今回は富山県南砺市井波にある書院造りの料理旅館、東山荘に泊まってきました。
井波は日本一とも評される井波彫刻が有名であって、木彫刻の文化を今に伝える信仰と木彫りの町。井波彫刻の歴史は約600年前に遡るそうで、井波別院瑞泉寺という井波の寺院が火災により消失した際に、再建のため派遣された京都の彫刻師が井波の宮大工に技術を伝えたのがその始まりとされています。
東山荘が建っているのはその瑞泉寺の山門前で、つまり歴史とともに井波の町の様子をずっと眺めてきた存在と言えるでしょう。創業は江戸時代の元禄(1688~1704年)と非常に長い歴史を持ち、昭和初期に現代の形に改修された経緯があります。
屋内には昭和初期の井波欄間や美術品が多数飾られており、井波を散策してその文化に触れた後に宿泊するにはこれ以上ない宿。電話予約したのが約2ヶ月前だったものの、当日が晴れてくれてより一層素晴らしい宿泊となりました。
外観
まずは外観から。
井波の町並みはとても分かりやすい造りをしており、八日町通りと呼ばれるメインストリートを抜けた真正面に瑞泉寺が建っていて、家屋はそれらの周囲に建ち並んでいます。瑞泉寺は井波において最も訪問者が多い場所のようで、どの時間帯でもひっきりなしに参拝目的の客が訪問しているほどでした。
東山荘はその瑞泉寺の山門前、石垣内側の駐車場へと続く石畳の路地の脇に位置しています。従って表通りの交通量は比較的多めですが、路地の幅が車1.5台ほどしかなのですれ違いに四苦八苦している車が目立ちました。
東山荘は正面から見ると、左側の蔵と右側の木造部分で構成されていることが分かります。木造部分については2階建てで、1階真ん中の入口が旅館としての玄関、左側の赤い壁の部分の入口が家屋としての玄関になっているようでした。
1階の窓は千本格子で、2階の窓側には欄干や戸袋がそのまま残されているのが確認できます。少なくとも外観からだと、近代的になっているような場所は少なくて古いままの雰囲気が保たれている。
建物と蔵の左側には旅館の駐車場があって、ここからは東山荘の左側面部分が見えました。
表通りに面した部分だけでもかなりの広さを持つ旅館だと思っていたけど、奥行きも相当なものでいきなり驚いてしまう。しかも後述するように東山荘の中には庭園がいくつかあって、建物が庭園を囲むように建っていますが、外観からではそれは分かりません。
泊まってみないと全容が分からない宿はとても多いので、中に入る前にまず外観を確認するのは今後もやっていきたい。
館内散策
1階玄関周辺
続いては館内へ。
東山荘のチェックインは15時から可能で、ちょうどそれくらいの時間に井波に到着したのでそのままの勢いで投宿。なお宿泊プランは宿泊料金の大小で2種類あり、高い方は食事のおかずの数が多いということで、今回はそちらを予約しました(税込11,000円)。
あと東山荘は旅館ではなく「料理旅館」なので、宿泊を含めない小宴会等も随時開催されています。館内が広いのも、大人数が集まることが少なくないと考えれば自然な構造。館内にはWi-Fiも整備されていて、昭和初期から現在に適応した木造旅館という立ち位置です。
というわけで女将さんにご挨拶をして、ここから東山荘での滞在が始まりました。
玄関の様子はこんな感じで、地面に玉石が敷かれた厳かな雰囲気のもの。
面積も比較的広く、宿に到着してまず最初に眺める光景がこれなのでとても安心感があります。玄関から正面への動線も自然で、ある程度見通しが良いのが好き。
玄関を入って左側に靴箱が、右側には壁を挟んで少し小さな玄関があり、ここは旅館の方の玄関として使用されているようです。表から見えた左側の玄関がてっきりそれかと思っていましたが、あれは単に厨房への入口なのかもしれません。
現在、東山荘は料理旅館として営業をされているのに対して、昔は料理旅館ではなく宿のみの形態で営業をされていました。
当時は屋号をとって「小牧屋平助」という名前の宿だったそうで、この「牧」の文字をとり、後にこの一家の名字が牧野になりました(女将さんの名字が牧野)。東山荘という名前になったのは女将さんの先代のときで、同時に宿から料理旅館へと転換しています。変遷としては小牧屋平助→牧野平助→東山荘の順。
