【阿南~椿泊の町並み~牟岐町出羽島】ロードバイクで静かな漁村集落を巡る秋の徳島~高知ライド Part 1/2

Part 1:阿南~椿泊の町並み~牟岐町出羽島
Part 2:海陽町~東洋町甲浦~室戸岬~喫茶店大菩薩峠

今回は、ロードバイクで四国の東の海岸沿いを走ってきました。

目的は至って単純で、前回は岩手県や青森県の山間部を走ったので、じゃあ今回はその逆で海を見に行くかという気分になったからです。毎回同じような地形のところを訪れていてもあまり新鮮味がないので、旅として訪問する場所は適宜吟味するようにしています。

加えて、徳島県や高知県の海沿いには魅力的な漁村集落が集まっているのが特徴の一つ。

その多くは観光的ではなく落ち着いた雰囲気が広がっており、静まり返っている秋から冬に差し掛かる季節に旅するには個人的に好きなところです。以前やったライドではスルーしてしまったスポットが多かったため、今回はそれらを巡る形にしました。

宿は高知県東南端の室戸岬にとり、そこまでゆるゆると散策中心で走っていきます。

もくじ

徳島の端、椿泊

阿南方面から国道に従って南下してくると、地図上では東の方に突き出した半島が登場してきます。これは蒲生田(かもだ)岬という四国最東端の岬であり、最終的に今日訪れることになる室戸岬と同じく端っこに属するところ。日本各地の端っこの方にこそ自分が好きな場所が集まっているという思いから、このあたりは以前からずっと訪問してみたいと思っていました。

蒲生田岬や、岬から湾を挟んで反対側にある椿泊などは国道から遠く離れた場所にあるため、単純に四国を走るだけならばまず選択肢に入ることはないかと思います。でもそこは今回の趣旨に従うと訪問マストな一帯だし、積極的に寄り道していくのが自分の根本的な旅の方針。

というわけで、国道55号から県道26号方面へ入って海を目指しました。

椿漁港周辺の湾に注ぐ椿川という川沿いに走り、海に到着してからは左の県道287号を東へ向かいます。道中の道はずっと上の写真のような感じで、海沿いに小刻みなアップダウンを繰り返す気持ちのいい道。

海沿いの道には色々ある中で、この椿泊のように湾になっている地形だと向こう側の岸が視界に入っているのが個人的に好きです。海はただ広いとしか感じないくらいに限りないものだけど、人間がそこに集落をつくって定住しようと昔に考えたほど居住や漁に適しているところ、つまり「適度な狭さを持つ海沿い」の風景が特に好き。

目の前には海、そして左右の陸のはるか向こう側にまで道が続いているようなところだと、最初は楽しいかもしれないけど次第に飽きてしまう。でもこういう地形(うまく説明できない)だとそういうことがなくて、流れていく景色が理想的な間隔で切り替わっていくので飽きることがありません。別の例えだと、三重県の紀北町~尾鷲~熊野あたりの海岸もこれに近いです。

道が本当に狭い

椿町中学校を通過し、椿泊漁協を抜けてさらに東へ進んでいくと椿泊の町並みが見えてきます。

こじんまりとした港に漁船がたくさん停泊していて、その陸側に民家が集まっているという風景。ああそうだ、これを目的にここまで走ってきたのだと改めて感じるくらいに好きな風景が目の前にある。もちろん自分には縁もゆかりもない土地なのは確かですが、どこか懐かしさを感じるような空気がここにはある。ここに目をつけて正解だった。

あと、今回はロードバイクでの散策を選んでおいてよかったと思えた出来事があって、集落内の道が本当に狭いです。上の写真の道幅がデフォルトで、場所によってはこれよりも細いところがいくつもありました。ここを地元の方の車が結構なスピードで走ってくるので、カーブを曲がるたびに冷や冷やしてました。

