今回は長野県木曽上松にある棧温泉旅館(かけはし-)に泊まってきました。
旅館が位置する木曽地域は木曽川の流域にそって中山道が通り、江戸時代には妻籠宿や野尻宿、上松宿など多くの宿場が設けられました。木曽山脈を挟んで東に位置する飯田~駒ヶ根周辺と比較すると川と山との距離が近く、切り立った地形をしていることが分かります。
上松町には観光スポットとして有名な寝覚の床と呼ばれる峡谷がありますが、古来にはこの寝覚の床と並び称された「木曽の桟」という名所があったそうです。これは木曽川沿いの断崖絶壁に並行して設けられた道(岩の間に丸太や板を組み込み、藤づるを編んだ簡素な桟橋)で、中山道一の難所と言われた場所。木曽八景のひとつにも数えられており、あの松尾芭蕉や正岡子規も桟に関する句を詠んでいます。その後、江戸と明治につくられた石垣の上に現在の道が開通したため当時の桟は残っていないものの、すぐ横に赤色のかけはしが建設されています。
そのかけはしの横に建っているのがこの棧温泉旅館というわけで、滞在中は中山道を歩いた人と同じ景色を眺めることができた気がしました。旅館は女将さんと息子さんをはじめ多くの方で運営されており、いずれも優しい方ばかりで心に残る宿泊になりました。
外観
まずは外観から。
前述の通り棧温泉旅館の建物は木曽川に架けられたかけはしのすぐ横にあります。中山道自体が国道19号のバイパスから離れていることもあり、現代のなかにあって比較的静寂を保っているロケーションが特徴です。
棧温泉旅館の宿としての立ち位置は結構珍しいと思っていて、中山道の木曽地域において歴史がある宿といえば宿場に関係したものばかりだと思っていました。棧温泉旅館は木曽の桟という中山道に密接した関係にありつつも宿場の中にはなく、そもそも周囲に民家があまり見られない一軒宿。従ってシンプルに宿場に泊まるのとは異なった滞在ができるはずです。
棧温泉旅館の遠景はこんな感じ。向かって右側が宿、左側のこじんまりとしたのが温泉の建屋です。
中山道と宿の間には木曽川が通っているため、建物を眺めようとすると自動的に遠景になります。建物と木曽川が隣り合っていることからも、ここは正真正銘の木曽の宿という印象が強く感じられる。
かけはしを渡ると左側に宿への道が続き、そのまま進むと建物全体が見えてきます。
建物は全部で3階建てで地下1階が駐車場、1階が玄関及び玄関ロビー、そして2階が客室フロアと用途が明確に分かれている構造。1階の玄関へは階段ではなくスロープを使う形となり足腰が悪い人にも優しい形。建物正面には大きな文字で「旅館と食事処」と書かれていて、ここがどんな施設なのか一発で分かるのが良いです。
今日はロードバイクで訪れたので地下1階の駐車場に止めさせてもらい、早速屋内へ。
建物の周りの四方が自然で囲まれており、人工物に囲まれて普段生活しているのと比べるととても開放感があります。このあたりも建物が密集している宿場内の宿とは異なるポイント。
館内散策
1階 玄関~玄関ロビー~廊下
1階には玄関やロビー(ラウンジ)、帳場、厨房、そして食事会場がありますが、2階にある客室から温泉へ向かう動線上にロビーが含まれていないため基本的に人が少なく静かでした。また温泉が完全に別棟になっているため宿泊棟の設備はコンパクトにまとまっています。
玄関を入ると右側に靴箱があり、そして真正面に帳場が鎮座しています。一目で帳場と分かるほどスペースを広くとってあって、通路に面しているところがL字というのも個人的に好印象。あと細かいところですが天井にも帳場の壁の一部が設けられているのがどこかホテルっぽい。
帳場から左方向に目をやると広めの玄関ロビーがあって、たくさんのソファや椅子に加えて掘りごたつ式の座敷もあるという至れり尽くせり感。上の写真にも写っている通りに玄関ロビーには猫ちゃんがいることが多かったので、滞在中は客室ではなくロビーで過ごすことが多かったと思います。ロビーの横にはテレビや自動販売機もあり、ちょっと休憩したくなったらロビーに来るのがおすすめ。
ロビーがある部屋のうち二面が窓になっているため採光も必要十分で、山と山に挟まれて日光の確保が比較的困難なこの場所においても明るさを感じました。つまり地形的に日没が早くて日の出も割と遅めだけど、それによる暗さはあまり気にならないということです。
帳場横の廊下を直進すると厨房や食事会場を経て温泉へと繋がっており、厨房が廊下に面した一角については何かの受付のようになっていました。昔はここで飲み物の提供などをされていたんだろうか?
