千葉県大多喜町は江戸時代には城下町として繁栄した土地であり、今でも復元された大多喜城(県立中央博物館)の東側には、かつての古い町並みが伸びている静かなところです。
今回泊まった大屋旅館もそんな街角の一角にあって、半ば町並みの雰囲気に馴染むように出現してきたのが印象的でした。古い旅館というと大抵は周囲から隔絶されたように建っているものですが、ここに限ってはそうではなかったです。
大多喜城下町の旅館
ただ、明治時代建築の古びた外観は遠くからでも目を引くというもの。近づいていくにつれてその建物の巨大さが迫ってくるようで、これから宿泊するというのに圧倒されるような感じを受けました。
大屋旅館の創業は、大多喜が城下町として栄えた江戸時代の後期だそうです。
建物としては明治時代に建てられた母屋(通り側)と、その後の大正時代に追加で建てられた棟(裏手側、別棟と仮称)、それと大正時代後期に建てられた宴会場から構成されています。
母屋については江戸時代から明治時代までの間に何があったのかは定かではないものの、火事か何かで立て直したのかもしれません。
外観
まずは外観から。
私がこの大屋旅館に対面したときに感じたのが、とてつもない重厚感。
どっしりとした1階部分に積み重なっている2階部分、そしてその上の庇や屋根瓦の部分も含めて、古い建物に見られる「重さ」を感じられるような外観をしている。それだけ基礎がしっかりしているということだろうけど、なんか一種の安心感を感じた。
また、その重厚感の演出の一端を担っているのが2階部分にある「大屋」の屋号。一般的には旅館名というのは玄関の上とかに示されている一方で、ここではその文字そのものがとにかく大きい。戸の大きさから換算すると畳1畳分くらいはありそうなその看板は、大屋旅館の存在感を表すには十分すぎる。
また、建物全体が隣りにある神社の参道に面しているというのも立地的に素敵でした。参道は当然ながら直線上に奥まで走っていて、鳥居をくぐるときや参道を歩いていく途中では必然的に大屋旅館が視界内に入ってくる。神社って昔からその土地に根ざしている存在で、つまりそれに面している大屋旅館も同時に古くから大多喜の町に在ったということに他ならない。
特に大通りから眺めてみると、母屋と鳥居がセットになっているのが見事でした。
母屋の散策
玄関周辺
外観を確認し終わったところで、早速玄関から中に入ってみます。
大屋旅館の中に入ると、広々とした空間が出迎えてくれる。
江戸時代の旅籠宿らしく広い玄関土間を備えており、入ってすぐにこれだけの開放感があるというのは精神的な安らぎを与えてくれる。玄関土間全体がガラス戸に面していてとても明るいし、ここに置かれている椅子に座ってぼけっとしているだけで眠くなってきます。
玄関土間の奥には広縁があり、囲炉裏などが置かれていることから衝立がある周辺がかつての帳場であったであろうことが想像できました。
また、壁にかかっている時計は決まった時間になると音が鳴ります。鄙びた宿で、変わらず時を刻み続けている時計。大屋旅館での滞在中は時間を忘れて過ごしていましたが、この音を聞いて急に現実に引き戻されたりしてました。
玄関土間の厨房に面した側の雰囲気もすごく好き。
側面の壁には昔使われていた下駄箱がそのまま置かれていて、その周辺にある長椅子や観葉植物も含めて休憩するのにちょうどいいというか。目の高さにある家具が少ないので視野的な広さも確保されていて、空間的な広さ以上に充足感を得られるのがこの玄関の特徴かなと思いました。
ここで女将さんとご対面して投宿開始。
予約の電話口で母屋に泊まりたい、と伝えていたので母屋の客室に案内していただきました。
母屋の客室と廊下
母屋については、1階にあるのは玄関土間、広縁、厨房、食事部屋と旅館の方の生活部屋のみで、客室についてはすべて2階にあります。
母屋2階へは、玄関広縁の少し奥にある階段を上っていくのが一番てっとり早いです。
今回泊まったのは、その階段を上がってすぐ右側にある4号室の客室です。
広さは一人でちょうどいい6畳で、部屋の4面のうち一面が襖戸、一面が障子戸という変わった構成をしていました。建物の隅に位置しているだけになんか秘密基地感が強く、こういうこじんまりとした部屋が好きな自分にとってはまさに最適な場所。