こんなところを車で訪問するなんて考えたくもないので、ロードバイクや原付きでの訪問が最適です。本当にロードバイクは散策向きの道具だなっていつも思ってる。

椿泊の散策

目と鼻の先に海がある小学校
小学校から遠く離れたところにプールがあった
道の突端
釣りをしている人が多い

集落内を走る道はほぼ一本道で、普通に走っていけば自動的に最果てに到着する形です。まずは道の終点を確認し、集落内の散策は折り返してくる復路で行うことにしました。

椿泊小学校を通り過ぎてしばらく行くとその終点があって、近くにあるのは由賀神社という小さな神社のみです。なんの前触れもなくいきなり道路が途切れ、海側を見れば突堤の先で釣りをしている人が見えました。付近の家々では布団を干されているところも数多く(=無人でない)、平和な時間が流れています。

プールは道具置き場になっている様子
小学校の校舎は、阿波水軍の森甚五兵衛屋敷跡に建てられている

というわけで、ここが椿泊の先の先。

実際にここまでたどり着いてみた感想としては、別に最果ての地という感覚は特にありませんでした。道こそ狭いものの、ここには集落も港も、小学校も簡易郵便局もあって閉塞感は感じられない。現在進行系で漁業の作業をされている方も各地で見られたし、最果て=何もないというわけではありません。

最初は地図上で確認して行き先を決めただけだったけど、集落が形成されている土地には確かに人の営みが存在している。それは全国各地のどこに行こうが同じことで、単純に最果て感を感じているのは自分しかいない。文章にすればつまりそういうことになって、でもそれを実感できるのは実際に現地を訪問したからこそだと思う。

自分が持っている不確かなイメージだけを根拠にして全国の景色を語るのは不毛なことだし、これからも気になったら積極的に訪問する姿勢でいたいです。

佐田神社の入り口。左にある時計台が見事。
家屋が密集しているのが分かる

その後は集落の真ん中に位置する佐田神社に参拝し、神社の上から集落を一望してみました。

椿泊のように海に面した集落では、必ずと言っていいほど山側の斜面に神社や寺があります。それは集落内の中心的な建物として催し物などに使用されるほか、もしもの際の避難所としても活用されるため。散策のときに限ってはこういった神社や寺が役立ってくれて、道路の上からでは分からない集落の全容などを把握することができます。

普通に集落内を歩いているだけでは、見えるものと全く見えないものがある。自分の散策欲を満たすために、周囲の地形とそこに形成された建物や小道をうまく活用していきたい。

こういうカーブの風景が好き

その後は集落内に戻って車に注意しつつ、古い建物を眺めたりして散策を続けていく。

通りに面した入口側に欄干を持つ建物が意外と多く、新しめな建物に混ざってそういう家屋を発見すると嬉しくなってくる。中には泊まってみたくなるような旅館もあったものの、もう営業していない様子でした。ただ民宿は何件か存在していて、この辺りの海鮮を満喫できることは想像に難くないです。

通りの道が細いのは、自動車が流通するもっと前から道そのものが変わっていないからで、つまりこのあたりでは徒歩による移動が一般的だったということ。今でこそ車がないと買い物にも行けないので車を所持する→狭すぎて運転しづらいと感じるものの、集落としてのまとまりがそれほど変化していないのは良い発見でした。

さっき見た古い建物の外観も相まって、昔から今に至るまで大幅な変遷がないまま現代まで続いている集落。それが椿泊なんじゃないかなと思います。

牟岐町のレトロな島、出羽島へ

阿南市を後にし、新野から美波町を経て牟岐町までは海岸線から離れた内陸部を走って南下を続けていく。

このまま走れば以前のライドで岐路となっていた海陽町に到着しますが、その前に立ち寄っておきたかった場所へ向かうことにしました。目指すのは牟岐港の沖合に位置する小さな島、出羽島です。

「出羽島」おいでってば

出羽島は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されているほど貴重な島で、面積は約0.4km2、周囲は約4km。島北部にある入江の漁港を中心として集落が形成されています。

