石場旅館 歴史ある弘前城下町の老舗旅館に泊まってきた

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城下町の宿

今回は、青森県弘前市にある石場旅館に泊まってきました。

弘前市は弘前駅の西にある弘前城を中心として城下町が形成されており、特に弘前城の全体に広がる桜は全国屈指の美しさを誇ることでも知られています。

今回泊まった石場旅館はその弘前城がまさに目の前にあり、観光はもちろん散策にも非常に便利な立地。それだけでも十分特徴的なのですが、実は石場旅館は弘前城と密接な関係がある旅館でした。

石場旅館公式サイト

石場旅館 外観
玄関はやや左手方向にある
登録有形文化財の掲示

石場旅館の歴史については、上記の公式サイトに詳しく記載されているのでそちらを見るのが手っ取り早いです。簡単にまとめると、石場旅館には以下のような背景があるということでした。

  • 創業は明治12年。
  • 今のご主人のご先祖が弘前城の武士で、明治4年の廃藩置県に伴い職を失ったことからはじめた。当初は1階が商店で、2階が旅籠という形式で商売をされていた様子。
  • その後、明治22年の市制により弘前が市になり、人の往来が激しくなったことから奥側に棟を増築。増築の際には蔵を屋内に設置する"内蔵"という構造を盛り込んでいる。
  • 更にその後、昭和50年代に再度増築が行われた。
  • 戦時中は陸軍の指定旅館、戦後は進駐軍の指定旅館にもなったことがある。
  • 一度つくった部屋割(障子で区切る昔ながらの日本家屋)を時代とともに変更しており、今では各部屋が個室になっている。

まさに弘前城の歴史とともに歩んできたかのような旅館で、弘前の雰囲気とも絶妙にフィットしている静かな旅館です。増築を繰り返していることから館内は非常に広く、正面から見ただけではその全容を掴むことができません。

石場旅館は現時点では夕食の提供は行っていないため、朝食付きのプランで予約をしています。

石場旅館の1階

正面から建物を見た感じでは、雪国らしく軒は小さく作られているっぽいです。

玄関は真正面ではなく左に寄っていて、これも商店だったころの名残なのかもしれません。

玄関土間は幅よりも奥行きを大きく取ってあり、右手に靴箱、左手に椅子が置かれています。

玄関の左側には普段ご主人が待機されている帳場があり、通路としては右手方向に続いていました。

廊下の突き当りにある柱時計。公式サイトにも書かれているが相当な年代物で、今も稼働しているのが凄い。
廊下の板は黒光りしており歴史を感じる。創業当時の明治12年の建物は手前に見える線までで、ここより奥側はそれより後に増築された建物となる。

玄関を上がって右手に進んでいくと、旅館の方が過ごされている居間や料理を作る厨房があります。

ここの廊下には弘前の観光パンフレットなどがまとめて置かれており、これから町に繰り出していくという場合にはここが参考になると思います。

石場旅館の見取り図

その横には大きなお雛様や館内の見取り図がありました。

見取り図は右側が1階部分で左側が2階部分を示したものになっており、こうしてみると増築した部分が案外分かりやすいと思います。ちょうど玄関側から3等分したような構造になっていて、右側に行くにつれて新しい建物。中庭は想像以上に広いものの、通り側からだと全く分からないです。

別世界へと繋がるかのような太鼓橋

その廊下を曲がった先にあるのがこの太鼓橋です。

廊下の一部が橋のような構造になっており、その手前と奥側には2階への階段。まるでここが旅館の館内であることを忘れてしまいそうになるほど素敵な造りですが、ご主人によれば「旅館に宿泊することを、さながら別世界に行くかのように表わしている」そうです。

確かに、宿泊者側からしてみれば旅館で過ごす時間は楽しいものにしたいというのが誰もが思うこと。それをこういった形で表現しているなんて昔の職人さんの思想が魅力的すぎる。

この太鼓橋周辺にはもう一つの秘密があって、それは奥側の階段下が内蔵になっていること。

内蔵というのは冒頭で述べたように、一般的には母屋とは独立して建てられている蔵を屋内に組み込んだものです。これは東北地方では割と普通らしく、想像ですが雪が積もって蔵にアクセスできないということを避けるためなんじゃないかと思ったり。

ちょうど奥側の階段と手前の階段との左側の壁が内蔵で、飾られている屏風の奥から蔵に入る形になっています。

弘前ではかなり歴史ある旅館なだけあって、宿泊している方の肩書もものすごい。

ここに掲示されている方は名前から分かる通り皇族や政治家です。手前に読める「北白川宮成久王」は明治20年~大正12年の方で、階級は陸軍大佐。「宮内大臣男爵波多野敬直」は嘉永3年~大正11年の方で、司法大臣や宮内大臣を歴任しています。

壁の模様が美しい
弘前城の御殿にあったという鏡

ここに限らず館内に置かれている調度品はいずれも弘前城から持ってきたものだそうで、屏風や鏡などが展示されていました。

中には生活の足しにというケースもあったらしく、当時はタダ同然で城から散逸したものも多かったのかもしれません。

太鼓橋周辺の天井の構造
丸窓

太鼓橋周辺は、創業当時の明治12年の建物と、その後に増築された明治22年の建物の境界になっています。

2階への行き来がある場所なだけに天井も高くとってあり、太鼓橋の造りも相まって開放的な印象を受けました。

建物としては階段の向こう側と、右側に続いている。
右側に進んでいくと大広間がある。
大広間に面した中庭

太鼓橋からの動線は、大きく分けて3方向あります。

そのまま階段を上がっていき2階へ上がるのが1つで、廊下を直進して1階の客室やお風呂へ向かうのが1つ。もう1つは階段の正面を右側に向かい、食事会場である大広間へと向かう道です。

