【仙台~石巻~気仙沼~陸前高田~平泉】東日本大震災から10年。復興した三陸海岸をロードバイクで走ってきた

今回は、ロードバイクで宮城県や岩手県の海沿いを走ってきた話です。

実は毎年この時期に、三陸海岸を舞台にしたライドイベント「ツール・ド・東北」が開催されていて、今年は自分もこれに参加する予定でした。美味しいものを食べることができてライドも満喫できるとなれば、単純にソロライドをする以上の喜びがあることはいうまでもありません。

東日本大震災については当時は募金くらいしか支援できませんでしたが、ライドという形で被災地に関わるのも、ロードバイクを趣味にし始めた身としては興味があって応募したのを覚えています。

※ツール・ド・東北とは、東日本大震災の復興支援、および震災の記憶を未来に残していくことを目的に、2013年より開催しているライドイベントです。速さを競うのではなく、各エイドステーションで地元の美味しいグルメを味わえるということで人気が高いです。

もくじ

宮城へ向かう

ものすごい人気のイベントだと聞いていたのでまず当選するのかが心配だったものの、思いがけず普通に当選して歓喜。その後も宿の予約や飛行機の手配が滞りなく進み、あとはもう仙台空港に降り立つだけという状況でした。

が、残念なことにツール・ド・東北2021は、直前になって中止になるという結末を迎えました。

tourdetohoku.yahoo.co.jp

状況が状況なだけに仕方がないとはいえ、ここまでお膳立てが整った上で梯子を外されると精神的に辛いものがある。

冗談抜きに絶望したし、後には行きの航空券と宿の予約だけが虚しく残っているだけ。これではあまりにも悲しいので、せっかくなのでライドそのものを中止にすることはせずに、ソロで三陸海岸を走ってきたという次第です。

行程としては、本来走る予定だったコースからもう少し足を伸ばして、石巻から陸前高田市まで走る形にしました。航空券の振替えはコロナの影響で無料で行うことができたし、結果的に晴れた日に走ることができたので満足しています。

震災の爪痕を辿る

最初に言っておくと、今回のライドの目的は単純に「三陸海岸沿いの景色を楽しむ」こと。

なので、震災の影響が…とか、津波であんなに悲惨なことになったのに、とかいう風に、マイナスな面で過去を掘り下げることは過度にはしないつもりです。

もちろん東日本大震災の記憶・記録は後世に残していくべきだと思うし、あの震災で学んだことが非常に重要なのは当然のこと。でも、一番大事なのは、震災後の被災地が過去と同様に、いやそれ以上に活気を取り戻すことだと思っています。

自分としてはこの地域の魅力を中心に写真で示していきたいし、「訪れて良かった」という思いをアピールしていきたい。

仙台空港から石巻へ

初日の行程はとてもシンプルで、仙台空港で輪行解除して石巻の宿まで自走で向かっただけ。

天気も曇りだったので、松島で一瞬休憩したくらいであとはもう一直線。石巻の宿に早めに到着して夕食にし、翌日からのライドに備えました。

石巻からライド開始

翌朝は朝食もそこそこに、早朝から出発して陸前高田を目指す。

この日の宿のことを考えるとどうしても早めに行動することは避けられなかったけど、逆に言うと、「早起きすればするだけ行動の選択肢が広がる」ということ。

時間が決まっているバスや電車などと違い、ロードバイクだと出発や休憩時間がすべて自分の裁量で決められますが、たぶん早起きすることって旅における最大の難関じゃないかなと思います。その点、自分は朝には強いのでかなり助かってますが。

石巻を出たら国道45号を北上して南三陸町まで向かい、そこから先も基本的に国道を走る形にしました。

陸前横山駅
今ではBRT(バス高速輸送システム)の停留所になっています

南三陸町までの道中に遭遇したのが、かつて存在していた路線を活用したBRTという移動手法です。

これは、被災の影響で不通になったJRの線路を復旧して再度電車を走らせるのではなく、線路跡をアスファルト敷きにして専用バスが通れるように整備したものです。線路の上がそのまま道路になっている「バス専用車線」なので当然ながら信号というものは存在せず、渋滞にも引っかからないので一般的な路線バスより格段に早く到着できるという特徴があります。

このBRTは陸前高田までの道中で何度も見かけたので、この辺りではもう馴染みが深い移動手段になっている様子。考えてみれば線路を復旧するのにはとてつもないお金がかかるので、代替としてこういう形を取るのは理にかなっているといえます。

自動運転とな?

