赤沢宿 江戸屋旅館 江戸時代創業 七面山参拝の宿場に泊まってきた

今回は、山梨県南巨摩郡早川町の赤沢宿にある江戸屋旅館に泊まってきました。

早川町には、隣の身延町にある身延山(日本仏教三大霊山として有名)と、同じく信仰の対象となっている七面山(標高1982m)があり、赤沢宿は七面山や身延山へ参拝する旅人のための宿場町として栄えました。ただ単に七面山へ登る人だけでなく、身延町方面から久遠寺に参拝して身延山を越えてきた人、またその逆方向へ向かう人にとっても重要な町だったといいます。今でこそ2つの町は県道37号で簡単に行き来ができるものの、昔は道路なんて存在していなかったので山越えをするしかありません。

江戸時代以降、身延山及び七面山への参拝客は非常に多くなり、同時に「講」という組織も形成されました。講は広義としては様々な信仰集団のことを指し、ここでいう講は村落内などでまとまった人数で参拝をする集団のことをいいます。講は全国各地に存在しており、例えば信仰対象が身延山や七面山の場合は身延講といった感じ。

講は団体で長い距離を旅するため、道中の宿場には自然と指定旅館が定められていきました。この赤沢宿でもかつてはそんな指定旅館が多く存在していたのですが、県道の整備とともに赤沢宿を通らずとも参拝が可能になったことで徐々に衰退していき、現在営業している旅館はこの江戸屋旅館一軒のみ。講のための宿を体感できる数少ない旅館の一つです。

4年前に赤沢宿を訪れた際には江戸屋旅館の近くにある大阪屋という宿に泊まったのですが、ここも現在では営業休止中とのことです…残念…。

赤沢宿全体が山の急斜面に形成された集落であり、周りにあるのはいずれも標高1000m以上の高い山々。そんな山の中腹に突然家屋が登場してくるので、自分も数年前に初めて訪問したときは驚きました。

県道37号から赤沢宿への入り口
江戸屋旅館 外観
もくじ

外観

まずは外観から。

南アルプスを流れる早川に沿って走る県道から橋の手前の道を1本入ったところに支流・春木川があり、春木川沿いに道をぐんぐん上っていくと次第に赤沢宿が見えてきます。江戸屋旅館があるのは赤沢宿の比較的下の方で、建物は集落内を通る道の右側にありました。

遠景
駐車場の横にある倉

赤沢宿自体が重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、つまりどの建物が…というわけではなく街並み全体が歴史的に貴重ということ。あまり物音がしない上に空気が美味しいので、単純にただ歩いているだけでも心が落ち着いてきます。

そんな中で一際目立つのがこの江戸屋旅館で、特に遠くから眺めてみるとよく理解できると思います。1階と2階がとてもまっすぐに形作られており、その外観や構造も含めてすっきりとした印象がありました。シンプルイズベストというか、変に出っ張ったところがなくて自分好みな見た目をしている。

旅館の前には適度な広さの駐車場があり、その横にあるのが倉。

倉ってとにかく頑丈なのが特徴の一つですが、外観からだけでも中にしまってあるものが強固に守られているというのが伝わってくる気がする。特にすぐ近くに木造の建物があるので、比較としてこちらはビクともしなさそうな感じが強かったです。

倉に書かれている旅館名のフォントが良い

この倉には、ここが旅館であることを示す旅館名が記載されていました。

その「江戸屋旅館」のフォントが、上の写真の通り今までに見たことがないほど独特。なんだろう、ただ単に古めかしい文字というだけに留まらないお洒落な印象を受けました。特に「江」と「館」の文字が個人的に好きすぎて、旅館に投宿するのをそっちのけでずっと眺めてしまったくらい。

江戸屋旅館 全景
旅館前の風景。赤沢宿が一望できる

駐車場からちょっとした坂道を上った先が旅館の敷地となっており、正面に見える横に広い2階建ての建物が旅館の主屋です。右奥に見えるのは女将さん達の居住スペースで、普段はこちらにいらっしゃる様子でした。