集落の成り立ちを簡単に説明すると、江戸時代に徳島藩がカツオ漁のため無人島である出羽島への移住を奨励し、その後江戸時代後期から昭和前期にかけて今の集落が形成されたとのことです。
最盛期には約1000人以上の人が住んでいた島の集落内には今でも伝統的な漁村の町並みが維持されており、それに加えて「島」という環境が自分的には俄然興味が湧いてくる。出羽島には牟岐港から連絡船で片道15分ほどで行くことができるため、今回のライドの途中に寄っても時間的に影響はありませんでした。

牟岐港の様子
連絡船の待合室
連絡船の時間はこちら。料金は片道220円。

というわけで、牟岐港に到着して連絡船を待つことに。

気になる出港時間は上記の通りで、今回の場合は島での滞在時間は1時間ほどしかとれません。ただ出羽島はゆっくり見て回ってもちょうど1時間ほどで回ることができるので、この時間がちょうどいいです。まあ1日6往復もあるといっても、5便や6便だと時間的に日帰り観光は不可なので午前中の早い便に乗るのがおすすめ。

出羽島に向かう航路はこれしかなく、船での移動になるので天候によっては休止することもあります。

連絡船に乗り、いざ出羽島に向けて出発。この便に乗っているのは島民の方がほとんどで、島民以外では自分と島の灯台へ登山目的と言っていた二人組のみです。

後は、ヤマト運輸の人が大きな荷物を持って乗船されていました。島への物資の移動手段ももちろん船しか存在しないわけで、島にとっての物流には切っても切り離せない大切な存在です。僻地へ行くほど、郵便や宅配の頼もしさを強く感じますね。

岸壁の石組みが美しい
出羽島に上陸

大きな揺れもなく、定刻通りに出羽島に着きました。

ここからは次の出港時間まで島を散策していく中で、特に目的があるわけではないのでまずは連絡船乗り場にある地図を確認しました。どうやら島の南には灯台があるようですが、そこへ短距離で向かうことができる遊歩道は現在崩落で通れないようです。なので、今回は集落の建物をメインにぶらぶら歩くという感じで行きます。

あと、島の中には飲食店が1件しかありません。その飲食店もいつも営業しているかどうかは不明なので、散策中に補給が必要なら準備はしておいた方がいいと思います。ただし宿泊施設については3件ほど営業している様子で、帰りの便で出会った女性の方は出羽島でなんと3泊してこれから関東に帰るというプランでした。

連絡船乗り場の自転車
出羽島の港の全景
ネコ車と自転車は出羽島の至るところにある
茹でてないのにすでに赤い謎のカニ

まずは連絡船乗り場から出羽神社や簡易郵便局がある通りを東に進み、港をぐるっと回り込むようにして南へと向かってみます。

道中の景色はもう漁関係の設備一色で、特に港に停泊している漁船の上では何かしらの作業をされている方が多い。よく見ると網の手入れが中心で、目が醒めるような赤色の網が特徴的でした。目立つように海の青い色とは正反対にしているんだろうけど、視界の中の色彩がとにかくカラフルになっている。


出羽島の最大の特徴として、現代社会で必須とも言える自動車が一台も存在していません。

島内の移動は徒歩もしくは自転車に限られており、そもそも車があったとしても到底通れないような細い路地ばかり。さっき自分が訪れた椿泊では逆に車の存在を意識したのに対して、ここでは存在そのものがない。その代わりに発達したのがネコ車で、どの民家を見ても必ずネコ車が置いてある風景を見ることができます。

海の近くを通行する分には大きな坂道もなく、物資の運搬はこのネコ車を使うことが必須。この2022年の中にあって、モータリゼーションとは無縁の静寂が残っているのが出羽島の良さといえます。

廃校になった出羽小学校跡

湾の南側から斜面を上り、比較的標高が高いところにある出羽小学校にやってきました。といっても現在残っているのは校庭と体育館のみですが、校庭の広さから察するに昔はかなり大きめの校舎が建てられていたようです。

