今回は徳島の旅館に泊まってきました。
徳島県は山が多い県で、特に三好市や美馬市あたりは吉野川を挟んで急激に山がそびえ立っている地形がずっと続いています。また、山を挟んで反対側にある祖谷周辺になるとその山深さは相当なものとなり、山と川のほとりに集落が形成されている様子がよく分かりました。
徳島県の井川町辻地区周辺は古くから水運の拠点や宿場町として栄えたところであり、また幕末から明治時代にかけては、刻み煙草で繁栄した一帯でもあります。現在の国道192号を逸れて道を一本入ったところには旧街道の名残が残っていて、今でも商店がいくつか並んでいました。
今回泊まった勇楼旅館もまたその旧街道沿いにあって、建物がいきなり登場してくるのが印象的でした。
旧街道沿いの旅館
最初に、この勇楼旅館の成り立ちについて説明します。
- 本館は元々旅館として建てられたわけではなく、元々はこの当たりでNo.1の打ち上げを誇っていた刻み煙草屋の建物である。刻み煙草産業は明治31年(1898年)に民営から官営に変わり(葉煙草専売法)、大きな打撃を受けたが、その際の国からの保証金で建てられたのがこの本館。なので明治30年頃の建築と思われる。
- その後、現在の勇楼旅館のご一家が昭和10年(1935年)にこの建物を買取って旅館業を始めた。元々ご一家は明治の初め頃から別の場所で旅館業をされていたので、場所を移したという形になる。
- 別館は買取り後に増築された棟で、1階は客室、2階は宴会場になっている。
外観からは旅館というよりは民家のような佇まいを感じましたが、成り立ちを聞いて納得しました。元々は家屋だったということで、そこから構造が変わっていないのでそう感じるのも無理はない。
まずは外観から。
本館前にはかつては大きな玄関や蔵、風呂などがあった別棟が建てられていたそうですが、今は更地になっています。これは、ご一家が普段生活されている家(本館横にある)へ車の出入りを行えるようにするためで、現在では後付の本館玄関を利用する形になります。ただし庭や本館のなまこ壁は当時のままということで、確かに今の玄関と比べると古さがあるように感じました。
また、旅館の建物は旧街道に面しているわけではなく、少し道を入ったところに位置しています。実は今の旅館へ続く道の部分には別の店があって、そこを買い取って道にしたとのことでした。
館内散策
玄関で女将さんにご挨拶して投宿。
玄関周辺の構造は至ってシンプルで、玄関入って真正面に廊下が続いているので見通しがいいです。廊下も黒光りしていて年季を感じるもので、その上を歩くと若干のきしみを感じるのがまた良い。
廊下の脇にある部屋については、右側手前から居間、本館2階への階段、ご一家の生活スペースの部屋があります。左側には厨房があって、私が滞在している間はご一家がこちらにいらっしゃるようでした。お会いしたのは女将さんとご主人の2名で、料理はご主人が作られている様子。
というわけで、早速部屋に案内してもらいました。
別館には客室が合計5部屋あり、宿泊者はこちらに泊まる形になります。
別館にはその他にも宴会場のほかトイレやお風呂、洗面所があり、一泊する分にはこちらだけですべて完結することが可能です。お風呂についてはいつでも入れるので、まずはここでこの日の汗を流してさっぱりしました。
今回泊まったのは、別館の一番手前にある「第一號」の部屋。立派な床の間が付いているほか、廊下との壁にひょうたんの形をした小窓が設けられているなど高級感があります。
ここでちょっと話が逸れて、旧街道から見えた本館。
あの2階にある客室にも実は泊まることができて、そこの床の間が本当に凄いものでした。実は予約の際に「本館に泊まりたい」とお願いをしたものの、本館の客室にはエアコンがないため夏では厳しいだろうという話。
しかし一応両方に泊まれるように布団は準備しておくので、本館で寝たくなったら寝てもいいよとのことでした。女将さんの優しさに圧倒的感謝です。本当にありがとうございました。
結論としては寝るときだけ本館に行ったので、この別館の布団は使わずに終わりました。なので、別館では夕食のみいただいたことになります。
この勇楼旅館では、床の間の存在が非常に大きいです。
どの部屋を見ても一つとして同じ構造ではなく、使っている木材も変えていて凝りようが半端ではない。床の間といえば客人を迎える客間の一角にあるものであり、つまり勇楼旅館は客人をとても大事にしているということがうかがえる。
客を歓迎しています、というのは言葉に出してアピールするものではないし、勇楼旅館ではそれを言葉なく、床の間の豪華さで表現しているというのが心惹かれた。見る人が見ればもっと詳しいことまで分かるんでしょうが、自分の場合は詳しくないので造りの差まではわからない。しかし、床の間の造り込みの深さは素人目線でも理解できました。
女将さんのお話によると、例えばこの床の間の長押と呼ばれる板の部分。
単なる横に長い板ではなく、いくつもの段付き部分があります。これだけ長い木材にこのような筋をつけるのは昔の機材では大変なことで、筋が多い=それだけ手間がかかっているということ。床の間の一つ一つの箇所に対して、並々ならぬこだわり様が伝わってきます。
投宿してから別館の散策まではこれでひとまず終了。
宴会場の大広間
続いては、別館2階にある宴会場を女将さんに案内していただきました。
女将さんはとても話好きで、こちらから何かしらのアクションをしないと無限に話し続けてしまうくらいに色んなことを説明してくれます。