1階部分は創業当時の江戸時代末期のままで、それが現在までそっくりそのまま残っているというから驚きの一言。2階部分はその後の明治10年に増築したものとなっています。


ここで江戸屋旅館の宿泊形式を説明すると、現在は1日1組限定となっています。コロナ渦で団体客が減少したことに伴いこのような形となっており、少し前までは団体客も宿泊できた(というか団体客がメイン)ようですが今は無理っぽい。

すでに述べたように今では「講」が少なくなったとはいえ、現代でも登山を兼ねて身延山や七面山に参拝する人は相当多いです(経験済み)。江戸屋旅館は赤沢宿唯一の旅館ということもあって人気が殺到しており、暖かい季節に宿泊するのは予想以上に難しいものがありました。ただ、今では宿泊者数が非常に限定されているため、日を選べば静かな宿泊が楽しめると思います。

というわけで早速宿泊。

構造としては主屋の右側に玄関があり、その横の建物側面には壁がある…のではなく一面が縁側と玄関土間になっていました。

赤沢宿内の建物の最大の特徴がまさにこれで、大人数の参拝客が一度に出入りできるようにどこからでも屋外/屋内への出入りが可能になっています。確かに一般的な正面玄関から出入りしていたらとてもじゃないけど大混雑してしまうし、旅館の構造が旅館の主目的に合致していて理にかなっている。

赤沢宿の成り立ちを考えると、最初から大人数が宿泊する前提で建物が建てられたと考える方が自然です。

玄関土間の広さに驚く

玄関土間の広さは自分の想像を遥かに上回るもので、ご覧のとおりです。

向かって右側が建物正面方向で、左側が建物右側面部分。屋外に面した雨戸の内側がすぐ土間になっており、つまり建物の4面のうち2面の全てから即座に出入りができる形です。これなら宿泊する人数がどれだけ多くても、履物を履いたり脱いだりするのが一度にスムーズに行なえますね。

玄関土間、それから縁側部分も創業当時から変わっておらず、特に縁側部分は1本の木材から作られているので継ぎ目がありません。どの方向にもぶち抜きで見通しが良く、同時に風通しも非常に良いです。この暑い季節に宿泊したにも関わらず暑さを全く感じなかったのは、赤沢宿の標高と江戸屋旅館の素敵な構造のおかげでした。

ここで女将さんにご挨拶して、江戸屋旅館での滞在がスタート。1日1組限定というのは電話予約時点では知らず、現地でお聞きしたものとなります。

女将さんは基本的に干渉してこない方なので、基本的にどのタイミングで散歩に出かけたりしても自由。夕食の時間(18時)までまったり過ごすことができました。


女将さんには色んなお話を伺いましたが、印象に残っているのは赤沢宿の旅館はとにかく忙しいということ。

宿泊する人の夕食や朝食、それにおにぎり(昼食)に加えて、昼間に身延山から山越えで来る人のお弁当等の準備が必要になり、しかもその人数が一般的な旅館とは比べ物にならないくらいに多いので寝ている暇がないらしいです。

確かに、よく考えてみれば旅館にはチェックインやチェックアウトの時間があるので、旅館に客がいない時間帯がある程度は存在しているのが普通。でもここではそれがあまりないわけで、ひっきりなしに何かしらの準備を要する事象があるので大変ということでした。

館内散策

玄関~1階

江戸屋旅館の建物は1階と2階がある中で、今では1組限定ということで2階は特に使用していないとのことでした。

前述の通り、江戸屋旅館の館内には特に玄関を通らなくてもアクセス可能です。

正式な玄関は建物の右側にあり、入ってすぐに広めの玄関土間と扉で仕切られた靴箱がありました。玄関の正面の部屋を含めて、女将さん達の居住スペースは右側に続いています。

