岐阜県を走る #10 【高山~野麦峠】「あゝ野麦峠」ロードバイクで飛騨工女の足跡を辿ってきた

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乗鞍は閉鎖中

岐阜県では緊急事態宣言が解除されたものの、今まで通りの生活にすぐに戻れるわけではありません。生活習慣も変えなければならないし、仕事やプライベートも含めて感染症への対策が今後ずっと必要になりそうです。

岐阜県内をただ走るだけに限定するとそこまで自分への影響はないかなと思ってましたが、実はありました。それが毎年この時期に開山となる乗鞍の存在です。

乗鞍は岐阜側がエコーライン、長野側がエコーラインという名称でそれぞれ山頂付近の畳平まで道が走っており、そのうちスカイラインについては平湯峠のゲートが春になるとオープンになり、自転車で走って上まで行けるようになります。

今年は5月14日(金)にゲートオープンなのですが、緊急事態宣言の解除後も乗鞍周辺の施設は月末まですべて休業とのことでした。なので物理的に走れないことはないものの、行っても何も楽しめません。

ちなみに休業する施設は以下のとおり:

  • 県施設:畳平駐車場、鶴ヶ池駐車場、周辺の園地
  • 市施設:乗鞍バスターミナル
  • 国施設:飛騨森林管理署乗鞍森林パトロールセンター
  • 民間施設:乗鞍本宮、乗鞍銀嶺荘、乗鞍白雲荘

同じ北アルプスの上高地についてはバスの運行が一部再開されましたが、乗鞍についてはまだという感じです。

そこで、乗鞍に上れないんだったら乗鞍を麓から眺めればいいじゃない!と今回は前向きに考えて走るルートを決めてみました。もちろん下からただ眺めるだけだと面白くないので、乗鞍チックなヒルクライムも楽しんでいきます。

ここは高山市街地から少し南に移動したところにある久々野町。

はるか向こうに見える雪山が乗鞍岳です。

高山市といえば「古い町並み」が有名ですが、市街地を少し離れるだけで田園地帯が広がっており、人と接触しないで走るにはもうこれ以上はないというくらいポタるには最適です。

東西南北どこへ走っても山があり、かといって閉塞的な雰囲気は全くなくて田畑が延々と向こうまで広がってたりします。要は風景のスケール感が大きいということ。

ここ久々野町も風光明媚である点はもちろんのこと、さらに乗鞍を眺めながら走れるとなればもう言うことないです。

雲の広がり方が実に夏っぽい。

この日は朝方が雨ってて、晴れるか心配だったけど杞憂に終わりました。

ここで今回の目的地について。

今回上ることになるのは、乗鞍と御嶽山の間に位置する野麦峠(標高1,672m)です。

高山市街地の標高がだいたい570mくらいなので、単純計算で約1,000mのヒルクライムになります。乗鞍スカイラインとちょうど同じくらいの獲得標高だし、これで乗鞍を上ったことにしておくか(と甘い考えで走ったところ獲得標高が2,000mくらいありました)。

野麦峠を目指して

野麦峠といえば分かる方は分かると思うことがあって、飛騨地方の農家の娘が製糸工場で働く様を描いたノンフィクション文学「あゝ野麦峠」で知られています。

明治から大正にかけて岐阜県飛騨地方の農家の娘(多くは10代)たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た。吹雪の中を危険な峠雪道を越え、懸命に就業した。当時の富国強兵の国策において有力な貿易品であった生糸の生産を支えた女性たちの姿を伝えた。

実は今回野麦峠を走ろうと思った理由は乗鞍だけではなくて、○年前に小学校の学芸会で「あゝ野麦峠」をクラスで演じたことがあるという背景があります。当時は飛騨ってどこ?ってレベルで無知だったけど、この年になって実際に野麦峠を訪問することになるなんて正直思ってなかった。

農家の娘たちは飛騨から野麦峠を超えて諏訪へ向かっているので、今回のポタとしては奇しくも同じ方向に走ってます。

久々野町からは国道361号(飛騨ぶり街道)を東に走っていきます。

飛騨川に沿って走っているこの道、東に向かうに連れてじわじわと標高を上げており、さらに道中にはいくつものダムが建設されています。川沿い+上りが激しい=ダムの出現、という風にアップダウンと道の関係がある程度分かってきた気がする。

久々野から高根に走って少し行ったところで県道39号との分岐に入り、ここから野麦峠は文字とおり一本道。

そのまま国道361号を東に向かうと長野県の開田町に入り、県境周辺は御嶽山へのアクセスが良好です。さらに走ればJR中央本線が通っているので、もしもの際のエスケープも比較的やりやすいかなと思いました。

県道39号の様相としては、乗鞍スカイラインの最初の方と完全に同じっぽい印象。

ところでこんな風の「ヒルクライムをする直前の準備区間」の雰囲気って良いと思う。今からガンガン上ることになるけど覚悟は出来てるか…?とまるで坂が語りかけてくるみたいな。

向こう側に目標が見えてると「これから坂に挑みます感」が更に高まっていい感じ。

ヒルクライムが始まってからそこそこ上った時点で一度200mほど下り、再度上りが始まります。

つかの間のダウンヒルでは御嶽山を拝むことができるので、これから一気に上っていく前の精神的小休止ができました。

峠までは無人かと思いきや、実は集落があったりします。

全然知らない道を走っているとこういう発見があるから面白い。いい意味で予想を裏切られるし、下調べをあまりしないで出発するスタイルが功を奏してると思います。

走る前から展開が分かりきってるというのは正直つまらない。

野麦峠の旧道を眺めながらヒルクライムは続く。

ひたすら山の中を這うように繋がっている道を上っていく道中、ここを徒歩で上っていく工女のことをふと考えてみました。

山沿いの道は、降りつもった雪の上にほそぼそと続いていた。乗鞍に源を発する益田川の源流なのであろうか、急傾斜の谷をななめに通っているこの道は、夏は快適な峠道なのに、吹雪になるとがらりとようすが変って、二月三月の残雪ころは堅い氷の刃となり、権太という野麦のボッカ(荷負稼業の人)でさえ足を踏みはずして死んだという〈権太アラシ〉の難所と変る。