で、厨房受付の壁に貼ってあったのが木曽谷の地酒として名高い木曽福島・中善酒造店「中乗さん」の暖簾。今日はライドで疲れたし夕食時に酒飲んでもいいかな…と漠然と考えていたところ、地酒の文字を見たことで背中を押された感じがしたので注文することに決めました。こういう風にさりげなく宣伝しているのがいいですね。
2階 廊下
続いては階段を上って2階へ。2階への階段は玄関ロビーから伸びる一箇所と建物奥にもう一箇所の計二箇所あります。
2階は客室と洗面所・トイレのみがあるシンプルな造り。真ん中に廊下が通っていてその左右に客室が並んでいます。廊下には赤い絨毯が敷かれており、明暗の差を考慮しても1階と2階では雰囲気が結構違いました。
客室の中で眺めが良いのはもちろん木曽川に面した側ですが、宿泊プランを見る限りでは山側の客室だと料金が少し安くなるみたい。
2階 泊まった部屋
今回泊まったのは2階の川に面した「ねずこの間」で、広さは8畳と書かれていたもののおそらく広縁まで含めての値っぽいです。設備はポット、大きなテレビ、エアコン、ファンヒーターがあって布団はすでに敷かれていました。アメニティについては浴衣、タオル、バスタオルが揃っています。
部屋の壁などは比較的新しい感じがする一方で古い部分も残されていて、床の間風の柱や畳の質感にそれが現れています。
あとはなんといっても、旅館にあってほしい存在第一位の広縁があるのが個人的によかった。木曽川に面した客室となれば川を眺めながら寛ぎたいと誰もが思うわけで、広縁はその願いを高次元で叶えてくれる存在。広縁に置かれている古びたソファも座り心地が良かったです。
広縁からの景色は上記の通りで、視界に入ってくるものは美しい木曽川とその奥の山々のみ。中山道と赤橋(かけはし)以外の人工物がまわりに一切なく、そのぶん木曽谷という地形の存在に着目する形となる。自然に囲まれている一軒宿の良いところが全面に押し出されていてすごく素敵だ。
さらに良かったのは中山道からかけはしを渡った先に棧温泉旅館があるという、おそらく昔から変わっていないであろう風景が部屋から一望できることです。中山道と「木曽の桟」の歴史を感じつつ、時代によらず静かに流れていく木曽川を眺める。当初は温泉を楽しむために宿泊を決めたものの、間接的に歴史に思いを馳せる時間が長かったように思います。
ちなみに今日は長野県に入ってから曇り空が続き、宿に到着して温泉に入っていたら夕立が降り始めました。ロードバイク移動にとって雨は天敵なのでタイミング的に運が良かった…。広縁に座って木曽川を眺めているとホトトギスの鳴き声が聞こえたりと、ロケーションは本当に最高。また夏の時期に訪れたため昼間は気温が高すぎた一方で、18時くらいになると割と涼しく感じました。これも地形の効果だろうか。
看板猫の存在
棧温泉旅館を説明するうえで欠かせないのが看板猫の存在。館内には3匹の猫ちゃんと1匹の犬が暮らしており、滞在中は至るところでその姿を見ることができます。
- 茶トラ猫…名前は「ちゃー」。一番大きい。外で寝ていた。
- 三毛猫…名前は「すもも」。2番目に大きい。やや警戒心強め。
- キジ白猫…名前は「くこ」。一番小柄。かなり撫でさせてくれる。滞在中はほぼ寝ていた。
この猫ちゃん達がもうびっくりするくらいに可愛くて、猫ちゃんを目当てに再訪を決める人がいるくらいに棧温泉旅館に馴染んでいました。温泉と食事で身体を癒やす以外にも精神的に癒やしてくれるというわけで、たぶん想像以上にリラックスできるはずです。
猫ちゃん達は神出鬼没かと思いきや出没スポットが割と決まっており、夏の時期だと玄関ロビーか玄関前にいればほぼ100%出会うことができます。特に日陰になる玄関前が夏場は過ごしやすいようで、ソファの上や専用の昼寝スペース、植木鉢の上などでスヤスヤ寝てました。
猫を優しく撫でたり、単純に寝ている様子を眺めていると心から邪悪なものが消え去っていくのが分かる。視界内に猫がいるというだけで安心できるので、客室よりは玄関ロビー周辺にいる時間のほうが長かった。
