清水屋旅館 昭和40年建築 飛騨金山の旧飛騨街道に佇む木造旅館に泊まってきた

今回は、岐阜県の飛騨金山にある清水屋旅館に泊まってきました。

飛騨金山はJR飛騨金山駅から飛騨川を挟んで西側に主な町並みが形成されており、迷路のように細い路地が入り組んだ「筋骨」が有名です。自分も少し前にその筋骨巡りに訪れたことがあって、こじんまりとした町の範囲に反してカメラを持った人が多かったことに驚きました。

清水屋旅館はその飛騨金山の町の中、旧飛騨街道沿いに建っている旅館です。
この街道には筋骨はもちろん、かつての銭湯の跡や元遊郭の建物など珍しい建築物を見ることができますが、旅館はその一角に溶け込むように佇んでいました。この街道沿いには間口が狭く奥深い家々が多く、清水屋旅館についても表通りに面した建物と、表からでは全く見えない奥側の建物(宿泊棟)の2棟から構成されており、前者の建築は昭和55年、後者は昭和40年となります。

もくじ

外観

まずは外観から。

清水屋旅館 正面外観

旧街道を歩いていくと緩やかな道のカーブの場所に「旅館清水屋」と看板が出ている家屋があり、ここが清水屋旅館です。ただしその外観は一見すると旅館ではなく民家のように感じられ、看板が出ていなかったらそのまま素通りしてしまいそうになるくらいの溶け込みようでした。

あくまで旅館というイメージを頭の中に思い描いた状態で訪問すると、そのこじんまり感に驚くと思います。

1階部分
2階部分

ただ、旅館や宿泊施設の類は実際に宿泊してみないと全容が分からないもの。

宿泊しない状態で把握できるのは外観のみに過ぎず、その内部がどうなっているのかを判断するには至らない。そう思って今回宿泊に至ったところで結論から言うと、清水屋旅館にはこの表通りから眺めた見た目以上の良さがあります。飛騨地方の散策や筋骨巡りを終えて、飛騨金山に一泊するのにこれ以上の宿はありません。

館内散策

昭和55年棟

旅館の前でその外観に驚いていると、表通りを歩いてくる方がみえてそのまま旅館に入られる様子。ここで初めてこの方が女将さんだということに気が付き、ご挨拶をして投宿となりました。

すでに述べた通り清水屋旅館には棟が2つあって、表通りから見えるのは昭和55年に建てられた棟となります。ただしこちらは女将さんやご主人の生活空間として使用されているのみで、宿泊者が使う施設としては建物奥側にある洗面所やお風呂場のみ。宿泊棟へは長い玄関土間を歩いて行く形となり、建築方式としてはうなぎの寝床だと言えます。

玄関土間は奥へと続いている

玄関入ってすぐの様子。

左側に植木鉢や靴箱が置かれており、ここで靴を脱いで屋内へ…かと思いきや、玄関土間は建物のさらに奥に続いています。この昭和55年棟は基本的にこのような造りになっており、玄関土間にそって靴を脱ぐ場所が連続的に設けられているため、どこでも屋内に上がることが可能というわけです。これは生活する上で非常に便利だ。

なお靴箱のすぐ奥は2階への階段と1階居間へと続く廊下があり、ここだけ切り取っても清水屋旅館が魅力あふれる旅館であることが分かります。

右側がこたつがある居間で、その奥が2階への階段
玄関土間には傘立てや冷蔵庫が並ぶ
2階への階段の向こう側は厨房になっている様子
玄関土間上の吹き抜け
玄関土間奥から玄関方面を見る

そのまま奥に進むに連れて玄関土間はずっと続いており、右側には壁、左側には順に生活スペースが登場してきました。表側からではまるで想像できないくらいに奥まった構造の造りになっており、この時点で清水屋旅館に泊まってよかったと思えました。

玄関土間はまっすぐに連続していて風通しがよく、しかも奥まっているぶん屋内の薄暗さが自分好みな程度になっていて、それでいて吹き抜け部分からは日光が差し込んでくる。この細長いスペースに自分の好きな要素が詰め込まれていて本当に素敵だ。

厨房横の洗面所
昭和40年棟の入り口

で、ここからの風景がまた特殊でした。

玄関土間の先には石製と木製の階段がそれぞれ設けられていて、その先にあるのは別の建物。この建物こそが宿泊棟になっている平屋の昭和40年棟なんですが、上り階段の先に別の建物が見えるという図式が印象的です。しかも一度屋外に出るかと思いきや相変わらず屋内のままだし、階段の雰囲気が良すぎるしで最高すぎる。

右側の石製の階段は宿泊者が屋外からアクセスしてそのまま上れるように玄関土間の延長線上のような感じになっているのに対し、左側の木製の階段は旅館側が屋内から上れるように設けられています。こういうの、なんかいいよね。

