今回は、青森県黒石市にある温湯温泉の後藤温泉客舎(後藤客舎)に泊まってきました。この宿に泊まった理由は明確で、余計なことを考えずに湯治を味わってみたかったからです。
温泉を楽しむ手段の一つとして、湯治というものがあります。1日や2日といった短期間ではなく、数週間から一ヶ月程度の長い期間に温泉地に逗留し、温泉の効能を期待して病気の療養を行う行為、というのが湯治の本質です。
昔は温泉に入りに行くといえば湯治が主流だったのが、医療の発達や近代化に伴って近年ではそのような習慣もめっきり少なくなり、同時に湯治向きな宿というのも次第に姿を消していきました。
しかし気候的な意味で温泉が似合う東北地方には、湯治文化やそれを実現させてくれる魅力的な宿がまだ残っています。今回訪れた温湯温泉も、そんな場所の一つでした。
温湯温泉街と現代の湯治
黒石市街から酸ヶ湯温泉方面へ向かう国道102号から道を一本入り、「温湯温泉」と書かれたゲートをくぐって温泉街方面へ。
温湯温泉は黒石市を流れる浅瀬石川沿いに点在する黒石温泉郷の西に位置しており、開湯はおよそ400年以上前と伝えられています。なんでも、鶴が葦原で片足を付けて傷を癒していたことから発見されたんだとか。
その中でも後藤温泉客舎は明治維新の頃にはすでに存在していたと言われるほどの歴史を誇る客舎であって、昭和や大正の湯治文化を色濃く残している宿です。それでいて温湯温泉最古でもある客舎ということで、そこに泊まれるとなれば必然的に興奮してくるのが自然というもの。
湯治向けの宿、いわゆる湯治宿の特徴を簡単に説明すると、食事は基本的に自炊で宿側からの提供はなく、身の回りの支度などは全て自分で行うという形だと自分は認識しています。つまり宿側はあくまで客が宿泊する場所の提供はするが、それ以外のことは客がやってねというのが湯治の基本といえるでしょう。
この温湯温泉では古くから客舎と呼ばれる宿が基本になっており、これは内湯を持たない湯治宿のことを指します。
この名前は青森県独自のものだそうで、他の地域では見られない特徴の一つ。客舎は温泉地の中心に位置する外湯(共同浴場)を取り囲むように複数箇所が営業していて、客舎に宿泊する客は普段は客舎で過ごして、温泉に入りたくなったら共同浴場に入りに行くことになります。
温泉客を一箇所に集めるという意味では非常に合理的だし、客舎についても客側が自分であれこれする方式というのが実に分かりやすい。この客舎も時代を経ていくに連れて徐々に営業をやめるところが多くなっていて、今回泊まった後藤温泉客舎が温湯温泉では最後に残った貴重な客舎となっています。
外観
というわけで、まずは外観から。
温湯温泉の入り口は先ほど述べた通り国道102号から右に逸れたところにあって、温泉街はその先の下り坂をゆったりと下っていった先にあります。温泉街の中心部には共同浴場である鶴の名湯が位置し、後藤温泉客舎は進行方向左手にある建物がそれです。
建物としては非常に古いものなだけあって、横方向に幅広い長屋のような構造をしています。周囲に位置する他の建物が軒並み2階建てである分、ここだけ文字通り時代が違うような雰囲気がありました。
館内散策
玄関~泊まった部屋
その後は玄関にあるインターホンを押して女将さんにお会いし、一通り宿の説明を受けました。
基本的に女将さんはこの建物の奥側にある家屋にいらっしゃるようで、逆に言うとインターホンを鳴らさない限りこちら側には来られない様子です。後は全部自分でやってねという湯治のスタイルがここでも感じられて実に良い。
料金については、先程書いたように客舎では自炊が基本(素泊まり)なので、宿泊料は¥3,500と非常に安いです。場合によっては朝食を用意してくれるケースもあるみたいで、電話予約の際に伺ってみるのが良いかも。
