今回の旅の目的は、中山道沿いにある宿場の旅館に泊まりに行くことでした。
その宿は自宅から40kmしか離れていないこともあり、普通に訪問するだけではちょっともったいないので、どうせなら旅館の訪問に合わせて中山道を少し歩いてみることにしました。江戸時代の人と同じように、街道を歩くということをやってみたかったのです。
最近は交通機関を利用した旅館訪問か、ロードバイクによる移動しかやってこなかったので「歩き」をするのはかなり久しぶり。どんな道が待っているのか今から楽しみです。
というわけで早速出発。
恵那市へ
中山道といえば江戸時代に発達した五街道のうちの一つで、江戸から京都までを結ぶ道。ここ岐阜県内の南部もそのルート上に含まれていて、今でもいくつかの区間は整備され、歩きやすいようになっています。
今回は、宿がある細久手宿の一つ手前の大湫宿に至る道を歩くことにしました。そのスタート地点までが今回のライドのメイン区間になるわけで、どうせなので思いっきり遠回りをしています。
まずは岐阜市から関市を過ぎ、白川町の山岳部を経て恵那市へ。
この辺りは本当にアップダウンばかりで平地がなく、ほぼ山しかないと言われている岐阜県の中でも群を抜いて坂道ばかりな地域だと思います。実際に走ってみた感じでは、岐阜県北部よりも中津川とか恵那の辺りの方がえげつない道が多い。
ただ、その逆に交通量は非常に少ないので、私のように自分のペースでのんびり走りたいという人にとってはポタるにちょうどいい道とも言えます。そういう意味では、岐阜県はどこを走っても走りやすい。
率直なところ、今日の目的はあくまで宿の宿泊なので途中の行程に縛りは特にありません。
走るルートはもとより、食事をどこで取るのかもそのときの気分で決めています。今回はたまたま目についたパン屋で昼食にしましたが、ここのモーニングセットがまた美味しかった。
この時期ならではのビーフシチューに加え、おかわり自由のパンがセットになっていて実に身体が温まる組み合わせに顔がほころぶ。お昼時なのでここで食事を取る人も比較的多く、静かな時間が流れていきます。
静かにパンを食べつつシチューを口に運ぶ。こういう休日の過ごし方もいい。
中山道を歩く
そんな素敵なパン屋を後にして、再度坂道を駆けずり回って到着したのはここ。
中山道の途中にある「十三峠」という一角の入り口にやってきました。
ロードバイクパートはここで一旦終了し、今回はここから今日の宿まで歩きメインで散策しながら移動していきます。
この十三峠では主に山道を行くことになりますが、上の表記のように標識は各所にあるので迷う心配はありません。区分的には登山までいかないハイキングのようなコースで、自分のようにビンディングシューズでも十分歩けるし、散策という点からするととても最適な場所といえます。
中山道自体がはるか昔の江戸時代に使われていた道ということもあり、現在ではその道はほとんどが広い舗装道路に置き換わっている一方で、このように整備された道もあるというのが実に素敵。それもめちゃくちゃ近代的になっているわけではなく、当時の面影を忍ばせるような必要最低限の造り。
街道とはいっても、当時整備が行き届いていたのは宿場周辺のみが大部分であって、多くの区間はこのような林道のような雰囲気だったであろうことは想像がつく。
アップダウンはあるものの、ロードバイクが歩きの足かせになるかというと案外そうでもない。
平坦なところでは乗って移動することも普通にできるし、坂道であっても押し歩きすればいいだけなので、個人的にはそれほど気になりませんでした。季節が冬なせいか、街道歩きの趣味の人も全くいない。
観光雑誌などから得た情報では春~秋はこのルートを歩く人で相当賑わうようですが、冬はそうでもないようです。人がいない山の静けさも相まって、ただ歩いているだけでも心が休まってきました。
私としてはこういう散策もとても好き。
散策というと古い町並みや路地裏を歩いてその雰囲気に浸るのが主ではありますが、地形や道そのものを味わう散策も趣があって非常に良いもの。