しかも、設置されていた看板によればこのバスはいずれ自動運転になるとのことでした。

震災で線路が使えなくなったのなら、代わりの方法を用意すればいい。言葉にするのは簡単なものの、正直ここまで線路跡が有効に使われているとは知りませんでした。やはりネットやテレビの情報だけでなく、実際に現地を訪れるのは大事。

三陸海岸を走る

陸前横山からはちょっとした峠を越えて軽いダウンヒルをし、気がつけばもう太平洋に面した海沿い(南三陸町)に到着。

さっきまで走っていた平野部や山間部からは一転し、いよいよ今回のライドの核心部へと突入していきます。

南三陸町の海

まず目に飛び込んできたのは、南三陸町を取り囲むように形成されている志津川湾の美しさ。

時間帯的にはちょうど早朝が過ぎ去って朝に入ったくらいで、朝もやが完全に消え去って澄んだ空気が広がっている。ましてやここは海が目の前にある高台で、その眺めの良さはご覧の通り。

護岸されているとはいっても海の綺麗さが変わるわけでもなく、まさにこのタイミングを見計らったかのようなコントラストに目を奪われてしまう。

ここから先の道のりでは、各所にこのような「過去の津波浸水区間」が示されています。

これはここまで津波が来たので気をつけてね、という注意喚起であると同時に、私がこの国道45号を北上していく中で津波の存在を思い出すきっかけになりました。結構頻繁に登場してくるので「この高さまで波が来たんだ…」と常に実感しながら走ることができて、これはこれで視認性がある看板だと思います。

その後は、海岸線沿いを走って南三陸町の中心部へと向かう。

周りの景色はだだっ広い平野部にハッとするような人工物が多くて、言うまでもなく津波対策や治水で建築されたものです。海に注ぐ川については逆流によって大きなダメージを負ったことは分かるのですが、意外だったのはそれ以外の家屋類が少ないこと。道路や橋などは比較的容易に復旧できる一方で、「人」も戻ってくるかというと必ずしもそうではない。

未だに震災復興の工事は進行中のようで、建材を積んだトラックが通ったりもしてました。

そんな中で訪れたのが、津波でネジ曲がった建物が保存されている南三陸旧防災対策庁舎です。

この3階建て庁舎屋上を2mも上回る15.5mの津波が押し寄せ、ここに避難して安心していた人たちが犠牲になってしまったことはニュースで知っていました。こうした遺構は各地で保存されているので、津波への理解を深めるという意味で訪れたのですが…やはり悲しい気持ちになってしまう。

かなり高い建物だが、津波の高さはこれを上回っていた
一帯は公園として整備されている

実際にこの庁舎の目の前まで行ってみると、想像以上に高い建物なことに気づく。

自分だったら津波が来ると聞いたところで、ここまで高い建物なら大丈夫と思うだろうし、現にそうしてここに集まった人が多かったといいます(屋上に避難したのは53人で、生還したのは10人だけ)。

想定を上回るといえば確かにそうなんですが、そういう言葉だけでは片付けられない無念さが残っています。この庁舎にまつわるエピソードなんかもあったりして、それを聞くとうなだれた気持ちにならざるをえない。

隣には南三陸町震災復興祈念公園があり、小高い丘の上には慰霊碑があります

さっきは南三陸町の海沿いが綺麗という印象を抱いたけど、あの美しい海が突如として牙を向いたのが10年前。

それを前提に周囲をよく観察してみると、海と陸で全く雰囲気が異なっていることが自ずと理解できました。海は全体的に自然を感じるのに対して、陸は道路のみが真新しくて民家はまばらです。ロードバイクで走る分には走りやすいので便利な一方で、こんなに脳天気な気分で走っていていいのかと自問自答することもありました。

