冨士廼家旅館 大正元年創業 西予市卯之町の歴史ある木造旅館に泊まってきた

今回は愛媛県西予市にある冨士廼家旅館(ふじのや-)に泊まってきました。

JR予讃線の卯之町駅から1分程度のところに位置しているためアクセス性が比較的良いほか、西予市の観光名所である「西予市宇和町卯之町 伝統的建造物群保存地区」にほど近くて周辺の雰囲気が一致していることも印象的でした。近年では比較的新しい町並みの一角にとても古い宿がある…というところが多い一方で、近くに古い町並みが保存されているのは珍しい気がします。

もくじ

歴史と外観

まずは歴史について。

  • 冨士廼家旅館は大正元年(1912年)創業で、現在の女将さんの息子さんで4代目となる。
  • 建物は創業当時からほぼそのままの形で現代に至っており、中庭にある大小の石燈籠も当時のまま。石灯籠の堅牢さは地震(伊予灘地震のことだと思う)の際にもびくともしなかったほど。

次は建物についてですが、立地の時点でかなり特徴的です。

今まで泊まってきた旅館は玄関や建物の大部分が表通りに面していたのに対して、冨士廼家旅館が面しているのは人通りが多いとは言えない「路地」。卯之町駅の改札を出て信号を渡った先の通りから道を一本入ったところに建物があり、初見ではまず気づけません。

建物外観
本日泊まることになる、古びた棟
増築された車庫 兼 宴会場

建物外観の様子。玄関前の路地は奥にある家の前まで続いているだけで、そこから先は車が通れないくらいの細い道に変わっています。道の通り方や建物の場所は昔から変わっていないはずであり、創業当時からひっそりとした宿だったことが分かります。

建物の構成は次の通りです。

  • 玄関及び白い壁の2階部分がある建物(便宜上、本館と呼称):1階にフロントや玄関ロビー、厨房などがあり、2階に客室がある。
  • 右端に位置するかなり古そうな茶色の壁の棟:本日泊まる棟。1階が食事会場、2階が客室。
  • 本館から渡り廊下を経て左側に続いている棟:後から増築された部分。1階が車庫、2階が宴会場。

渡り廊下を経て道の反対側にも建物があるという広々とした敷地は、旅館が建っているところが通りと通りの中間地点という立地が関係しているようです(表通り沿いだったらそこまで敷地を広くとれない)。さらに本館奥にも別の複数の棟が接続されています。

玄関は通りに対して斜めに向いている

冨士廼家旅館の最大の特徴は、建物が複数の棟で構成されているという点。1階は廊下ですべて繋がっているのに対して、2階部分はその棟の階段でしか到達できません。従って2階から別の棟の2階の客室に向かうには階段を昇り降りする必要があります。

それぞれの棟には異なった特徴があり、どこの棟に泊まるのかも楽しみの一つかもしれません。今回は電話予約の際に「古くて雰囲気が良い部屋を…」とお願いしておきました。

また、交通量が多い駅前の国道56号からでは宿の外観すら全く見えない点が好きになりました。周りにある別の建物にすっかり隠れてしまっていて存在が秘匿されているような感じで、泊まってみないと詳細が分からない…ではなく、発見することも難しい隠れ家的な宿。

館内散策

本館1階 玄関~フロント~中庭

それでは玄関を開けて屋内へ。

玄関には那智黒の石が敷き詰められている
玄関土間

玄関を入ったところでまたしても驚いてしまった。

一般的な宿では玄関土間があって履物を脱ぐところが、ここでは土間部分がフロントの前まで続いていて土足のまま上がることができます。本来の意味での玄関土間についても角張った形ではなく円弧を描くような独特の形状で、しかも国産の那智黒石(碁石と同じ石)が全面に敷かれている。昔から1階部分はすべて土間だったのだろうか。なかなか見ない造りだ。

動線としては正面の水槽右横にある扉の先に今回泊まる棟があり、逆に左側に向かえばフロント、玄関ロビー、厨房や本館2階への階段などがあります。

玄関ロビー
フロント

フロント前は吹き抜けがあって開放感を感じられる。

2階への階段が螺旋状になっているほか、階段の上に飾られている牛鬼の頭のインパクトがすごい。玄関を入ってからここまでずっと土足可なのでシームレスに進むことができ、玄関で靴を脱ぐという行為がないのは思った以上に新鮮でした。