実を言うと、大通りに面した母屋の客室は後述の通り他にあるのですが、向こうはエアコンがないので夏の時期だと過ごすのが少々大変だとのことでした。こちらの4号室は明治時代に建てられた母屋で唯一エアコンがある部屋です。
この日の宿泊者は自分だけということで、別棟の大正時代の客室と好きな方を選んでくれと言われ、せっかくなので古い方をということで母屋の方に決めました。あえてこちらに選ばせてくれるという点が嬉しかった。女将さんに感謝。
4号室は外に面している部分には窓があって、この窓のすぐ外は昔ながらの雨戸になっています。泊まった日は風がめちゃくちゃ強くて雨戸が必須でしたが、翌朝はそこまででもなかったので自分で雨戸を動かして外を眺めたりしてました。
先程話した、大屋旅館の前の通りに面しているのがこの客室。
大きな床の間を備えている広い部屋で、日当たりもいいことから採光は十二分にあります。隣の部屋との仕切りも襖戸という造りになっていて、しかも天井が高い。部屋の真ん中にある机の周りには絨毯が敷かれており、実に居心地のいい部屋でした。
障子戸を開ければ、ダイレクトに外の風が入ってくる。
客室のすぐ外側は欄干付きの狭い廊下が通っており、そのすぐ外側にはガラス戸ではなく雨戸があります。現役で雨戸が用いられている家屋や旅館はかなり数が限られていますが、この大屋旅館では普通に現役というのが驚きでした。特に投宿した当日は風がものすごく強かったこともあって、全面にこの雨戸が張り巡らされていたのを覚えています。
確かに便利さでいえばガラス戸の方が勝っているものの、風に対する耐性という意味では雨戸の木板の方が圧倒的に強い。
この狭いスペースの見通しの良さがまた良くて、欄干は高さが低くて視界の妨げにならないし、その上には文字通り何もない空間が広がっている。ここから眺める大通りの景色は広々としていて、この眺めの良さは昔から変わっていないんだろうなと考えると趣き深い。
雨戸は母屋2階の正面から左側面の一部までを覆っており、母屋2階の客室を守っています。裏面を見ると雨の浸水で変色した箇所もあって、古くから使われていることが分かりました。
洗面所とお風呂
母屋2階の次は、1階に下りてさらに奥へ向かってみます。
食事部屋を過ぎた先の曲がり角を曲がった先に洗面所とお風呂があり、ここ周辺の造りが思いっきり洋風で驚きました。
窓枠やドアは洋風建築のそれだし、床にはタイルが敷き詰められている。洗面所は横に長い形をしており、ここにもタイルがあてがわれています。曲がり角を曲がる前までは完全に和風な建築だったことを考えると、ここだけ後から洋風にしたのは間違いない。
洗面所のすぐ横の箇所から奥に続く別棟が大正時代建築な背景もあるし、別棟を建てるときに洗面所やお風呂周辺も一緒に改築したのではないかと思います。そう言われてみれば大正時代=洋風というイメージがあるし、その時代に応じた改築を施したのかもしれません。
洗面所の蛇口は「水」「湯」に分かれていて、水が流れる部分はタイルの上に細長い木の棒が敷き詰められています。細かい点ですが、どこか温かみを感じるようで使っていて落ち着く雰囲気がありました。
蛇口が取り付けられているタイルの周辺だけ色が白色ではなく、グラデーションのように変色しているのが美しい。もしかして意図的に細工したものなのかも。
洗面所の横にあるお風呂はこんな感じ。
ドアを開けてすぐが脱衣所になっていて、脱衣所と浴室の境界がないシンプルな造り。お風呂場も洗面所と同じく、窓枠やガラス戸が大正チックです。広さも旅館の割には広く、複数人が一度に入っても問題なさそう。
鄙びた旅館って建物自体は明治時代だったり大正時代を歴史を感じる建築であるのに対し、生活する上で重要になるトイレやお風呂場は近代的に改装されていることが多いです。大屋旅館ではその流れを組みつつも、新しめに改築する部分は最小限に留めているというのがいい。
おかげでこの洋風な雰囲気と和風な客室のギャップを楽しむことができて、何よりも味があって感動しました。
別棟の散策
客室
母屋の散策はこれで終了。
この後は、母屋の奥にある別棟に行ってみることにしました。
母屋と別棟は明確に分かれているわけではなく、母屋の中から連続的に別棟へと繋がっています。