すでに気温が十分高くなった今の時期だと全く感じることはないけど、野麦峠周辺を含めて岐阜と長野の県境は超がつくほど豪雪地帯として有名です。そんな極寒の山中を登山装備でもない格好(時代は明治)で峠越えする少女たちとか、想像するだけでもつらい。

なんでわざわざ冬に峠越えをするのかというと、年の暮れに工場で稼いだ金を故郷へ届けるため。

当時は自らが出稼ぎに出る事で実家の食費を浮かし家計を助けるという口減らしが一般に行われており、さらに製糸工場で得られる賃金は農業とは比べ物にならないほど高かったそうなので、雪深い冬の険しい野麦峠を徒歩で再び越えて飛騨へ向かっていたとのこと。

http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/nomugi2.htm

野麦峠については上記のサイトが詳しいです。

当時は今みたいな車道なんかなくて、雪が鬼のように積もった谷沿いを全て徒歩で歩いてたわけで。

一度足を滑らせたら確実に死ぬし、実際谷に落ちたり猛吹雪のなか遭難したりして命を落とした工女が少なくなかったそうです。

そう考えると自転車で比較的簡単に峠越えができる時代に生まれたよかったと本当に感じます。

そんなこんなで無事に野麦峠に到着!

斜度的にきつかったのは最初の方だけで、後半はかなり緩やか(6%くらい)で走りやすかった。

この角度から眺める乗鞍の雄大さよ。

岐阜県はとにかく山が多く、たとえ南部であってもヒルクライムそのものは問題なくできていたものの、雪山を眺めながらのヒルクライムとなるとやはり北部に軍配が上がります。これほど高所感を感じる上りが味わえるのは、やはり北アルプス周辺の強み。

気温も麓と比べると相当低く、ヒルクライムを終えたばかりで火照った身体が徐々に冷え込んでいくのを感じる。この気温の低さが本当に心地よい。

やはりこれからの季節は標高が高いところに行くに限ります。

峠周辺には、野麦峠を語る上で欠かすことができない工女「政井みね」の像があります。

みねが100人以上の工女とともに信州・岡谷に向かったのは14歳になった1903年2月。(中略)時は経ち、工女の模範となって年収が百円を超えた(通称、百円工女、当時の百円は現在の一千万~三千万円程)が、直後に重度の腹膜炎に罹患した。知らせを受け、みねを引き取りに来た兄・辰次郎は松本で入院する事を勧めたが、自らの死を既に悟ったのであろうか、みねは故郷の飛騨へ帰りたいと兄の提案を拒否した。やむなく辰次郎はみねを背中に背負い、飛騨へ向かう事となった。帰路の途中、多くの女工が息を引き取った野麦峠の茶屋に辿り着くと、みねは喜びながら「あぁ、飛騨が見える」と言い残し、息を引き取った。1909年11月20日午後2時、わずか21歳での死であった(Wikiより)。

野麦峠と工女の関係はフィクションでもなんでもなくて、これが歴史上の事実という現実を無慈悲に突きつけてくるから余計につらくなる。

こうして自転車でのお手軽参拝とはなりましたが、一応は飛騨工女の歩いてきた道のりをトレースすることができました。

峠の向こう側はもう長野県。

長野もまだまだ行ってみたい峠が山程あるので、これからの時期はぜひとも訪れたい。

帰りはほぼほぼ自動運転で久々野までサクッと帰還。

ヒルクライムをしてると、下りで何もしないのに自転車が勝手に前に進んでくれるのがありがたくて仕方ない。

久々野の田園風景は今回のライドが始まったときと同じく静寂そのもので、ヒルクライムの疲れもいつの間にか消え去ってしまうくらいには癒やされた。風景の良さがクールダウン代わりになるので、肉体疲労的につらいとわかっていてもヒルクライムはやめられない。

景色がいい場所を味わいたいとなると高所に行くしかないわけで、もっと登坂に強くなりたいと思います。まあひたすら上って下って経験を積むしかないと思うけど。

景色が完全に

峠のひんやりとした温度から下って状況が一変したこともあり、余計に蒸し暑さを感じてならない。まだ5月だというのに、この調子だと本格的に夏になったら蒸し暑さでぶっ倒れそう。

今のうちから日中に運動して耐性をつけておく必要があります。

最後は宮峠からのダウンヒルで飛騨一宮の町並みを一望してフィニッシュ。

高山周辺はとにかく景色が良い。特に宮峠から高山に向かう道のりは本当に素晴らしくて、高山へ到着する前のご褒美的な眺望が楽しめます。

これは夏になったらまた再訪したいところ。

おわりに

ただ道を走るだけではなくて、道を走る前、走ったあとに軽く現地の歴史とか史実とかを調べて悦に浸るのが最近の自分の中の流行りです。

もちろん風景だけを感じながら写真を撮りつつ走るだけでも十分満足できるんだけど、もうひと手間加えることによって満足度を高めていく試みもかなりいい感じ。現地の生活とかも含めて、訪問先の空気感を感じていきたい。

おしまい。

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