元遊郭旅館という存在をご存知でしょうか。
元遊郭旅館は「元々は遊郭として営業していたが、ある時点から旅館として営業を始めた」という建物のことを指します。かつては全国各地にそういう宿があったものの、経営されている方の高年齢化等の影響に伴い、現役で旅館として営業されている宿はあまり多くありません。
今回はGWの行程を前倒しにして青森県訪問に至ったのですが、その理由の一つは、ここ青森県黒石市にある元遊郭旅館に泊まることでした。結論から言うと、その雰囲気を十二分に味わうことができました。
その宿は中村旅館といって、黒石の中心部である中町こみせ通りから通りを一本入ったところにあります。
かつて遊郭だった宿
黒石市街地はこみせ通りがメインストリートとなっていて、飲食店やお土産店等もその近辺に集中していますが、逆に通りを少し逸れただけで途端に住宅地が広がっています。そこにいきなり広大な敷地を持つ旅館が登場してきたのが印象的でした。
まずは外観から。
中村旅館は階数こそ2階建てですが、特筆すべきはなんといってもその広さ。屋内に入らずとも、外から眺めるだけでその大きさがよく分かります。
棟としては玄関正面部分に加え、左右に一つずつ。他にも全体的に青い屋根が施されていたり、雨戸の収納部があることが分かりました。もっとも、窓は既にアルミサッシになっているので雨戸の出番はなさそう。
こんな風に外観から分かる部分を確認して、中がどういう構造になっているのか予想しながら入るというのが結構面白い。もちろん中に入ってから散策に専念するのもいいですが、旅館に到着して最初に目に入ってくるのは外観そのもの。なので、ある程度はここで予想することができたりもします。
側面部分は一部に覆いが施工されており、これは消防法の関係だそうです。元々は全てが完全な木の板で覆われている見事なものだったとのこと。
館内散策
翌日の天気は雨ということで、ロードバイクは軒下に置かせていただきました。
ここからはこの中村旅館で過ごす時間が始まるわけですが、女将さんから伺ったお話を各所に交えながらご紹介したいと思います。
まずは、この中村旅館の簡単な歴史について。
- 今の場所では137年前から営業を続けている。その前は一つ向こう側の通りにあったが、そっちが火事で消失してしまったため、今の場所に移転してきた。
- 昭和33年(売春防止法の罰則が施工された有名な年)までは遊郭をやっており、その後は半分旅館、半分料亭みたいな時期があった。その後、今の旅館形式になった。
建物自体はその137年前からほとんど変わっていないようで、数字だけ聞いても歴史のある宿であることが理解できます。
かつては敷地の中に2箇所ほど門があって、囲っていた遊女が逃げないようになっていたらしいです。玄関前の門には閂がありますが、これも約40年ほど前までは現役で使われていた代物。今ではもう壊れてしまい、使えなくなっていました。
宿の前の通りでは、遊女の中でもトップの存在である花魁(太夫)が客を迎えに行く、いわゆる花魁道中も行われていました。それ以外にも、遊女が遊郭に入る際に持ってくる家具や鏡台等の移送もよく見られたとのことで、店の外ですら賑わいが強かったことは想像に難くないです。
1階
続いては屋内へ。
玄関に入ってまず最初に目に飛び込んでくるのが、正面にある2階への階段。
その左右に廊下が続いていて、右手に進めば食堂を経由してもう一箇所ある階段から2階へ、左手に進めば女将さん達の生活スペースに行くことができます。
1階部分には洗面所やトイレ、風呂場、食堂があり、客室はありません。客室は全て2階にあり、宿泊客はこの朱色の階段を上って部屋に向かう形になります。
- 昔の玄関は上部がステンドグラスで、中央部分が普通のガラスがはめ込まれており、ガラスの枠は赤く塗られていた。玄関の木造部分は、元々白木が使用されていた。
- 階段のすぐ脇には番頭さんがおり、ここで客の受付をしていた。今でいう帳場?