フロントの奥に厨房があって、旅館の方は基本的にこちらにいらっしゃるようです。

何度か呼びかけたのち、厨房から女将さんが出てこられたので宿帳を記入。そこから部屋に案内されるまでにお茶を出してもらえました。今日はかなり暑かったので冷えたお茶はありがたい。

靴箱は今日泊まることになる棟の1階にあり、棟の入口には中庭を経由することになります。

中庭へ
本館1階及び2階の外観と中庭の組み合わせが良い
廊下が直に中庭に面している
中庭全景

で、この中庭がまたかなり広くてびっくりしてしまった。ちょうど玄関ロビーの水槽や掲示物がある壁の向こう側に廊下が通っていて、さらにその奥が中庭になっています。

しかも中庭に面する廊下は建物の配置上2面あり、中庭の景色を異なるアングルから眺められるように工夫されていました。眺めるポイントが固定されていると奥行き感をあまり感じられないけど、廊下の配置を工夫することで広さを実感しやすいです。

手前側の廊下については中庭との間に仕切りが何もなく、例えば中庭を吹き抜けていく風や気温の高さ、さらには中庭の植物の様子を五感で感じることができる。利便性を考えればガラス戸などで仕切るところが、ここでは何もない点が風流で素敵だ。

廊下の造り
ここにも那智黒石が

廊下に着目すると廊下の全面が板張りになっているのではなくて、真ん中の板の部分と左右の土の部分に分かれています。屋外に直に接していることを考えると、こういう造りの方が管理が楽なようです。

でもこういう造りになっているおかげで上を歩くだけでも楽しいし、また玄関を入って中庭に至るまでの経路のすべてで「屋外」の存在を強く感じられる。屋外なら屋外、屋内なら屋内という風にはっきり分かれているのとは異なり、自然を愛でるという意味で斬新な造りだと思います。

建物は中庭の奥へさらに続いており、その一部が見えています。

石灯籠(小)
石灯籠(大)

上に述べた石灯籠の話を女将さんに伺った際、ご厚意で中庭まで案内してもらえました。

石灯籠はその名の通り天然の石を使用した灯籠で、冨士廼家旅館の石灯籠は自然のままの石を加工することなく活用しています。(小)の時点で人間が抱えるには相当困難そうな大きさをしていますが、中庭の奥にある(大)の方はもっと巨大でした。ここまでがっしりとしているのなら確かに地震がきても心配ないですね。

泊まった棟 1階~2階

館内を散策していく前に、まずは本日泊まる部屋に向かいました。

部屋自体は棟の2階にあるのですが、棟の1階はその棟に宿泊する人の食事会場になっています。従って本日は棟ごと自分一人で利用できるというわけです。なんて贅沢な体験なんだ。

例えば部屋が廊下の最奥部にあって、この廊下から先は自分だけのスペースという感じで優越感に浸ることは他の旅館でも可能。でも棟自体を貸切状態で使用できるのは、複数の棟が独立しているこの旅館特有の良さだと思います。

棟への入口の様子はこんな感じで、向かって右側の戸が2階への階段、左側の戸が1階へと通じています。

通常なら建物への入口は1箇所で、2階への階段は建物内部に設置するのが一般的なはず。それぞれに部屋名が記されているとおり昔は1階の部屋も宿泊用に供していたのは間違いないですが、この地点で動線を完全に区切っているところにこだわりが見られる。

戸の前から見た中庭。池の水は抜いてあります。

2階への階段
中庭に面する廊下はここまで

1階の戸のすぐ脇に靴箱がありました。

改めて見てみると階段だけ独立している造りはとても珍しいし、戸を開けてすぐ階段があるという流れも珍しい。ましてや屋内である階段のすぐ手前まで靴のままアクセスできる点も新鮮です。

これは一般的な旅館の造りとはもちろん異なり、街道筋の大人数を泊めるための旅館とも異なっている珍しい構造だと思います。大正時代の建築当時にどういう設計意図があったのか気になるところだ。

1階には食事会場となる「楓」の客室があるのみで、あとは廊下だけのシンプルな造りです。


さて今回泊まったのはこの棟の2階「紅梅」の部屋で、階段を上がった先に客室及び洗面所・トイレがあります。さっきも書いた通り、2階に上がる階段の時点でこの日は自分しかここを通りません。まるで温泉旅館で貸切風呂に入っているかのような特別感がありました。

