【島根半島 美保関~笠浦~猪目洞窟~鷺浦~日御碕】ロードバイクで日本海沿いの町並みと津々浦々を巡ってきた

今回は、ロードバイクで島根県の日本海側にある島根半島を走ってきました。

島根半島は北側を日本海、東側を美保湾、南側を中海や宍道湖に囲まれた一帯のことをいい、地図上ではっきりと分かれていませんが「半島」に分類されています。

平地はほとんどなく大部分を丘陵や山が占めていて、所々にある小さな湾を中心にたくさんの集落が点在しています。個人的にはこういったこじんまりとした漁村がとても好きで、今回巡ってみたのもそれが理由の一つ。全国の中でもこれほど「集落」という点で魅力に溢れた場所はなかなかなく、とにかく訪れてみるのが吉ということで行ってきました。

もくじ

島根半島の町並みを訪ねて

アップダウンに激しい地形で走るのは容易ではありませんが、島根半島ならではの独特な雰囲気を持つ風景をいくつかご紹介できればと思います。

場所については、今回は東から、

  • 美保関(半島の東端)
  • 中海
  • 小伊津
  • 笠浦
  • 鷺浦
  • 日御碕(半島の西端)

の町並みを巡ってきました。

島根半島における移動はかなりシンプルで、内陸側の宍道湖や中海周辺を東西に走る場合は平地が多く、逆に日本海側を走ると平地が全くない坂道ばかりの地形になっています。あと日本海側の道については一部が今も通行止めになっているので、それも加味して移動しました。

美保関

美保関の風景

最初に訪れたのは、島根半島における観光地のなかで最初に挙げられるであろう美保関です。場所的には島根半島の東の端になります。

美保関は古くから海上交通の要所や「風待ちの港」として栄えた町。交易の拠点であった美保関は、島根県内陸部のたたら製鉄による鉄の輸出港として繁栄し、江戸時代は北前船の寄港地として栄えたところです。

境港の市街から境水道大橋を渡って島根半島へ移り、県道2号線をずっと東に向かっていくと徐々に集落が点在しているのに遭遇する。

海沿いに続いている道なので他の場所と比べるとかなり走りやすく、休日ともなればツーリングをするバイクで賑わっています。今回の訪問時は天気もよく、快晴の中を走っていくのがすごく気持ちいい。

美保関の遠景

そうしてたどり着いたのが美保関の中心部で、海沿いにそって曲がりくねった道を進んでいった先にいきなり登場してくるのが特徴。目的地への到着の仕方には色々ありますが、こうやって視界内に見えない状態からバンと現れてくるのが個人的に好き。

さっき島根半島には湾を中心にして集落があるという話をしたのが実はこれに関係していて、要はずっと一直線に続いていた海岸線が、あるところで内陸部へ凹むような地形(湾)になっています。なので、こういう登場の仕方をするというわけ。

美保関中心部にあるのが上の写真にも写っている筑紫社・和田津見社で、湾に突き出した一角に朱塗りの橋と小さな祠、それとかつて港を照らしていた常夜灯が今も残っていました。

橋の近くで焼きイカを売っていたので、せっかくなので購入。

海の近くで、海に関係した食べ物を食べるとなおさら美味しく感じるような気がする。しかも焼き立てなのでイカの香ばしさが増しており、昼食が少なめだったこともあって満足できました。

青石畳通り

続いては、海沿いから通りを一本入った路地裏へ。

美保関中心部に入ってすぐのところに美保神社への参道があり、ここには屋台がいくつか出ていました。

神社やお寺と屋台ってある意味でセットみたいなところがあって、今日は別段お祭りではないけど人出は十分多い様子。心のどこかで懐かしい思いが広がってくる。

この青石畳通りはその名の通り、路地裏の地面が石畳になっているのが特徴です。この石は雨に濡れると独特の青色に光ることが、通りの名前の由来になっています。

江戸時代に積荷を乗せた台車が通りやすくするために、海から切り出した天然石を敷き詰めて整備したのがはじまり。その歴史が古いこともあって、今は現代にも関わらず当時の賑やかさが聞こえてきそうな雰囲気が漂っている。

