- Part 1:島後 都万の舟屋群~油井~水若酢神社~西郷港出発
- Part 2:島前 隠岐国賀海岸~摩天崖~焼火神社~海士町
今回は、ロードバイクで島根県の沖合にある隠岐諸島を回ってきました。
隠岐諸島は島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられる島々から構成されており、かの有名な日本最古の歴史書・古事記の中ではイザナギとイザナミが、淡路島と四国に次いで3番目に生んだのが隠岐諸島と言われています。
日本の歴史の中では流刑地になったこともあり、後鳥羽天皇や後醍醐天皇等の著名な人物も、島流しとしてこの隠岐を訪れたことがありました。
そういう意味では、隠岐は古代の神話や歴史の世界が広がっている魅力的な土地であることがすでに想像できる。また、元火山地帯という特徴的な地形(カルデラ)から、ジオパーク的な意味でも無視することのできないところです。
神々の島を訪ねる
今回はそんな日本の端っこをロードバイクで巡ってみたいという目的をもとに、ゴールデンウィークを活用して走ってきました。
なお人の多さに関して先に結論を言うと、それほど混んでるわけでもなくて実に快適な旅ができました。SNS等で見た限りだと全国の有名どころな観光地は軒並みとんでもない混雑だったみたいだし、目的地を島根県に決めたのは良かったと言えます。
今回の行程は、まず初日に島根県本土から隠岐諸島へ渡って島後(隠岐の島町)を散策。2日目は島前へ渡って一泊し、3日目に本土へ帰ってくるという形にしました。
頑張れば1泊2日という行程にできなくもないですが駆け足気味になってしまうのと、自分の性格的にそれはどこか不満が残るものだったので2泊3日にしています。
隠岐諸島への玄関口となるのは境港市の境港と松江市の七類の2箇所で、始発便で真っ先に隠岐諸島へ行こうとする場合は七類港が出発地点になります。
移動手段としてはフェリーとジェットフォイルがあり、このうちロードバイクを載せられるのはフェリーのみ。なお輪行袋に入れて持込む場合にはロードバイクの手荷物運賃(隠岐~本土の場合は片道1310円)はかかりませんが、正直めんどくさいので今回はそのまま持込みました。
移動手段に関しては、隠岐~本土間に限らず島後~島前間も同様にフェリーとジェットフォイルが運行しています。また島前の島々の移動に関しては別途内航船が運行されていて、それについてはPart 2で述べます。
旅客運賃と手荷物運賃の券を購入し、フェリーへ乗込む。
旅先へ行く手段として現代では様々なものがあるけど、何回経験してもこのときの興奮は変わらないものだと思う。航空機でもフェリーでも、待合室から機内へ入って出発するのを待つあの短い時間。
「これから旅先へ向かう」という実感が湧いて、数時間後に旅先へ降り立っていることを想像すると興奮が止まらない。
多くのフェリーではロードバイクを船内にラッシングするところまでこちらで移動していく必要があるのに対して、隠岐汽船の場合は車両甲板へ入ってすぐのところで係の方にロードバイクを預ける形になります。なのでわざわざ奥の方まで走っていく必要がありません。
後は観光客と同じく客室へ移動して、隠岐諸島へ向かうだけ。
自分が今乗っている始発便の場合、隠岐諸島までの所要時間は約2時間30分です。到着は昼前になり、これが隠岐諸島へ着く最速の時間になるのでこれをもとに行程を立てることになるかと思います。
離島の移動手段は船に限られており、それは本土からも例外ではありません。
しかも本数はかなり少ないので、効率的に回ろうとするとどうしても時間を気にしなくてはならなくなってきます。回るポイントを増やしていくと日数が多くなるので、今回のような長期連休のときに行程を持ってくるのがベストでした。
このフェリーに乗っている間の時間の過ごし方も個人的に好き。
多くの観光客が船内で寝ているのに対して、そうでない人々はこうやって甲板に出てきて春の風を感じている。この日はかなりの強風で気を抜くと飛ばされそうになってしまうものの、せっかくの快晴だから「外」を感じないのは少しもったいない。
はるか遠くまで海が続いている光景を見ながら、日本海の潮風を全身で味わっていく。もちろん潮の匂いも。
これは飛行機では体験できないことでもあるし、船には船のいいところがあると実感できます。こうやってある地点からある地点への遷移部分というか、合間の時間も満喫していきたい。
隠岐の島町を走る
