ロードバイク旅と「神社」の相性の良さについて考えてみた

自分が全国を旅していく中で、特にロードバイクでの移動時に自然と行っていることがあります。

それは、目に止まった神社を訪れるようにすること。

これは何も有名であるとか、規模が大きな神社だとかいうことは全く関係なくて、どちらかというと街の片隅にぽつんとあるような、こじんまりとした神社が好みだったりします。ともかく、自分の旅の仕方が目的地よりも道草を食う方に重きを置いている影響もありますが、道中の神社に立ち寄る率があまりにも高い。

でも、なぜ神社なのか?と考えたことは今までになかった。

ただ漠然と「雰囲気がいいから」という理由で散策の対象になっていたので、ちょっとその理由を自分なりに文章にしてみました。

もくじ

色々な意味で、少し留まるのにちょうどいい

まず、自分が全国を旅する理由は何かということから初めてみます。

これは「いつもの日常生活で見ているようなものではなく、まだ自分が知らないような風景を見たい」というのが一番の理由です。毎日同じような町並みが視界に入ってきて、同じような生活範囲内で過ごしていると精神的に次第に飽きてくる。特に自分は物事に飽きやすい性格をしているので、どこにも行かないような生活は息が詰まってくるというのが正直なところです。

そんなわけで色々な町に出かけ、様々な町並みや風景を目にし、多種多様な体験を通じて気分をリフレッシュするのが自分の趣味の一環でした。

…という風に自分の方針を改めて認識した上で振り返ってみると、神社というものはその町の特徴をよく表していると思うのです。そこに行けば自分の求めるような時間が過ごせると心で理解しているので、自然と神社へ向かってしまうという心理があるのかもしれません。

豊玉姫神社(香川県)
飛騨一宮水無神社(岐阜県)
巌鬼山神社(青森県)

例えば、山の近くの町だったら神社は山の麓とか山頂にあって、言うなれば山と一体になったような場所にある。逆に海に近いような町だったら、海を一望できるところに神社はあるわけです。

そりゃ立地を考えれば当然じゃん、という話なんですけど、これは上手く言えないんですが、神社とその周りの風景にはなんか一体感があるんですよね。神社だけ周囲から浮いていたり、明らかに目立つような派手さは神社にはあまりないような気がします。もっとも、神社というものは昔からその地に存在しているわけなので、周囲の風景に溶け込んでいるのは納得も納得といったところ。

なので、その町の雰囲気をよく知りたいと思ったときには神社を訪れてみるのがてっとり早い。その地が海の近くなのか山の近くなのか、はたまた賑わっているのか閑散としているのか。田んぼや川の近くだったらそれに応じた匂いや音がするし、海の近くだったら波音が聞こえてくる。

その場の空気感というか、その土地特有の情緒。

五感をフル活用してそれらを味わうには、神社がちょうどいい。


また、神社はちょっと休憩する場所としても適しているという面があります。

そもそも、ロードバイクによる旅の最大の特徴として、気になる場所を見つけたときにアクセスしやすいというものがあります。目的地までの走行中に良さげな場所を発見したときには容易に方向転換して向かうことが可能だし、小回りも効く。駐車してもほぼスペースをとりません。

なので、ちょっと寄り道してみるか、気になる場所があったので行ってみるかという際に、ロードバイクによる移動はかなり便利なわけです。

そういった「ロードバイクという散策に向いているツール」を使って移動していると、自動車や公共交通機関だったら通行の選択肢に入らないような町中とか、狭い路地裏を走る機会も必然的に多くなってきます。もともと自分はとにかく交通量の多い道を通るのが嫌いなので、さらに狭い道を通る回数が増えてくる。

そんなとき、神社に遭遇する頻度は飛躍的に増加します。

流れでいうと、

  1. 行程中、ここから先は脇道へそれて走ってみるか…と考える
  2. 大通りをそれて脇道を中心に走る
  3. 道が狭い→スピードを抑え気味になるので周囲の風景が目に入ってきやすい
  4. 神社発見ヽ(゚∀゚)ノ
  5. ちょっと休憩していくかという気分になる
  6. 神社でまったり過ごす