玄関に残る古びた木製の「旅館 牧野平助」の看板は、その当時の名残り。あと昔の新聞の折込も玄関に飾られており、「越中国砺波郡 井波別院 御定宿 牧野平助」と書かれています。
今の感覚からすると牧野平助は人の名前であって、宿の名前だとはなかなか想像がつかない。
玄関を上がると動線は正面へと続いており、廊下部分は玄関ロビーのような造りになっています。向かって右側には女将さんが普段いらっしゃる居間があって、自分が投宿したときも女将さんがこちらから出てこられていました。
左側のガラスケースには高そうなコップなどが展示されており、その右側にあるのが厨房への入口です。建物左側にあった玄関の位置関係と一致するので、やはり玄関というよりは勝手口のような使い方をされているようでした。
玄関周辺の雰囲気は個人的に好きな要素が多くて、木造建築なんだけど床には落ち着いた色合いの絨毯が敷かれている。壁にはバスの時刻表や井波の観光案内などが多く貼られているので、とりあえず玄関に降りれば何かしらの情報を把握することができます。
驚いたのが、この玄関ロビーに飾られていた部屋名を記した名札でした。
現在の東山荘の部屋名はいずれも万葉集から引用されているもの(朝霧、藤波等)ですが、それより前、つまり牧野平助の時代にはこちらに展示されている部屋名が使われていました。見た感じだと第1号~第10号まで部屋があって、そのどれもに個性的な名前が付けられています。
これらは各部屋に飾られている井波欄間の内容に則したものだそうで、例えば欄間が鷹の絵だったら鷹の間、菊だったら菊の間という感じです。ただ「高砂」や「井筒」は女将さんでもよく分からず、当時の相撲取りの名前か何かから取ったのではとのこと。
さっきの新聞の折込もそうだけど、こういう風に昔の状況が分かるものをちゃんと保管されているというのが素晴らしい。古い宿における昔の状況って女将さんやご主人の記憶の中にしか残ってないところが多いなか、東山荘は記憶ではなく記録に残すという点で、しっかりされていると感じました。
ちなみに、今回自分が泊まった部屋の昔の名前は「月の間(第1号、現在だと朝霧)」。こちらは欄間由来ではなく、窓から月が見えるかららしい。これは部屋に行くのが尚更楽しみになってきた。
玄関ロビーの横には昔の電話室が残されていて、中には黒電話が置かれていました。
電話室のようなこじんまりとしたスペースは自分も好き。
玄関ロビーを通り過ぎると動線が分かれていて、そのまま正面に進めば1階の客室へと行くことができます。ただし現在では宿泊者は基本的に2階の客室に泊まる形になっているようで、1階の客室はメインで使われてはいないようです。
右側に曲がると2階への階段、次いで1階洗面所やお風呂への廊下が続いていました。階段については宿泊者が必ず通ることになるので通行頻度は高いほか、正面の廊下についてもお風呂に入る際に通ることになります。
女将さんに、1階客室の様子を見せていただきました。玄関ロビー正面の段差を上ったところにある襖戸を開けるとその先に短い廊下があり、ここには客室がいくつか並んでいます。
そのうちの一つが「雁音」という10畳の部屋で、見ての通り丸テーブルに絨毯とお洒落な雰囲気があって過ごしやすそう。部屋の正面には見事な床の間、そして右側には庭に面した広縁があるし、客室として申し分ない良さがあります。
これについては詳しくは後述しますが、東山荘の客室はいずれも8~10畳と広く、かつ広縁付きなのが特徴です。
一般的な旅館でよくある6畳の広さの客室は1階の一室のみで、しかもその部屋は普段使いをされていません。従って宿泊者は一人であっても広々とした部屋で過ごすことができるというわけで、これには驚きました。しかも全部屋が広縁付きだなんて…。
旅館に滞在する上では、特に広縁の有無は精神的な余裕に大きな影響を与えるもの。実際に広縁で寛ぐにしろそうでないにしろ、客室自体に加えて+αのスペースがあるというのは快適さに関わってくる。ネットの予約サイトなんかでも、広縁がある部屋は宿泊料金もちょっと高かったりします。
でも東山荘の客室には例外なく広縁があるので、この部屋ではなくあっちの広い部屋に泊まればよかった…という気分にはなりません。だってどの部屋でも快適なのだから。
1階階段~洗面所~風呂場
玄関ロビーを通り過ぎ、続いては階段前にやってきました。
