大黒屋旅館 中山道細久手宿 尾張藩の本陣に泊まってきた

目次

背景

今回は、岐阜県瑞浪市にある大黒屋旅館に泊まってきました。

大黒屋旅館は中山道沿いにかつて栄えた細久手宿という宿場にあり、今ではあまり馴染みがなくなった「街道」を今に伝える宿でもあります。

大黒屋旅館旅館の外観

大黒屋旅館は平成19年(2007年)に登録有形文化財に登録された宿であり、その歴史は江戸時代にまで遡ります。

この辺りは江戸時代に整備された五街道の一つである中山道の一部で、細久手宿という宿場町として賑わっていたそうです。細久手宿は標高420mの山中に発達した、江戸から48番目、京から22番目の宿場で、その長さはおよそ400mほどあったとのこと。

慶長15年(1610年)に設置されて以降、江戸時代後期の天保14年(1843年)の記録によれば、戸数は65件、うち24件が旅籠を営んでいたと記されています。

そのうちの1件がこの「尾張藩(尾張徳川家)定本陣大黒屋」。

本陣って何なのという話ですけど、もともと宿場には一般庶民が泊まるような旅籠や木賃宿とは別に、本陣や脇本陣という偉い人が泊まる宿が指定されていました。

  • 本陣:大名や旗本、幕府役人などの宿泊所として指定された家。基本的に一般人は泊まれない。
  • 脇本陣:本陣の予備的施設で、大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されるなど、本陣に支障が生じた場合に利用された。場合によっては一般人も泊まれる。

つまり、「尾張藩定本陣」とは尾張藩が定めた本陣のことをいいます。

この背景としては、細久手宿にはもともと本陣も脇本陣もあったものの、尾張藩が他国の大名との同宿を嫌って当時宿場の問屋だったこの大黒屋を「尾張藩専用の宿」と指定したとのこと。今ではもう細久手宿の本陣や脇本陣は影も形も残ってない一方で、この大黒屋だけは宿として中山道で営業を続けています。

館内散策

江戸と京都を結ぶ重要な街道、中山道。

全69宿場のうち17宿(126.5km)は岐阜県の美濃地方を横断しており、今回の旅はその中山道の一部を歩いてみたりもしてみました。

まずは外観から。

特徴としては切妻造の木造2階建てで、両端に本卯建を上げ、2階部分が1階に比べてかなり低く見えているのが印象的です。

休憩所。ロードバイクはこちらに置かせていただきました

1階の入り口は2つあり、向かって右側は休憩所に使われていました。

元々は土間だったであろう空間は非常に広く、ここにただ座っているだけで身体を休めるには十分。もともと細久手宿として賑わっていたころは遠くに行く場合は歩きによる移動が主になっていたわけで、当時はここで脚を休める人がいっぱい居たんだろうなとか考えてました。

現在でも中山道を徒歩制覇する試み(街道歩き)を趣味をしている人はかなり多く、今では細久手宿周辺の大井宿~御嶽宿の間にはこの大黒屋しか宿がないことも相まって、この宿に宿泊する=中山道を歩いている人、と断言しても過言ではないようです。

笠と草鞋
一番外側にある観音開きの門は常に開けっ放しでした

向かって左側が本来の玄関。

今も昔も変わらず宿泊客を迎えてきた玄関をくぐって屋内へ入ります。

玄関内側には衝立が置かれている
上段の間。右奥が食堂になっている
すぐ左側には2階への階段があるが、今では封鎖されている様子

今まで自分が泊まってきたような「旅館」と違うのがこの玄関部分で、廊下はなく玄関の式台を入ってすぐのところがもう畳敷きの間になっています。これが旅館と旅籠との相違点の一つかもしれません。

玄関と上段の間(寄付~次の間~座敷)との境には段差があり、散策中にこの段差の存在をうっかり忘れてしまって転びかけるのが一度や二度ではありませんでした。

食堂。向かって右奥が玄関、正面が2階へ続く階段
階段を上がる

今回泊まった部屋
なんという寛ぎ空間

お部屋に案内していただきました。

今回泊まったお部屋は食堂正面の階段を上がったところにあり、位置的には中山道に面した玄関真上にあります。ご覧の通りすでに布団が敷かれており、まるで実家のような安心感。畳敷きや障子に加えて床の間も大きく取ってあり、まったりするには十分すぎるほどの部屋でした。

