今回は、五島列島福江島ライド時の宿として荒川温泉にある竹乃家旅館に泊まってきました。
竹乃家旅館はいわゆる温泉旅館に該当する旅館ですが、実は五島列島には温泉がここ荒川温泉にしかありません。他の入浴施設は海水を使って沸かしているもので、純粋な温泉はここだけとなります。
長崎県自体が温泉地というイメージが薄くて、しかも五島列島のような完全な離島で温泉に入れるのはとても貴重です。今回の五島列島ライドは全体を通して坂道が多く、それを温泉で癒やしたいという理由から宿泊を決めました。
竹乃家旅館は長崎県五島市玉之浦町荒川地区にあり、その名の通り地名が温泉の名前の由来になっています。
福江島の西側を走る国道384号から道を一本入った路地裏に旅館はありました。
元遊郭旅館
この竹乃家旅館、なんと温泉旅館というだけではなく元遊郭旅館とのことです。
かつての荒川地区は捕鯨をしていたり、遠洋漁業の基地があったりして湾いっぱいに漁船団が集まっていたほど活気があった場所。大正5年に温泉が開湯してからは遊郭も徐々に増え始め、全盛期には12軒ほどあったそうです。
竹乃家もそのうちの一つで、荒川温泉の歴史についてまとめた「長崎県温泉誌Ⅴ 五島列島荒川温泉とその他の温泉」によれば下記の通り。以下引用します。
…荒川港は東支那海の遠洋底曳漁船の避難港として使用されていた。従って各地の港と同様に遊郭(赤線)があった。竹乃家 竹中勝(昭和4年生、61才)によれば次の如くである(1994年2月1日、山口が聞取り)
「大正時代には遊郭が12軒ぐらいあったらしい、太平洋戦争中には減った。終戦当時は7軒くらいあった。
昭和33年4月に売春禁止法が施行され遊郭(赤線)はなくなった。その頃にあったのは6軒であった。竹乃家、まねき、叶、久の家、喜楽、福助で酌女を6~7人、多い家で10人位置いていた。」
「当時の漁船は小さく、荒川港は漁場に近い為に台風時は500~600隻も避難していた。」
「昭和30年に大洋漁業が対岸の白泊に解体場を設けて捕鯨を始めた。長須鯨が毎日とれた時もあった。見物に来る人、鯨肉を食べに来る人が大勢来た。」
「昭和35年、竹乃家旅館を開業した。宿代は1泊2食付で600円、素泊300円であった。お客は2人連の素泊が多かった。女中さんの月給3000円~2500円であった。」
「昭和40年代はまだ漁船の入港が多かった。昭和60年頃から底曳網船の景気が悪くなった。昭和63年~平成1年頃までは布着網船の景気は良かった」
引用終わり。
人が集まる場所には自然と遊郭が形成されるため、当時は漁関係者を中心に相当な賑わいを見せていたことは想像に難くないです。しかしその活気も時代とともになくなっていき、今の荒川地区はひっそりと静まり返っているようでした。
上記の長崎県温泉誌Ⅴ 五島列島荒川温泉とその他の温泉は長崎県公式サイトで閲覧できるので、時間があれば読んでみてください。
資料の中には1995年当時の荒川温泉街の様子が写真つきで説明されていて、今はもうない他の旅館などの様子も見ることができます。なお竹乃家旅館の外観は今と全く変わっておらず、今回泊まったときの感慨がより深くなりました。
女将さんは現在88歳で、22歳のときに嫁いできてからずっとこの旅館に携わっておられるようです。5年前に年齢のため一度は閉業されたものの、その後また復活されて今に至ります。
チェックインやチェックアウトの時間は特に決まっておらず、また宿泊客は釣り人が多いためか朝食の時間は6時とか早くても対応してくださいました。
館内散策
外観
それでは早速投宿することに。
竹乃家旅館は奥側と右側が別の建物に接していて、左側に広めの駐車場があります。なので左側面はまるごと外観が確認できました。
泊まった客室は2階右側の部屋で、窓のところに欄干と雨戸があるのが分かります。他にも壁が板張りであることが明確になっていたりと、古い建築がそのまま残っているようでした。
屋内
旅館の正面玄関は、通りに面した建物の中央にあります。
玄関を入って右側が居間、左側に2階への階段と食事部屋があります。
さらに右奥が温泉へ向かう通路になっており、日帰り温泉の場合はここを通ることになります。左奥は厨房と女将さんの部屋で、普段はこちらにいらっしゃるようでした。
食事部屋はその名の通り夕食や朝食時に使う部屋となっていますが、今はコロナの関係で宿泊者によって部屋を分けているようです。今回は自分の他にもう2組の宿泊者がいたので、自分は居間で夕食をいただく形になりました。
居間についてはかなり広く、来客用として申し分ない感じ。
宿泊者が泊まる客室はすべて2階にあり、まず階段を上がって左側に2部屋、そして右方向に曲がった先に6部屋ほどあります。
後者については廊下の左右に障子戸で区切られた部屋が隣り合っているという昔ながらの造りですが、普段使われているのは建物正面側の部屋だけで、奥側は布団置き場などになっていました。
そのまま廊下を進むとトイレや洗面所があり、突き当りが1階にある温泉へ下る階段となっています。
また、ここからは部屋を取り囲む周り廊下へ(狭いですが)通れるようになっていて、ここは広縁のような用途で使われていました。周り廊下というと遊郭においては他の客と顔を合わせずに出入りができるため用いられている印象があって、竹乃家旅館でもおそらくそういう使われ方をしていたんだろうと思います。