でも、少なくともこの景色の美しさは本当で、そこには何も関係する余地がない。

後述するように海の眺めは抜群の一言で、それに加えて三陸海岸沿いは海の幸も美味い。津波を敬遠して訪れないよりは、訪れることによってそこで何かを得て帰りたい。そういう気持ちで今回の訪問に至った身としては、この数kmの景色だけでも来てよかったと言えます。

大谷海岸を経て陸前高田へ

南三陸町を後にして北上を続けると、隣りにある気仙沼市に入ります。

南三陸、気仙沼、そして陸前高田。今まではニュースでしか触れることがなかった地名をこうして走っていくと、ここがあの気仙沼なのかという感じで、自分の頭の中で奇妙な認識の一致が見られる。今回訪れなかったらそれらの地名が一生遠い存在で終わってしまうような気がしていたけど、やっぱりこうして訪れてみてよかった。

現地で体感する景色の色や、吹き抜けていく風、そしてアップダウンの多さ。身を持って「三陸海岸」を味わうのが今回やりかかったことであって、それを実現できているというだけで嬉しくなってくる。

気仙沼市に入った

三陸海岸は非常にアップダウンが多いです。

リアス式海岸の特徴を凝縮したかのような地形が全体的に連なっており、細々とした上りや下りが多くて平坦部が少ない感じ。一つ一つで見ると普通の小高い坂なので、初心者らしくダンシングを駆使して乗り越えていく。

アップダウンが多いだけでなく景色的な移り変わりも激しくて、海沿いを走っていたかと思えばいきなり山間に突入したり、田園地帯を走っていたかと思えば住宅が集まっている地帯に入ったりもします。むしろ延々と同じ風景の中を走るよりは新鮮味があって、体力は別にしてこれはこれで面白かった。

そして、なんといっても道路が新しいので非常に走りやすい。タイヤへの食いつきがいいというか、整備されたアスファルトなので自転車で走る分にはなんの心配もいりませんでした。

実際にロードバイクで走っている人をそこそこ見かけたので、地元の方などは自分と同じようにツール・ド・東北記念で走る人が多いのかもしれません。

大谷海岸に到着

気仙沼市街まであと少しという地点で印象的だったのが、この大谷海岸です。

先程まで走ってきた坂がまるで嘘のような広大な平地に、はるか向こうまで続いている砂浜。その向こうには青く澄んだ海がどこまでも広がっていて、視界内の奥行き感がここにきてグッと跳ね上がったような気がする。

というのも、なんだかんだで三陸海岸は高低差がそこそこあるので砂浜が少なく、もし砂浜に出会ったとしてもここまでの規模のものは珍しかったから。

今までの怒涛の行程とはいかないまでも、開けた場所が少ないところを走ってきた自分としてはこの時の開放感がヤバかった。しかも天気は快晴そのものだし、気分も自然と高揚してくる。こうして写真を撮っていると、自分と同じように立ち止まって写真を撮っているツーリング中の方々が集ってきたりもした。

大谷海岸はすぐそこに隣接している道の駅があって、店やレストランなんかも充実している様子でした。国道45号沿いにはかなりの頻度で道の駅や何かしらの店が集まっているので、この道を走っていれば基本的に困ることはありません。

気仙沼市街を通過

気がつけば、なんだかんだでもう気仙沼に到着してました。

ここからはショートカットして旅館に直行するか、もしくは陸前高田を目指すかで少し迷って、結局予定通りに国道を北上することに決定。まだ大した距離は走っていないし、何より天気がいいとなれば、なるべくその時間を楽しみたいというのが自分の方針です。

気仙沼から陸前高田までの国道4号は半ばバイパス化しているのでロードバイクが通れるのか心配でしたが、これは予想外に普通に通れたので問題なし。場合によってはもともと線路が通っていた県道34号を走るという想定もしていたので、海沿いに走るという行程が持続できたのが嬉しい。

陸前高田に到着。海岸沿いに建物が少ないのがひと目見て分かる

そのままの勢いで今回の三陸海岸沿いルートの最終地点である陸前高田へと到着。

見渡す限りの田園が広がっている一方で、予想通りというか海沿いの一帯には建物が非常に少ない。周囲には工事中の箇所が非常に多く、今までもそうだったように工事車両に遭遇する頻度は高いです。