客室は全て2階にあり、館内見取図によると宿泊可能な部屋は全部で4部屋。うち1部屋は二間続きになっているようです。

今日はなんと宿泊客が自分一人らしく、思う存分羽を休めることがこの時点で確定するという幸せっぷり。中山道を歩く人は100%この宿に泊まるといっていいほど無くてはならない宿なので、自分以外にも誰かしら宿泊客はいるだろうと予想してたんですけど、冬は寒いせいなのかそうでもないようです。

記帳を済ませながら浴衣に着替え、ご主人が持ってきてくれたお茶とケーキをいただく。

ほぼ山道の中山道を歩いて宿に到着し、お茶をすすりながら一日の終わりを楽しむ。こうしてみると、自分はまさに江戸時代の人と同じ体験をしていると実感できるし、しかもこれはただ車で訪れるのではなくて「中山道を歩く」という行為をしたからこそだと思います。

自宅からロードバイクで宿まで直行するというプランもあった一方で、歩きというひと手間を加えたことがここまで充実感を増してくれるとは思っていなかった。行程の中で色々やってみるのは予想外に良い方向に働くものだ。


夕食の時間(18時)までは館内を散策してみることにします。

今回泊まった部屋の戸も年式を感じさせる
2階、今回泊まった部屋の真向かいにある客室入り口(休憩所の真上)

先ほど上ってきた階段を下り、座敷へ。

本来はこの上段の間がお食事処らしく、今回は単に宿泊客が自分しかしなかったために隣の部屋で食事をとるスタイルになったようです。

座敷は数寄屋がなく、この二間の付書院の上方部分は雲形を表しているのが特徴。

右上が朝、左上が夜をそれぞれ表現している非常に上品な造りで、ここ一つとっても、武士や高貴な客を泊めた特殊な工夫とみられます。

洗面所。奥がトイレになっている
お風呂の脱衣所
お風呂場

座敷の奥側には廊下があり、向かって左側には洗面所とトイレ、右側にはお風呂場があります。

最近では恵那市周辺を訪れる外国人観光客も増えているようで(今年は除く)、英語での案内もしっかりしてます。また、各所は適切な近代化もされているため、特に不自由を感じるようなことはありませんでした。

ここまでで1階部分の散策は終了。

残すところは2階のみとなりますが、玄関上がってすぐの階段は封鎖されていたため、一見すると2階へ行くには今回泊まった部屋に続く階段1箇所しかないように思えます。

洗面所前に2階へ続く急な階段がある

しかし、よく探してみると別の階段があることがわかりました。

さっき通った洗面所の脇にあるのですが、驚きべきはその階段の角度。ご覧の通りかなり急です。ここまで急な階段は、体感としては城の天守閣にある階段くらいしかお目にかかれないのではなかろうか。

急な階段を上がったところ。左に行くと茶室があるそうですが封鎖されてました

しかもこれ、隠し階段とかじゃなくて現役で普通に使われているものなのだから驚いてしまう。

足腰の悪い人が通ると下手をすれば落ちてしまいそうな予感しかしないけど、考えてみれば昔はこれが普通。比較的狭い空間で上下方向に移動しようとするとこうなってしまうのは仕方なくて、この階段を眺めながらふと当時の生活様式を思い描いてみたりもしました。

この廊下の雰囲気がとても好き
二間続きの客室(座敷)
二間続きの客室(次の間)
付書院

急な階段の上には廊下が続いていて、廊下の脇には二間続きの客室がありました。

二人以上の場合はこっちの客室を使うことになるのだと思いますが、その場合は玄関上がってすぐの階段を使うのかどうかは分かりません。もしかして老朽化しているので封鎖しているのかもしれないし、そうなるとさっきの急な階段を上るしかないようです。

