【上石津~五僧峠~男鬼集落跡~多賀大社】ロードバイクで多賀町の廃集落を巡ってきた

今回はロードバイクで滋賀県多賀町周辺の廃村・廃集落を回ってきました。滋賀県の東部・湖東エリアのなかでも、多賀大社で有名な多賀町の山中(鈴鹿山脈)には多くの廃集落がある…という情報を得たので、散策に便利な自転車を持ち出して行ってきたという流れです。

かつては大勢の人で賑わっていたが、時勢や環境の変化に伴って今はそうではないという場所は全国に数多くあり、以前から興味を持っていました。自分はどちらかというと現在進行系で人が住んでいる町並みの方が惹かれるものの、湖東は家から近いこともあってササッと行ってきました。気になったらすぐに行動する性格のほうが得することもある。

巡った集落跡名を最初にざっと挙げてみると、五僧集落、保月集落、杉集落、そして男鬼集落となります。

もくじ

多賀町から鞍掛峠を経て三重・岐阜へ

今回巡っていくことになる廃集落は比較的狭いエリアに密集しているため、全部巡ることは距離的・時間的に大して難しくありません。しかしそれだけだと半日くらいで散策が終わってしまうので寄り道を多めにすることにしました。

ルートとしては出発地点を多賀大社周辺にとり、国道306号を東に向かって三重県及び岐阜県に到着。そこから五僧峠(島津超え)を経て最後にメインの廃集落巡りを持ってくる形です。こうすれば主な目的地である廃集落エリアとゴール地点が近いために楽な気持ちになれるし、走行距離も長くとれて満足度の高いライドになると思いました。

国道306号

まずは平日で交通量がとても少ない国道306号を走っていく。

いわゆる「往路」はきれいに整備された国道を走っていくことで、「復路」で走ることになる道路とのシチュエーション落差を増幅させる意図もあります。最初から最後まで同じような道を走っても気分があまり乗らない。

三重県との県境である鞍掛峠までは適度な上り、そこからは下りとなります。

アスペロの装備

坂道の多さや復路の道路状況があまり良くないことを考慮し、今回はアスペロで行きました。

補給が期待できないのでダブルボトルや補給食を多めに所持しましたが、こうして見てみるとバッグ類が少なくてすっきりとまとまっている。装備をさらにシンプルにするためにも、将来的にはダウンチューブストレージのあるバイクを導入したいなと思ってます。

特に何の支障もなく三重県のいなべ市に入りました。平日にも関わらず鞍掛峠付近の御池岳 鞍掛登山東口には多くの車が駐車されていて、この貴重な快晴日を逃したくないという人は自分だけではないようです。

峠~平野部へのダウンヒルの後は、ランチ場所に向かう前にちょっと寄り道。向かったのは白石鉱山跡というスポットで、昭和50年(1975年)に閉鎖されるまで石灰の鉱山と製造工場事業を行っていた場所です。

気持ちの良い天候のなかでの訪問
入口は施錠されている

敷地内へ続く小さな橋は施錠されていて中に入ることはできませんが、その手前の広場からの眺めは相当なものでした。山の岩肌や斜面に形成された巨大な施設や歩道、それらが自然に飲み込まれようとしている。

特に下調べもしていない中で最初の「廃」要素に出会うことができて運が良い。

鉱山跡の手前には水源地の湧水があり、ここで新鮮な水を補給することが可能です。説明書きによればこれは地中約300mからの湧き水で、ここ藤原町の全戸の上水道を担っているとか。ちょうど自分が訪れたときには地元の方が大きなボトルに水を入れに来ていました。

疲れているときの冷たい水は身体にしみる美味しさ。これからの暑い時期はなおさらありがたいだろう。

こういう静かな田舎道っていいね。

サイクリングに向いているというか、自分の知らない土地をただ走っているだけで心が落ち着いてくる。

窯焼きピッツァとヤギ

国道365号をしばらく北上して三重県から岐阜県上石津に入り、さらに進むと県道139号への分岐があります。この県道を西へ進んでいくのがいわゆる「復路」に当たりますが、その前にランチにすることにしました。本格的な山の区間や散策が始まる前の栄養補給は重要だ。

訪れたのはカフェあめんぼという素敵なお店で、大垣市かみいしづ緑の村公園の入口に位置しています。

窯焼きピザのあめんぼ
庭にはヤギと鶏が見える

実は今回のライドは、このあめんぼを訪店することが目的の一つです。場合によっては結構混んでいると聞いていたので、人が少ないであろう開店時間と同時に訪れることに決めていました。