昼寝を挟みつつ、海を眺めていたらいつの間にか隠岐諸島に到着してました。
海原の向こうに目的地である島が徐々に見え始め、それが次第に近づいてくる。航空機のようにあっという間でない分、この速度感が癖になりそうで好き。
自分が求めているものに少しずつ寄っていっている感がいいね。
というわけで、隠岐諸島・島後(隠岐の島町)の西郷港に到着しました。
西郷港は隠岐諸島の玄関口ともいえる港で、島前への航路も含めてもっとも栄えている港と言えます。宿泊施設や店も集中しているので、隠岐諸島を巡る場合にはここ周辺を拠点にするのがいいと思います。
今回は翌日の島前への移動を鑑み、宿は港からすぐそこにあるところに確保しました。
すでに時間は正午過ぎ。
ここから隠岐の島町全体を寄り道しながら回っていると日没になってしまうので、散策の時間を考慮して島の半分を走るという形にしました。
欲張って多くの場所を巡っていると時間が足りなくなってしまうし、今回はこれで十分。自分の性格的に、ロードバイクでの走りのみに集中して散策を疎かにするのは避けたいので。
玉若酢命神社
自分が回りたいところは島の西半分に集中していたため、西郷港から時計回りに島を半周して戻ってくることになります。
まず最初に立ち寄ったのは、隠岐の総社である玉若酢命神社。隠岐国の国府があったと言われている場所に建っている神社です。
境内には「八百杉」と呼ばれる樹齢千数百年の杉の巨木がそびえ立っており、その存在感は圧巻の一言。随神門をくぐった先の頭上を覆っているため迫力があります。
今回のライドでは「隠岐」という神話の一端を担う場所を訪れてみたかったというのがあって、神社の歴史に触れることでそれを感じることができる。神話との直接の有無はともかくとしても、旅先の神社は魅力的なので気になったら立ち寄るようにしています。
特に島根県そのものが神々の国であるし、どこの神社を訪れても満ち足りた気分になるのは間違いない。
都万
神社の後は、県道44号を西へ進んで海沿いに。ここからしばらくは左手に常に海を眺めながらのライドが続きます。
先週の青森ほどではないにしろ、この日もかなりの強風で難儀をしました。でも隠岐の海沿いの気色は想像以上に美しくて、そこを走っている分には頭の中で帳消しになっているのか、体感的な疲労がまったくない。
「視界の端に海を見ながら走っていたらいつの間にか結構進んでいた」ということが多くて、自分が知らない場所を走るのはこんなにも楽しんだということが再確認できた気がする。確かに走るにあたっては風の強さは気になるものの、好奇心の方が遥かに勝っているというか。
そうして走ってきたのが都万という一帯で、個人的にはここ周辺の景色がかなり好きになりました。
海沿いの集落というだけで散策するに十分な魅力がある中で、ここ都万では背景に見える山との対比が良い。島なので山と海の距離が近く、海に面した湾、その脇に並ぶ家屋のすぐ向こう側にこんもりとした山が見える。その山も切り立った部分がある特異な形をしており、この一帯の景色を際立たせているような気もしてくる。
これらが同一視界の中に見えるのでとても迫力があって、特に高低差という面でダイナミックさがよく伝わってきました。
もう一つは、都万の舟屋群と呼ばれる舟屋の存在。
舟屋とは漁船を格納しておくための倉庫みたいなもので、出し入れの観点から当然のごとく海に面した一帯にあります。ここではそれが海岸線に渡って約20棟も連なっていました。
舟屋群といえば京都の伊根の舟屋が有名で、あちらは1階が舟屋で2階が住居という構造になっていたのに対し、こちらはすべてが平屋になっています。
今も現役で使われているようですが中には放棄されているものもあり、舟屋には草が生い茂ったりしているのが分かります。しかし沢山の舟屋が一直線に並んでいる様子は圧巻で、この風景がとにかく良すぎてしばらく眺めたりしてました。
海に近い集落では漁業が盛んで、それに伴って漁船も多いということは容易に連想できるもの。
ただ、このような形で船を置いておく形は全国を探してもあまり残っていません。今回は特に意図せず貴重な風景に出会えたので、なんか得をした気分になりました。
油井
そのまま走っていくと家屋が見えなくなったと思えば坂道が登場し、その坂道を抜けると次の集落が見えてきます。
隠岐諸島の道のりは常にこんな感じで、島の外周部にある平地部に集落や田畑があって、それ以外の場所は基本的にすべて山の斜面。逆に言えば峠を越す度に集落があるのである意味で安心感があります。
