母畑温泉 母畑元湯 石川町の素朴な木造3階建て旅館に泊まってきた

今回は、母畑温泉の母畑元湯に泊まってきました。

母畑温泉は同じ石川町にある猫啼温泉と一緒に「母畑・猫啼温泉郷」を形成しているうちの片方です。旅館の数はそれほど多くなく、それぞれ2、3件ほどのこじんまりとした素朴な温泉というイメージの通りでした。

温泉としては冷鉱泉のラジウム及びアルカリ温泉で、いわゆる放射能泉に該当します。

その歴史は古く、平安時代に奥州出兵でこの地を訪れた源義家が、激戦の中で負った愛馬の傷を癒やしたのが開湯とされています。地名にもなっている母畑(ぼばた)の名前の由来は、義家がこの霊泉に母衣(ほろ)と旗を献じて山神を祭った後、いつしかこの地を母衣旗→母畑と呼ぶようになったとか。

その後、義家の家臣である石川有光が康年16年(1073年)に石川郡を領地とし、療養のために温泉を訪れる人が次第に増加して母畑元湯の旅館経営が始まりました。これらの史実は館内に掲示してある「母畑温泉の由来」に書かれています。

石川町自体がかなりの山間部にあるのに対して、実は最寄り駅である磐城石川駅から新幹線が停車する郡山駅までは45分ほどで移動できます。つまり交通の便は比較的よく、町との行き来に適しているのが意外でした。都会からも比較的行きやすいと思われるので、交通手段は別に車でなくても問題なさげです。

もくじ

外観

まずは外観から。

福島空港をスルーした後に南下して県道63号を走っていくと、母畑元湯から100mほど北のところに駐車場がありました。

駐車場に車を止めてから道を歩いていくにつれて、次第に旅館の全容が見えてきます。

手にはコンクリ製の石垣が続いていて、その上に乗っかっているのが母畑元湯の建物です。今見えているのが旅館の側面部分で、つまり母畑元湯は幅方向だけでなく奥行方向にも広い旅館ということが分かると思います。

建っているのがちょっとした高台ということもあり、建物全体が覆いかぶさってくるようで圧倒されました。

石垣の下にあるのは「母畑元湯」のバス停。

バスの乗り場に指定されているくらいなので、母畑元湯は旅館としてだけではなく町の名所・重要地点の一つとして認識されているということが理解できました。あとバスの時間については思っていたよりも多いので、公共交通機関でここまで来ることも難しくないようです。

木造3階建て旅館の外観が目を引く

バス停の奥から振り返った先に見えるのが母畑元湯の正面部分です。

遠くからでも目立つ赤茶色の屋根に、唯一無二の木造3階建ての建築。今ではめっきり数が減ってしまった歴史ある建築様式がいきなり表れてきて興奮を隠せない。正面玄関の白壁に書かれている旅館名といい、その存在感は言葉では言い表せないものがあります。

ちなみに、背後にそびえ立っている巨大かつ近代的な建物は同じ母畑温泉の八幡屋という宿。

こちらは時代が進むに連れて新しくなっていったようで(しかも高級っぽい)、そのせいで手前にある母畑元湯との時代差が如実に感じられる。古い旅館の中には周りが新しめのマンションで囲まれているというところもあって、それと似てますね。

旅館の建物について説明すると、赤い屋根の主屋が明治中頃の木造建築です。向かって左側の色が異なっている部分と、さっき見た側面のモルタルの拡張部分は昭和の建築です。

当初は主屋だけが存在していたのが、後年になって宿泊客が増えるにともなって増築したようです。

県道に面した坂道を上っていった先に玄関があり、この坂道の左右には古びた木の柵が設けてあって雰囲気が良い。こんな風に柵が設置されているのはなかなか珍しいのではと思います。坂道の中央には石畳が残してあり、これも良さを感じました。

そのまま進むと玄関に到着。

玄関付近には屋根が設けてあるので雨の日でも出入りに支障がないほか、単純に玄関前のスペースがかなり広いのが素敵だと思いました。歴史を振り返ると、母畑元湯を訪れる客はほとんどが湯治目的だったのに対し、ここだけ切り取ると「旅館」として格式高いものを感じます。

