今回はロードバイクで宮城県や岩手県の三陸海岸沿いを走る機会があり、その際の宿泊地として決めたのが一関市大東町大原にある丸全旅館です。
当初は単純に石巻から太平洋沿いに走ることしか決めておらず、そのままだと帰りの行程が意味不明になることが予想されたので内陸部に向かうことに決めました。結果的には海成分だけでなく、岩手県の山の中にある集落を巡る形になってこれはこれで良し。
丸全旅館がある大原は、海に面した陸前高田市街と内陸部の一関市街のちょうど中間地点に位置しています。かつては今泉街道(別名 気仙街道)の主要な宿場町として、交通の要所だったことから発展しました。
特に目立った観光名所があるというわけでもなく、普通だったら通り過ぎてしまいそうになるくらいに「いい意味でひっそりと目立たない」町というのが大原の第一印象。でも、旅の道中で一夜を過ごすにはこれ以上ないくらいに適したところでした。
山間部の町の旅館
丸全旅館の創業は大正の初め頃で、少なくとも女将さんがここに来たときにはすでに今の形だったとのことです。建築当時からはかなり形が変わっているようで、ガラス窓の設置や欄干の塗装などは、最近行われたものではないらしいです。
建物としては、通りに近い側から土蔵、ご主人のご家族が住まわれていた棟を経て丸全旅館の建物があり、手前側にある駐車場を加味するとかなり奥まったところに位置しているのが分かります。
館内散策
1階部分
そんなわけで、石巻から自走で走ってきてこの宿に到着したときの安心感はかなりのものがありました。
その日にたまたま発見した宿に泊まるのならともかく、前もって宿泊地を決めている場合はなんとしてもたどり着かなければなりません。公共交通機関や車だったらそんな心配はしなくていいものの、自走オンリーということで若干緊張しなかったかといえば嘘になるし、久しぶりの運動だったので不安でした。まあ想定よりも数段早く到着できたので問題なし。
土蔵の前あたりに自転車を置かせてもらい、そのまま中へと入りました。
丸全旅館の最大の特徴が、この木造3階建てという稀有な造り。
この構造の建物、それも現役の旅館として残っているものは現代では非常に数が少なくなっており、今後も時代の流れとともに姿を消していくことは間違いありません。なので、自分としては早いうちにさっさと宿泊しておくのがいいかなと思っています。廃業されてからあの時行っておけばよかったと後悔しても遅いので。
景色と違って建物の類は、それに関わる人々の変化によって容易に消えてしまう。
景色はある意味で賞味期限が長い一方で、旅館とかってほんの数ヶ月後とかには無くなっている可能性がそこそこ高かったりします。別に鄙びた宿だけを趣味にしているわけではないけど、それを考えると地味に優先順位は高め。
その木造3階建ての建物は丸全旅館の正面と右側にそれぞれあって、通りから見えていたのは右側の方。正面の建物の1階には玄関がありますが、これは奥まったところにあるのでちょっと見えづらい。
また、正面の建物の3階部分には1階玄関前から繋がる非常階段があります。これも女将さんがここに来られたときから付いていたものだそうで、木造旅館にこのような非常階段が設けられているのは珍しい気がする。
玄関を入った先の動線は、全部で3方向あります。
正面の階段を上がれば客室に行くことができ、右側に進めば温泉が、左側に進めば食堂があり、夕食や朝食はこちらで頂く形になります。他には階段の裏手が居間や厨房になっていて、ご主人や女将さんは基本的にこちらにいらっしゃるようでした。
「玄関入って正面に階段」という古い旅館ならではの構造に感心しつつ、玄関内部の床や階段の表面が木ではないことに気がついた。上からパネルを貼り付けているようで、おそらくですがパネルの下には本来の木板が敷かれているんじゃないかなと思います。
玄関右側の奥には温泉(お風呂)があります。
古い旅館では他の建物は古いけどお風呂だけ最新式というところも多いのですが、丸全旅館のお風呂場は独特の雰囲気がありました。まず脱衣所前の廊下が広いし、中へ入る際の戸も温泉っぽい感じ。
お風呂は常に浴槽内部で湯が湧き出していて、循環めいた流れがあります。
さっき私が丸全旅館のお風呂のことを温泉と書いたのは理由があって、丸全旅館のお風呂はヘルストン温泉という名前の温泉でした。これはいわゆる人工温泉に分類されるもので、効能のほどは正直謎です。ただ、一日の終わりに入るお風呂の気持ちよさには変わりがない。
2階部分
次は階段を上がって2階へ。
客室は全て2階にあり、宿泊客は基本的に2階で過ごすことになります。この階段がなかなかに急な上に一段一段が高く、場合によっては上るのに苦労しそうでした。昔の階段ってとにかく急勾配に作ってあるという認識なので、階段自体の構造は昔から変わっていないようです。