今日は自分以外に宿泊者がいないということでロードバイクを屋内に置かせていただき、改めて後藤温泉客舎の玄関口を見渡してみる。
客舎の構造としては非常にシンプルで、玄関土間が左右に広がる各部屋の前まで続いており、客はそこで靴を脱いで部屋に上がる流れになっています。
土間と部屋の間には縁側のような腰掛けるスペースもあり、とにかく外と中との移動がしやすいというのが第一印象でした。一応その境界みたいなものは存在はしているものの、移動がまったく苦にならないほどスムーズにできる。
各部屋にはそれぞれサンダルが常備されていて、目の前にある鶴の名湯に行くのもお手軽にできるのがいいですね。
お部屋はこんな感じ。
部屋の片隅に畳まれたお布団、年月が経ちすぎて変色したり穴が空いたりしている襖、木材の重厚感、紐で延長された電球の明かりスイッチ、部屋の入口にある障子戸の奥側と手前側(部屋側)の一体感などなど。
まさに旅行でなく旅の途中に一夜を過ごすのにあてがわれたといっても過言ではないくらいに、隅から隅まで良さに溢れています。こういう空間にいると自然と力が抜けていくような感じがして、居心地が本当にいい。
湯治宿というくらいだから一部屋の広さはそこまで広くないのかなと思ってましたが、布団を常に敷いていたとしても普通に生活するには十二分なくらいの広さがありました。
しかも部屋からすぐ外が見えるというのが逆によくて、外を行き交う温泉客をここから覗いたりしてました。逆に言うと向こうからもこっちがとても視認しやすくて、実際に外から見てみるとよく分かります。本当に丸見え。
部屋の配置としては玄関を入って左右に3部屋ずつあって、それに加えて客舎の前にある表通り側と、中庭側(奥側)の2列分あります。つまり合計で12部屋+α。
客舎は今まで自分が泊まってきたような木造旅館とは明らかに様相が異なっていて、それが一体何なのか、ここに到着してからずっと考えていました。
宿泊に特化した構造でかつ共同湯に必ず入りに行く形式上、最も求められるのは屋外に行きやすいこと。そうした他の温泉にはない要素がこの特殊な雰囲気を生み出しているというのが一応の結論です。前者だけなら他にも似たような場所は多いものの、「内湯が無い」というのはあまり見たことがない。しかも平屋で横方向に広いので部屋から出てすぐにサンダルに履き替えることができるし、そのまま平面を歩いていけば温泉に到着できてしまう。
そう、まさにこれは温泉を味わう上でお手軽そのもの。
例えばこれが2階建ての2階部分に泊まっていたとすると、部屋と温泉との間に階段の上り下りが生じてしまう。年齢によってはそれが結構辛かったりするし、それによって温泉に行こうという意欲が減退してしまっては元も子もない。
その点では、この後藤温泉客舎は部屋から温泉までの間に移動を阻害するようなものが何もない。あ、ちょっと温泉行くかという思いが生じた瞬間に行くこともできてしまう。部屋から温泉までの移動所要時間が約10秒ということを踏まえると、本当に湯治のためだけに生まれた宿という印象が強いです。
建物裏側
部屋で浴衣に着替えたところで、ちょっと館内を散策してみることにしました。
まずは玄関正面にあった通路をそのまま直進し、中庭側へ進んでみる。自分が今回泊まっている表通り側とは反対側にも部屋があって、その部屋への出入りは中庭側の土間を使う形になっています。こうしないと中庭側の客は表通り側の部屋を通らないと外へ行けません。
こちらも同じように土間と部屋との間に縁側っぽい部分があって、中庭側の方がスペースに余裕があるためなのか、縁側というよりも通路みたいに広々としてました。表通り側の部屋だとなんだかんだで人の目につくし、それが嫌という場合は中庭側の方がいいかもしれません。
中庭側には部屋の他に生活スペースが配置されていて、左奥にはトイレが、右奥には自炊する場所があります。