さらに奥へ進んでみる。

玄関奥には女将さんの車が置いてありますが、この坂道をバックで戻って県道に合流するのは運転が難しそう。県道といっても抜け道になっているようで、交通量は決して少なくありません。

その奥には真っ白い八幡屋の建物が見えます。母畑元湯は木造3階建て旅館なので上を見上げてしまうのは当然として、たぶんここを訪れたら誰もが自分と同じように上ばっかり見てしまうと思う。

館内散策

玄関~1階

というわけで、母畑元湯での宿泊が始まりました。

今日泊まる部屋は3階にあるものの、その前に1階や2階を散策していきます。なお今日の宿泊者は自分だけなので、温泉も含めて気兼ねなく過ごすことができました。

最初に館内図を示すと、以下の通りです。

見てわかる通り館内には客室が非常に多く、部屋の広さも一様ではなくて6畳や8畳、それに10畳のところもありました。多様なニーズに対応するためこのような形になったと思われ、主屋だけでなく離れの棟が建築されていることからもそれが伺えます。

ただし、構造としては建物の中心を通っている廊下の左右に客室が配置されているという至って分かりやすいものであり、迷う心配は特になし。

温泉は1階ではなく2階にあって、建物の背後が斜面になっているため実質的には1階に温泉がある形でした。客が泊まる客室は2階と3階にあり、1階はすべて旅館側の部屋という構成です。

ここでちょっと気になったのが、1階右上にある「女中室」の文字。

往時は今よりもずっと宿泊者の数が多かったことは間違いなく、そうなると旅館側の人数が圧倒的に不足するので女中が必要になります。今では館内図にのみその名残が残っていて、なんだか少し寂しい気持ちになりました。

玄関を入ったところです。

玄関は左右にも奥にも広く、特に玄関土間に至っては大人数で出入りしても問題ないくらいの面積があります。

玄関土間から一段上がったところも同様で、スペースが広すぎて右側に椅子が置いてあるくらい。天井も高いので開放感があり、ほぼガラス戸な玄関扉から差し込んでくる日光のおかげで採光も十分。自然と気分が爽やかになれました。

玄関にも色々見どころがあって、まずは玄関と正面廊下(建物の端から端まで一直線)を隔てている壁。

こちらにはなんと水車の歯車や主柱が埋め込まれていました。特に歯車に関しては相当に大きく、ギアの歯の部分が外側だけでなく内側にもあります。水車でいうどの箇所で使われていたものなんだろうか。

さらに玄関土間や奥の壁をよく見ていると、そこには石臼や水車の羽根板が。これは他では見たことがない珍しいものです。

いずれも何かと接触して動かす役割のものであることから、「旅館側と客としっかり噛み合って末永く続く」という縁起物ではないかと思いました。似たような構造を長野県の湯田中渋温泉郷でも見かけたし、思想としては広く知られているものなのかもしれません。


これだけ広い玄関なのだから靴箱も大きいんだろうな…と思っていたのに反して、母畑元湯では宿泊者が各自の靴を自分の部屋まで持って上がる形になっています。靴を入れるビニール袋はもらえるので、それに入れる形式。

これも旅館にしてはかなり珍しいと思っていて、湯治文化の名残とか?

正面に進むと帳場があり、その右側の廊下の先が旅館の方の住居になっています。客の動線としては左側の廊下に向かい、1階に客室はないので自動的に2階より上に上る形です。

帳場の横には石鹸等の日帰り温泉グッズが置いてあったものの、後から温泉に入った限りでは一式がちゃんとありました。湯治用とかかも。

厨房
2階への階段
裏口

その先には2階への階段があり、その階段を通り過ぎて1階の左端まで突き当たったところに裏口があります。裏口の手前の部屋は広間のようでしたが、旅館用として提供されてはいない様子。

階段はそれぞれ建物の中央と左右に1つずつの合計3箇所があり、いずれも1階から3階まで通じていました。

階段一つ一つはそれほど大きくないのですが、数が多いので宿泊者が多かったとしても鉢合わせすることはなさそうです。これも湯治が盛んだった時期を思わせる構造の一つかと。