温泉
続いては温泉へ。
宿泊棟の奥に位置する温泉へは廊下を歩いた後、階段を下ったり上ったりして向かうことになります。人によっては少々遠く感じるかもしれませんが、道中にはすべて屋根があるため天候を気にする必要はありません。
温泉までの廊下には、川を眺めながら休憩できるように椅子が多めに置いてあります。また窓が大きいため閉塞感を感じることはありませんでした。屋内にいながら屋外の様子がよく見えるのは嬉しい。
脱衣所と洗面所はこんな感じで、温泉の規模からするとかなり広め。入口付近にはトイレもありました。これだけ広いということは日帰り温泉を多く受け付けているのか、又は元々の建物が広かったのかは不明です。脱衣所にはファンヒーターや扇風機が置かれていて季節を問わずに快適。
温泉の詳細は下記の通りです。
- 源泉名:棧温泉
- 泉質:単純二酸化炭素冷鉱泉(低張性弱酸性冷鉱泉)
- 泉温:源泉15.5℃、使用位置41.0℃
- 知覚的試験:ほとんど無色透明、強炭酸味・鉄味を示す。また付随ガス(二酸化炭素を多く含む)の湧出を認める。
- pH:5.3
- 適応症:筋肉若しくは関節の慢性的な痛み又はこわばり、運動麻痺のこわばり、冷え性、胃腸機能の低下等
いわゆる冷鉱泉で、冷たい源泉を加温して適温にしています。湯船は2箇所あって向かって左側が加温された湯、右側が冷鉱泉の源泉がそのまま注がれています。源泉温度が約15℃と低いので右側の湯船については全身を浸かるまでには至りませんでしたが、完全な夏だったら最高に気持ちいいはず。
湯の色は無色透明だと温泉分析書に書かれていたのに対して、実際には茶色っぽい色をしていました。身体を沈めてみても視認できないくらいの色の濃さ。温泉って自然由来なのでそのあたりは季節によって異なるのかもしれません。
冷鉱泉の方は炭酸が強めなので舐めると若干キシキシ感がするものの、湯に炭酸が溶け込んでいるためか炭酸特有のシュワシュワ感はそんなに無いようです。加温の方はキシキシ感なし。
2つの湯船の温度差が大きいため、両方に入り比べをしながら交互浴をしてました。交互浴って長湯をする上では重要な要素で、熱い湯ばっかりに入っているとすぐに身体が温まってしまうため長湯は厳しい。そこでぬるい湯に入りつつ熱い湯にも入ることで身体の温度を一定以下に保てるというわけです。炭酸成分が身体に浸透していっているのかこの日の疲労が徐々に和らいでいき、快適な温泉タイムとなりました。
夕食~夜の時間
温泉に入った後、ロビーで猫が寝ている様子を見たりして過ごしていると夕食の時間。夕食の開始時間は18:30 or 19:00を選ぶことができ、今回は19:00にしました。
夕食場所については大広間での食事と部屋食を選べますが、運ぶ手間があるのか部屋食はかなり値段が高くなります。今回は一般の大広間プランを選択。桟温泉旅館の食事は料理ができ次第順次運ばれてくるので一番美味しいタイミングで頂くことが可能です。
内容は以下の通り:
- 木曽の大きなブナシメジ入り、豆乳白味噌仕立ての鍋
- 特製味付けのマスの塩焼き、馬刺し、鴨肉、うどん入りの茶碗蒸し
- 酒:風越青嵐の生
- 焼きタケノコ。酒を振ってから焼いている。うますぎる…
- 煮タケノコ、アワ・山菜のシオデ(シュウデ)・うどの芽・おかひじき・エビの天ぷら
- アサリの釜飯、うなぎのお吸い物、デザート(メロン)
食事会場の様子はこんな感じで、この日は宿泊者を2部屋に区切ってそれぞれの部屋に机を2つ設けているようです。
最初に並べられていたのは上記の品で、後は食べ進めていくうちに順次運ばれてきます。
館内散策時に帳場で決心した通り、せっかくなので日本酒の中乗りさん純米吟醸を別途注文しました。さらに酒類の注文は手書きのメニュー等で文字情報のみをもとに選ぶスタイルではなく、女将さんが酒そのものを会場に持ってきて選ばせてくれるのがとても分かりやすい。「現物」がそこにあるわけだから客としても注文しやすいですね。