自分が泊まった部屋には元々冷蔵庫がありましたが、自炊する場所にも冷蔵庫はあったので食品の貯蔵については特に心配する必要はなさげ。ただ周辺には買い出しができるスーパー等がないので、一度黒石市街の方に出る必要があるかもです。
今回は時期が中途半端だったけど、今度やりたいのが極寒の季節に訪問して、ここで鍋をすること。そんなの絶対美味しいでしょ。
表通り側からだと全く分かりませんが、客舎を奥に進んでいくと中庭があります。
しかもそのまた向こうにはもう一つ建物があって、こちらは女将さんの住居になっているみたいでした。先程玄関でインターホンを鳴らした際は、あちらから出てこられたんだと思います。
しかし、この客舎から中庭へ通じるガラス戸がとてつもなく硬いです。下手をすると割れてしまいそうなので慎重にやったところ、開けるのに2分くらいかかりました。女将さんだけが知っている開け方のコツとかがあるのかも。
温湯温泉街を歩く
一通り館内を散策した後、お次は温泉へ行くついでに温泉街を散策することにします。
時間的にはそろそろ食事をどうするか決めなければならないところ、今回は昼食を結構食べ過ぎたこともあって夕食は抜きました。
かつて温湯温泉には後藤温泉客舎以外にも客舎がありましたが、今でも営業を続けているのは後藤温泉客舎だけとなります。
その他の客舎も建物自体は残っていて、中を見るとタオルや服が干されている。つまり中で誰かしらが生活されているのは間違いないものの、玄関に特に何も掲げられていないので既に営業はしていないのが見て取れました。
中から人が出てきて温泉に向かっているところまでは確認しましたが、どうやら昔営業されていたご主人や女将さんだったのではないかと思います。
そんな中で自分がいずれ泊まってみたいと考えている宿が、後藤温泉客舎から温泉を挟んで表通りの反対側に位置する飯塚旅館です。
こちらは温湯温泉の中で内湯を唯一持っている温泉宿で、なんと食事の提供もあります。加えて木造建築ならではの重厚感が全体に溢れていて、事前情報無しでもこの外観を見たら泊まりたくなってしまった。
温泉街の中にはお店が少ないものの、温泉の目の前にある土岐商店はちょっとした買い出しに重宝するところです。
ここは温泉街では唯一営業されているお店で、お酒やカップ麺等があるので軽食を取ったり酒を調達するのに便利でした。夜は21時まで営業されているようです。
温泉街を歩くにつれて、温湯温泉は本当に鄙びた要素が満載だということに改めて気づく。
営業を辞めた客舎もあれば、商店も一箇所以外は営業してません。温泉に訪れる人といえば近隣の地元の方が99%くらいで、誰もが車で訪れて駐車場に車を止め、ひっきりなしに温泉に入っていきます。今でも湯治文化が残っているとは言っても、今後ずっとこれらが残っていくかというとちょっと厳しい。
その一方で、温湯温泉は疑いようもなく地元に愛され続けている温泉でもある。
あくまで自分が触れたいのは現在進行系の全国各地の生活風景であって、すでに無くなったものにはそれほど惹かれるものがない。温湯温泉は全盛期を過ぎたのは確かなことですが、そこには自分がこの目で見ている通り、地元の方が多く入りに来ている。
湯治宿としての客舎はその傍らでひっそりと営まれているというのが今の姿であって、そんな鄙びた空気の中で過ごす時間がたまらなく愛おしく感じてくる。やっぱり今回の旅の宿泊地をここに決めて良かった。
その後は、完全に寒くなる前に温泉へ。
鶴の名湯はいわゆる銭湯みたいな感じで、備え付けのボディーソープやシャンプーはないので必要なら受付で買いましょう。基本的には「お風呂セット」を持参する必要があり、ここを訪れる人はみんな持参してました。