ただ、陸前高田市街の海沿いに位置する「道の駅高田松原」はかなりの賑やかさでした。規模が大きい道の駅なので道中に訪れる人が多いとはいえ、休憩がてらに寄ってみて驚き。ひっきりなしに人が押し寄せてくるし、人の出入りは徐々に戻りつつあるのかもしれません。

道の駅高田松原の近くにはあの有名な「奇跡の一本松」があるが…
コロナの関係で閉園中でした(下調べ済み)
めちゃくちゃ分かりにくいですが、画面中央やや左奥が奇跡の一本松です
遠くから撮影した奇跡の一本松

これだけ訪れる人が多い理由の一つとしては、「奇跡の一本松」を見に来たからじゃないかなと思います。

これも非常に有名な話なので知らない人はいないかもしれませんが、一応書くと、陸前高田の名物である「高田松原」は震災による津波の直撃を受け、ほぼ全ての松の木が流れてしまいました。しかし松原の西に立っていた一本の木が流されずそのまま残ったことから、その後は復興の象徴として大事にされてきて、今に至ります。

奇跡の一本松/陸前高田市ホームページ

以前の姿を知らないだけに、"あの"松が津波に耐えて生き残ったという感慨は自分にはない。

でも、そのエピソードは他県民からしても十二分に勇気づけられる存在であるのは間違いないわけで、現に今回訪れることができて安心しています。安心というか、三陸海岸を走るのだからここは必ず訪問しておきたかったというか、そんな感じ。

震災を経て地域の生活は一変し、町としての"以前"の姿を知る人は徐々に少なくなってくる。建物や道路は新しいものに置き換わっていって、人々の記憶も曖昧になっていきます。

そんな中で、当時の遺構を残すというのは個人的には重要なことだと感じました。この奇跡の一本松の保存についても賛否両論あったけど、方法や経緯はともかくとして、残すという選択肢をとったのは良かったと思う。

昼食は道の駅でとりました

奇跡の一本松を遠方から眺めた後は、そのまま道の駅の中にある食堂で昼食にしました。

正直、自分としては被災地どうこうというよりも食べ物が美味しいという一点だけでその土地を訪れる十分な理由になる。

今回注文した鮭親子丼セットもまさにこんな感じで、海に近いという立地を活かしたウマウマな地物が食べられればそれで十分。途中でしんみりした気持ちになったりもしたけど、自分の方針としては何も変わっていない。

その土地の日常の景色、美味しい食べ物。それにプラスアルファで良さげな旅館があれば季節を問わずに全国各地を訪問しているし、そこに距離的な遠さは一切関係ない。

今回は海沿いで一泊したわけではないので、次回に訪れる際には三食海鮮で固めてみるのもいいかなと思ってます。

海から山へ抜けて岩手県へ

そんなこんなで、仙台空港を出発した今回の三陸海岸沿いのライドはこの陸前高田で終了。

ここから先は本記事のタイトルから外れて岩手県内を走っていきます。率直に言うと蛇足なんですけど、この行程もまた面白いものだったのでまとめたい。

国道343号は上りばっかりでした

まずはこの日の宿に向かうために、今日ずっと走ってきた国道45号から離れて国道343号へ。

いきなりの上りで獲得400mほど走り、峠を下って陸前高田から一関市へ入る。ここまであからさまに海→山との遷移を実感すると、今日のほとんどの時間を太平洋沿いで過ごしたのが本当だったのか怪しくなってくるレベル。

海と山との距離が近いのでちょっと移動するだけで景色の移り変わりが早く、疲れるのは疲れるけどそれ以上に新鮮だ。

秋を実感している

いざ上まで上ってしまえば、あとは今日の宿がある大東まで下るだけ。

途端に精神的な余裕が出てきたので辺りを見渡してみると、周囲には田園風景が広がっていて実に居心地がいい。海沿いとはまた異なった空気の美味しさがを吸い込みつつ、道端に腰を下ろして休憩してみる。