昭和40年棟前から振り返って
石段上にあるもう一つの階段を上るとお風呂場と洗面所、トイレがある

石段下には右方向に別の通路があり、ここには洗濯機などが置かれていました。

さっきまでは表通りに面した建物の間口のまま奥側まで歩いてきており、右側はずっと壁になっていたはず。それがここにきて一気に間口が2倍くらいになっていて、その入口部分がこのスペースです。逆に言うと、表通りで清水屋旅館の右側にあった家屋はここまで奥行きがあったということで、この部分からそれがなくなったので清水屋旅館の間口を多く確保できる形になっています。

最初から旅館として経営される予定だったのかは不明ですが、蓋を開けてみたらあまりにも特殊な敷地だったので驚きました。

お風呂場の様子はこんな感じで、複数人が一度に入れるくらいの広さがあります。

また洗面所やトイレについても比較的新しく、滞在中に使用するのはもっぱらこちら側かなという印象。お風呂も含めてこれらの設備が2階にあるというのが不思議だったものの、手前の階段の様子などから近年になって増設されたもののようです。

昭和40年棟(宿泊棟)

洗濯機が置かれているスペースの奥に向かうと屋外に出ることができ、ここからは昭和40年棟の外観が確認できるのでまずはそこから散策します。

屋外に出ると道は左方向へと続いていて、そこを歩いていくと棟の左側面部分が見えます。

棟の周辺は庭が形成され、それに加えて植木鉢や椅子、物干し竿などが置かれていてまさに民家の庭先そのもの。さっきまでの屋内の様子から一転して開放感のある状況下ですが、投宿までの経緯を踏まえるとシチュエーションが刻々と変化しているので感情の起伏も大きくなってくる。

最初は表通りの外観を確認し、いざ中に入ってみたらうなぎの寝床の細長い通路が目の前に続いている。まっすぐ進んでいった先には石の階段があって、そこから脇道に入ったらいつの間にか外に出ていて自分が泊まる建物の外観が見えた。文章に表すとこういうことになるけど、屋内と屋外が切り替わるポイントが絶妙でした。

昭和55年棟に引き続いて昭和40年棟も民家のような外観で、上に示した右側側面と奥側からは外に出られるようにはなっていないようです。外壁はほとんどがトタン張りで、一部は漆喰でした。

建物のさらに奥にある畑
畑の向こうには下呂市立金山小学校が見える
ある客室の窓
建物裏では玉ねぎを干していた

そのまま奥へ進んでいくと庭があり、その横にはかなりの広さの畑があります。自給自足の生活を営まれているのが理解でき、おそらく今回頂いた食事にもその恵みは反映されているはず。

ここまで見てきた限りでは、清水屋旅館では名前こそ旅館と付いているものの、その実態としては生活感あふれる民家という印象です。視界の端々に見える光景に女将さんやご主人の生活の様子が垣間見える。庭や畑についても丁寧に整備されているし、自分としてはどっちかと言うと小綺麗な建物よりは「そこで生活されている感」が感じられる建物の方が好き。

その点で言えば、清水屋旅館はこれ以上ないほど旅先でのひとときを感じられる旅館でした。旅館の滞在中に感じられる要素は多い中で、これほど旅館側の環境に目が行ったのは自分でも珍しい。

監視されている

ところで、散策中にふと上を見るときれいな白猫が自分を見下ろしていました。

この猫はミーちゃん(4歳)といい、清水屋旅館の館内/館外を問わずに出歩いている飼い猫です。今回の訪問時はこのタイミングと夕食時に会うことができましたが、この時期だとほとんどコタツに入って出てこないそうです。実際、翌日に自分が宿を出発するときもコタツに入ったままでした。

温かい季節だったら館内をうろうろしていることが多いと思うので、出会える確率は上がりそうです。

ここから建物に入る

一通り外を歩いた後、続いては屋内へ。

先ほど見えた石段の正面に位置する部分が入り口に相当するものの、一般的な家屋への入り口とは異なっているのが分かります。一応は右横に靴箱が、そして建物のすぐ手前には一段設けてあって、その奥側はいわば家屋の廊下のような佇まい。逆に言うと廊下の戸を開け放ったら隣に石段が見えるような配置になっているので、これもまた驚きました。

部屋と廊下の配置については、まず手前に入口部分を兼ねた廊下が横一直線に走っています。そしてやや右側の正面に客室があり、廊下はその左右を建物奥側に向けて通っていました。