個人的に良いなと思ったのが、縁側が連続的に居住スペースまでずっと続いているという点。曲がり角でもちゃんと上を歩けるように通路が確保されており、玄関土間→縁側→屋内、という図式が崩れていないところがグッと来ました。

昔の階段

玄関正面の部屋の左側には赤沢宿の観光パンフレット等やスイカが置いてあって、その奥には古めかしい階段が見えます。

この階段はかつて使われていたもののようで、あまりに古くて危ないのでちょうど裏側に新しい階段を作ったとのことでした。こちらの古い方は通れないように塞がれています。

昔の階段ってとにかく角度が急なのが特徴ですが、完全に撤去してしまわずに残されているのが良いですね。時代が経つにつれて利便性というのものは無視できない要素ではあるものの、昔のものをしっかり残すというのが素敵。

玄関から右側を見ると、先程投宿するときに見かけた長い玄関土間が奥まで伸びています。

一様な構造が多い江戸屋旅館において、玄関周辺はその中でも特に木々が複雑に構築されているところでした。上を見上げれば太い柱が縦へ横へと連なっているのが見えて、木造建築だとしてもある種の力強さを感じることができる。

昔の建物って、こういう風に梁や柱が全面に押し出されているのが個人的に好きです。変に壁で覆い隠してしまわない分、建物の骨組みというか、ここの部分で荷重を受け持っているんですよというのがよく理解できるというか。

そのまま縁側に沿って移動し、建物正面部分へ。

個人的に江戸屋旅館で一番好きになったのがこの正面の縁側部分で、とにかく風通しと日当たりが良いのが決め手になりました。方角としては東に面しているので朝は真っ先に日が当たり、夕方でも逆光で良い感じの明るさになってくれる場所です。

一般的な旅館だと投宿した後って室内にいることが多くて、こんな風に日光に照らされるところに自分から出てくることなんてめったにありません。でもここでは屋内と屋外との境界が曖昧で、意識しなくても気がついたら縁側で座って空気の流れを感じていた、ということがままにある。

元々の目的としては、客の出入りを楽にするためなのは間違いない。でも、現代ではそれが江戸屋旅館ならではの開放感を演出しているのが理解できました。こういうのが好き。

雨戸が通る枠部分の様子はこんな感じ。

今回の投宿時は前日に雨が降ったこともあり、建物右側面の雨戸は閉めっぱなしになっていました。晴れていれば建物正面部分と合わせて両側が開放される形になっており、雨戸が通る枠にはこのようにカバーが設けられています。雨戸が閉められているときはヒンジで傾けておき、雨戸がないときはヒンジを起こして枠部分をまるごと覆うという仕組み。こうすることで枠部分を跨ぎやすくなっています。

当然ながら枠部分も木製なので、踏みつけられることによる変形を防ぐ目的だと思います。

ちなみに雨戸の白い部分は和紙ではなく発泡スチロール製で、昔は完全な木の板だったとのことでした。発泡スチロール製に変更したのは見栄えをよくするためかも。

縁側の天井には洗濯物を干す物干し竿が
縁側の曲がり角。木材の継ぎ目が美しく、年代物だが劣化していないのが分かる。

そのまま縁側を歩いていくと、縁側の柱に講中札が掛けられているのが確認できました。

講中札は講の指定旅館の掲示で、要はこの旅館は○○という講の定宿ですよというのを分かりやすく掲示しているものになります。デザインも千差万別で美しく、講中札がずらっと飾ってある光景は見事。それだけお世話になっている団体が多いということですからね。

広間天井の様子

そして、これが初見で圧倒された1階広間の様子です。

広間は8畳×4部屋の合計32畳と、その奥にある小部屋が6畳×2部屋の合計12畳。合わせると1階全体では44畳というとてつもなく大きな面積があり、部屋ごとに普段なら設けられているはずの障子戸/襖戸がないため前方面に見通しが良いのが特徴です。おそらく講の人数が少ない場合は間取りがちゃんとされていたんだろうけど、いかんせん大人数で泊まるのがメインなのでいつの間にか取っ払われた様子。