こちらが、東山荘の1階と2階を繋ぐ階段です。
ここ以外にも階段はあるのですが、そっちには段差に物が置かれていたりするので実質的に使われているのはここだけのようです。宿泊者だけでなく女将さん達も食事の運搬や掃除などで例外なくここを行き来されるので、創業当時から考えると相当年季が入っている。
構造としては踊り場を介して左に折り返すような形で、全体的にスカスカではなくがっしりとした造り。
階段があるスペースは高さ方向にも広く、館内でも一際存在感を感じるところでした。床には絨毯が敷かれているものの、構造そのものは当時から変わっていないようです。
階段の横には戸があって、玄関ロビーにあった入口と同様に厨房へと通じています。
階段の前には井波や富山周辺の観光案内が置かれていたので、暇になったときはここでちょっと内容を読んだりしていました。
階段前を通り過ぎ、そのまま廊下を歩いていくと突き当りで右に折れます。
この周辺には男女別のトイレと洗面所があって、1階に宿泊する場合はこちらの設備を利用する形になるっぽいです。なお2階にもトイレと洗面所はあって、どちらの階にしか存在しないというわけではないので使いやすい方を使えばいいです。
1階洗面所の様子。
洗面所は横に長い石造りの構造で、正面と側面がすりガラス調のガラス戸になっていました。ガラス戸の向こう側は中庭に面していますが、そこに差し込んできた陽の光をうまく館内に取り込める形です。
端の方に飾られている花だったり、すりガラスの木枠の形だったりがなんというか好き。洗面所って旅館の中でも特色が出やすい箇所だと自分は思っていて、泊まる宿によって千差万別なのがいいですね。
洗面所を過ぎて先に進むと廊下の突き当りにお風呂場があり、その手前の左側には2階への階段があります。
さっき話した別の階段というのがこちらで、旅館中央にある階段に対して補助的な感じ。幅も人間一人分くらいしかありません。
この階段は見ての通り通れなくなっていますが、これは広すぎる館内を適度に分断して導線を分かりやすくするためのようです。通れるところが多すぎると管理や掃除が大変なので、宿泊者の行動範囲を限定するのは理にかなっているといえます。
玄関周辺は廊下の幅も広くて見通しが良かったのに対して、ここは旅館の中でも奥まったところにあるためか、それなりに閉塞感があります。館内によって明確に雰囲気が異なっていて、自分としてはこういうのも好き。
お風呂場の様子はこんな感じで、脱衣所や浴室は生活感のあるものでした。浴室はちょうど旅館の建物の左側面に面しているようで、そこからの陽光が屋内に入ってきます。温度は結構熱め。
浴室については様々な色のタイルを組み合わせていて、体感的に古い宿の水回りはタイルになっていることが多いような気がする。一色だけではないのがアクセントになっているので、他の木造部分と対比してカラフルで明るい感じがします。
一般的には温泉でもない限り、旅館の風呂は夕食前の一度限りのもの。しかし東山荘では(今回のみ?)翌朝に朝風呂が入っていますよと女将さんに伝えられたので、お言葉に甘えて朝風呂に入りに行きました。朝から熱めの風呂でさっぱりできて気持ちよかったです。
2階廊下~洗面所
1階を散策したところで、次は2階へ。
すでに述べた通り、東山荘の常用している客室はすべて2階にあります。必然的に2階で過ごす時間は長くなり、客室同士の配置や入口までの距離感等に注目が行きました。
この日に泊まっているのは自分以外にもう一人だけというシチュエーションだったので、滞在中は比較的静かでした。旅館の静けさは宿泊人数に反比例するというわけで、ある意味でレアな状況だったと思います。昔の建物って防音性があって無いようなものだし、個人的には喧騒よりは静寂の中で一夜を越したい。
2階への階段の途中にはポスターや写真、絵画など様々なものが展示されている中で、壁に架けられていた欄間に目がいきました。
新聞の切り抜きによれば、これは井波彫刻の基礎をつくった第十二代田村与八郎の弟子・松永正行という方がつくられた欄間だそうです。住宅欄間が普及し始める以前の明治初期の作で、題名は「葦に雁」。気風漂う彫刻が見事ですが、そういえば欄間そのものに着目するのは今回が初めてかもしれない。
ここで東山荘の良さの一つを述べると、ほとんどの客室に井波欄間がはめこまれていることです。