あと、紅梅の部屋の鍵は客室そのものではなくこの階段に設けられています。階段から上の全体がすべてが客室扱いになっている点も素晴らしい。

2階へ上がる

階段の途中には、階段側面に設けられている戸棚の戸が顔をのぞかせていました。

廊下の木材の古さ

階段は踊り場なしで途中から左側に折れ曲がっており、さらに2階へ上がったところの手すりは必要最小限しか設けられていません。このように小さな手すりは古い建物でよく見られますが、気をつけていないと落ちそうになります。

階段向かって左側の壁には手すりが設けられておらず階段横の壁と2階廊下が面一になっている点、階段内角側のステップが扇形になっていて外側を歩かないと踏み外しそうになる点など、凝った造りというよりは建てやすさを重視したシンプルな痕跡が見られました。

廊下には大きな座卓が保管されている

廊下の配置は1階も2階も同様で、表通り側と中庭側にL字に通っています。

階段を上がって正面奥に洗面所とトイレがあるため、わざわざ1階に降りる必要はありません。これも結構珍しい気がして、かなり古い建物にも関わらず水回りが2階にも整備されていました。

洗面所とトイレはこんな感じで、外観を確認したときに見えた出っ張りの部分に位置しています。洗面所はタイル張りになっていました。

窓が大きく、明るい廊下

階段前まで戻り、今度は左へ進んでいくと泊まる部屋があります。

廊下と客室の仕切りは障子戸になっているのに対し、廊下の右側はすべてガラス窓。これによって十分な採光を確保することができ、特に朝方は東から差し込んでくる日差しで室内がすぐに明るくなりました。

また廊下は広縁のような扱いで、ソファや椅子が置かれていてくつろぐことができます。

中庭を見下ろす

そして私が冨士廼家旅館の中で最も好きになったアングルがこの廊下からの眺め。先ほど通ってきた中庭だけではなく、中庭からだと認識しづらかった他の棟の様子がここからだとよく分かりました。

真正面に見えるのが本館2階の客室廊下、右側に見えるのがまた別の棟の客室です。つまり自分が今いる棟も含めて、中庭を囲むようにして建物が配置されていることがここからだと分かりやすい。この建物の密集具合がとても好きだ。

控えの間
押入れの様子

廊下からの眺めを堪能したところで、障子戸を開けて室内へ。

「紅梅」の客室は本間8畳と控えの間6畳から構成されており、手前側が控えの間、奥側が本間となります。後者は寝室として使用することになりますが、それぞれの部屋にエアコンがあるため暑い夏場でも寝るのに問題はありません。

本間

本間は床の間がある格式高い部屋で、部屋の4面のうち2面が障子戸になっていて比較的明るいのも特徴の一つ。昔は別々の客室として利用されていたところを、現代では両方とも使えるという形です。

設備はエアコン×2、テレビ、金庫、内線、換気扇、お茶セット、Wi-Fiがあり、アメニティは浴衣とタオルがあります。

窓からの眺め(東方面)
窓からの眺め(南方面)

本間から中庭を眺めてみたところ、かつて中庭に池があったことが分かりやすかったです。また石灯籠(大)がちょうど真下にあります。

しかしこうして見ると、国道側から旅館の建物が全く見えない理由がよく理解できました。国道と旅館の間には何らかの別の建物が建っているため道路のレベルからだと本当に見えません。

そんな隠された土地に実はこんな素敵な旅館が建っていて、自分はそこの部屋から広縁と中庭を眺めている。何しろ滞在中に車の往来が視界に入ることがなく、目に入ってくる情報の大部分が古い要素なんですよね。

例えば新しい町並みの中でその旅館だけ古い…という状況だと、古い旅館に泊まっているのに現代の要素をすぐそばに感じてしまって雰囲気にあまり浸れなかったり、かつては徒歩のみだった表通りの往来に自動車が通るようになったことで音の問題も気になってくる。でも冨士廼家旅館では「外界から切り離された環境」+「部屋からの眺めが中庭側を向く造りになっている」ことによって古い雰囲気が保たれている。