2階

続いては2階へ。

1階から2階への階段は踊り場を介して進行方向が反対になるタイプで、天井が低いので気をつけてないと頭を打ちます。

上った先は開けた空間になっていて、このスペースの周辺に客室が集まっている様子。

階段を上がって右に進み、2階の左端に移動したのが上の写真です。

1階でいうと裏口にあたるところで、1階にあった階段がそのまま2階、3階まで伸びています。部屋の配置は各階で異なっているものの、一直線の廊下という大きな目印は各階で共通なので構造が把握しやすいと思います。

何事もシンプルなのが一番ですが、最初から木造3階建てとして建築されていると全体的に統一感があって良いですね。

階段上がってすぐの客室の一例。広さは8畳あって、設備も一通り揃っているので憂う点はなし。

ただし扇風機があることから分かる通り、どの部屋にもエアコンはありません。

たとえ夏場であろうが扇風機のみで乗り切る形になるので、暑いのが嫌な人は春とか秋に訪問するほうが良いです。今回はなんとかなりました。

逆に階段から左(建物右側)に向かうと、廊下の左右に客室があるメインの宿泊ゾーンに入ります。

廊下も壁も天井もほとんどすべてが木材で構成されており、上から合板が貼られているものの昔のままの造りが色濃く感じられる。客室にエアコンがないのもそうだけど、近代化しすぎてないまま旅館として保たれているのが良い。

2階の洗面所
洗面所には丸棒が敷き詰められている
2階のトイレ

宿泊ゾーンに入ってすぐ左側には温泉への入口があり、その手前にあるのが洗面所です。

館内で洗面所はここにしかないため、3階に泊まっている場合でも必要になれば2階に降りてくることになります。洗面所は全面がタイル張りで生活感があるほか、水が落ちる部分には丸棒のようなものが敷き詰められていました。これは他の旅館でも見たことがある仕組みなので何かしらの効果があるようです。

なお温泉所や洗面所には階段裏側から回り込むこともできて、要は2方向からアクセスが可能でした。温泉の奥側にはトイレがあり、男女別ではなく混用になっています。

こちらが2階の旅館正面に面した客室です。

ここは窓際にも細い廊下が走っていて、中央廊下とこの廊下に挟まれた場所に客室が位置しています。

広さは8畳で統一されており、いずれの廊下からも鍵のない障子戸で出入りする形。これだけも十分すぎるほど湯治部屋感あふれる客室なのですが、特徴的すぎたのは細い廊下の窓際に置かれている部分にありました。

なんだろう。なんて言えばいいのか…。タイルで窓際の壁や床の一部が仕切られており、その上にはこじんまりとした戸棚とゴミ箱。その上にはタオルを干すやつが乗っかっている。

なにぶん初めて見るものなので、使い方がいまいちよく分からなくて気になって仕方がない。

戸棚は靴を入れる靴箱で、その上のタオルを干すやつは文字通り温泉に入った後にタオルを干す用途で使うもの。でもタイル張りになっている理由がよく分かりませんでした。濡れるものを上に置くからそのためでしょうか?

1部屋に1セットあるので宿泊用に使うのは間違いなさげで、何かしらの湯治用途で用いるっぽいです。

2階からの眺めはこんな感じ。

窓の外には小さい欄干があって、ここに座って外を眺めることもできそうでした。

自炊室
自炊室の前にある1階への階段
建物右端の階段については、1階~2階と2階~3階とで別の階段になっています。
建物奥側の客室の一例

中央廊下に戻って先を進んでいくと十字路があって、ここから右に行くと3階への階段が、左に行くと自炊室や1階への階段があります。

自炊室は2階と3階にそれぞれ1箇所ずつ存在しており、2階はこことなります。流し台やコンロ、調理器具などは揃っているものの冷蔵庫はなく、昔は近所の商店かどこかで当日に食材を仕入れるのがメインだったのかもしれません。

十字路の向こう側には別の客室があるので、2階全体で客室の占める割合は高めです。こうして見ると直線の廊下がほどよい長さで続いており、建物の大きさを屋内にいながら実感できる構造になっているのが良いですね。