集落の中には海に面した側に風よけのための板囲いがされてあるところもあって、特に事前知識なしに訪れてもここが風の強い場所なんだということが一瞬で理解できる。こういう風に、「説明されているわけではないけど訪れることで分かることもある」のが旅していて面白いところでもあります。
思うに、隠岐諸島を訪ねる観光客はレンタカーでの移動がメインで、そういう人はまさに自分が今いるような集落なんて目もくれないと思う。
普通なら素通りしてしまいそうになる生活空間でも、ロードバイクならちょっと立ち寄ってみるかという気分になりやすいと思います。他順に峠越えの休憩を兼ねていることもあるけど、細い路地とか、家の間を抜けたりするのにロードバイクの機動力が頼もしい。そこに自分の性格が合わさって、散策というか寄り道に精が出る結果になる。
そんな感じで訪れた集落・油井の雰囲気がまた良くて、この後の予定をひととき忘れて付近を散策してました。
峠へ続く道とは別の道が海沿いに続いており、突き当りまでいった先の風景が上の写真の通り。こじんまりとした港に漁船が少し停泊しているような何気ない風景だけど、結局のところ自分はこういう場所が一番好きなんだと思う。
ここでもまるで城の城壁のような板囲いが見られて、日本海の強い風から家屋を守るための工夫が見られる。
この日は風速6m/s程度でそこまで強い風ではなかったものの、ここまで頑強な囲いをするということはよっぽど強い風が日常茶飯事なのでしょうか。
今にして思うと、隠岐諸島は景色が目まぐるしく変化していくのが特徴の一つだと思う。
元火山なだけあって地形がまず一様ではないし、起伏に富んだ島の各所に集落が形成されている。しかもその集落はなんというか、うまく言葉では説明できないけど場所によって色がぜんぜん違う感じがしました。
海と家屋との位置関係だったり神社の場所だったり、集落を見下ろすことができる場所だったり。そういうものが集落によって全く異なっている。そういった点に着目しながら走っているととても楽しいです。
福浦トンネル
島後島の有名な観光名所であるローソク島への遊覧船乗り場を過ぎ、もうそろそろで西郷港への折り返し地点に差し掛かる場所。ここに個人的にちょっと興味深い場所を発見したので寄ってみることにしました。
ちなみにこの周辺には何も看板とかないので、発見したのは単純に自分の好奇心によるものです。
それがこちら。
島の北部へと続く県道44号…から海沿いにそれた道を進んだところにあるこの通行止め。最初は遊歩道かと思ったものの実はそうではなく、「高さ制限3.2m」の看板からも分かる通り、かつては車道であったことが窺える道路でした。そしてその先には、明らかに普通ではないトンネルの姿が…。
気になる。気になって仕方がない。(同じく気になる人は多いはず。たぶん)
しかしご覧の通り通行止めになっているので通ることができず、反対側に回ってみることにしました。
反対側の様子はこんな感じ。
こちらには案内用の看板が掲げてあって、そこの情報によるとこのトンネルは福浦トンネルというそうです。現在の県道44号を通る新福浦トンネルが開通する前まではここが使われていたようで、要するにここを車が通っていたということ。
福浦トンネルは明治初期から昭和にかけて段階的に進化していったことが書かれており、交通手段の変化に伴って道路も拡張されていった形になります。確かに今でこそ車で通るにあたって何の不都合もない道やトンネルばかりですが、昔はトンネル一つ掘るのにも大変な労力があったのは想像に難くない。
こういう道って"旧道"として使用されなくなっているのを全国各地で見ましたが、まさかこういう形で観光地になっているところもあったとは。予想外でした。
ちなみにこのトンネルはかなり奥の方まで続いており、幅は完全に車一台分しかありません。さっき通っていた道にはガードレールすらなかったしな。当時の運転手はここを通るときに気が気じゃなかったと思います。
あと、見過ごしてはならないのが「断崖絶壁が続く島後の西海岸の集落間の移動は、トンネルが作られるまで細く険しい山道か、船を使っての往来が主でした。このような地形による制限が島後で特徴的な集落ごとの文化の違いを生み出し、守ってきたと考えられます」という言葉。
確かに今まで自分が見てきたような集落には明確な違いがあって、それはやはりこの地形にあったようです。ロードバイクで走るにはちょっと大変ですが、そういう観光とは別の一面を見ることができるのであれば、この疲労もわりかし悪くない。