本館1階 廊下~客室群~お風呂場

自分が泊まっている棟の散策はこれで終了。続いては玄関ロビーに戻り、本館を歩いていくことにしました。

さらに奥へ
大正ガラス

厨房前の廊下を奥へ向かうと、中庭に沿って廊下が続いています。中庭が見えなくなったあたりを境にして本館から別棟へと切り替わっており、すぐ右側に客室がありました。

なおここに限らず、冨士廼家旅館内のガラス戸は建築当時のままの大正時代の大正ガラスが残っています。斜めから見るとゆらゆら揺れているように見えるのが特徴です。同じ中庭でも、直に眺めるのかガラス戸越しに眺めるのかで印象が随分違う。

1階の客室
別の中庭

右側の客室を通り過ぎると、今度は向かって左側に別の中庭が見えてきました。

こちらは建物と建物の隙間を埋めるようにしてこじんまりとした木が植えられていて、中庭を通り過ぎたから今後は屋内の薄暗さが目に入ってくる…と思っていた自分としては予想外。中庭の四方をガラス窓が囲んでおり、この小さなスペースに頭上から自然光が降ってくるのが堪らない。

中庭からの動線は3方向に分かれ、直進するとさらに別の棟、右へ向かうと1階及び2階の客室、左へ向かって中庭の反対側に行くと洗面所やトイレ、風呂場があります。

客室についてはいずれも綺麗に整備されており、いつでも泊まれる様子でした。

中庭の濡れ縁を通って反対側へ

お風呂場はこんな感じです。脱衣所に洗濯機や乾燥機が置かれているので、例えばお遍路で泊まる際には重宝すると思います。

一番奥の棟へ

中庭前廊下の分岐に戻り、正面に歩いていくと一番奥の棟に着きます。この棟の手前では廊下が板張りから石敷きへと変わり、入口付近からそのまま中庭まで歩いていくこともできそうでした。中は客室というよりは小宴会場のような造り。後述する大広間の棟と同様に、宿泊以外の用途で増築されたのかな。


ここまで館内を歩いてきて感じたことは、厨房前の中庭、風呂前の中庭、そして最奥の部屋前の小さな庭も含めて「屋外」を感じさせるポイントが多く、広い敷地の中で建物と庭とのバランスが考えられているという点。完全に屋内だと認識できる箇所は少なくて、館内のいたるところでたくさんの植物を眺めることができます。

うまく説明できないけど「部屋や廊下の窓から遠くに山や川が見える」のとは少し違っていて、手を伸ばせば届きそうな範囲に植物がある、という適度な距離感が良いんだろうな。

本館2階~大広間

1階の散策は以上で、続いては2階へ向かいます。

正面と右側に客室
左側に大広間

階段を上がって2階に到着。

ここから右へ進むと自分が泊まっている棟から見えた本館2階の客室へ、正面には洗面所、トイレ及び別の客室があります。左へ向かうと渡り廊下を経て大広間へと続きます。

建物を構成する他の棟と合わせて、客の動線が平面方向だけではなく上下方向にも組み合わさっているのが散策の楽しさを倍増させている。大きな旅館だったら一つの棟に客室が集まっていて動線自体がシンプルになっているのと比べ、建物各所に客室が分散している造りが動線の多さに繋がっています。

洗面所の奥と裏にそれぞれ客室がある

2階上がってすぐのスペースは各所への分岐点になっているためか広くとってあり、窓から差し込んでくる自然光の多さもあって窮屈感がありません。

ここから本館左側へ歩くとまず扉があり、その先は中庭に面した周り廊下になっていて内側に「藤の間」という客室が一室あります。歴史ある造り等を考慮すると、藤の間はおそらく本館の中でもっとも古い客室なんじゃないかと思います。

なおここも扉から先が客室のスペースとして扱われ、奥の廊下には椅子が置かれていました。

藤の間の室内
床の間は松の一枚板

こちらが客室内の様子です。正面に床の間と付書院が設けられている豪華な造りで、女将さんによると床の間には松の一枚板が使用されているそうです。

昔の建物は建物外周に廊下が通り、その内側に客室がある配置になっているのが特徴の一つ。なので部屋そのものが屋外に面しているわけではないけど、ここ藤の間については2面がガラス戸として屋外からの光を得ているため薄暗さはありません。

とても好きな造り

藤の間一帯は窓の木枠や廊下の床板、さらに室内までもが建築当時のまま保存されていて非常に見応えがありました。今度また泊まるとしたら藤の間を指定したいですね。

特に好きになったのは壁一面がガラス戸になっている点で、壁が一切なく屋外の様子が見えやすいのが理由です。これは耐震性能等が重視される近年の建築物ではまず見られない造りであり、創業・建築当時のままの建築物に泊まれるのが実に良い。


