今回は群馬県神流町にある今井屋旅館に泊まってきました。
大部分を山が占める神流町の中で、神流川のほとりに位置する万場集落は比較的平地が多く、古くは万場宿という宿場町として栄えました。今井屋旅館はその万場集落でただ一軒残る宿であり、公式サイトには創業350年と記載されているほど歴史があります。
建物自体は明治25年(1892年)の大火により消失してしまった後に建て直されたもので、現在でおよそ130年経過しています。
外観
まずは外観から。



構造としては表通りに面した木造3階建てです。横に大きな角張った外観は遠くからでも目を引き、とてもインパクトを受けました。客室は2階と3階にあって、今見えている表通りに面した客室の他に、廊下を挟んで反対側(神流川側)にも客室があります。このあたりについては追々紹介していきます。裏庭から見た眺めではちょうど今回泊まった左上の最上階に位置する部屋が見えました。
個人的にはこの「木造3階建て旅館」という稀有の造りが非常に好きで、鄙びた宿を探す過程において重要視しています。今となっては木造3階建ての旅館はめっきり数を減らしてしまっているため優先度は高め。
ところで、ここ神流町の隣りにある上野村には秩父事件の舞台にもなった「今井家旅館」という旅館があって、名前を間違えやすいです。そちらの方も気になっている宿なので機会を見つけて訪れたい。
館内散策
1階
外観を確認した後は、早速館内へ入っていきます。



玄関入って真正面が2階への階段となっています。階段の左下は厨房。

玄関右側がロビーになっていて、右側にあるのはお酒等が入っている業務用の冷蔵庫。


1階はこんな感じで、ロビーが大部分を占めています。
ロビーの先には食事会場があって、今回は朝食をここで取る形になりました。食事会場はかなり広かったので疑問に思っていたのですが、今井屋旅館は宿泊だけでなく料理の提供も行っているようで、私が夕食を取るタイミングで近所の家族連れの方がここで食事をされていました。
1階部分の造りが比較的新しいのは気の所為ではなく、2019年の年末に老人が運転する車が1階に突っ込む事故が起きたことによるもの。その後修復されて現在の形になりました。外の強固な車止めも修復の際に設置したもので、傍から見たら災難としか言いようがない。



で、2階に進む前にとんでもないものを見つけてしまった。
階段の脇に「電話 六番」と書かれたこじんまりとした部屋があり、一体なんなのかと思っていたら電話室の跡でした。しかも中の電話機もそのまま残っていて、当時の面影を垣間見ることができます。
自分が知ってる電話機は古くても黒電話くらいで、それより古い電話は現役では見たことがありません。昔は交換手が手作業で回線を接続してたりしたらしいので、それからすると今のスマホは随分進化したものだと実感できますね。というかこれはめちゃくちゃ貴重なものなのでは…。
客室
散策は後回しにして、まずは部屋に案内していただきました。





今回泊まった部屋は玄関から見ると最奥に位置する3階の客室で、表通りとは反対側に面しています。広さは15畳もあって、たぶん今井屋旅館で一番広い部屋なんじゃないかと思います。
上の方に示した裏庭から見た写真だとわかりやすいのですが、この部屋は玄関等がある棟とは別棟にあるらしく、すぐ下が宿の方の生活スペースになっています。案内していただいた時点ですでにお布団が敷かれており、暖房としては炬燵があるので特に憂うことはありませんでした。
2階
部屋に荷物を置いて浴衣に着替えたところで館内を散策してみます。






まずは玄関に戻り、改めて2階へ上がっていく。
幅広の階段を上っていった先にはちょっとしたスペースがあり、手前へ曲がると2階への客室へと続いています。また階段を上がって正面の扉は旅館の方の居住スペースに繋がっています。
階段回りの木の板はどれも濃く黒光りしており、年季が入ってるのが如実に伝わってくる。宿泊客だけでなく旅館の方もここを毎日上り下りされてるわけで、そう考えるとこの尋常でない色の濃さも納得がいきます。こういうのを見るとその旅館の歴史の長さを理解しやすい。


2階から3階の階段は途中で左方向に折れ曲がっていました。
3階
1階から2階への階段は短い水平距離で1層分の高低差を稼ぐ必要があり、斜度はそこそこ急。それに対して2階から3階への階段は旅館の側面に沿って走っており、水平距離が長いので斜度は緩めでした。
同じ「階段」という要素でも、建物内のどこに設けられているかによってここまで差異が生じている。建築当時の設計方針に思いを馳せたりしてました。