自然豊かな地に佇む落ち着いた雰囲気の店、しかもそこで食べられるのは地元の薪と石窯で焼いた本格的なピッツァ…となれば人気が出るのも納得。自分としても普段のライドでピッツァ(というか洋食)を食べる機会が少ないこともあって、せっかくなのでランチの場所に選んだというわけ。

店内の様子
プランによってはソフトドリンクを自由に飲むことができる

店内の様子はこんな感じで、ログハウス風のモダンな造りです。広々としていてくつろぐことができ、照明や壁、天井などのシンプルな内装や窓の多さが開放感に繋がっている。

そういえば入店前にヤギや鶏がいるのが見えたなと思っていたところ、店員さんから「一番奥の席からは庭が見えますよ」と教えてもらいました。後述するように席からの眺めがとても良かったため、空いている場合はこれらの席を選ぶのがおすすめです。

メニューの一部。

これからヒルクライムをやっていく身としては満腹になるのは避けたいと思っていたけど、写真に写っているピッツァがどれも美味しそうだったためガッツリ食べることにしました。これまた店員さんにボリューム感を教えてもらいつつ、お店おすすめの「シチリアーナ風里山ピッツァ」のMサイズを注文。

というか、メニューがとても分かりやすいのがいいですね。どのピッツァがどういうものなのかが一目で理解できる親切なつくりです。

席から見える庭の様子
フリーダムすぎるヤギたち

で、自分が食事をとっている席からの眺めがこちら。

計4頭のヤギと鶏たちが生活している様子を眺めることができ、ヤギたちについては歩き回ったり台の上に乗ったり、はたまた昼寝をしていたりと割と自由に動き回っていました。眠そうにのそのそ歩く姿を眺めているとこっちまで眠くなってくる。動物たちの生活をこんな間近で見ることができるなんて、実に癒やされる光景だ。

こういう場面って牧場や動物園などでしか味わえないと思っていたけど、飲食店で美味しい料理をいただきながらというのは珍しいと思います。あめんぼの大きな魅力の一つですね。

焼き立てのピッツァが到着。

あめんぼのピッツァは素材の味を活かした薄味かつ素朴な味わいをしており、ソース等の調味料で個性を出すような感じではありません。それだけにピッツァの生地や具材の味をじっくり味わうことができ、びっくりするほど美味しかったです。

あと結構もっちりしているのに腹に貯まる感触は少なく、写真だけ見ると重そうに思えるかもしれませんが全然そんなことはないです。これから自転車に乗るというタイミングでなかったらいくらでも食べられそうなくらい。さらに追加料金でフリードリンク(コーヒー、リンゴジュース、みかんジュース等)も楽しむことが可能で、お腹の空き具合や人数に応じて色んな選択肢があるのが素晴らしい。

店員さんも優しく笑顔で接してくれて、こっちも自然と笑顔になるくらいとても気持ちが良いもの。さらにご主人には自分がこれから向かうことになる集落の情報を伺えたりもして、その人柄の良さに癒やされました。まとめるとあめんぼの良さは料理の美味しさだけではなく温かい雰囲気や接客の良さにあって、充実した時間を過ごすことができました。心からおすすめできるお店です。

湖東の廃集落を巡る

精神的にも肉体的にも満たされたところで、これからライドの後半戦が始まる。

まずは県道139号を進んでいき、五僧峠(島津越え)を目指します。

県道(上石津多賀線)自体は途中で終わり、ここから林道時山多賀線へとシームレスに切り替わるようです。

五僧峠

しばらく上って五僧峠に到着。この峠を堺にして滋賀県に再度入りました。

看板には美濃から五人の僧がやってきて移り住んだのがはじまりと書かれているほか、関ヶ原の戦いの際の島津超えの件も載ってました。

近くの五僧集落跡には家屋が数件残っていますが、家屋以外の生活の跡は特になし。電柱がないために電気はきていないようで、何も無い森の中に家だけが取り残されています。一般的に山の中の集落って居住に適した平地部、また生活に欠かすことのできない水を得るために川の近くに形成されていることが多いですが、五僧集落があるのは峠の上。現在でこそ道路が走っているものの生活していくのはかなり大変そう。

集落を後にして道を下っていくと川があり、林道権現谷線~林道保月線・林道アサハギ線に入ります。五僧集落の人々はこの川まで下って水を得ていたのだろうか?