細々と廊下が分かれていると構造的にも複雑になってしまうし、やはり直線の廊下は見通しも良くて個人的に好き。掃除も比較的楽そうです。たぶん。

3階

最後は3階です。

3階への階段は2階の階段と向きが同じなので、上がった先も2階とほぼ同様の造りです。

階段を中心にして廊下が各方向に伸びており、それぞれの側に客室があります。

建物右方向に向かうと同じく中央の廊下が端まで続いていて、その手前にあるのが食事の配膳用エレベーターです。

母畑元湯の食事は夕食・朝食ともに部屋出しで、例えば3階に泊まっている場合、女将さんは1階から3階まで階段を上ることになってとても大変。そんなときに便利なのがこの配膳用エレベーターで、食事を各階に手軽に搬送することができます。

ここにきていきなり近代的な設備が登場しているけど、よく考えれば高層の建物なのでこういうのを導入するのが自然ですね。

今回泊まったのは、3階の旅館正面に面した三号室です。

広さは6畳で広縁付きの上品な部屋でした。

ちょうど真下に位置する2階の客室は1室ごとに壁で区切られている湯治部屋だったのに対して、3階の旅館正面側の客室は大広間になっています。その大広間を障子戸で区切って客室の形にしており、ここはその一番端の部屋というわけです。

廊下からこの部屋に入ってくる襖戸のサイズがかなり大きくて、一般的な襖戸の1.5倍くらいの大きさ。

しかし、よく手入れされているのか開け締めは容易に行うことができました。というか主屋の部屋はいずれも常に稼働状態にあるようで掃除が行き届いており、女将さんをはじめ旅館の方の心遣いが見えるようでした。

アメニティとしては浴衣のみなので、タオルや歯ブラシ等については持参する必要があります。

で、着目したのが壁の大部分を占めるこの異質すぎる窓。

下3分の1と上とで意匠が異なっていて、いずれも木材を精巧に組み合わせた模様になっています。ちょうど真中部分のみ半透明のガラスになっているため、夜になると向こう側の廊下の明かりが透けて入ってきました。傍らには竹で造られた飾りもあって、先程書いた上品というのはまさにこの一面にあります。

どういった意味が込められているのかは謎だけど、一つ言えるのはおめでたい気分になれたということ。だって泊まった部屋にこんな素敵なものがあったらテンション上がるでしょ。間違いなく。

そして窓際の広縁。

昔はここは2階と同様に廊下だったと思われますが、今では各部屋ごとに壁が設けられていて区切られています。部屋の広さに応じた適度なスペースで、旅館といえばやっぱりこれだよなという感じ。

窓枠や網戸、ガラス戸の枠も含めて全てがアルミではなく昔ながらの木製で、これも建て付けが特に悪いということはありませんでした。椅子や机も極限までシンプルにしましたという感じでとても良き。

泊まった部屋からの眺めは2階以上に高度感があって、県道の様子を眺めながらぼーっとできるのが広縁の良さ。なおすぐ隣のだだっ広い敷地にはかつて何かが建っていたようですが、今では何も残っていません。

部屋の様子はこんな感じで、3階の残りの部屋を回ってみます。

こちらは、自分が泊まった三番の部屋から逆の突き当りに位置する部屋です。

三番の部屋の壁には大きな窓があったのに対し、こちらは床の間。本来大広間であることを踏まえると納得の造りでした。付書院に設けられている格子状の障子窓も見事です。

三番の部屋の真横には細い廊下があり、2階を散策しているときに見かけた小さな階段が続いています。ここを使えば2階と3階の行き来が可能ではあるものの、階段はかなり華奢な造りで心細かったので断念しました。

廊下の突き当りには非常用の縄梯子が置かれていて、いざというときはこれを伝って階下まで脱出するようです。とはいえ、自分がこれを前にして落ち着いて逃げられるかというとちょっと怪しい。3階分の高さを縄梯子で降りるのはかなりの恐怖が伴います。。

2階では自炊室があった場所は3階でいうと通路になっていて、そのまま建物の奥に向かうことができます。駐車場から玄関に向かう際に県道沿いに見えた建物がまさにこれで、後から増築されたことが伺えるような新しめの造り。

廊下の途中にはトイレがあるので、3階に泊まっている際はここを使用することになります。

廊下の窓から主屋を眺める。主屋のすぐ向こう側が斜面になっているのが分かる
県道に面した旅館の大きな看板。今では木が邪魔で県道からは見えず、旅館内部からのみ確認できる

旅館の裏側の外壁はこんな感じ。

表側こそ日当たりがとても良いものの、裏側は常に日陰になっているので植物が多く生えていました。でもこういう景色こそ実際に宿泊しないと見ることができないわけで、今回泊まってよかったという感想です。