久しぶりの日本酒となりますが木曽の酒は総じて美味いです。日本酒好きの自分としては木曽の宿に泊まるなら今後も日本酒をセットで楽しみたい。
あかん、どれもこれも日本酒に合う料理ばかりで幸せすぎる。木曽の食材をたくさん使っていることに加えて料理としてのレベルが高く、何を食べても満足できるとはまさにのこと。
一般的な旅館では見られないようなアサリの釜飯やうなぎのお吸い物、特製の鍋や焼タケノコなど桟温泉旅館でしか味わえない料理があって、とても新鮮でした。今まで色んな旅館に泊まってきましたが、ここまで多種多様な品を味わえた旅館はなかったように思えます。旅館の食事って結構似通っている部分があって内容をある程度は予想できると思っていたところ、桟温泉旅館にはそれが当てはまらない。美味しさも相まってインパクトが強かった。
夕食後は温泉に入りに行き、広縁で一通り寛いだ後はそのまま布団に潜り込んで就寝。翌日の予定は特に決めていなかったため早起きする必要もなく、時間を気にせずに滞在を満喫できました。
朝の時間~朝食
翌朝はいつも起きている時間に目が覚めたので眠気覚ましのために温泉へGO。特に意識しなくとも自然に起床できるのは旅館の雰囲気が自分に合っている証拠だ。
なお温泉は木曽川(東方面)に面しているので、季節によっては朝風呂に入っているときに朝日を拝むことができます。今回はまさにその通りに太陽の陽の光を浴びることができ、今日一日が良い日になることが確信できた。
朝風呂から部屋に戻る途中、そういえば猫ちゃんはこの時間に何をしているのだろうかと気になったので玄関ロビーへ向かったところ、厨房で朝ご飯を食べている場面に遭遇。こちらを一瞥することもなく厨房へ吸い込まれていってました。なんというか貫禄がある。
それにしても茶トラは身体がデカいな。今まで出会ってきた茶トラはみんなデカかったのでそういう遺伝子なんだろうな。
朝食の時間まで暇だったので玄関前で涼んでいたところ、猫達もこっちに移動してきました。やっぱりこの時期は玄関前が活動場所になっているのかもしれない。あるタイミングでは玄関を中心にしてトライアングルを構成するように座っていたので何かの儀式か?と思ったり。
猫がいる旅館のいいところはこうして猫達の生活の一部を垣間見れること。猫は普段通りの日課を送っているにすぎず、自分はそこにお邪魔していることになる。気ままに遊んだり寝ていたりする様子を端から眺めるだけでなんかもう感動してしまう。こういうのどかな時間が自分は好きだ。
しばらくすると猫達は玄関前の坂道を下っていき、どうやら周囲の散策に出かけていった様子。女将さんの話によると県道まで移動することもあるみたいですが、あまり遠くへ行くのはちょっと心配になります。
朝食の内容はこんな感じで蒸し野菜、かまぼこ、長野県産コシヒカリのご飯、ミョウガ入りの湯豆腐、もずくのお味噌汁とこれまた意外性抜群の品が中心。特に朝食に蒸し野菜が出てくるなんて想像もしてませんでした。
野菜のみをおかずにご飯をおかわりすることになるとは自分でもびっくりだったけど、蒸されたことによって野菜が柔らかくなって美味しさも増しているからおかわりするのは仕方ない。昨日から温泉と食事の相性が良すぎて食欲が無限に増幅されている。
最後は女将さんと猫達に挨拶し、再訪することを誓って桟温泉旅館を後にする。結局この後は木曽から岐阜県の高山市まで走って、一泊二日の初夏ライドは終了。桟温泉旅館の素晴らしさによって、二日間の行程がより濃いものになってくれて嬉しいです。
おわりに
桟温泉旅館は木曽をダイレクトに実感できる景観や温泉だけでなく、食事の豪華さや猫達の存在が光っている宿。滞在中は世間のことを忘れて安心できるひとときを過ごすことができました。比較的近所にこんな穴場の宿があったことを知ることができたので、また季節を変えて再訪したいと思っています。
おしまい。
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