ここからのルートは2通りあって、一つはこのまま川沿いに順当に標高を下げていって県道17号に合流するルート。起伏も少なく安全に離脱できる道筋となります。もう一つは上の写真にあるように橋を渡って対岸へ移り、保月方面へと向かうアップダウンのあるルート。今回の目的は集落を巡ることにあるので、できるだけ多くの集落を通過できるように後者を選ぶことにしました。

しかしこの五僧~保月区間の道路はかなり限界を迎えており、崩落による多数の落石や落枝、果てには幅員の半分以上を占める残雪が行く手を阻んでいました。少なくともこの時期は当ルートを車で走るのは確実に無理で、多賀大社方面から向かうしかありません。

自転車の良いところは最悪押し歩きができる点にあると思っていて、自分の好きなタイミングで「徒歩」という最高の走破性をもつ移動手段に切り替えることができます。要は走れる区間だけサドルに跨っていればいいわけで、こういう山中の散策には一番向いている。

アサハギ谷周辺

道の途中から右方向を眺めると、干上がった川が見えました。地形的にさっき渡ってきた川へそそぐ支流のようです。

今回のライドを行ったのが春の時期でよかったと思えた理由は複数ありますが、一番の理由は山の中の見通しが良いことでした。夏になれば山肌が緑で埋め尽くされて視界が極端に遮られてしまい、散策中に得られる情報量が減ることが予想されます(谷部では特に顕著)。

冬が終わったばかりの春ならば遠くまで地形を視認することができる上に、虫が少ないなど別の利点も多い。山中を駆け巡るには春の時期がベストだろう。

森を抜けて平地が広がったかと思えば、ここが保月集落跡でした。

五僧集落から保月集落への行き来は谷を経由せねばならず、水平距離の短さの割に往来は大変です。

お寺には鐘が残っている
神社の上から

集落内の一番高いところに八幡神社が、比較的低いところに照西寺というお寺があり、それらを中心に集落が形成されていたようです。ほとんどの家屋は倒壊してしまって残骸のみがある一方で、良い状態で原型を保っている家屋が数件ありました。

またラジオをかけながら何かの作業(木工?)をされている方がいたり現役の農地のような一角があったりと、保月は完全に人の管理から離れてしまった集落ではありません。そもそも車が複数台止まっていたので定期的に管理はされているようです。

あまり長居をするのもアレなので、次の杉集落へ向かいます。

きれいに保たれている

坂を上りきったところに保月の地蔵杉と呼ばれるスポットがありました。

道路脇に地蔵が祀られた小さなお堂、そしてお堂を囲むようにして厳かに立ち並ぶ巨大な杉の樹。一体いつごろから存在するのか定かではないものの、木の根元や石垣の苔むした様相が歴史を感じさせます。あまりにも雰囲気がよすぎてしばし圧倒されてました。

お堂は古びてこそいますが全く荒れておらず、花が供えられていたりと現在でも集落の方によって整備されていることが理解できます。このお堂を過ぎれば保月集落はすぐそこ。集落と集落の間の目印としても古来からこの地を見守っていたのだろう。

保月集落の隣の杉集落に着きました。道路から入ったところに大きめの広場があり、その広場の山側を中心に家屋が連なっていたようです。今では残っている家はそう多くありません。

で、ここまでの道中で多数の家屋に出会ってきたわけですが、自分は廃屋には大して興味ないです。興味があるのはその集落に至るまでの道中であったり道そのものにあって、当時はどのような往来があったのか、どういう生活をしていたのか…。思いを馳せるというかそっちの方に惹かれます。

五僧・保月・杉の3つの集落はかつては脇ヶ畑という一つの村でした。しかしこれまでの道のりを走ってきた限り、集落間の移動は困難を極めます。昔は徒歩でようやく通れるくらいの道しかなかっただろうし、そう思うといま現在は相当便利になっている。

御神木

杉集落の西側には杉坂峠という峠があり、峠から斜面を少し降りたところに巨大な三本杉の樹(多賀大社の御神木)があります。近くまで行くと本当に大きく、杉の周囲を一周するだけでも何人分になるか分かりません。近くにある普通の杉と比較するとどれほど太いかが分かるかと…。御神木の真下までやってきて上を見上げ、そのパワーを全身で感じたりしてました。

あと道を外れて山歩きをするということで虫が心配だったものの、今回のライドで虫に出会うことは一度もありませんでした。たぶん6月以降だったらヒルがいるだろうな。温かい時期+高い湿度+山の中の散策とか考えたくもないので、春に来てよかったです。

下りの斜度がヤバい件について
県道17号近くの調宮神社

杉坂峠からダウンヒルを行い、平和な県道17号まで無事に下ってくることができたのでひとまず一安心。

今回走った区間はどこを切り取っても道幅が車1台分しかなく、同じ道を自家用車で走れと言われたら間違いなく拒否するレベルです。途中で対向車が来たら絶望するしかないと思うし、二輪車が無難かな。

