今回は島根県の山間部、特に奥出雲を周辺とした田園地帯をロードバイクで走る旅をしてきて、その際に雲南市にある天野館に宿泊しました。
雲南市の木次町は斐伊川に沿って形成された町並みで、今でも県道45号を一本入った通りには昔ながらの町並みが広がっています。下流にある出雲市と、上流にある奥出雲をつなぐ重要な拠点だった木次の町。天野館はそんな静かな町において明治時代に創業し、いくつもの時代を経て現在に至ります。
斐伊川には日本さくら名所100選にも選ばれている「斐伊川堤防桜並木」があり、春になれば天野館からはその並木が一望できるという絶好のロケーション。今回は桜の季節が過ぎ去った後での訪問となりましたが、その景色の名残を見ることができました。
奥出雲散策の前日
天野館には、桜並木側にある本館(明治時代建造)と、通りを挟んで反対側にある別館(大正時代建造)があり、今回泊まったのは別館の方です。
予約の際に電話口で本館と別館の特徴を伺い、この季節だったら別館のほうがいいかな、と思って別館の空き具合を伺ったところ、無事に空いていたので別館にしてもらいました。
別館の方に泊まる場合はまず本館の玄関に向かい、そこでご主人にご挨拶してそのまま別館に向かう形になります。なので、特に目的がない場合は本館内部を歩くということがありません。せっかくなので本館の方も見せていただけないかとお願いしてみたところ、まだ他のお客さんが来ていないのでとご快諾いただきました。感謝。
というわけで、別館の散策をする前に本館を見て回ることにします。
館内散策
本館
写真のように本館1階部分には玄関と受付、それに階段しかなく、宿泊客は自動的に階段を上がって2階の客室に向かう形になります。
食事の際は、部屋出しなのか別部屋があるのかは聞きそびれました。この日は宿泊者が自分以外にもう一人しかなく、そちらの方は素泊まりだったので、食事の用意の関係で自分も素泊まりになりました。公式サイトには一泊2食付きの料金の記載があるため、一般的には朝夕食べられるみたいです。
本館2階の客室は畳や襖こそ新しくなっているものの、基本的な構造部分は創業した明治時代のまま。
視界の上の方に広がる欄間や木の柱の色は黒ずんでいて、時代は変わっても天野館という根本的な部分は変わっていないということを想像させました。あとは各部屋に置かれている置物が相当な高級品ばかりという感じで、象牙や壺もあったりして驚く。
構造としては、階段を上がって手前側に2部屋ほどあり、廊下を直進するとお手洗いを経て一番奥にある3部屋に繋がっています。奥の3部屋は一つが居間になっており、寝室としては2部屋。部屋と部屋とは襖のみで仕切られているので、もしかしたらここは1組で使うことが前提になっているのかもしれません。
どの部屋もかなり広くて一部屋に3人くらいなら普通に寝られるし、どの部屋にも広縁が設けられているので閉塞感はない。それでいて空気清浄機やエアコン、ポットなども完備されているため、古さはそのままに近代化された旅館というのが第一印象でした。
泊まることになる部屋が広い、というのは滞在中の充足感を上げる上で結構大事なことで、「布団に寝っ転がりながら周囲を見渡してみて、狭さを感じないくらい」が個人的にはちょうどいい部屋の広さだと思ってます。
夜になって床につくときと、朝起きて最初に眺めるときの景色。それらの特徴的なタイミングで、自分が良いと思えるくらいの空間的な広さがあるのがベスト。
広縁からの眺めがこちら。
文字通り目の前に桜の木々が迫ってきていて迫力がすごい。春の時期になるとこの奥の部屋はまるごと宴会場になるらしく、シーズンによって部屋の用途を客室と宴会場で切り替えているようです。今回の訪問時期は完全に葉桜になっていたので、客室として使われているという形。
ここだったら外の環境を気にせずに花見に集中できるし、2階からの眺めになるので桜とほぼ同じ目線というのも素敵。しかも夜になれば夜桜も鑑賞できるという最高の立地で、ここを宴会場にするのも納得です。
別館
少々脱線した感はあるけど、今回宿泊するのは本館ではなく別館です。
天野館に泊まる人は本館が大多数のようで、別館に泊まるのは少数派っぽいです。別館はどちらかというと2階部分を宴会場として使うことが多いそうで、1階部分は客室が1部屋あるだけなので宴会の有無に関わらず泊まることが可能。
前述の通り、別館は通りを挟んで本館のすぐ反対側にあるので、両者の行き来は簡単でした。
道路から駐車場、そしてこじんまりとした庭を経て別館に到着。この玄関周辺の雰囲気の良さが一番グッと来た。
なんというか、ここだけ完全な和ではなくて「洋」の部分が入っているのが分かる。玄関が引き戸じゃなくて開き戸な時点で?とは思っていたけど、ここまで和と洋がうまく溶け合っているとは予想外だった。
玄関土間に置かれている置き時計や、壁にかかっている大きな鏡、そして天井から垂れ下がっている明かりなど、ここにいつまでも座っていたくなるような要素で溢れている。
大正時代といえば洋風のモダンな建築要素が多く見受けられるようになった時代でもあるし、もしかしたらそのときの影響がここに現れているのかもしれない。