階段を上がった先は2階の廊下になっていて、ここから旅館の正面・右・左の棟すべてへ向かうことができます。
こうやって文章で全て説明すると正直分かりにくいかと思うけど、玄関入って正面にある階段を上った先が広めの廊下になっているというのがまず重要なポイント。
ここの広さは丸全旅館の共用部分としてはおそらく一番広く、従って各方面へ移動する際に必ず通ることになると思います。
階段を上がった先からまっすぐ正面(=建物の奥)に廊下は続いていて、上の写真で言うと手前側まで進むと進行方向右手側にトイレともう一つの階段があります。
また、廊下の途中には岩手県近隣の歴史をまとめた図書や写真集などが置かれていて、特に何もすることがない時間はここの本を読んだりしてました。
さらに、この共用スペースには電子レンジやトースター、インスタントコーヒーなどが置かれていて自由に使用できるようです。なお、電子レンジとトースターを同時に使うとブレーカーが落ちるのでやめてねと注意書きがありました。
その共用スペースの真反対にはもう一つの階段があって、これは先程訪れた1階の温泉前の廊下に繋がっています。
今自分が立っている旅館2階奥側は後から改修されて新しくなったとのことなので、そのときに一緒に増設されたものなのかもしれません。かつての用途としては、厨房から各部屋に料理を運ぶ際に使用されてたりしたのかも。
今回泊まった部屋は、その廊下のさらに奥。
旅館内の空間としては最も奥側に位置する部屋で、先程の説明の通りいずれも後から増設された客室になります。客室は松竹梅の3つあって、その名の通り「松」が一番格上のようでした。
今回泊まったのは「松の間」で、広さはなんと12.5畳。
一人で泊る分には申し分ない広さで、しかも床の間や付書院、丸窓などを備えている高級感あふれる部屋でした。
設備としてはエアコンやテレビ、冷蔵庫が完備されているので、一日だけでなく長期の宿泊にも適している感じです。もっとも、今では個人客と言うよりは完全にビジネスで泊まる人がほとんどだそうですが。
旅館に到着した時点ですでに布団が敷かれており、温泉に入った勢いで横になるとそのまま寝てしまいそうになるくらい。部屋が広いということはそれだけ心にも余裕が出てくるというもので、これだけ広い館内の雰囲気にマッチしている感じがして居心地がいいです。
旅館の奥に位置しているとはいえ、廊下から入って正面の壁がまるごと窓になっているので日当たりは良さげでした。しかもただ窓になっているというわけではなく、下側に棚が設けてある独特な造り。
あと、隣の「竹の間」との境にある欄間は本来塞がされてはいないのですが、エアコンの効きをよくするためにビニールで塞がれていました。
「松の間」の隣りにある「梅の間」「竹の間」の様子は上記のとおりです。
掃除は普段からされている様子が窺えるものの、常用されているという感じではなかったです。また、竹の間の隣の客室(名前無し)は布団置き場になっていて、こちらも使われてはいない様子。
というか、古い旅館には大抵布団置き場になっている部屋があると思う。昔ほど宿泊する人がいないために布団が余り気味になっているので、どこかに保管しておかなければならないわけで、旅館の探索中にそういう部屋を探すのもなんか楽しい。
実は投宿したすぐ後に女将さんがりんごを差し入れてくれて、まずは松の間でこれを頂いてからの散策となりました。
秋口にしては気温が比較的高い中を走ってきて、冷たい麦茶とりんごでその熱を冷ます。あとの時間はもうこの旅館で過ごすのみという安心感もあいまって、ようやく一日が終わった感が強いです。
ここからは丸全旅館の残りの部分を散策していく。
まずは松の間を出て廊下を階段方面に直進し、その左へ進んでみます。こちらには左手に3階へと続く階段と、右手に2階の客室へと続く廊下が続いていました。
2階の客室があるのは旅館正面からみて右の棟で、ちょうど通りから旅館を見た際に真っ先に見える3階建ての部分です。
廊下には昔からそのまま残っていると思われる欄干があるものの、なんか表面がツヤツヤな色になっているのが分かる。自分がいつも見ているような木製の欄干そのままではなく、どうやら上から塗料が塗られているようでした。
これについて女将さんに訪ねたところ、直射日光などでかなり傷んでいたので補修用のペイントを施したとのことでした。外側のガラス戸を後付する前までは雨を凌ぐには雨戸(こちらも現存していました)しかなかったわけで、そう考えれば木材が損傷するのも当然と言えます。
その廊下の先には客室が1つあり、こちらは現役で使用されている部屋となっています。
旅館の玄関右横に大きく張り出した位置にあるので来訪者がよく見え、創業当時なんかは人気部屋だったんじゃないかなと思います。
思えば、こんな風に客室から旅館自体を眺められる構造は貴重かもしれません。