現代においても身延山や七面山の参拝者が多いのは先に述べた通りで、現代でも赤沢宿全体で多いときには300~400人ほど泊まるそうです。この江戸屋旅館1階にはマックスで40人ほどが寝泊まりするそうで、「寝て1畳」の言葉の通り、単純計算でだいたい一人1畳の雑魚寝状態になるみたい。まるで修学旅行だね。

1階部分は創業当時から一切変わっていないこともあって、柱はもちろん古びた襖戸もそのまま残されています。畳敷きの床、障子戸、柱や梁。視界内に入る要素すべてに木材が含まれていて、やはり旅館はこうでなくてはと思ってしまう。

なお、かなり古い建築ですが天井はかなり高めでした。

ちょうど左奥にある一間が座敷になっており、ここには机や座布団、扇風機、蚊取り線香などが置かれています。これは現在の1日1組の宿泊形態に合わせた形になっているようで、雑魚寝が基本の往時では何もないのが普通のようでした。

この座敷は食事会場という立ち位置で、夕食や朝食はここでいただくことになります。

広間の奥にあるのが客室となっており、床の間付きの豪華な部屋です。

設備としてはテレビやポット、扇風機があるので夏場でも安心。アメニティは浴衣と歯ブラシがあります。

広さは6畳なので広間に比べるとこじんまりとしているかもしれませんが、何と言っても床の間があるので客室としては申し分ない感じ。床の間のすぐ横に付書院があって、なんか珍しいと思いました。

本来ならこの部屋でまったりと過ごすところ、広間の開放感が強すぎるので滞在中はもっぱら広間で横になっていることが多かったと思います。昼寝をしないまでも、やはり縁側と玄関土間の雰囲気が好きになったので縁側にいる時間もまた多かったり。なので、この部屋で過ごす時間はそんなにないかもしれません。

すぐ横にはほぼ同じ構造をした6畳の客室が続いていて、こちらは宿泊時の寝室として使われていました。

以上をまとめると、少なくとも現在ではこれだけ広い館内を1組という貸切状態で泊まることができます。

客室と寝室を分けた二間続きの二間を使うことができるというだけでも素敵なのに、それに加えてあの広間においても自由に過ごすことができる。これこそまさに贅沢という言葉がぴったりだと思いました。

続いては旅館の奥側へと移動。

今回泊まった部屋から縁側沿いに右へと向かうと廊下があり、廊下を直進すると厨房や2階への階段が、左に向かえば洗面所やトイレ、風呂場があります。

縁側部分と廊下に特に境界はなく、扉を開け締めすることなく両方へ行き来ができるという意味で開放感がある造りとなっています。というか今まで見てきた旅館の構造がすべて風通しが良いものばかりで、この廊下についてもその延長線上のような感じになっていました。

タイル張りの洗面所
タイルの色合いが良い
トイレの床は洗面所と同じようなタイルでした

洗面所と、その奥のトイレの様子はこちら。

洗面所は宿泊人数に見合ったような幅広のもので、カラフルな色のタイルで構成されています。同時に複数人が使用することが考慮されているようで、その蛇口の前にも鏡が設置されていました。

トイレについては男女の別はなく兼用で、大便器の床は洗面所のものと同一のタイルでつくられているようです。

浴室の天井

お風呂の様子。

湯船のうち左側はおそらく洗面所やトイレと同年代と思われるタイル張りになっており、もう片方は近年後から設置された金属製のタイプ。前者については長らく使われていない感じで、今回の宿泊時も後者の方を使わせていただきました。

あと、ちょっと気になったのが浴室の天井の構造です。枠の部分は木製でそれ以外は後から塗りが施されているような独特の形式でした。このあたりは昔から特に変わっていないのかも。