最後は、渡り廊下を渡って大広間方面に向かってみました。

渡り廊下上から玄関前を見る
反対側。車が通れないほど道が細い
手前が大広間
奥が小広間

この棟は手前にステージ付きの大広間、奥に小広間があります。ステージ脇の冷蔵庫には各種飲み物が冷やされていたことから全く使われていないわけではなく、定期的に催しものや会社の宴会等で使用されているようでした。

旅館の中には最初から大広間付きで建築されるものとそうでないものがあって、冨士廼家旅館では後になって棟ごと新しく増築したっぽいです。

夕食~翌朝

今回泊まったのが夏真っ盛りの時期ということで、お風呂にいった後は部屋でエアコンの風に吹かれながら過ごしていました。夕方になっても気温がそんなに変わらないのが近年の辛いところ。

夕食は階下の「楓」の部屋に準備してくれます。

「楓」の部屋には上の写真のようにふぐ料理の案内があり、宿泊や宴会用途に加えて食事のみのメニューも取り扱っていることが分かりました。確かに古い旅館だけでずっと営んでいくのが難しいと思うし、時代の流れに合わせて柔軟に経営の多角化をされているようです。

夕食の内容

夕食の内容は以下の通りです。

  • 刺身はサザエ、カツオ、ヒラメ、えんがわ
  • 宇和牛の鉄板焼き…特製のたれにつけて食べる
  • はまぐりの土瓶蒸し
  • ふかの湯ざらし(サメ):白身魚と同じくらい淡白な味わい
  • う巻き卵ご飯…ウナギとその出汁が染み込んだご飯を卵焼きで巻いたもの
  • タイの兜煮:とてもデカい

自分は旅館宿泊前の下調べを極力しないようにしているけど、そのおかげで初めて見る建物の造りや食事の内容がとても新鮮に感じられる。西予市は海にも山にも近いため両方の幸が楽しめそうだと宿泊前に予想しており、まさにその通りになってくれて嬉しい。

夕食の量が想像の2倍くらいあり、さらにタイの兜煮、う巻き卵やサメ料理といった珍しい品を味わえたことでより充実した時間となりました。こうして見てみると愛媛県の海の幸の豊富さがとてもよく理解できる。

食事のみのプランを扱っていることからも分かる通り、食事はいずれも丁寧に調理されていて美味しかったです。

夜の時間

夕食の後は館内をしばらく歩いた後、特にやることもないので布団に入って就寝。

太陽光が照りつけていた昼間の時間帯とは対象的に、人工的な明かりのみでほのかに照らされた館内の静寂感が心地よい。今日の宿泊者が自分だけということもあって静かに過ごすことができたと思います。

翌朝

急ぐわけではないので翌朝は遅めの時間に起床…する予定だったものの、日の出の時間帯に合わせて寝室内が明るくなってきたためいつも通りの時間に起きました。

なぜかというと、方角的に控えの間の丸窓から日光が差し込んでくる造りになっているんです。これが計算されたものだとするなら自然の明かりを有効活用する昔ながらの造り。それによって自然に朝を迎えられたというわけで、古い宿での体験としてとても嬉しいものだ。

朝食の内容

朝食ではご飯や味噌汁、煮物に加えて冷奴や目玉焼きが出ました。配膳のときに女将さんから「宇和町はご飯が有名」と教えてもらったのですが、その通りに朝食時に食べたご飯が美味しかった。

この日も昨日と同じように日中にある程度運動してから宿に向かう流れのため、朝食をしっかり食べられるかどうかは肉体的な疲労にも影響する。その点ではご飯をおかわりしすぎて朝の段階で満腹になったため、余力をもって一日を終えることができました。良い一日は良い朝食から。

そんなこんなで、冨士廼家旅館での滞在は終了。すでに高く日が上った宇和町を後にしました。

おわりに

冨士廼家旅館は西予市宇和町の古い町並みの中にありつつも、現代の喧騒からは切り離された時間の流れを感じられる旅館です。大正時代の建築を今に残し、現代に対応して宿泊用途に加えて様々な楽しみ方がある宿。徒歩、電車、自転車、バイクなど、移動手段を問わずに四国を旅する際にぜひともおすすめしたい旅館だと感じました。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマークやシェアをしていただければ嬉しいです。

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