という感じ。

神社というのは街角の一角とかのひっそりとした場所にあることが多くて、こういう散策スタイルをとらないと発見するのがなかなか難しい。

で、ちょっと立ち寄ることである意味休憩にもなるし、ライド中の気分転換にもなるんですよね。ライド中に腰を下ろして休憩する場所ってパッと思いつかないんですが、神社は石段とか縁側に座ることができるので、そういう意味でも助かってます(自分だけか?)。

これが、例えば自動車や公共交通機関での旅だったらなかなかこうはいきません。

自動車で移動していると、仮に気になる場所を見つけたとしても小回りが効かないので難儀をすることが多いです。また、車を停車させる場所も選ばないといけないし、まずモノ自体がデカいので取り回しが難しい。公共交通機関での移動も「自由に止まれない」という意味ではかなり分が悪くて、あ!ちょっとそこで止まって!ということが全くできないのが辛いところです。

少し脱線した感がありますが、要は、

  • 神社はその町の特徴が現れている場所にあることが多いので、立ち止まって雰囲気を味わうのに向いている。
  • ロードバイクによる移動の特徴を加味すると、神社は休憩する場所としても良い。

ということ。

静かな分、落ち着ける

神社という場所は、とにかく静かなところが多い。

ここでいう「静か」とは無音という意味ではなく、個人的に思っているのは余計な音が聞こえてこないということ。

ただ単にその場所の雰囲気に浸りたいのに、モータリゼーションの音だったりがバンバン聞こえてくるとぶち壊しになってしまいます。ただ、これについてはそれもまた良いと考える人もいるので一概に否定はできませんが。

で、上で述べたように、自分はとにかく普段の生活で得られないような体験をしたいわけです。海の近くで波音やフェリーが行き交う音を聞いたり、山の近くだったら木々のざわめきや鳥の鳴き声を聞きたい。

そういうときにはどうしても静けさが重要になってくるので、神社はまさにうってつけというわけですね。

里坊稲荷神社(長野県)
元乃隅神社(山口県)
河口浅間神社(山梨県)

神社って、たとえ人が行き交う通りに面していたとしてもなんか静かなんですよ。

距離的には大して離れていないはずなのに、俗世から一歩引いたような静寂が広がっている。そういう雰囲気が好きだから、神社にはついつい長居したくなるのかもしれません。


また、上記に関連して、静けさ=神様の世界にいるという実感が湧きやすいという一面もあると感じました。

自分が神社を訪れているという先入観も若干含まれているものの、神社はどこか神聖さを感じるものじゃないでしょうか。

鳥居をくぐった先はもう神域だし、訪れているのは自分一人なのにも関わらず孤独感は薄く感じる。自分は特に信仰心が厚い方ではないけど、神社にいるとごく自然に手を合わせています。

神社の目の前に広がる風景は時としてダイナミックで、迫力のある景色が広がっているところも多いです。そんな風景と神様の世界という事実が上手く組み合わさることで、訪れる人は神秘的な神々しさを感じずにはいられない。

つまり、視覚的だけでなく精神的にも刺激があるのが神社であり、その効果で次第に心が平穏になってくるのではないか、というのが私の感想。

新寺町稲荷神社(青森県)
倉岳神社(熊本県)
小嵐神社(長野県)

そんなわけで、自分が思う「ロードバイク旅と神社の相性の良さ」について考えてみました。

地域に根付いた歴史ある社で、自然と一体になったような雰囲気に酔いしれながらゆっくりとした時間を過ごす。神社はまさに散策の途中に立ち寄るには最適な場所であり、自分の趣味も相まってとても好きなスポットです。

神社の空気感は場所によって全く異なるので飽きることもなく、これからも旅先の神社を訪問することは(特に意図しなくても)続けていくと思う。今後の旅でどんな神社に出会えるのか、非常に楽しみです。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマーク・シェアをしていただければ嬉しいです。

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