たぶん宿泊者に同じようなことを聞かれるので自然とそうなったのではと思う一方で、玄関跡のことなどこちらに移ってきた当時のことを今でも鮮明に覚えていらっしゃるなど、元々旅館に対する思い入れが深い様子でした。
大広間の広さは、なんと60畳もあります。
もともと40畳だったところを後から拡張したもので、当初の間取りは天井を見れば把握できました。ちょうど上に示した写真でいう一番左端がその拡張部分で、他の天井と比べると板張りが異なっているのが分かります。
大広間の天井は板を交差状に張り巡らせた構造になっていて、当初から存在する照明がある部分だけ飾り付きの空洞になっています。後付の照明の部分はこの飾りがありません。
梁が通っているような天井ではないことから、この広い空間内に佇んでいても圧迫感を感じづらいような気がする。天井も高く、非常に奥行きを感じさせる広さにも関わらず居心地がいい。
旅館において、ここまで広い空間はなかなかあるものではない。
しかも窓の外側が全体的に庭に面していて眺めがいいし、ここで何かの祝い事をするのなら演技がいいことは間違いない。しかも当時の構造がほぼそのまま残っており、適度な古さの中に身をおいていると時間を忘れそうになる。
この大広間の床の間もまた横方向にかなり広いもので、女将さん曰く三間はあるとのこと。確かに大広間の壁の一面に合うものとなれば広くなるのは納得できるのですが、ここまで大きなものとなると希少じゃないかなと感じました。比較対象としては城とかじゃないと現存してないのでは。
本館2階の客室
別館についてはこれですべての部屋を散策し終わり、夕食の時間まではまだ余裕がある。
そのまま続けて、本館2階にある客室を散策することにしました。
本館2階の客室は、階段を上がった先にある「上二號」と、その右隣(玄関側)にある「上一號」から構成されています。
いずれも刻み煙草の商談に使われた部屋であり、つまりこの部屋で煙草屋の主人と客(商人)が直に会って話をした、歴史的に見ても厳格な場所ということ。その背景もあって旅館の客室という雰囲気ではなく、とても静かで荘厳な感じがします。
上一號及び上二號の窓側(旧街道側)には廊下が走っており、その端には庭へと繋がる箱階段がありました。
主人側は現在使われている階段から、客側は門から入ってこちらの階段を上がって本館2階へと趣き、客はまず上二號で待機する形だったといいます。そして準備が整えば上一號で商談をするという流れ。
上一號ではこの建物においてもっとも重要な「刻み煙草の商談」が行われたということで、その床の間は群を抜いて豪華そのものです。
まず床板が欅の一枚板だし、三段の違い棚、金箔をふんだんに使用した袋戸棚が目を引きました。次いで竹で編んだ壁や中抜きされた床柱、その隣の凝った意匠など、客人を迎えるにあたってこれ以上のものはないでしょう。
それに加えて下部にある明り取りもまた美しく、明り取りの意匠は日本では珍しいもので大陸の技術を取り入れたのではないかと女将さん談。
写真には撮れてませんが、長押の筋の数も別館のそれと比べると3倍くらい多く、とにかく商談を行う際の厳格さが強く感じられる。この風情の中で商談をするにはなかなかの精神力が要りそうです。
本館2階からは眺めもよく、西方面の天気がよく確認できました。
南北を山に挟まれた地形の中に建てられたこの旅館で展望を得ようとすれば西か東しかないわけで、その当たりも考慮して建てられたんだろうと思います。
夕食~翌朝
夕食については、椅子がある玄関横の居間か部屋出しかを選ぶことができます。
今回は、せっかくなので部屋出しにしていただきました。
夕食の内容は地元の牛肉を使った焼肉や、徳島県の名産品である半田そうめん、それに魚や野菜などが中心に並んでいます。
旅館の食事って地方によっても異なるし、もちろん旅館ごとにも異なるので投宿の際の楽しみの一つでもあります。結局のところどれもこれも美味しすぎるので満足以外を感じたことはありません。
その後は気温が低くなるまで別館で過ごし、夜になって本館に移動して布団で寝てました。
本館・別館を問わずに客室は西に面しているため、夏だと特に西日の影響が大きいです。なので、エアコンがない本感に泊まりたい場合は涼しい時期を選んだ方がよさげかなと思いました。別館についてはどの部屋にもエアコンがあるので、特に心配ないかと。
夜中になれば多少は過ごしやすい気温になり、扇風機だけでもなんとかなりました。
翌朝。
夏特有の湿度で目が覚め、かと思えばすでに蝉が鳴いているのが聞こえる。
夏場の宿泊の何がいいって、やっぱり夕方と朝に蝉の鳴き声が聞こえることだと思います。日中はもう暑すぎて蝉すらろくに鳴いてないし、近年だとそれを味わえるのは比較的涼しい時間帯のみ。
これについては日帰りだとなかなか難しいし、夏の旅先で一泊して、その上で蝉の鳴き声が響いてくるというのが夏感があって好き。
朝食はこんな感じで、どれもが白米のおかずとして強力に作用する品ばかり。この日はもう帰宅するだけだったのですが、案の定何杯もご飯をおかわりしてしまった。
そんなこんなで、勇楼旅館での一夜は終了。女将さんには何度もお礼を言って、旅館を後にしました。
四国を巡る旅はまだまだ何個も計画しているので、その際にはまたこちらに投宿したいと思います。
おしまい。
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