こういう風に気軽に停車からの散策ができるのもロードバイクのいいところだし、散策という意味ではこの辺りはまさに適しているところでした。ここは例えば車だったらあっという間に通り過ぎてしまいそうになる道なので、そうなると周りの風景に気を取られる暇すらない。

誰も気にとめない田舎道を、ロードバイクでゆっくり下っていくという気持ちよさ。こればっかりは、実際にやったことがある人でないと理解できないと思う。

集落の社を発見してしまったら立ち止まるほかない

そんな感じで贅沢に時間を使っていれば思いがけない出会いもあるもので、ふと遠くに社のようなものを発見したので向かってみた。

近寄ってみるとはたして社だったものの、名前のある神社なのかどうかは分からない。でも、こういう独特の雰囲気のところで一休みするのって個人的にはかなり好きです。休憩じゃなくて一休みという単語が似合いそうな社で、意味もなく時間を過ごすのがいい。

田畑の中にあってこの社の周囲だけ樹が整列しており、外界から切り離されたような隔絶感にどこかホッとする。

静かな時間を過ごしている

国道343号のそばにはこういった景色が本当に多くて、思いがけず立ち止まってしまうような魅力がある。

眺めの良さや絶景が楽しめるような場所とは少し趣向が異なるけど、自分が本当に好きなのはこういう何気ない田舎の景色なのかもしれない。

大東町大原に泊まる

そのままの勢いで散策とライドの境界が不明確なまま市街地に入り、予約しておいた丸全旅館に宿泊しました。

宿泊記録については別記事でまとめています。

それにしても、この大原という町は心が休まるところでした。

まず市街地自体が国道から若干離れているので交通量が少なく、旧今泉街道沿いの通りについては車通りがほとんどありません。そんな中にぽつぽつと店が点在していて、確かに町が形成されている。

丸全旅館で過ごす一夜も十分素晴らしいものだったけど、この大原という町全体が自分の好みに合っていたので、なおさら安らかに過ごせたと思います。

近くのスーパーでアイスを買って帰って旅館内で食べたり、夕食前には再度ぶらぶら通りを歩いたり。こういう時に想う気持ちって宿泊地によって全く変わるもので、同じような感想を抱いたことは一度もないです。

その土地にはその土地の魅力があって、それを求めるために色んなところに行くのは今後も止められそうにない。

翌日は平泉へ

翌日の予定は普通に仙台空港から帰るだけだったのですが、急遽予定を変えて平泉まで走って中尊寺に参拝するという行程にしました。よく考えてみれば飛行機の時間までは相当あるわけで、せっかく旅をしているのだからその時間を有効に使わない手はない。

ただ、本格的に蛇足になりそうなので画像のみ上げる形にします。

平泉まではほぼ平坦でした
中尊寺に到着
中尊寺
中尊寺金色堂
昼食は中尊寺近くのお店で盛岡冷麺をいただく。冷麺に餅×3がセットになっていてお得でした。
最後は一ノ関駅から輪行で仙台へ
車窓からの眺め
仙台駅で食べた、文句なしの牛タン夕食。特にシチューが絶品だった。

こんな感じで次の行き先をその場で決めるような形になったものの、これが自分のいつもの姿なので全く問題がない。

この日はどちらかと言うとライドよりもグルメに振っていて、岩手や宮城の名物を存分に満喫できたと言えます。仙台空港には電車が直結しているので自走で向かう必要もなく、しかも仙台市街から近いので移動もしやすいといいことづくめ。

この辺りを集中的に散策しようと思っている場合は、短期間でも行程を立てやすいので非常に便利でした。

おわりに

当初は三陸海岸沿いを走ることだけ考えていたものの、終わってみれば海沿いだけでなく山の中にまで入っていくような自分でもよく分からないルートになってました。しかし、1日目は海で2日目は山という、ある意味でメリハリがついた気持ちのいいライドができて嬉しい限りです。

三陸海岸については道路もよく整備されていて、ロードバイクで走る分にはまったくもって快適そのもの。震災地だからという理由に縛られず、ただ純粋に走っていて楽しかった道でした。機会を見つけてまた訪れたいと思っています。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマーク・シェアをしていただければ嬉しいです。

過去に泊まった旅館の記事はこちらからどうぞ。

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