶板焼き、酒のアルミホイル焼き、イカの刺身、ナスのおひたし、サラダ等。
おかずの量が多いのでそれだけで満足度が高く、しかも疲労プラス銭湯の気持ちよさで食欲が増幅されているのでご飯のおかわりが捗ってしまう。
半年前くらいから(投宿時の)食欲がマッハになっていることもあって、宿泊の中での美味しい食事は自分の中でマストになっています。なんかもう最近は「気がついたらお櫃のご飯を全部食べていた」ということが多くて、それは宿の食事が旨いからに他ならない。幸せなことだ。
夕食後は銭湯に再度入りに行って、軽く夜の時間を過ごしてから床につきました。新館の裏手には国道が面していますが、交通量はそんなに多くないので寝るのに支障はないと思います。
で、翌朝。
この日もどうやら天気がいいようで、布団から這い出て朝日を浴びるところから一日が始まる。今日の予定は一応あるものの過密ではなく、時間を気にせずに過ごすことができました。旅館でのひとときは、いつもこんな感じで余裕を持っておきたい。
元気のある朝食をいただいて、この日の目的地に向けて出発。朝食の時間が比較的早かったので出発も自動的に割と早い時間になって、まだ早朝で静かな三春町を後にしました。
こんな感じで、ぬる湯旅館での一夜は終了。
女将さんには館内の説明を含めてとても親切にしていただき、とても満足のいく時間が過ごせたのは言うまでもないです。
おわりに
ぬる湯旅館は福島県の三春町にひっそりと建つ木造旅館で、昔から続くレトロなレンガ造りの銭湯に入れるのが大きな特徴です。
宿に到着してから翌日出発するまでには「癒し」があることが重要だと思っていて、滞在中は肉体的にも精神的にも癒やされていないといけない。ぬる湯旅館では静かな雰囲気や熱めの銭湯がそれを実現してくれて、戦時中の歴史を感じながらの宿泊はとても思い出深いものになりました。
おしまい。
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