大広間の様子

大広間は広い部屋をさらに二間続きにしており、食事はもちろん宴会場としても用いられています。一番奥には床の間と巨大なストーブが置かれていて、まさに雪国ならではという感じ。

大広間の手前側には西郷隆盛の親族が書かれた書があります。さっきの階段のところにも名前が書いてあったけど、皇族とかの話になると途端に遠い存在のように思えてくる。

階段の向こう廊下を進む

大広間から太鼓橋の分岐に戻り、今度は建物の奥側に進んでみます。

廊下を進んでいくとT字路があり、右へ進むと1階の客室、左へ進むと洗面所とお風呂、そしてトイレがあります。廊下は基本的に広く、狭い感じではないので歩くのもかなり楽でした。

この廊下のすりガラスには石場旅館の屋号をモチーフした「石」の模様が入っています。これがめちゃくちゃにお洒落で、このすりガラスの一角だけでも個人的に満足の行くものでした。

ただ単に石という文字を示すのではなく、模様風にアレンジしているというのがまた良い。

洗面所
お風呂の入り口
お風呂

そのまま左へ進むと大きめの洗面所があって、その奥側にお風呂があります。

お風呂は入り口で鍵をかけて入る家族風呂形式になっていて、浴室も湯船もかなり広い。石場旅館にはお風呂が一箇所しかなく、男湯/女湯の別がないのでこういう形で運用されているようです。

石場旅館の2階

続いては、太鼓橋から階段を上がって2階へ。

奥側の階段は途中で右方向に90℃曲がっていて、上がった先の真正面にはトイレがあります。廊下としてはその右手方向に続いていました。

今回泊まったNo.2の客室

広縁からは中庭と、明治12年の棟が見えます。

中庭の木

今回泊まったのは、階段を上がってすぐにあるNo.2の客室です。

広さは8畳で、奥側には広縁を備えているゆったりとした部屋。エアコンやストーブは完備されているので、季節を問わずにくつろげるのがいいです。

なお、このNo.2の客室を含む3つの部屋はちょうど真下にある大広間とまったく同じ構造になっていて、今では現代風に3つに壁で区切られています。広縁がある場所も昔は廊下だったところを後から改造して広縁にしたもの。

広縁の外側には欄干がそのまま残っており、その向こうに明治12年の棟が見えるのが素敵でした。

明治12年棟、2階の廊下
投書入れ
No.2の客室の隣がNo.8、そのさらに隣がNo.1の部屋になっているようです
手前側の階段を上から見る

2階はすべて客室になっていて、その数は増築分を含めると把握しきれないほど。

宿泊客のキャパとしてはかなり多い方だと思いますので、弘前がめっちゃ混む時期(春とか)でも電話してみれば空いていることもあるかもしれません。楽天とかじゃらんで調べても出てこない(登録されてない)ので、知る人ぞ知る旅館という雰囲気がします。

夕食〜翌朝

この日は雨の中ロードバイクで旅館に到着し、夜になって雨が止んでから食事に出かけるという行程にしました。

石場旅館では夕食の提供がないので外で食べることになりますが、食事場所に迷ったときはご主人に聞いてみるのがおすすめです。ご主人はこの辺りのお店にもの凄く詳しくて、食べる場所に困るということはないはず。

飲み屋街自体はすぐ近くに集中していて、石場旅館からのアクセスも比較的容易です。

地酒で一杯やってた

今回は、教えていただいた「吟」という焼き鳥屋で焼き鳥と地酒で軽く飲んでから旅館に戻りました。肉や魚の店をいくつかご教示いただいたのですが、今回は肉の気分だったので焼き鳥屋を選んだという感じ。

以前から思ってたけど、弘前城の近く(土手町商店街)は居酒屋はもちろん喫茶店やカレー、洋食屋などの飲食店が非常に多いです。お腹が空いたら何も考えなくてもここらへんに来れば問題ないくらいで、昼も夜も別なく選択肢の多さにいい意味で迷ってしまう。

その土地のことは当然ながらその土地の人が一番詳しいわけで、悩んだら石場旅館のご主人に相談してみるのがよさげ。

翌朝
大広間で朝食
朝食の献立

翌朝は前日の天気が嘘みたいな快晴で、この時点で今日一日がうまくいってくれることが確定。石場旅館での朝食は弘前の地元料理が中心で白米が進み、一日の始まりとしては申し分ない満腹感を得られました。

泊まったNo.2の客室は目の前の通りに比較的近い場所にありますが、弘前の夜中はあまり車通りが多くないので寝るのに支障はなかったです。もっと奥側の客室に泊まればなおさら物音の心配はないし、快適に過ごすことができると思います。

最後になりますが、石場旅館は激動の歴史を歩んできたという背景の大きさが魅力的で、その時代時代に合わせた建物の造りや経営方針が見事だと言えます。これからもずっと弘前の地で営業を続けていってほしいと思います。

おしまい。

石場旅館公式サイト

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