温泉

館内の散策を終えたところで、温泉旅館に泊まっているのだから夕食までにやることといえば温泉しかない。

2階の洗面所前に男女別の温泉があってそこに入りにいくわけですが、温泉に入ることができる時間は細かく区切られているので注意が必要でした。例えば夕食後にのんびりしてから温泉行くか…という気分になっても、時間的に清掃中なので入れません。

温泉の種類としてはすでに述べた通りラジウム及びアルカリ温泉で、ラジウムの含有量は東北屈指。効能としてはリウマチ、更年期障害、痛風等への効果があるそうです。

源泉温度は20.2℃で湧出量は32.5リットル/min、pHは10.6。ラドン(Rn)含有量は67.3×10-10キュリー・ラドン/kgと記載されており、よく分からないけどなんか多いっぽい。

浴室の様子です。

日光が多く差し込む広めの浴室に、タイル張りで適度な広さの湯船が一つ。湯船は二段底になっていて腰掛けることができ、タイルはツルツルではなくザラついているため滑る心配はないです。

源泉温度が低いので加熱されているものの、体感的にはこの季節でも問題なく入れるくらいの適温になっていました。色が無色透明なのでどことなく涼しげな感じもあるし、温泉そのものを敬遠しがちな夏場でも入れるのはとてもありがたい。

温泉に入った後に部屋でゴロゴロしていると、いつの間にか夕方から夜に差し掛かっていることに気がつく。気温の方も日中に比べるとかなり落ち着いてきて過ごしやすく、いつもこれくらいの気温だったらいいのになと思わざるをえない。

そんな中で聞こえてきたのが、夏ならではのひぐらしの鳴き声でした。母畑元湯のすぐ近くには森が広がっているために、気温が適温になってくると自然にひぐらしが鳴き始めるみたいです。

鄙びた宿に泊まって温泉に入り、部屋で寛いでいると聞こえてくる夏の風物詩。旅館への宿泊という行為自体は季節を問わないけど、そんな中で春なら春、夏なら夏に泊まっているという実感を得られるならこれ以上の嬉しさはない。

日中は暑すぎるのでうんざりしてるので、やっぱりこれくらいの時間帯が一番好きかもしれない。

夕食~翌朝

夕食及び朝食はいずれも部屋出しなので、部屋で待っていれば持ってきてくれます。

夕食の献立はこんな感じで、肉や野菜、魚が一通り揃っている豪華な内容です。

毎回思うけど、旅館にありがちなこの一人分のお櫃。これ、各旅館の強力すぎるおかずに比べると量が少ないと思う。どの品も美味しすぎるのであっという間に空になってしまう。地酒もいただりたりして、良い時間が過ごせました。


夕食後は再度温泉に入りに行った後に就寝。特にすることもないので、いつものようにさっさと布団に入りました。

夜は扇風機のみなので寝苦しいかと思ったもののそんなことはなく、窓を開けなくても普通に寝られるくらいでした。なので他の季節ならもっと快適に安眠できると思います。

翌朝。

まず起きて温泉に向かい、二度寝をキメていたらいつの間にか朝食の時間になってました。

木造3階から眺める朝は最高に気持ちよくて、この日の朝が徐々に始まっていく様子を垣間見ることができる。夏なので日が昇るのも早くて、そうこうしているうちに交通量が増えてきて一日が始まる。やってることが完全に夏休みのそれだ。

朝食は素朴な味わいで、またしてもご飯が一瞬に空になりました。

最後は心ゆくまでn度寝をしてから出発。

おわりに

母畑元湯は木造3階建て旅館という珍しい建築様式の中に、湯治文化を内包した静かで過ごしやすい旅館です。

考えてみれば湯治=何日も滞在するのが前提なのだから、湯治を目的に建てられた旅館が過ごしにくいわけがない。現在でもその良さは引き継がれており、時間を忘れてのんびりできることだけは確かです。実際に私が泊まってみてそう感じたし、なんか滞在中の二日間が一瞬で過ぎ去っていったことは記憶に新しい。

今度は寒い時期に泊まってみたいと思います。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマーク・シェアをしていただければ嬉しいです。

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