- 今の風呂場のあたりに、遊郭の見回りをする住み込みの人("よじょっこ"という役職)の部屋があった。
とのことなので、玄関周辺の構造は当時からかなり様変わりしている様子。
中村旅館は夕食の提供はなく、朝食はこちらの食堂でいただきます。
食堂は二間続きになっていて、アコーディオンカーテンで仕切られた向こう側にも部屋があります。かつては手前の部屋に囲炉裏があって、ここで客の接待をしていました。そして奥側の部屋には遊女が並んでおり、こちらで顔見世をし、気に入った子がいれば客を2階に通すというシステムになっていたようです。
どこかのサイトではさっき見た朱色の階段で顔見世をしていたって書かれてましたけど、単純に考えれば移動の邪魔になるので、それはなかっただろうという女将さんの談。まあそりゃそうだ。
玄関土間もまた非常に余裕のある間取りになっていて、大人数が訪れたとしても屋内/屋外の出入りに影響はありません。この辺りも、最初から宿泊者数が多いことを伺わせる構造になっています。
外から見えた左側の棟。この1階部分は今では旅館の方の生活スペースになっていますが、昔はここも客室として使用されていました。
遊郭として営業をしていた際でも1階部分は旅籠みたいな扱いになっており、一般の方でも泊まることができたといいます。たまに作家とか俳人とかも泊まりに来たそうですが、驚いたのはそういう人たちのために隠し戸が設けてあったという点。
作家とか俳人は政治的に目をつけられているため、いきなり旅館内に踏み込まれてきたとしても敷地外に逃げられるように工夫がされていた形です。なんというか、文学関係の人って今とは想像もできないくらいに限界の生活を送ってたんだな。
これから2階へ向かう前に、なんといってもこの階段の存在感は一際異彩を放っている。
遊郭というと表向きには華やかなイメージがあるし、この階段の鮮やかな朱色はさながら当時の遊郭の栄華を彷彿とさせるような空気をまとっている。旅館全体には確かに鄙びた雰囲気があるものの、この一角だけ本当に全く違う様相でした。
今でも朱色の色は一応残っているものの、昔はもっと派手な朱色だったらしいです。
2階
そのまま階段を上がって2階へ向かい、遂に今回泊まる部屋とご対面。…の前に、例によって2階を散策していきます。
2階部分は1階部分と異なり、完全に遊女と客の領域。なので、遊女以外の遊郭の関係者がこの階段に一歩でも足をかけると、花魁からめちゃくちゃ怒られたとの逸話も残っているくらいです。
ここでちょっと遊女と花魁の話をすると、以下の通り。
- 明治に入るちょっと前くらいに、京都から高名な花魁が何人も中村旅館に来ていた。中には武家の娘もいた。明治の終わりくらいになると、遊女として来るのは偉い人の娘とか、落ちぶれた領主の娘が多かった。
- 花魁は美しさはもとより、三味線や長唄など何をやらせても一級だった。
- 花魁の座布団は半畳ほどもある大きなもので、値段も二千万円とかする非常に高級なもの。金を持っている客が花魁に金を使うので、必然的に高級品ばかりになる。このあたりは今と変わらない気がする。
自分からすれば馴染みがない職業なだけになかなか想像もできないくらいですが、花魁は芸能の技能がとてつもなかった、という点に興味がわきました。
2階の散策をしていく前に、以下の見取り図をもとに説明をしたいと思います。
2階の構造はこのようになっており、階段を上がって左手方向に1号~3号の客室が、右手方向に5号、6号、7号、8号、10号、11号の部屋があります。これらの客室を含めて、2階の部屋の役割は以下の示すようになっています。
- 1号:花魁の部屋で、花魁が客と過ごす。
- 2号:花魁の一つ下の階級の格子(こうし)の部屋。
- 3号:同上。
- 5号~11号:一般的な遊女が客と過ごす部屋。
- 1号と2・3号の間の☒部屋:大広間で、ここで宴会をしていた。2・3号の間は今では押入れになっているが、昔はここに廊下が走っていた。
- 5号の隣の☒部屋:色々な準備や片付けなどをする、女中さんの部屋。
また、現在では廊下が一部塞がれていますが、昔は階段の左右の棟が回り廊下になっていて、客同士が顔を合わせずに部屋への出入りが可能になっています。
大広間では2階に上がった客が宴会をして、ここから1号や2・3号の部屋へと向かう形になります。これらの部屋の担当は花魁や格子なので、つまり相当なお金持ちしか入れないということになります。
2階の階段付近の空間は他と比べて広くなっていて、客の出入りがそれほど頻繁でないことを加味しても、閉塞感を感じさせない粋な構造になっているのが分かります。
特に「高級」の方の棟へ続く道は幅がめちゃくちゃ広くて、廊下というよりは一種の広間のよう。
そして、今回宿泊できたのはなんと1号の客室なんです!