なので、ここからが別棟ですよと言われないと正直気が付かないレベルでした。廊下の造りや障子戸の感じもそこまで明確に差を感じ取れず、場所によっては廊下の板が新しくなっているかなといういう程度です。
そこからさらに奥に進むと別棟2階の客室があります。
別棟2階の客室はいずれも、廊下や隣の部屋との仕切りは障子戸一枚のみ。それらの客室が横一列にズラッと並んでいて、しかも廊下も長いものだから奥行きを感じさせます。
この廊下からは神社の参道がよく見え、例えば昔にも同じように参拝客をここから眺める人もいたと思います。朝方とかに神社への参拝を日課にしている人も実際に多いし、なんというか旅館に滞在している中でも周囲の町の生活感が視界に入ってくるのはグッときます。
その廊下の奥からは、中庭と宴会場が見渡せました。
表側からだと想像できないくらいに中庭は広くて、こうして宿泊しないと分からない部分が旅館にあるという点も素敵。自分は旅館に投宿する際に必ず外観の確認からはいるけど、あれはこういう屋内から見た景色との比較を行うためでもあります。
別棟1階の客室や廊下はこんな感じです。
別棟1階には洗面所前の廊下を奥に直進すると行くことができ、こちらもいくつか客室がありました。一番手前側の客室は2階と同じく中庭に面していて、さらに参道側に通っている廊下にはまるで広縁のように椅子や机が置かれています。
別棟1階部分の客室は実質的に一部屋のみで、参道側の廊下を出入りする人は少ないことからのような配置にしているのではないかと思いました。こうすれば間接的に広縁を確保できるので、客室として更にまったりできる感じになっています。
旅館というものは単に屋外からみた時と、屋内の散策時とで得られる情報の量や密度があまりにも違いすぎる。この大屋旅館に限って言うと、まず別棟がここまで広いなんて分からなかったし、洗面所やお風呂が洋風だったなんてことも知らなかった。
仮に存在を知らないで町並みの散策時に発見して「古くて雰囲気あるな…」と思ったことがあったとして、それだけで終わらせずに実際に宿泊してみるのがやっぱり面白いです。
宴会場
最後に訪れたのは、洗面所から別棟1階の客室に向かう廊下の途中から分岐している宴会場です。場所的には中庭の左側にあって、棟としては1階建て。なので廊下も1階部分しかありません。
宴会場へ続く廊下は明るくて、そこにソファが置かれていてくつろぎ感があります。
宴会場は三間続きの大広間となっていて、襖を取り外すことで人数に応じた広さにすることが可能。天井も高く取ってあって、中庭に面していることからロケーションは最高といえます。
古い旅館に大広間が付いているケースは過去にも遭遇したことがありますが、どういう経緯で大広間を付けるようになったのかは気になるところです。すでに客室はあるので、それに加えて大人数で集まれる部分を後付するというのが多そう。
後は、その旅館が町の中心的な存在になっているケース。
宴会をする=大きい厨房が必要、となれば普通の民家では難しいし、そもそも大広間を追加する金もない。しかも騒いだ後は大抵深夜で、そこから客を寝泊まりさせるとなれば客室を備えた旅館が最適となる。なので、旅館に後付で大広間を備えるケースが多いんじゃないかと感じました。
夕食~翌朝
ひとしきり大屋旅館を散策し終わったところで、時間は夕刻。
食事処に移動して夕食を取りました。
夕食の献立はこんな感じです。予約の際に料金プランを聞かれ、高いプランだと品がいくつか増えるようでした。
古い旅館で地酒に酔うという経験は、今も昔もやってることは変わっていないというのが個人的にはしみじみとしてしまう。
その後は布団を敷いて就寝。
翌日の天気は快晴になってくれて、投宿後は色んな意味で晴れ晴れとした気分になれた。
おしまい。
コメント
コメント一覧 (1件)
いつも素敵な紀行、楽しく拝見させております。
千葉県内房に住んでいるのですが、たまさんのこの記事でこんな素敵な宿が近所にあることを知り、大屋旅館さんに泊まってきました。
3月とはいえまだまだ寒い時期、部屋には炬燵が備え付けられており、宿の歴史と炬燵の暖かさに包まれながら過ごす時間は非常に素晴らしいものでした。
これからも色々なお話伺えるのを楽しみにしております!