例えば通りに面している旅館に泊まったとして、これまた通りに面している客室に泊まった場合は展望こそいいものの、旅館自体は見えない。あくまで旅館の全景を見ることができるのは玄関先だけというケースもあることを踏まえれば、こういう風に張り出した棟に客室があてがわれているのは素敵そのものだ。
上の写真のように、この部屋からは玄関や旅館の1階~3階までを全て見渡すことができて、玄関前の比較的細い路地も上からなら見通しが抜群。昔はこの欄干にもたれかかって、ぼーっと通りを眺める客もいたんだと思います。
3階部分
最後に訪れたのは、今では全く使用されていない3階部分です。
少し前までは、この辺りで仕事をされている日通さんの休憩場所として提供していたこともあった3階。経費削減のために仕事量が減った今ではそういうこともなくなり、ひっそりと朽ちていくに身を任せている様相でした。
3階への階段はなかなかに急で、1階から2階へ向かう階段と同程度の斜度。また踊り場の天井高さが非常に低く、自分の身長だと普通に頭を打ちました。
そして3階へ到着して驚いたのは、2階と同じ構造なはずなのに漂っている空気が全く異なるということ。壁の張替えや絨毯の埃っぽさとは別に、「人の手が入っていない」ということをまじまじと実感しています。人間が立ち入らなくなった建物は休息に朽ちていくというけど、まさかここまでとは。
ただ、裏を返せば創業当時の古いままの状態を保ったまま時間が経っているということ。3階が客室として使われなくなって何年経つのかは分からないけど、少なくともその時からずっと時計の針が止まっているような感覚になりました。
まずは、さっき見た2階の客室の真上部分に行ってみる。
ここにも2階と同様に客室があるもの、中は荒れ果てていました。
階段を上がって右方向にも客室が2つあって、手前側は同様に荒れており全く使われていない様子。
その客室の横にある短い廊下にはブルーシートが被せられていて、もしかしたら廊下の板が腐ったりしているのかもしれません。ただ、ここの窓際にある欄干については塗装がされておらず、元のままの姿で保存されていました。
それにしても、なんで使われなくなった部屋ってこんなにも埃っぽいのだろうか。
最後に訪れたのは、階段を上がって真正面の廊下を突き当たりまで進んだところにある部屋。
こちらの部屋はつい最近まで使われていたこともあり、比較的穏やかな感じでした。ファンヒーターや掃除機が置かれているので、少し掃除をすれば一泊することができるかもしれません。
これで3階部分は全て回ったことになりますが、なんというか1階分高さが異なるだけで全く雰囲気が違うことに驚きを隠せない。2階部分は今でも客が泊まっているフロアなのに、階段を上がった先はまるで廃墟かと見間違うような荒れ具合。
上がってくる人が全くいないわけではないとはいっても、人がいるよりもいない方が建物は痛むという言葉に偽りはないようです。
3階からの眺めは2階よりも一層高く感じ、この高さを木造旅館で得ることができている事実に感謝。
かつてここに泊まったであろう旅人のことなんかを考えたりもしつつ、しばらく3階に佇んでました。
夕食~翌朝
夕食の時間は決まっているようで実は決まっておらず、出来上がれば部屋まで伝えに来てくれます。
夕食の内容はこんな感じ。
これらに加えて吸い物としてつみれ汁が最後に登場してきて、これもまた実に白米が合う。
夕食後はひとしきり旅館の周りを歩いてみたところ、例に違わず人の気配がない町並みが広がっていました。
決して華やかではない大原の町並み、しかし静かなところが好きな自分にとっては間違いなく安らぎを得られるところであったし、ある意味でこれが正しい夜の過ごし方なのかもしれません。商店の類はすでに閉店している時間だし、出歩く用がなければ自然と町も静かになる。
この静けさは、丸全旅館が全盛期だった時代とそう変わらないのかも。
朝は予定通りに目を覚まし、特に急ぐわけでもないので通常の時間通りにお願いしておいた朝食を頂く。
旅館で迎える朝はいつだって特別で、いわば自分がこの町の住人にでもなったかのように感じてしまう。それは地域に根ざしてきた古い旅館だからこそ、まるで町と一体化しているような雰囲気を漂わせているからに他ならない。旅の途中で通過するような短い付き合いではなく、一夜を通じてその町に留まるという行為がそういう気持ちにさせるというか。
投宿、旅館の散策、周囲の町並みの散策、お風呂、夕食、就寝前の時間、朝食、そして旅立ち。
自分が旅において宿泊を重視しているのは、まさにこういう風に感慨に浸りたいからです。丸全旅館での滞在においても色んなことを考える時間が多くて、忘れがたい日になりました。
おしまい。
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