当時の花魁が過ごした唯一の客室。そこで一夜を過ごすことができるなんて、なんかもう予期せぬ出来事が起きても不思議ではない。本当にありがとうございます。
部屋の内装はかなり綺麗になっている一方で、襖の素朴な色使いだとか、床の間周辺の造りが実に自分好み。
広さも一人には十分すぎるほど広くて、布団を敷いたときのその他の部分の余裕さが満足度を増幅させてくる。部屋の出入りも襖のみという昔ながらの形が残っていて、ほんともう最高です。
部屋に案内していただいたところで、他の箇所も一通り歩き回ってみることに。
ここまで全体を通して「和」に囲まれている宿はそうそうお目にかかれるものではない。部屋の設備も必要最低限な感じで、エアコンはなくてファンヒーターだけなのも良い。
あえて明かりをつけず、自然光だけで満たされたこの空間内にいるだけで心が静かになってくる。
さっき女将さんに伺っただけでも、この宿では相当濃い出来事が多数起きたことは間違いない。
それに加えて、女将さんが把握されていない出来事ももちろん多いだろうし、遊郭という性質上、男の女の関係という意味でも通常の旅館とは全く違う顔を見せている。外観や内装を見る限りは鄙びた宿にしか見えないところ、やはり歴史を知った上で過ごすというのは面白い。
何気なく通った廊下や階段、そして今自分がいる客室。そこでは昔どんな人々が過ごしていて、どんな夜や朝があったのか。想像するだけで無限に時間が過ぎていく。
夕食
さっきも話したとおり、中村旅館は夕食の提供はしていないので黒石市街の方へ食べに行きました。
今回食べた黒石名物のつゆ焼きそばがまた絶品で、料理としては焼きそばを黒いつゆにつけたものになります。このつゆの味が結構濃い予感がしたのですが、すすってみると意外や意外、どことなくあっさりしていて飲みやすい。焼きそばならではの若干太めの麺とつゆを一緒に口の中に運ぶと、さっきまで歩いてきた寒い道のりが嘘みたいに身体が温まってくる。
その土地の名物や、その場所にしかないものを味わうのが好きな自分だけど、このつゆ焼きそばはリピート必須。
翌朝、猫に見送られて
その後は中村旅館に戻ってきて浴衣に着替え、ささっとお風呂に入って汗を流す。
夕闇の中で佇む館内をまた歩き回って部屋に戻ると、心地よい睡魔が襲ってきた。どうやら身体的にはもう寝る時間のようだ。そして、気がつけば布団に入って眠りについていた。
翌朝。
今回の青森旅の最終日を迎え、昨日までのライドの疲れが朝露のように消えているのが実感できる。元遊郭ということで、眠っている間にいい意味で疲労回復できたみたいです。
朝食の時間(7時~)。
どれもが強力なおかずになる品々とともにご飯をいただいていると、「自分のやりたい宿での過ごし方」が実行できているという事実に感謝の念が湧いてくる。願わくば、こういう宿にずっと泊まり続けていたい。
最後になりますが、この中村旅館にはしまじろうという猫ちゃんが居ます。
元々は捨て猫だったそうで、正確な年齢は不明ですが8歳くらいとのこと。この子がかなり人馴れしていて、初対面の自分にもすり寄ってきてくれました。自分が出発するタイミングでは見送りにも来てくれたし、もう可愛くて仕方ない。
そんなこんなで、中村旅館での一夜は終了。
元遊郭旅館という枠に留まらない温かさがこの宿には宿っていて、そこには精神的に休まれる場と美味しい食事があります。遊郭だった建物は今では心温まる旅館に姿を変え、今回の青森旅の思い出をより一層素敵なものにしてくれました。
中村旅館は生きた遊郭に泊まってみたい方はもとより、古い日本旅館が好きな方にもおすすめできる宿です。料金は1泊朝食付きで¥6,900でした。
おしまい。
コメント
コメント一覧 (2件)
ここ、最高ですよね。女将さんがまたいい味だしていて、うちの子達は女将さんとトランプして、姪っ子さんのおもちゃ出してもらい、親戚の家か!?位なくつろぎよう。
遊んでる中にしまじろーがごろごろしてて。
晩ご飯は去年はあったのですが今年はなくなったのですか?
ハナさん
コメントありがとうございます。
仰るとおりここはとにかく居心地が良すぎたので、また時期をみて再訪したいと考えています。
夕食については今は提供していないという話でした。