ただ自転車を使う場合でも県道17号~杉坂峠の区間は斜度がとんでもなく急なカーブも多いため、県道側から杉集落を目指すのは結構な地獄です。結果論になるけど逆側から下ってくる形で安堵しました。

男鬼集落跡の静寂さ

続いては県道17号を北上し、今回の主な目的地である男鬼集落跡を目指していく。

すでに行程は半分以上終わっている上、時間にかなり余裕があるので気楽に走ることができます。時間の余裕は精神の余裕に直結する。早めに出発して正解だった。

打って変わって走りやすい道

分かれ道(県道17号は左)。ちなみに右へ進むと五僧集落跡へ続く林道に入ります。

しばらく進むと木造の車庫群が現れました。

すぐ近くにある霊仙入谷集落(ここも廃集落)の立地が完全な斜面になっているために、平地が多い川沿いに車庫をつくって車や農機具を保管していたようです。

落合集落
廃道

車庫群を過ぎ、県道を終点まで走ったところにあるのが落合集落という集落です。ここも家屋こそ残っていますが人の気配はありません。

しかし落合集落は近くの霊仙山(1094m)の登山口となっているために登山客の車が多く、広めの駐車場には車が満車状態。すでに下山したっぽい方が登山道具を水洗いしている光景も見られ、少なくとも落合集落までは車の往来が少なくないです。帰宅してから改めて地図を見てみると、このあたりは登山道がいくつもあるようでした。霊仙山については五合目とか避難小屋の表記もあってかなり有名なことが分かります。

道の荒れ具合としては、この落合集落から男鬼集落までの廃道区間が一番荒れていました。しかし路面が見えないくらいに枝が散乱している程度で落石は少なく、起伏もあまりないので走るのに支障はないです。タイヤ32cで来たけど本当に大丈夫か?と思っていたなかで結果オーライ。

男鬼集落

最終目的地の男鬼集落(おおり-)に到着。

集落の真ん中を走る表通りの脇には水路があり、家屋は道の両脇に並んでいました。最盛期である明治時代には約30戸の人家に100人以上が暮らしていたとされています。戦後は高度経済成長に代表される時代の流れにともなって集落の収入源だった林業や製炭業、養蚕業が下火になったために離村する人が増加し、1971年頃に廃村になりました。

男鬼は近隣集落である落合集落・榑ヶ畑集落・入谷集落・今畑集落などの人が彦根方面に向かう際の主要道になっていたことからも、行き交う人々で賑わったといわれています。しかしこの限られた場所に多数の家が立ち並んでいたとなると、さぞかし壮観だろうな。

日枝神社
茅葺の家

家屋の数は少ない一方で、外観を見る限りは倒壊に至るような致命的な損傷はないように思えます。また冬季の積雪に耐えるための支え棒をしている家もあり、人の手による管理は継続している様子。住む人のいなくなった集落にも、静かな山中で古来から生きてきた人々のぬくもりが感じられるような気がする。全体的に予想していたよりは手入れが届いている印象を受けました。

貴重な平地ということでここに集落が形成されるのも納得するものの、麓に下ることすら骨が折れるほどに奥深い山の中に自分は居る。日本の中にこのような場所がある、ということを自分の目で見て知ることができたことに感謝したい。写真で見るのと実際に現地を訪れるのとでは経験として全然違います。

当然ながら自分以外の訪問者はおらず、聞こえてくるのは自然の音のみ。時代を感じながらしばらく間佇んでいました。

比婆神社を抜け、林道滝谷武奈線との分岐に位置する男鬼峠までやってきました。峠周辺にはしっかり地図が示されており、迷う心配はないです。

多賀大社に参拝

下山後は多賀大社に参拝して今回のライドは無事に終了。怪我なく事故なく走り終えられたことを神に感謝しました。

人が離れていった廃村・廃集落自体は全国にあるものの、それは近隣から切り離された一箇所だけというケースがほとんどではないかと思います。しかし多賀町の廃集落については比較的巡りやすい範囲に多数の集落があって、個人的にもとても珍しい存在でした。

このまま静かに朽ちていくのを待つなかで、完全になくなってしまう前にその静寂さを味わえたことが単純に嬉しい。こういう風に土地の歴史に触れるライドを今後もやってきたいと思います。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマーク・シェアをしていただければ嬉しいです。

過去に泊まった旅館の記事はこちらからどうぞ。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

もくじ