左の部屋が、就寝時に使った部屋

1階の最後は、洗面所の前の廊下を直進したところにある箇所です。

廊下をまっすぐ進んでいくと正面にアコーディオンカーテンがあり、その奥には厨房がありました。厨房の手前を右に向くと2階への階段と、それと今回泊まった部屋の片方の部屋へ続く襖戸があります。つまりテレビ等がある部屋には広間や縁側から、就寝時の部屋にはここからアクセスできるようになっています。

2階への階段は玄関前で表の階段のちょうど真裏にあって、先に述べた通りそっちが急すぎるので後付されたもの。

確かに表の階段と比べると斜度が緩やかなのに加え、横方向にもかなり広いです。昔は2階での宿泊人数も相当多かったと考えると、むしろあの細い&薄い階段でなんとかなっていたというのが驚き。

2階

1階の散策が終わったので、続いては明治10年に建築された2階に向かいます。といっても現在では2階を使用していないため、廊下から覗く程度に留めました。

2階に上がって驚くのが、1階と比較すると明らかに天井が低いということ。

自分の身長だと、気をつけないと各所に頭をぶつけそうでした。逆に1階は古い建物にしては天井が高かったけど、これには何か理由があるのかな。

階段を上がると階段の後方に左右それぞれ1部屋ずつ小部屋があり、ここはいずれも布団置き場になっています。客室としては階段前方の正面と左右に続いているようです。

向かって右側の広間はこのような感じで、ちょうど真下にある1階の広間と間取りは同じでした。

1階でいう縁側の部分は2階では広縁に相当しており、窓にあたる部分は雨戸になっているようです。


館内全体の散策を終えたところで、夕食までは完全に自由な時間。

時間帯はまだ夕方だったので赤沢宿の様子などを思い出す目的で散策に繰り出したものの、ほとんどの家屋が閉まっていたり、人の気配がなかったりして少し寂しい思いをしました。特に例の講中札が架かっている建物、つまり昔は旅館だった建物も、見かけた範囲では営業しているどころか中に住人がいるのかどうかすら怪しい。

赤沢宿散策後は特にやることもないので、広間で寝転がって昼寝をしてました。

そういえば投宿からそれなりに時間が経過していて、陽光の差し込む方角や角度も徐々に変化している。江戸屋旅館は館内にいながら屋外の様子が手にとるように分かることもあって、そういう時間の流れを実感しやすかったと思います。

明るければ太陽光のみで過ごし、暗くなってくれば電灯等の明かりをつける。現代ではほぼ無意識でやっているような動作だけど、こういう宿に泊まっていると自然と電灯を消してありのままの時間の過ごし方をするのが好きだったりします。

現代に生きる者としては、仕切りや多かったり窓が少ないような建物では、なんというか建物周辺の環境を感じるのが難しいと感じることがあります。今は夏なので動植物が活発なこととか、ここがどの程度の標高で、山に囲まれているから日が落ちるのが早い、とか。そういう人工的ではない自然環境のこと。

江戸屋旅館ではそういうことはなくて、逆にすべてが五感にダイレクトに入ってくる。

屋外と屋内が直結しているので心地よい風が肌にあたるのが分かるし、日が落ちて気温が次第に下がっていることも、すぐそこの木でセミが鳴き始めたこともすぐに分かる。昔の建物では当たり前だったことが、現代でも同じように実感できる。江戸屋旅館での滞在ではそれが嬉しかったです。


お風呂に入った後でも扇風機すら必要ないほど涼しく、自分の知らない間に夏が終わって秋になったかのようでした。

セミはいつの間にか鳴きやんでいてキジバトが鳴いていたりして、でも車の音などは聞こえてこない。理想の宿泊の要素の一つを環境の良さとするなら、赤沢宿は間違いなくベストだと思います。