廊下の突き当りに見えるのは自分が今回泊まった部屋
非常に特徴的な回廊部分。吹抜は階下の寄付に繋がっている
奥側が今回泊まった部屋で、左は物置になっている

その廊下の先にある回廊の構造がまた素晴らしい。いつまでもここに居たいがために、わざわざ自分の部屋からお茶を持ってきてここに座って飲んだりもしてました。

階段の吹抜を回り込むように配置された廊下がなんとも心地よく、上下方向に空間が広いため階下が見渡せるという点においても開放感があります。廊下の幅も畳の分しかなくてコンパクトにまとまっている点も良い。こじんまりとしたスペースが好きな自分にとっては、これ以上ないくらいに癒やされる空間でした。

回廊部分を下から見上げた図
吹抜の一番上には無人となった蜂の巣があります。おそらく戦前のもの。

当時、大黒屋は江戸と京都をつなぐ中山道沿いにある一つの宿という位置づけで、旅人は出発地から目的地までそれこそ何日もかけて移動していたことになります。

なので、一つ一つの宿に思い入れをすることはあまりなかったのではと予想する一方で、現代からすれば他にあまり例を見ない貴重な存在になっているのもまた事実。その歴史の深さに色々思うところがありました。

手で引く部分の障子だけ逆側に貼られている

大黒屋前の民家。今では細久手宿の面影もわずかに感じられるのみ

そこからは自室へ戻ってゴロゴロしたり、例の回廊部分でお茶をすすったりしながら夕食の時間を待つ。

この「特に何をするわけでもなく待っている」のも意外に好きだったりします。スマホも触らず、あくまで旅先での時間の流れを楽しむ。こういうときの時の経ち方は遅いようで実は早い。

散策した後にまったりしてたらあっという間に夕食の時間になり、そして気がつけば眠くなっていたりもします。

その後は屋内だけでなく、完全に日が暮れる前の細久手宿の散策も行いました。今では民家が立ち並ぶ町の一角としての側面が強く、前回【岐阜県を走る】シリーズで通りがかったときも素通りしてしまった自分。

今回はここを目的地とすることで、細久手宿の隅々まで知ることができたのではと思います。

夕食~翌朝

太陽が山の向こう側に消え、辺りがすっかり夜になって気がつけばもう18時。

旅先での必需品:日本酒

大黒屋旅館は料理旅館に分類されるようで、その夕食も土地の恵みを十二分に生かした素朴な味付けのもの。

一品一品を味わうごとに、あ、これ久しぶりに食べたなと思いながら箸を進めていました。単純に料理の品というよりも、素材そのものが実家に帰ったときにいただくようなものばかり。食べ進めていくうちにどこか懐かしい気持ちになるのは自分だけではないはずだ。

火から下ろしたばかりの岩魚の炭火焼き
里芋の饅頭
この辺りの名物である鯉の甘煮
最後は、めちゃくちゃ美味い白米と具だくさんの味噌汁

料理については順次出てくる感じで、しかも現在進行系で調理されたものなので出来たて熱々をいただける。さらにどの料理も日本酒に合うものだから酒が進んで仕方ない。ちなみに酒の種類についてはビールや日本酒等、一通りは揃っていました。

そして〆はご飯と味噌汁という完成された献立で、やっぱり白米と味噌汁の組み合わせは大正義すぎる。

お腹が満腹になったあとはもう寝るだけ。ささっとお風呂に入って、江戸時代の旅人と同じように早い時間に布団に入り込んでました。

朝食も美味しすぎておひつを空にしました

翌朝は5時に目が覚め、朝食の時間である7時まで思う存分に二度寝を満喫するなどしてました。普通なら今日の日の行程のために色々準備をするものの、今回は家に帰るだけなので。

そんなわけで、大黒屋旅館でのひとときはあっという間に終了。

ご主人や女将さんにはとても優しくしていただいたし、これは春になったらまた訪れなければならない。

おわりに

大黒屋旅館は江戸時代創業という古さだけなく、かつて本陣として使用された格式ある建物。今日ではこれほど歴史を感じられる宿もなかなか珍しいと思います。滞在中は静かに落ち着いた時間を過ごすことができ、街道の旅館に泊まる醍醐味を感じることができました。

これからも中山道を旅する人の宿として、末永く続いていってほしいと心から願っています。

おしまい。

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