よく考えてみたら1階から2階の階段は多くの旅館に存在している一方で、2階から3階への階段は3階建てじゃないと存在しない。自分はいま相当に貴重な建築物の中を歩いている、と考えるとなんか嬉しくなってくる。


3階の廊下の両側にずらっと並んでいる客室。廊下が狭い分だけあって「両側から迫ってくる感」が強く、障子戸といっても圧迫感はかなりのものでした。
ちなみに客室数こそ多いものの、現役で使われている部屋としてはあまり多くないようです。特に2階についてはほとんどが物置みたいな感じになっていて、そもそも戸が開かなかったりするところも少なくありません。宿場として往来の激しかった江戸時代と比較すると今では大人数が泊まることも少ないだろうし、これも時代の流れでしょうか。

各部屋については、部屋番号を表す「号」が昔の旧字体の「號」になっています。かっこいい。



表通りに面した客室からの眺めはこんな感じで、旅館の前の町並みが一望できます。
表通りに面した客室に関しては幅が約1.5畳分。廊下を挟んで建物の両側に客室が配置されている都合上、廊下と直角方向の幅を大きくとることができません。従って上の写真のように、廊下と並行する方の長さを大きく確保することで部屋の広さを得ています。


廊下は建物の左端から右端まで縦断しており、突き当りにトイレと洗面所があります。
自分が泊まった部屋はこの洗面所の奥にある小さな階段を上がったところにありますが、旅館の他の部分と比較すると後から増築した感じが強いです。部屋には特に部屋番号が割り当てられていなかったし、旅館の方の居住部屋を後に客室に変更したか、そもそもこの一角を後から建てたのだろうか…と推測してみたり。
実際に館内を散策しながら自分なりの視点であれこれ考えてみるのが結構好き。建物の造りをただ眺めるのではなく、なぜこういう造りにしたのか?と検討する時間が案外面白い。

今回泊まった部屋に続く階段の真正面に、お風呂への近道となる別の階段がありました。




お風呂はかなり広いです。洗い場の数も6つほどあり、浴槽はご覧の通り。思いっきり足を伸ばして浸かることができ、これを一人で使えることが嬉しい。
夕食
お風呂から戻った後は夕食の時間となります。


夕食は1階の食事会場でいただく形かと思いきや、意外にも3階の別の客室に案内されました。1階の厨房からここまで階段を上って料理を運んでくるのはかなり大変なので、実にありがたい限りだ。木造旅館の3階で食事をいただける機会はそう多くありません。
食事の内容は天ぷらや刺し身など家庭的な料理が並び、濃すぎない味付けが自分好みでなお良しでした。追加で日本酒も注文したりして、炬燵に入りながら静かな食事を楽しむことができました。
あと翌朝の会計時にわかったこととして、モンベル会員だと(当然、限度はあるだろうけど)食事時の飲み物代が無料になるようです。もしモンベル会員なら確認してみるのがいいかと思います。



食事を終えたところで、寝る前にささっと半纏を羽織って夜の町並みに繰り出してみる。
万馬集落の夜はこれ以上ないくらい静かで、今井屋旅館の回りに人の気配が感じられないくらい。昔はとても賑わっていたであろう町並みと今の静まり返った町並み。同じ場所の時間の流れが直接感じられて、旅館で過ごす時間をよりよいものにしてくれます。
「鄙びた」というのはかつては鄙びてない時期があったということに他ならない。古びた旅館はその土地で長い年月を経てきた存在であり、周りの環境と旅館は切っても切り離せない関係にあると思います。自分にとっての旅館はただ宿泊して食べて寝るだけ…という、単なる宿泊施設以上の存在。それを改めて実感できました。
翌朝
翌朝は二度寝を決めたい衝動を抑えつつ起床。今日は移動がそこそこ大変なので、布団から一発で抜け出ることができました。





朝食をいただき、出発の準備をして1階に下りていく。
木造3階建ての旅館の3階の客室に泊まって、翌朝に旅館を後にする。階下に下っていくにつれて昨日見た風景が視界を流れていって名残惜しさが何倍にもなってくる。建物が広いということは移動距離、ひいては自分が歩いていく中で目にする景色が多いということでもある。
こんな感じで、今井屋旅館での一夜は終わりを告げました。
おしまい。
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