客室が広かったり広縁付きだったりということはすでに述べましたが、それに加えて欄間が素敵だということを自分は言いたい。
女将さんの話によれば、当初寺社建築にしか適用されていなかった井波彫刻は、明治時代に入ってからその知名度を大きく伸ばしました。井波欄間が普及した礎を築いたとされているのが明治大正時代に活躍した初代・大島五雲という方で、寺社欄間に工夫をこらしたものを新しく住宅に取り入れたとのこと。
今でこそ欄間は古い日本家屋にあるようなイメージだけど、その原点は井波にあったというわけです。
東山荘の客室にはその大島五雲の欄間がはめ込まれているため、井波らしさを客室の中で味わうことができます。井波の町の宿で、その井波を体現する工芸品が館内の一部として組み込まれている。こんなに深い歴史を感じる宿はないだろう。
階段を上った先の動線は正面と左に分かれていて、いずれも客室へと繋がっています。右にも戸が一応ありますが、これは外へ出る勝手口みたいです。
左の廊下はしばらく直線で続いており、その先が段差になっていました。ちょうど真下に位置する1階の客室への入口も同じような構造になっていたし、統一感があります。
廊下の左側にはトイレと洗面所が、廊下の右側には大きな鏡が配置されており、2階に宿泊する場合はこれらを共同で使う形になります。トイレについては最新式のウォシュレットで、不便は感じません。
2階の洗面所は1階のように幅広い形式ではなく、一つの小さな洗面所を2つ並べたような配置。正面にはすりガラスと鏡が交互になった独特の窓があって、これも個性的だと思います。
洗面所がある廊下は適度に幅が広く、自分でもよく分からないけどこの一角が好きになりました。「見通しが良い直線上の廊下で、かつ木造建築」というのが、自分の琴線に触れるのかもしれない。
2階客室
東山荘2階客室の名前と概要は下記の通り。
2階には客室が合計で6部屋あるみたいです。客室名は万葉集から引用されていて、風雅な印象を受けました。
- 2階への階段を上がって正面に3部屋
- 朝霧:三叉路の右側。今回泊まった部屋。8畳広縁付き。山門が見える。
- 藤波:三叉路の正面。8畳広縁付き。豪華な床の間と踏込の金屏風が見事。菊の欄間。山門が見える。
- 鮎児と葦付:三叉路の左側。10畳×2の小宴会部屋。近江八景の欄間。公式サイトだと客室になっている。
- 左の廊下を直進した先に2部屋
- 東風(あゆかぜ):手前側。10畳広縁付き。庭園を見下ろせる。
- 片籠:奥側。10畳広縁付き。
まずは、階段上がって正面の部屋から。
引き戸を開けると4畳の踏込があって、ここが3つの客室への三叉路として使われていました。
例えば客室を横一直線に配置するのなら廊下を一つ通すだけで済みますが、客室の形が特殊だったり、配置次第では廊下を通せなかったりするので工夫が必要になります。東山荘では入口部分をこのように分岐させることでそれを解決してて、これは他には見られない素晴らしい造り。
あと、各部屋の入口には「御入口」の木札が掲げられているので分かりやすいです。
三叉路から正面に進むと藤波の部屋があって、ここは三叉路の延長線上の踏込を通った奥に客室がありました。踏込には美しい欄間や大きな金屏風が目を引き、東山荘の客室の中でも藤波は目立った部分が多かったです。
床の間にも金が使用されているほか、床柱や丸みを帯びた書院障子も素敵すぎる。藤波は「鬼平犯科帳」等で有名な作家の池波正太郎さんも泊まられたことがあるとのことで、全体的に残る古さも相まって雰囲気が良い。
広縁からは正面に瑞泉寺山門が見えますが、そちらは今回泊まった朝霧の方で述べます。
三叉路の左側にあるのが鮎児と葦付の部屋で、間にある襖戸は取り払われていました。現在では、こちらは主に小宴会場として使われているようです。
東山荘において玄関から最も近く、加えてある程度の広さを持つのがここみたいなので料理メインの際には重宝されるはず(1階には大広間がない)。自分が泊まった日の翌日はちょうど宴会をされるとのことだったので、もしかしたらその準備をされていたのかもしれません。
次に、左側の廊下を直進した先の2部屋です。
建物奥側の部屋は客室、踏込、客室という風に踏込部分を客室でサンドイッチしたような構造になっており、客室同士が直接隣り合わないような工夫がされています。