水若酢神社
ここまで島の外周部を回ってきた時点で、自分の中にはどこか、島後における集落は海沿いにしかないのではと錯覚気味になっていた部分もあったと思う。でも実際にはそんなことはなくて、比較的内陸部の方にも平地が広がっているところがありました。
それが五箇と呼ばれる一帯で、ここでは広々とした田園地帯が楽しめます。
ここだけ切り取ると、ここが島だとはにわかに信じがたいと思う。
確かに付近に険しい山々はあるものの、それ以外に見えるのは一面の田んぼばかり。貴重な平地を活用して稲作が盛んに行われているようです。
雰囲気が今までとはガラッと変わって、それだけでも走るのが楽しい。
しかも風が強いおかげで雲が流れるのが早く、目の前の田園に落ちる陽の光が陰ったり照ったりしている。その移り変わりがほどよいタイミングになっていて、それとセットになった遠景を眺めながら向こうに見える山の麓に走っていく。この時間が実に素敵だ。
このあたりは食事ができる店が限られており、結局見つけられなかったので商店で適当に買ってお昼にすることに。
この商店までの道のりの途中では、おそらくスクールバス待ちと思われる生徒が所々に縁石に座って待っている様子が見えた。商店のおばちゃんも最初は店にいなくて隣の家から出てこられていたし、ここではじかんがゆっくりと流れている。
そういう意味では、自分も時間を気にして走る必要はどこにもないのかもしれない。あくせくするのは普段の労働のときだけで十分。旅先では、できる限り時間を忘れた過ごし方をしていきたい。
なお、旅先で出会う個人商店はかなり立ち寄る率が高くて、コンビニなんかよりも優先度が高かったりします。
その次に訪れたのは水若酢神社という神社で、最初に訪れた玉若酢命神社と同じく、「隠岐造り」と呼ばれる建築方式の本殿が有名です。
神社がある一帯がそれこそ山と川、それに田園という自然と人々の生活が一体となったところである上に、自分が今いるのが島根県。日本では八百万の神という言葉がある通り、何にでも神が宿っているという認識が強い。
ただ、島根県というだけで余計にその印象が強まっているような気がします。自分の先入観からかもしれないけど、この風景、そしてこの日の体験に感謝しながら歩いていきたい。
旅の途中では、とにかく何かに感謝することが多いと個人的には思っている。
道中で食べる食事の美味しさ、宿泊した宿の方、そして行く先々で出会う風景。あらゆるもののおかけで自分の旅や生活が成り立っている。普段の生活でももちろんそれを感じることはあるけど、日常的でない場所に行くとそれが顕著に感じられる気がする。
そう思うと、今回の旅で晴れてくれたことももちろんありがたいことだ。そう思って自然と手を合わせていた。
八尾川周辺
神社を後にして、国道485号を南下して西郷港周辺を目指しました。
国道485号を走っていく傍らでは八尾川という川が登場し、この川は西郷港のそばで日本海と一体化するまで続くことになる。
川のそばにはまた集落がいくつかあって、海沿いの景観との違いを楽しみながら走っていく。しかしこれだけ地形に差があると、どれだけ走っても新鮮味であふれていると思う。海沿いでは漁業、内陸部では稲作。そういうことになるけど、実際に自分の足で走ってみると納得感がある。
そうしているうちに西郷港まで戻ってきた。
先程も書いた通りこのあたりには店が集中しており、居酒屋をはじめとした飲食店も多いようです。適当に宿をとって、夜は飲み歩くというスタイルでも満足できそうな予感。
このあたりにはそれ以外にも情緒深い風景があって、それは八尾川沿いの家屋と漁船の位置関係です。
八尾川は海にそそぐ寸前でかなり幅が広くなっており、川の両側に広がった家屋のすぐそばに漁船が停泊している。居住スペースと漁業の空間が分けられているのではなくて、ここでは半ば一体化している。家の裏口を開ければすぐさま船に乗れるというくらい、その距離が近いのが特徴と言えます。
海であると同時に川でもあって、居住する場所であると同時に漁へ出る場所でもある。
島後でもっとも栄えている西郷港周辺ですが、夕方の時間帯にこのあたりをぶらぶらしているだけでもう満足できるレベル。色んな要素が混ざりあったこの空間を、今日一日の終わりの場所に選んだのは正解だった。
島後での宿泊
この後はこの日に泊まる宿に移動し、風呂に入った後はごろごろしてました。