トイレについては男女兼用になっているほか、水洗ですらないボットン便所でした。これについては人によって合わないかも。
泊まった部屋
今回私が泊まった部屋は、2階への階段を上がってすぐ左側にある「一番」の部屋。
広さは8畳あって、旅館の中ではかなり良さげな部屋という印象を受けました。
部屋にはエアコンやテレビ、ポット等があるので特に憂うことはないと思います。
先ほど外観で確認した窓はこの通りで、和紙の代わりにプラスチックが貼られた障子戸の外側には何もありません。
かつては雨の日に雨戸を閉めていたものの、今では雨戸が取り外されているので特にそういうことはしていないようです。
温泉
すでに書いた通り、この旅館の売りは温泉です。
泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物泉で、源泉温度は67.5℃と相当に熱め。効用としては神経痛や筋肉痛など多岐にわたるようです。源泉かけ流しなので湯は新鮮そのもの。
今回の旅で泊まった他の宿がすべてシャワーのみだったことを考えると、やはり旅先で温泉に入るのは疲労回復という意味でも重要。良い時間が過ごせました。
階段を下った先には洗面所やトイレ、そして温泉があります。
温泉は家族湯のように貸切りする形式で、誰かが入っている場合はアコーディオンカーテンを占める形になります。
なので自分の好きなタイミングで気軽に行けない反面、一度入ってしまえば他の人を気にせずに長湯ができるという利点があります。
五島列島で一番栄えている福江の正反対にある場所…ということで宿泊者は少ないのではと思ったけど、どうやら釣り人がとても多い様子です。しかも基本的に釣り人は何泊もするようなので、案外部屋が埋まっていることがあるかもしれません。
浴室はこんな感じで、向かって右側に洗い場、左側に湯船があります。
湯船を含めて基本的にタイル張りで、溢れた湯が静かに外に溢れ出ている。荒川温泉自体がとても静かなことと相まって、余計な音がない中で温泉に入れるというのは嬉しい。
源泉温度は熱いものの湯船の温度は実に適温で、この春の時期にじっくり浸かって長湯がしやすい温度でした。
また、その隣には別の浴室もありました。
こちらは人が多いときに使用されるのか、もしくは旅館の方のためのものなのかは分かりませんでした。ただ使用感を考えると前者なような気もします。
夕食~翌朝
夕食は、玄関横の居間でいただきました。
夕食の内容は、五島列島ならではのキビナゴ、ヒラマサ、真鯛など海鮮系がメイン。
特にヒラマサは高級魚として有名で、例えば東京で五島列島産のこれと同じくらいの量を食べるようとすると結構な金額になるようです。でもここではそれがまさに現地でとれたもので、五島の人々にとっては珍しくもない普通の魚。なんという贅沢というほかない。
キダイ(レンコダイ)は塩焼きでいただき、これも食べやすいのが実によかった。これだけの食事を女将さん一人で作られているのがまずすごいと思います。もう88歳なのに宿泊関係となると途端にシャキッとされていて、100歳までは営業したいとのこと。
夕食から戻ると布団が敷かれていた。
旅館の夜はあっという間に眠くなってしまって、遅い時間まで起きているということがない。今回もまた日中の疲れや温泉の気持ちよさが身体に影響していて、夕食後はすぐに寝ました。明日の朝も早いし。
朝食は、自分が泊まった部屋の真下にある食事部屋でいただきました。
すでに釣り人の2組はチェックアウトしているようで、静かな中での朝食となりました。
荒川温泉街
最後に、今回泊まった荒川温泉街と荒川地区の写真を載せておきます。
温泉街なのは温泉街だけど、今となっては温泉に入れる施設はこの竹乃家旅館と近くにある「地域福祉センター荒川温泉」のみのようです。
全体として古い建物が多く立ち並んでいる中でも施設としての色は薄くなっており、パッと見る限りでは海沿いの漁村というイメージが強い。ただし人の生活の場としての「町」の雰囲気は確かにあって、家の前を通ると中からテレビの音が聞こえてきたりました。
また、ちょっと意外だなと思ったのは若い人が比較的多いこと。
なんでも五島列島には移住者が多いらしく、この荒川地区にも若い人が越してきているようです。何の仕事をして生活をたてているのかは定かではないものの、完全な離島なので勢いで移住してくるにはなかなかハードルの高い土地だと思います。
荒川地区を一望する竈神社の境内から。
こうしてみると、本当に限られた土地に人が住んでいるのが理解できる。
荒川地区は歩いて十分回れるほどこじんまりとしている割に、旅館があって店があって、商店や港もある。
荒川港の歴史を紐解いてみるとその栄枯盛衰ぶりがよく実感できると同時に、この令和の時代の荒川地区に宿泊できたのは個人的にかなり嬉しいです。
しかも自動車等ではなくロードバイクという旅で、ここまでノスタルジックな雰囲気に浸れたのは満足の一言。
おわりに
竹乃家旅館は当初は温泉旅館という認識だったのが、いざ泊まってみたら元遊郭旅館ということが分かって驚いた。
高齢の女将さんがただ一人で営業されている旅館、そこでの温泉や食事はここでしか味わえないものだと思う。これからも長い間続いていってほしいと感じました。
おしまい。
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