今回は岡山県を走ってきました。
岡山といえば地元で、車では結構走り回りましたがロードバイクでは初めてのこと。というか当時の記憶もおぼろげなので、岡山の風景を思い出すのにも良い体験になると思います。
岡山には県北と県南があって、県北は中国山地にほど近い山間部が楽しめます。逆に県南に向かえば笠岡などの瀬戸内海沿いを流すこともできるし、一つの県の中でまるっきり特色が違うのがいい。
以前はその瀬戸内海を中心に走ったので、今回は思いっきり山の中にある高梁市を選びました。
中国山地を走る
まず最初に訪れたのは、高梁市街から北に向かった巨瀬町にある祇園寺。
祇園寺は真言宗善通寺派の別格本山寺院で、建立は弘仁3年(812年)、空海によるものと伝えられています。
この祇園寺の面白いところは神社と寺が一体になっていること。参道からすでに鳥居が登場してくるので、寺をお参りしているはずなのに鳥居?と訝しむ人も出てきそう。
神社と寺が別々なものとなったのは明治維新の神仏分離(神仏判然令)からで、本来はこのように両者は一つであるとされています。そういう意味では、祇園寺は日本の古い信仰形態を残す貴重な場所といえます。
本堂の後ろに控えている樹齢約1200年、空海のお手植えとも言われる天狗大杉もまた見どころであり、標高500mの高地にあって神秘的な雰囲気を醸し出しているのがわかります。
今回の旅の出だしをこのお寺にしたのは別に深い理由があったわけではなく、単に気持ちを落ち着かせたかったから。
ここに来るまでの道のりもどこか見覚えがあって、自分が育った中国山地の空気というのは他の同じような場所とはやはり異なって感じられる。身体が覚えているというか、中国地方の空気はある意味で独特なものだと思います。
ここまで上ってくるのは車でもそこそこ大変だし、早朝なので当然のように自分以外に参拝客もない。今日の空模様は徐々に晴れから曇りに移り変わっていくようだが、幸いなことにこの滞在中は快晴を味わうことができた。
それにしても、自分でも驚くほど自分が好きなタイプの神社に出会う機会がここのところ多い。
単に自分のストライクゾーンが広いだけなのか、琴線に触れるような神社に惹かれているのか定かではないけど、他に誰も居なくて、気がついたら別の世界に迷い込んでしまいそうになる空間が好きだ。自分の場合はそれが神社であって、そういう場所で過ごす時間はあっという間に過ぎ去っていく。
確か昔からこういうのが好きだった覚えがあるので、自分の根っこの部分は何年経とうが変わっていないようです。
吹屋の集落を目指す
祇園寺を後にして高梁市街に下ってきたところで、ここからは今回の目的地である吹屋を目指すことになる。
せっかく下ってきたところでアレですが、ここからまた山の上の方まで上ることになります。
いやー…実にいいね。
目に入ってくるもの全てが懐かしく思えてくる。
当時車で走り回っていたときとは異なって、ロードバイクで走ってみると趣がより鮮明に感じられるものだ。あの頃は車という仕切られた空間の中から周囲の風景を眺めるだけだったが、今回はその境界がない。
身体に当たってくる風もダイレクトに感じられるし、野焼きの匂いも同じだ。見ているのは同じ景色なのに、移動手段が変わるだけで見えてくるものがここまで明らかに違うとは、いい意味で予想外だった。
そう考えると、今まで普通の旅行で訪れたことがある場所も改めてロードバイクで走りたくなってくる。逆に言うと単に旅行趣味を続けるだけだったらこういう気持ちになることはなかっただろうし、ロードバイク趣味を初めて自分の中の世界が広がったのは間違いない。
色々手を出してみるのに年齢は関係ない。いつまでも新鮮な気持ちで世の中を見ていたいと強く思います。
高梁から吹屋に向かうルートは色々ありますが、個人的におすすめなのが成羽から県道300号を北上していくルート。
ここの途中には一部の界隈では有名な羽山第2トンネルというトンネルがあって、この迫力がとにかくすごいんです。カルスト大地の険しい石灰岩の渓谷の中に岩を最低限くり抜いて作られたトンネルなんですがなんと手掘りで、しかも抜けた先にそびえる直上の岩盤の高さがえげつない。
この道は、これから向かう吹屋と成羽を結ぶために大正10年に開通したもの。