手前側の東風の部屋は庭園に面した広縁が設けられているほか、朱色の床の間が見事でした。
東風の広縁からの眺め。
正面に見えているのは東山荘ではなく隣の別の建物で、建物と建物との距離がとても近いことが分かります。そんな中で、旅館裏手にひっそりと存在する庭園を上から眺める図式。
表通りからでは決して見えない部分が楽しめる部屋ということで、なんか隠れ家的な居心地の良さがあります。
1階の玄関ロビー奥には四方を囲まれた別の庭園がありましたが、その上部に位置する窓際に廊下が通っています。ただし廊下といっても床には畳が敷かれており、季節を問わずに快適に歩けるっぽい(板間だと冬場は寒いので)。
この廊下を奥まで進むと1階風呂場前にあった細い階段と通じていて、1階と2階との行き来が可能なようですが、今では封鎖されているので通れません。
東風と片籠の間には、5畳の踏込が設けられています。
客室同士が襖戸一枚で繋がっているのは、古い宿でよく見かける構造です。しかし、部屋にある襖戸を開けたらいきなり隣の部屋に繋がっているというのは心象的にちょっと避けたい。たぶん昔はこの踏込部分が狭い客室として使われていたんだろうと思うものの、現代ではそこを空けておくことで適度なプライバシーを確保しています。
襖戸を取り払えば大きな宴会場としても活用でき、昔の建物は運用を円滑に行えるような仕組みが本当に素晴らしい。状況に応じて間取りを変更できるのは、日本家屋ならではの良さですね。
奥にある片籠の部屋の様子。
床の間の割合がさらに大きくなっていて、横一面に床の間がある風景にはある種の貫禄を感じました。床の間をどれだけ凝っているかで客人のもてなし度が測れるとどこかで見た気がして、これだけ立派だと歓迎されている感も強い。
広縁は建物の背面に面しているので展望はあまりないけど、奥まったところにあるということで静けさはダントツだと思います。
泊まった部屋 朝霧
今回泊まったのは、階段を上がって正面右に位置する朝霧の客室です。広さは8畳で広縁付き。天井も比較的高めです。
一番の特徴は客室から瑞泉寺の山門が見えることで、これは電話予約の際に「山門が見える部屋を…」と希望しておきました。東山荘において部屋から山門を眺められるのは朝霧と隣の藤波の2部屋のみであることを踏まえると、ここが空いていたのはとても運がいいです。
部屋そのものの空間的な広さと、広縁の大きな窓から見える景色。自分が屋内にいるのは理解しているものの、それを感じさせないような開放感がこの部屋にはある。
部屋の様子はこんな感じで、入口の正面に広縁、右側に床の間と押入れが位置しています。畳の上には絨毯が敷かれ、テーブルと座椅子も完備。
部屋の設備はエアコン、テレビ、ポット、鏡台、内線電話。アメニティとして浴衣とタオル、歯ブラシがあります。があります。床が絨毯なので、冬の比較的寒い時期でも暖かく過ごせそう。
今ではあまり見なくなった手書きの宿帳。
オンラインで予約できるところは個人情報を記入する必要は特にないものの、電話予約が必須な宿では宿帳に記入することになります。この宿帳も宿によって形式が大きく異なっていて、自分が宿に宿泊する際にチェックするポイントの一つ。
「係女中」を書く欄があるのも時代を感じるし、あと東山荘の住所が住民票的に正確なものではなく「富山県井波町瑞泉寺前」となっているのもグッときました。
そして、広縁からの眺めがこちらです。あまりにも展望が良すぎる。
井波の町の中心部にある井波別院瑞泉寺、その山門が目の前にあります。山門には各所に彫刻が施されている貴重なものであって、特に正面の梁にある龍は井波彫刻が誕生する原点となりました。
「瑞泉寺前の旅館」に泊まるのあれば、その存在を滞在中も感じていたいと考えるのは自然な流れ。当日が晴れてくれよかったというのはこのことで、広縁からの景色がまさに輝いて見えます。このシチュエーションを得ることができて本当に嬉しい。
東山荘の表通りと山門の間には高い石垣があるため、1階からでは山門の姿が全く見えないんですよね。しかし2階からであれば石垣よりも高いので、このように部屋から眺められるというわけです。