今回宿泊したのは次の間の奥にある「桃の間」で、定員は4名。それを一人で使えるのだから、やはり天野館の客室の広さは抜群に快適といったところです。
客室の構造は先程拝見した本館と似ており、異なるのはやはり建物の立ち位置。
あちらは隣の部屋があって、望む望まないに関わらず他の宿泊客の存在を意識してしまうもの。でもこちらは文字とおり別棟になっていて、用がない場合はそもそも人が建物内に入ってきません。
今の時期だと2階は宴会場として使われているので2階に宿泊する人はいないわけで、つまりタイミングが合えば今回のように一棟貸切状態で別館に泊まることができます。
忘れてはならないのが広縁から眺めることができる中庭(庭園)の存在。
部屋の明かりを完全に消すと窓から入ってくる陽光の柔らかさが強調されていてなお良い。庭の新緑の鮮やかさが何倍にも増幅されて目に入ってくると、部屋の色彩との対比がより強く感じられます。これを何回でも見たくなって、結局日中の間はずっと明かりを消しっぱなしで過ごしてました。
部屋の設備としては本館とほぼ同様で、浴衣やタオルももちろんあります。アメニティについても一通り揃っているので、手ぶらで投宿しても問題なし。
あと、この天野館は砂の器という推理小説作品の映画版のロケ地にもなっているようです。
そういえばこの翌日に走った奥出雲でもこの名前を見た気がする。舞台訪問の一つの在り方として、ここに泊まる方というのはこの作品のファンが多いのかもしれません。
本館に引き続いて別館の方もご主人にご案内いただきました。まずは、自分が宿泊する同じ1階にある茶室へと向かいます。
なぜ旅館内に茶室が?という疑問をよそに、その本格的な造りに驚いてしまう。
茶室を見る機会があまり無いので詳細はよくわからないものの、茶室特有の狭い出入り口(にじり口)や、小間と呼ばれる4畳半以下の広さもそのままに表現されている。
こちらの茶室は別館1階の廊下からそのまま行くことができるようになっていますが、正式な入り方としては茶室の屋外から中に入る形となります。
今回泊まる部屋から見えていた中庭はまさにこのためのもので、中庭を通って茶室の中に入れるようになっていました。よく見ると茶室は藁葺屋根になっており、内装だけでなく外観も茶室そのものという感じがします。
よく考えてみれば、天野館の静かな雰囲気というのは茶室にぴったりです。
そもそも茶室自体が騒音の無い静寂な場所に建てるものだし、建築した人もそれを見越してここに茶室を併設したのかもしれない。位置関係的には後付けということはないと思うので、別館が建てられたときにセットで設けられたと見るのが正しそう。
次は、玄関に見えていた階段を上がって2階へ。
2階にはトイレや洗面所のほかに部屋が3つあり、どれも襖で仕切られています。襖を外せば上の写真のように三間続きの大きな広間になり、訪れたときには宴会の用意がされていました。
話によれば、本当は今夜ここで宴会が企画されていたものの、町内でコロナが出たということで中止になったそうです。電話予約をしたときに「2階で宴会をしてますが…」とお話があって、結果的にはこの日に別館を訪れる人は自分だけということになりました。
冒頭で述べた貸切状態でというのはこのことで、仮に宴会が催されていたとすれば2階は人で埋まっていたということ。
電話予約をしたのは通日前なので、それから今日までの間に感染者が出たということになります。こういう風に開催間近にキャンセルが出るとかなりの損失になってしまうので、準備をされていた方のことを思うといたたまれない。
ここまでぶち抜きで見通しがいいのは三間続きの良さだと思います。
襖の有無で空間の広さを自在に調節でき、さらに客室と宴会場の切り替えも可能。とある週末の過ごし方としては完璧過ぎる。
夜の時間
ご主人に一通りご案内いただいたところでお礼をし、一人自室に戻って浴衣に着替える。
この先は特にやることもないので、お風呂を済ませたあとに近くのスーパーに買い出しに行ってから部屋で飲んでました。
むしろ、旅先の宿の雰囲気を味わいながら飲みたいという場合には買い出し一択。
その後はテレビで地元でしかやってないようなローカル番組、それにローカルニュースを横目に酒を飲み、ふと思い立って夜の町の散策にでかけました。といっても天野館周辺だけですが、車通りが皆無なので本当に音がまったくしないのが特徴的でした。
そんな中で、宿の明かりが煌々と通りを照らしている様子が本当に情緒深かった。
これは現代に限ったことではなく、天野館が創業した明治からずっと続いていることなんだろうなと思うとどこか寂しい感情が湧き出てくる。目の前に広がっている町はずっと昔からあるもので、ここに自分だけが外から来た異端だからなのかもしれない。
出発する時間の関係で、翌朝はかなり早い時間に目が覚めた。
素泊まりなので朝食は自分で用意する形となり、昨晩買っておいた食事を頬張りながら今日の行程を確認する。そのまま別館の扉を開けてからの出発となりました。次は桜の季節にでも訪れたい。
おしまい。
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