吹屋と成羽の往来は昔は尾根筋を行くルートしかなく、吹屋のベンガラ、銅、鉄、逆に笠岡の海産物などを吹屋に運んだりなど生活物資の輸送が大変だったのですが、馬車や荷車、人力車などの往来の増加に伴ってこのトンネルが開削されたそうです。
渓谷沿いで道を通せないからといってこんな空間を手掘りで作り上げてしまうあたり、当時の人の技術はとんでもないものだと感心せざるをえない。道幅は完全に車一台分しかないので無理は禁物なものの、吹屋へ向けてテンションを上げていく意味ではおすすめです。ロードバイクだと道幅の狭さも大して気にならないのでなおのこと良し。
この辺りの地形は石灰岩とは切っても切り離せないほど特有のもので、高梁市の名所である井倉洞や満奇洞にもそれが現れています。
山でも川でも海でもない、鍾乳洞という存在。
岡山にいた時はごく身近な存在でしたが、あれから全国を旅していく中でそれがかなり珍しいものだと気付かされました。ただ、こうして年月が経過した後で改めて訪れてみるのも面白いもので、「そういえばこんなところもあったな感」が楽しめるのは大きい。
その石灰岩の影響なのかどうかはよく分からないものの、この辺りは急激なアップダウンが非常に多いです。補給ポイントも少ないので、例えば夏場に中国山地周辺を走る場合は結構な準備が必要かもしれません。
吹屋にて
そんなこんなで、気がつけば吹屋ふるさと村に到着してました。
吹屋はかつて銅山の町として発展した町であり、その後は幕末頃から明治時代にかけてベンガラ(赤色顔料)の巨大産地として栄えました。生産されたベンガラは日本各地に流通し、社寺の建築や伊万里焼、輪島塗などの工芸品にも使用されていました。
集落の建物は赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一されており、山間部にいきなり赤い町並みが登場してくる様は非常にインパクトがあります。
日本遺産「『ジャパンレッド』発祥の地」吹屋ふるさと村 - 高梁観光情報|備中たかはし
統一感は物事を美しく際立たせる要素の一つである一方で、あまりに画一的だとかえって良い印象をうけないような気がするもの。
しかし、この吹屋集落は同じコンセプトのもとで町そのものが形成されているものの、家々の様子はどれも微妙に異なっている。商人の家もあればカフェも民家もあるし、建物の新旧も含めて個々は同じではない。その事実が、吹屋全体に広がる独特の雰囲気を醸し出しているように思えてなりません。
あと、赤いとは言っても違和感がある赤色ではないのがすごいと思いました。どぎつい赤色ではない分どこか歴史を感じさせる重厚感のある色合いになっている気がするし、自然の中に混じっていても素直に受け入れられる。
簡単に言えば、これは魅了される赤色だ。そんな感想が自然に口から出てきた。
なんか、町全体が赤い色合いなので水色の愛車が特に目立ってますね。
別に意図したわけじゃないけど、赤い建物自体が珍しいので余計に際立っているというか。
観光客についてはそこそこいました。
ただし場所が場所なだけに車以外での来訪は難しく、公共交通機関で来る場合はバスの本数がどうなってるのか不明。なので必然的に観光客は岡山県民が多くて、岡山弁を久しぶりに聞いたのでついつい嬉しくなってしまった。
吹屋には先程書いたようにカフェもあれば宿泊施設もあるし、もちろん食事処もあります。
歩き回った後はカフェで一休みしたりして、ノスタルジックな時間を過ごしつつ時代の移ろいに思いを馳せる。こういう贅沢な時間の使い方が自分は好きだ。
ささっと見て終わりにするのではなくて、その土地のことをよく知る度に色々考えることが増えていく。自分がロードバイクと散策をうまく組み合わせて旅をしている一番の理由はこれが理由の一つ。
最後は吹屋の町並みを遠方から通りに沿ってなんども眺め、最終的にはダウンヒルをして高梁市街に帰還しました。
おわりに
久しぶりに訪れた岡山県は、自分でも驚くくらいに懐かしさで溢れていた。
それは昔訪れたことがあるという理由のほかに、中国山地で育った中で得た何かが関係しているような気がします。なので今後も何度も訪れていくつもりだし、昔の記憶との対比をしていくのも案外楽しいものになるんじゃないかと思ったり。本当に素晴らしい行程になりました。
おしまい。
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