特に現在進行系で中山道という歴史深い道を歩いていると、回りに誰も居ないにも関わらず往時の人の行き交いを感じたり、さっきから上ってばっかりだしそろそろ下ってほしいなとか、旅人の気持ちになって考えたりといったことが楽しめる。
何より、昔の人と同じ体験をしているというのがいい。
しんみりと自分一人で山道を歩いていく。どこかを訪れるという観光的な意味合いではなく、その行程自体を味わうのも旅の良さの一つじゃないかと思わずにはいられない。
大湫宿~細久手宿
十三峠の入り口から約5km歩いた時点で視界が急に開け、それはある宿場に到着したことを意味していました。
ここは大湫宿といって、今回宿泊する細久手宿の一つ隣にある宿場です。
宿場としての構造(建物や道の造り)や石積みの側溝など当時の遺構が数多く残っており、宿場当時の様子をうかがい知ることができます。宿内の町並みは、十三峠西端の寺坂を下りた北町から、白山町、中町、神明町、西町までの東西3町6間(340m)でした。
本陣は明治時代に小学校に変わっておりますが(現在は廃校)、脇本陣は今も健在のようです。
ここで休憩しようか迷いましたが、目的地である細久手宿まではあと6km程度なのでそのまま向かうことにしました。
大湫宿から細久手宿への道のりは至って平坦。
県道65号が通っているので、そこをロードバイクでささっと走ればあっという間に到着…するんですけど、せっかくなので脇道にある琵琶峠を徒歩で上ってみました。
琵琶峠もまた中山道の一部であり、「峠」と名が付いているだけあって上りの量はかなりのもの。先ほどロードバイク随伴は案外楽と書いたものの、ここに来てかなり辛い思いをしました。石畳がメインなので押し歩きも難しく、場所によってはロードバイクを担いで歩くことも。
だがそれがいい。
無論、おとなしく県道を走れば済む話ではあるんですが、ここまで来たならやはり最後まで中山道を通りたいもの。それに、自分は旅をしているのだから多少の困難はむしろありがたい。
大黒屋旅館に泊まる
そんなこんなで軽く山歩きを織り交ぜつつも、無事に細久手宿に到着しました。
この日泊まった大黒屋旅館についての宿泊記録は別記事でまとめています。
館内の散策が一通り終わった時点で、ふと屋外に出てみました。時刻はちょうど日没前で、山間部に位置する細久手宿はすでに夜に包まれようとしています。
もう宿に着いたことだし、中でぬくぬくしていればいいはずなのになぜ外を散策しているのか。
それは言うまでもなく、この細久手宿の「今」を味わいたかったから。
細久手宿で営業されている旅籠はこの大黒屋旅館だけで、往時の宿場を感じさせるような遺構はあまり残っていません。しかし、高台にあるお堂やお店の跡など、宿場としての役割を終えた後も町として続いている様子は、見ることも、感じることもできます。
その時間の流れを感じられれば、私はそれで十分。
むしろ町並みだけでなく、歴史という要素が加わったことで、細久手という町の一角をより深く満喫できたと考えて悦に浸ることにしましょう。
翌朝
一夜明けた日の早朝。
今日はもう家に帰るだけなので、いつもよりも遅く身支度をしてました。
今日の天気は晴れのち曇り。
せめて晴れのままで自宅まで帰りたい気持ちと、いつまでも宿でゆっくりしていたい気持ちがせめぎ合っている。結局は朝食の後に部屋でのんびりとお茶を飲んでから帰ることにしました。
実に気持ちのいい朝だ。
天気的な意味だけでなく、自宅からそう離れていない場所でこれほど濃い体験ができたことがまず気持ちいい。旅というのは別に遠くに行かなくても、身近なところでもできるということが改めてはっきりできました。
中山道を歩いて本陣に泊まる。
今回の旅を一言で言い表すとこう表現できて、思い返してみれば実に非日常な2日間だった。まだまだ自分の知らない岐阜県はあちこちに散らばっている。今後も岐阜県各地に出没することが続きそうで、そのときのことを考えるだけで面白くなってくる。
今週も良い旅ができました。
おしまい。
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