お湯については「温湯(ぬるゆ)」と呼ばれるくらいなのでぬるめなのかな?と思ってましたが全くの逆で、むしろ結構熱めでした。ただめちゃくちゃ熱いのかというとそうでもなく、この時期の肌寒い青森にはちょうどいい感じというのが個人的な感想です。ちなみに源泉温度は52℃で、泉質はナトリウム・塩化物泉。
入ってる人は全員が年配の方で、ほぼ全員が顔見知りっぽい様子でした。
しかも会話が津軽弁バリバリなので、傍から聞いていても内容が30%くらいしか理解できない。年代的にも言葉的にも、なんか異国の地に来たみたいな錯覚を覚えてしまう。でも別の地域の方言を聞くと、ああ自分は今はるか遠くの県にいるんだなという思いになるから好きです。それがダイレクトに実感できたので、むしろ嬉しくなってました。
夜の時間~翌朝
温泉に入った後は、湯冷めしないようにすぐに部屋へと帰還。
客舎と温泉が近いというのは本当に優れていて、温泉地で外湯めぐりをしているときに気温が低いと宿に戻るまでに身体が冷えてしまうことがありますが、ここではそれがありません。
すでに布団は敷いてあるので、眠くなったらすぐに寝られる。
普通の旅館だったら食事の時間も決められているし、食事から戻ってみたら初めて布団が敷かれているというのが一般的。でも、ここではそれらを全て自分のタイミングで決めることができる。
お腹が空けば自炊をするし、寝たくなったら布団を敷いて寝ればいい。湯治という言葉に隠されてはいるものの、この宿泊形式は限りなく自由をもたらしてくれるのが何より素晴らしいです。
もちろん他の部屋に宿泊者がいれば過ごす中で気を使う必要はあるけど、今日は自分一人なので気兼ねなくのんびりできる。自分でも良いタイミングで泊まれたな。
夜は再度温泉に入りに行き、日中の散策の際に見つけた土岐商店で酒を買って、部屋に戻って外を眺めながら飲んでました。
他のどこでもなく、この部屋で酒を飲みたかった。
その後は徐々に眠くなってきたので20時頃に布団に入って、気がついたら寝てました。
目の前は大通りだし温泉もあるしで音が心配でしたが、この時間になると人の出入りも多少落ち着いてきて問題なかったです。部屋のカーテンの遮光性がかなり高かったのも良かったね。
翌朝は4時くらいに目が覚め、5時から入ることができる温泉の準備をしようとしてました。
が、今朝の気温がとんでもなく低い。もう4月下旬ということで完全に油断していたところ、さすがは東北。朝方の最低気温はなんと2℃で、布団から出た瞬間に寒くて震えてくる始末でした。
速攻でファンヒーターを点け、冬場の猫みたいにファンヒーターの前から動けなくなってしまう。
ライドが始まってしまえば身体が温まるので大丈夫だけど、その前の段階だともうどうしようもないです。ファンヒーターの存在が途端に頼もしく思えてきて、布団とファンヒーターの前を言ったり来たりしてました。
5時になったので温泉へ行くとその寒さはあっという間に解決。状況が状況なので、朝風呂の気持ちよさが何倍にも増幅されました。
今日は出発時間が早いのでそろそろ宿を後にしようかと思ったけど、女将さんはまだ起きてない様子でインターホンを鳴らしても反応がない。
机の上に少し余分にお金を置いておいて、昼前頃に電話してお金を置いておいたことを報告しました。
おわりに
後藤温泉客舎での一夜はこれにて終了。後藤温泉客舎で過ごす時間は他では味わえないほど素敵なものだったし、特に少人数や自分のような一人旅スタイルの場合には向いているんじゃないかなと思います。
古い建物が好き、あるいは静かな場所で温泉と宿泊を楽しみたいなど理由はなんでもいいです。何よりも後藤温泉客舎に泊まって、この客舎という文化を味わってほしいと感じました。
おしまい。
【追記】
※2022年に、同じく黒石の温湯温泉に位置する飯塚旅館にも泊まってきました。
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