少子高齢化の影響で全国的に学校の統廃合が進んでいるので、旅する途中ではこういう景色に出会うのも珍しくはない。でも、やっぱり人のいなくなった学校は寂しいものだと思います。

海側へ戻り、湾の入り口を通過して島の西側へ。

湾の入り口では船同士の衝突回避や安全のために、「湾内スロー」と岸壁に書かれていました。その手前の岸には散歩途中と思われるお婆ちゃんの姿が見え、出羽島の日常風景の一部が垣間見えた気がして嬉しい。天気がいいので道のそばの金網には布団が干されているし、あちこちを歩いて回るたびに出羽島そのものの姿が感じられます。

完全に観光客向けの施設で構成された観光地もそれはそれでいいものですが、観光要素が微塵もないその土地の日常の景色が個人的には一番好き。自分がいつも岐阜県で見ているような「日常」ではなくて、全国各地にはその土地にしかない日常が広がっている。

そういった情景を色眼鏡を通してではなく、ありのままに五感を通じて感じる体験を今後もやっていきたい。

釜の跡

集落の西側を引き返し、湾の南側から東側へと移ってきました。この道を進んでいけば連絡船乗り場に戻ることができ、いわば出羽島のメインストリートのような存在なのがこの通りです。

とても古い民家のそばには常にネコ車が置かれていて、そのどれもが出羽島での生活には欠かすことができないもの。上に乗せるものの大きさに応じて、ネコ車自体のサイズも細かく異なっているようです。というか、既製品のネコ車はここには存在しないんじゃないかってくらいにバリエーションが多い。それぞれ愛着があるんだろうな。

家屋の外板は水色など、地味ではない色使いが多い
ミセ造り

出羽島の民家は「ミセ造り」と呼ばれる特徴的な構造をしており、上の写真のように家の軒先に手前側に倒す形の板が設置されています。

何もないときは引き上げておき邪魔にならないようにし、作業時にはこれを下ろして台にしたり、縁側のように座って休む用途に使われています。出羽島には居住に適した平地が少なく、必然的に住居の構造や広さが限られるためにこのような形式が広まったと考えられます。限られた面積を有効活用する知恵が感じられました。

いつ頃の建築なのか気になる木造家屋
メインストリートには平屋の建物が比較的多い
路地裏から湾を見る

メインストリートにはかつて商店だったとみられるところが何件かあったものの、さっきみた小学校のように廃業されているようです。あとメインストリートといっても人の気配が感じられない家が多く、かと思ったら家の中から大きなテレビの音が聞こえてきたりして逆に安心したり。

出羽島の現在の人口は70人ほどという話ですが、この町並みはいつまでも続いていってほしい。

連絡船乗り場

連絡船の出発5分前に、乗り場に戻ってきました。

島内で唯一ここにある自動販売機で飲み物を書い、短いながらも出羽島で見た風景について思い出してみる。聞こえてくるのは波の音だけという静かな環境で、堤防では釣りをしている人が多数。時間を急かすような様子はここにはなく、ゆっくりとした島時間が流れている。

出羽島には宿泊施設もあるので、もし今度来るときにはここでゆったりとした時間を過ごしてみたいと感じました。たった1時間の散策とはいえ出羽島ならではの緩さを実感できたし、ネットで見かけたように出羽島に移住してくる人がいるのも納得でした。

出羽島の遠景、帰りの連絡船内から

そんな風に思いながら佇んでいると、連絡船は出羽島を出港して牟岐港へ帰還。

よく考えてみれば、まだ出発から数時間しか経過していないのにこんなに密度が濃い体験ばかり。自分の何かしらのセンサーに引っかかった場所を訪問すると大満足に終わることが多いので、ある意味で一番信頼しているのは自分の嗅覚だったりします。自分が好きでやっている旅なのだから、自らの感覚は信用していい。単純なこと。

そんなわけで、今回の旅は後半戦に突入しました。Part 2に続きます。


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