廊下の曲がり角

戸についてはいずれもアルミ製のサッシではなく、昔ながらの木製のものが残されています。

これは屋外~屋内の廊下だけでなく廊下~客室の戸にも共通しており、いわば同じような境界部分が二層で連続している形。明瞭な廊下の配置も含めて統一感があって良いです。

正面に位置する2つの客室はそれぞれ8畳あり、襖で区切られているので二間続きにすることも可能です。

左側のガラス戸は南側に面しているため、散策中はここから日差しが差し込んできて良い雰囲気でした。電灯をつければもちろん明るくなるけど、日光だけでほのかに室内が照らされているというシチュエーションが個人的には一番好き。

廊下では豆を干していた

そのまま右側の廊下を進んでいくと、突き当りには別の客室(6畳)があります。

こちらの客室は一面がまるごと押入れになっていたことから、先ほど見た2つの客室の布団置き場も兼ねている様子でした。他の部屋と比べると装飾は控えめで、ビジネスプラン用の部屋という感じがします。

歩いてきた廊下を戻り、続いては左側の客室方面へ。

昭和40年棟のトイレ
洗面所

こちら側は廊下の左側に客室が2箇所あり、廊下の突き当りには男女兼用のトイレがありました。

このトイレの入口がまた特殊で、廊下の正面でもなく右側でもなく、両方を少しずつ切り欠いてそこを入り口にしています。ただし天井付近を見ると柱を切ったような跡が見えたため、入り口が少々狭いので広くするために施工した可能性が高いです。

床や壁には異なる種類のタイルが使用されており、特に床については色鮮やかな青色。施工した当時の職人技が光っているし、壁のタイルについても薄い水色なので清潔感があります。

泊まった部屋

今回泊まったのは、この左側の廊下に面した手前側の客室です。広さは6畳あって一人で過ごすにはちょうどいい広さでした。

泊まった部屋

設備としてはエアコン、テレビがあり、アメニティは浴衣と歯ブラシがあるので手ぶらでも大丈夫です。

この部屋の雰囲気もまた良いもので、畳や壁、天井の古さに加えて調度品(テレビを置いているタンス)も元々旅館にあったものを持ってきたという感じがして実に素敵。古いままの状態で現在まで保たれてきたということが伝わってきて、一夜を過ごすならこういった歴史ある部屋がいい。


投宿した後は館内を歩いたり、飛騨金山の町並みを歩いたりして時間を過ごしました。

旅館の裏手にある小学校では児童たちがスポーツをしているらしく、ちょっと屋外に出てみると声が聞こえてきたりする。そういえば清水屋旅館に泊まるまで、この建物の裏手が庭になっていることなんて分からなかったな…とか考えながら歩いたり、国道の方へ行って相変わらずの交通量の多さに辟易したり。

車移動がメインとなるこの時代の地方では、国道から逸れた場所はほとんど目に止まらない。そんな中で、清水屋旅館のようなゆっくりとした時間が流れる宿に泊まれたことに感謝しました。

夕食~翌朝

散策を続けていたらいつの間にか太陽が山の向こうに隠れてしまい、一気に気温が下がって辺りも暗くなってくる。お風呂に入って部屋でゴロゴロしていたら夕食の時間になってました。

夕食はお部屋まで持っていきますからね~と聞いていたので声がかかるのを待っていたのですが、実際は昭和40年棟に入ってすぐ正面の部屋が夕食の場所になっていたようで、すでにこちらに準備がされていました。

夕食の献立

夕食の献立は上記の通りで、鮎の塩焼き、天ぷら、刺し身など様々な種類の品がずらっと並んでいます。

どの料理ももちろん美味しく、作りたてなので熱いものはちゃんと熱くて美味しさが増幅されている。気温的にそろそろ寒さを無視できなくなってくる時期ですが、その分だけ茶碗蒸しや湯豆腐の温かさが身にしみました。

夕食の合間に布団を敷いてくれる形式なので、夕食が終わって部屋に戻ってきたらすぐに横になることができます。

その後は軽い夜の散策に繰り出し、早めに切り上げてから部屋に戻って就寝。

清水屋旅館の前の通り、旧飛騨街道は夜の時間帯だとほぼ街灯の灯りしかないので歩くのが怖いです。そうした闇の時間を過ごした後で、旅館に戻ってくるとその明るさに安堵する。今日泊まる宿があるというのは本当に安心できる。

朝食の献立

翌日は早めに起床し、朝食を頂きました。白米の素朴な味わいに味噌汁の温かさ。静かな旅館の最後には静かな朝の時間が似合っている。

女将さんにご挨拶をし、こんな感じで清水屋旅館での滞在は終了しました。

おわりに

飛騨金山は国道から少し逸れた場所に広がる町並みで、一見するとそうは見えないけど実は得意な路地裏が入り組んでいるスポットです。

清水屋旅館は旧飛騨街道に面した旅館であり、すでに述べた通り外観からでは全く分からないほど奥行きのある特徴的な宿です。女将さんの人柄の良さや猫ちゃんの存在も含め、とてもよい時間が過ごせました。

おしまい。

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