なお石垣にはツツジが植えられているので、春から初夏に移っていくタイミングは色鮮やかな花を見ることが可能。今回の時期はちょうど赤色が咲いていて、見ごたえがありました。日が経つと他の色も順次咲いてくるみたいです。
窓の外には、昔の欄干が残されていました。
ここから身を乗り出して通りを見渡してみると視界の広さ、そして石垣の予想外の高さに感動するばかり。寺社においてこれほど高い石垣はあんまりないような気がするけど、何か理由があるのだろうか?客室2階に座って、ほぼ目線の高さと同じくらいでした。
あと、下に見えている石畳の表通りは瑞泉寺の駐車場への動線となっています。ただし道幅がかなり狭いためにすれ違いに苦労しているドライバーが多くて、それを上から見物するのはなかなか楽しいものがありました。
夕食~翌朝
部屋でまったりした後はお風呂に入り、部屋に戻って畳の上に寝転んでいたらもう夕食の時間。
東山荘の食事は部屋出しなので、部屋で待っていれば持ってきてくれます。しかし、食事のたびに階段を上り下りするのは結構大変だと思う。
夕食の内容は牛肉のすき焼き、ごま豆腐、煮物、カニグラタン、刺し身、天ぷら、お吸い物、ご飯、デザート(パイナップルとお茶プリン)です。
温かい料理は温かいうちに出してくれるほか、すき焼きについては現在進行系で調理されながらいただけるという幸せ感。料理旅館というだけあって何もかもが美味しく、お櫃にあったご飯が短時間で空になりました(女将さんにご飯を全部食べましたと言ったら笑顔になってた)。
宿に宿泊すると普段では考えられないくらいに食欲が出てくるけど、東山荘の食事はまさにそれだったと思います。お腹いっぱいになるまで美味しいものを食べる。これほど幸せなことはない。
今回は夕食の時間を18:00にしてもらった結果、食後の19:30くらいに布団を敷きにきてくれました。宿の客室が二間続きでない一部屋で、かつ食事が部屋出しの場合は食事後に敷いてくれることが多いです(もしくはセルフ)。
夕食後は軽く東山荘の前を歩いた後、部屋に戻って就寝。
昼間はあれだけ参拝客が多かった瑞泉寺も、夜の時間はひっそりと静まり返っています。これは今も昔もたぶん変わっていなくて、山門と東山荘の位置関係も昔のまま。このシチュエーションだけは、今後も変わらないでいてほしい。
翌朝。
早朝はだいたい5:55くらいに瑞泉寺の鐘が10回鳴らされ、これで目が覚めました。寺院の朝はどこも早いものですが、瑞泉寺の目の前に泊まっているので鐘の音がよく聞こえます。でも別にうるさいわけではなくて、重い低音が周囲に聞こえる程度に響いているような感じでした。
しかも、方角的に朝日が広縁から差し込んでくる。旅先で迎える朝としてはもう100点満点で、実に素敵な時間でした。
朝食の内容はこんな感じで、これぞ日本の朝食というような代表的な品が並んでいます。
またしても朝から満足のいく食事ができ、案の定ご飯を何杯もおかわりしました。昨晩も結構な量を食べたはずなのに、朝になればそれが嘘みたいに胃の中がリセットされている。これは旅館あるあるのネタとして使いたい。
以上で、東山荘での一夜は終了。
朝食後は女将さんに昔の話を伺ったりした結果、お忙しい時間にも関わらず丁寧に対応していただきました。女将さんの人柄もまた旅館を評価する指標の一つですが、東山荘の女将さんは色んな事象について詳細に説明してくださるので好感が持てます。本当にありがとうございました。
宿泊後は金沢まで自走で移動し、一通り散策してから輪行で帰宅。北陸は移動手段を問わずに訪問しやすいと思っているので、これからの時期も随時出かけていきたいです。
おわりに
瑞泉寺の山門前に建つ東山荘は昔ながらの建築様式を今に残しており、館内には井波欄間などの展示物が多数飾られていて見ごたえがあります。
その客室はどれも滞在中の快適さを重視した広さと格式の高さを持っていて、どこに泊まったとしても寛ぐことができるはず。美味しくて量が多い食事も満足の一言だったし、古くから参拝客を中心に愛されてきた宿であることは間違いない。
東山荘は個人的にかなり好きになった旅館なので、次は秋頃にでも再訪を計画しています。富山の風景も井波の町並みも、春先とはまた異なった風に感じられることを期待して。
おしまい。
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