館内には昭和48年(1973年)の写真も飾ってあって、今とそんなに変わっていませんでした。

赤沢宿の真正面にそびえ立っているのは、すでに話に出てきた七面山そのもの。

修業の場ということもあって、ちょっとお遊び感覚で登るには少々ハードルが高い山です。今度、良い時期のときにピストンで参拝してみようかな。

夕食~翌朝

夕食は泊まった部屋の正面にある広間の一箇所でいただくことになり、待っていれば女将さんが持ってきてくれます。

夕食の内容は野菜の天ぷら、野菜の煮物、焼き魚はこのあたりの川で採れたニジマス。焼き加減が自分好みで一瞬で完食しました。飾ったところが一切なく、地のものが前面に押し出されています。

食事の美味しさもそうだけど、食事をいただく場所が全方向に広いというのが良い。広すぎて落ち着かない…というパターンもあると思いますが、夏場ならこの開放感が何よりの味付けになってくれる。

食後はビールを飲みながら、夕方から夜に差し掛かる時間帯をまったり過ごしました。

夜の赤沢宿

そうこうしているうちに完全に夜になり、女将さんの息子さん?が1階縁側の雨戸を閉められていました。

聞くところによると、雨戸の開閉は基本的に毎日されているとのことです。今日は先日大雨が降ったばかりなので建物左側の雨戸は閉めっぱなしにしていたものの、正面の雨戸は宿泊者が出入りするところなので例外なし。

作業を縁側から見学させていただいたのですが、戸袋から雨戸を引っ張り出したり、それを溝に沿って押すのもかなり大変そうでした。最後の方は全部の雨戸を一度に押す形になるわけで、これを日常的にされているというのはすごい。


陽光が支配していた昼間の時間帯とは対象的に、今は電灯の灯りだけが頼りになります。

ほどよい明るさの電灯を障子戸越しに眺めていると、さっきまでとの明るさの落差が分かりやすい。

夜になれば自然と眠くなり、それに逆らう理由もないので早い時間に就寝となりました。

布団については雑魚寝で使用されるのが前提なのか、一般的な敷布団よりも幅が狭かったです。枕は断面がほぼ円形のもので、旅館ではこれもまた珍しい気がする。


翌朝。

赤沢宿の夜は本当に静かそのものでした。余計な物音がなんにもない…と言葉で表すのは容易なものの、ここまで静かだとは思ってませんでした、おかげで100%の安眠ができたし、寝るにはこれ以上の環境はない。

朱色の膳

朝食の内容はこんな感じ。

七面山への参拝客は出発がとにかく早い(登山と同義)なので、朝食の時間は例えば6時とかからでもお願いすれば可能です。ただし今回は特に急ぐわけではないため、7時にしてもらいました。

内容は、朝から活力がみなぎるような品ばかり。旅館の朝食はなんだかんだ言ってもやはり白米が中心にあり、その消費を促進させる強力なおかずがその補佐となっています。自家製の梅干しもそれにプラスされて、案の定お櫃が空になりました。

朝食の後は女将さんにあれこれお話を伺い、また再訪することを心に決めてからの出発となりました。

おわりに

江戸屋旅館は一般的な旅館とはどこか毛色が異なった雰囲気があり、その歴史を紐解けば身延山や七面山参拝客のための宿と至極納得がいくものでした。それは建物の造りにも如実に現れていて、自分が団体客の一員だったら…と考えると、玄関土間や縁側など使い勝手が良いポイントが際立って見える。本当によく考えられた旅館だと感じます。

江戸時代に最盛期を迎えた身延周辺の山々の参拝は現代でも確かに続いており、そんな中で江戸屋旅館は赤沢宿唯一の旅館として親しまれています。参拝という要素を抜きにしたとしても、下界の喧騒とは無縁の静かで落ち着いた滞在が満喫できるはず。個人的にもかなり好きになった宿でした。

おしまい。


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