泊まったのは西郷港まで数分の距離にある「旅館松浜」で、インターネットの宿泊予約サイトには登場しない旅館です。ゴールデンウィークともなればネットでの予約は即効で埋まってしまうので、一般の人がまず見つけられない旅館を選ぶほうが吉。
実際にこの日のネット予約サイトでは高い宿しか残ってませんでしたが、この宿は空きがありました。
旅館での時間は満足できるもので、お風呂も好きな時間に入ることができるのがGood。特に食事がとても美味しく、隠岐でとれた魚を使った料理は心から美味しいと思えるものでした。
宿泊者は一人旅と思われる方が多く、やはりゴールデンウィークという期間を利用して隠岐に旅している人は少なくないようです。移動手段は違えど自分と同じだね。
西ノ島へ
隠岐諸島旅の初日から一夜明け、今日は島後を後にして島前・西ノ島へ向かいます。
島後の滞在としては一日だけになってしまったけど、個人的に満足できたのでヨシ。
宿を後にして西郷港へ。購入する券は基本的に七類港で買ったものと似ていて(というか同じ)、手荷物分の券も一緒に買っています。
それにしても、今日も目がさめるような快晴だ。昨日に引き続いて良い一日になりそうで嬉しい。
始発便だからなのか、西郷港はかなりの人で賑わいを見せていました。
特に注目したのが少年野球団の一団で、これからジェットフォイルで本土へ向かう様子。先にも述べた通り島の移動手段は船しかないので、自分からしたら珍しいジェットフォイルもここでは一般的なんですね。
場所が異なれば常識も異なる。自分が住んでいる場所だけでなく、全国各地の「当たり前」を体感できる。別にどこを目的にしなくても、そういう形のないものを実感できるのが旅の良いところなのかもしれない。
二等客室はこんな感じで、他のフェリーでもそうですが雑魚寝です。
西郷港発のフェリーは島前を経由して境港まで向かうことになるので、各島ごとに乗船者が座るスペースが決まっています。なので、どこでも自由に座れるというわけではありません。
ロードバイクを車両甲板に置く場合はどうやら一般の乗客に先駆けて中に入れるようなので、場所を確保するには便利でした。
朝の西郷港周辺の様子。時間としてはそこそこ早いものの周囲は明るく、青空と山々との対比がまぶしい。気温の方もほのかに温かくなってきていて、春ならではの陽気を感じずにはいられない。
ここで感じたこととしては、やっぱり旅先の「朝」を味わうには一泊するしかないということ。
自分が住んでいるところからどれだけ早く出発したとしても、こうやって徐々に朝日が上っていって朝になり、町が動き出す時間帯を見ることはできない。時間としては確かに僅かだけど、自分が知らない場所の日常を実感できるという意味では宿泊するのが手っ取り早いです。
船内へ乗客が入ってきたようで次第に騒がしくなり、かと思えばあっという間に出港の時間。
さっきまで滞在していた島を離れ、次の目的地である島を目指す。フェリーは港から離れて沖合を走り出すまでのゆっくりさが好きで、同じ位置に立っていて周りの風景が少しずつ移り変わっていく様子が実に良い。
と思ってたら、フェリーよりもかなり後に出港したはずのジェットフォイルにぶち抜かれました。
ジェットフォイルは空気の代わりに波で揚力を得る独特な船で、その速度はフェリーの比ではないです。今回のようにロードバイク持参でなければぜひとも乗ってみたかったけど、またの機会ということで。
目的地である別府港への道中では、フェリーは海士町の菱浦港に寄港しました。今日の日の宿はこの島にとっているので、この港へは今日の終わり頃にまた寄ることになります。
菱浦港は港の眼の前に大きなホテルがあったり、港の外観が比較的お洒落だったりで印象に残るところだと思います。しかも別府港からかなり近いので船の往来も確認しやすく、要は見晴らしがいいということ。
フェリーが接岸して西郷港からの乗客が降りてゆき、そして逆に菱浦港からの乗客が乗ってくる。船という大きな乗り物がここでは重要な移動手段になっていて、こうやって甲板から眺めているとそれがよく実感できる。
客室で寝ているだけでなく、こうやってただぼんやりと外から見ている時間もたまにはいい。
そんなことを考えていたらもう別府港に着きました。今日の行程は、この西ノ島町を走っていくことになります。
Part 2に続く。
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