場所的には海に面した表側とは真逆の裏側に当たるので、宿の裏口をはじめとした陰の部分が多く目につく。

一見すると観光的ではないと感じるかもしれないけど、ここをただ歩いているだけでも結構楽しい。ちょっと足を止めて撮影したくなるような箇所が多いですね。

そんな通りの中心付近にあるのが、国の登録有形文化財にも指定されている旅館・美保館。

以前宿泊したときのままの佇まいが今もあって、やっぱり一番好きなのは通りから眺める本館の内装かな。現在は本館に宿泊はできませんが、宿泊者の朝食会場や披露宴、それに会合の舞台として今も利用されています。

美保館のそもそものはじまりが、海上交通の要所としての役割に限界を感じた当主が旅館業を始めたのがきっかけです。なので美保関における時代の移り変わりをずっと見てきた存在であり、美保関全体の魅力を感じることができる旅館といえるでしょう。

美保館は新館(遠景から見えた白い高い建物)だけでなくいくつかの別邸やゲストハウス形式の棟もあるので、宿泊にあたっては柔軟なプランが検討できると思います。おすすめ。

美保館 明治38年創業 美保関の老舗割烹旅館に泊まってきた - TAMAISM

美保神社

次は通りを逆に戻り、さっき見かけた鳥居をくぐって美保神社へ。

美保神社は全国のえびすさんの総本社と言われる古社で、本殿は出雲大社に代表される「大社造り」を2つ並べた珍しい建築様式です。

古来より島根では、出雲大社(親の神様)の次に美保神社(妻と子の神様)の順で両方の神社をお参りすると良いと言われてきました。親から子の順に回ることでご利益がさらに上がる…かも。

他に類を見ない構造をしているのに加え、本殿そのものがとにかく大きく迫力がありました。太い柱に大きな屋根と、神様を祀っている建物に優劣はないんだろうけど、ここまで大きい建物だと圧倒されてしまう。

境内は広くて陰になっているところが多く、訪問時はそこそこ暑かったので涼むにちょうどよかったです。

海と山に挟まれた空間に広がる神社、そこにも自然があふれている。神社ってそれが建っている場所も良いのに加えて静かな気持ちになれるので、これからも旅先で出会った神社に参拝することは多いと思いました。

美保関灯台

美保関周辺を散策した後は、半島の突端にある美保関灯台へ向かいました。

大山が見える

美保関から美保関灯台までの区間は短いながらも海沿いの景観が非常によく、今日みたいに天気が良ければ美保湾の向こう側に大山が見えます。

空も青色だし海も青色で、それに挟まれるようにして位置する中国地方最高峰は一見する価値あり。海の向こう側に大山が見えるのはこの島根半島からだけなので、これを目的に走るのも趣があって良いものだ。

そうしてたどり着いた美保関灯台は、山陰最古の灯台。見ての通り全国でもめずらしい石造りで、この石壁は青石畳通りと同じ海石を用いたもの。

灯台って大抵の場合は地形の端の方に建っているもので、そこからの景色はまさに最果て感が漂うものとなる。美保関灯台の場合は北に広がる日本海が一望でき、そのスケールは計り知れないほどだった。

特に今日の日の午前中まで隠岐諸島に滞在していたこともあって、同じ日本海を別の視点から眺めているという事実がこの景色をより素晴らしいものにしてくれた。

海の景色なんてどこも似たようなものじゃないという意見もある中で、隠岐諸島を巡った後にここに来れたので自分は満足です。

中海

続いては美保関を離れ、そのまま西へと移動していきます。

宍道湖やその東にある中海は島根半島に接する大きな湖で、その広さは実際に周りを走ってみるとよく実感することができます。

いずれもただの湖というわけではなく、実は島根県内を流れる一級河川である斐伊川の本流の一部。川が海に流れ込む部分が砂州で塞がれてできたもので、その成り立ちから淡水と海水の両方の性質を持っています。(汽水湖という分類)

島根県の海沿いを東西に横断使用した際はこれらの湖の北か南を通ることになりますが、南に通る国道9号はとんでもない交通量なのでおすすめしません。

逆に北を通る国道431号はそれほど多くなく、宍道湖の区間についてはロードバイクをそのまま乗せることができる一畑電車が通っているので、もし走るならこっちのほうがおすすめ。万が一の場合にもエスケープが容易です。

中海にかかる江島大橋の上

中海にはCMにも登場した「ベタ踏み坂」で有名な江島大橋がかかっています。超望遠レンズで撮影すると壁のように見えるアレね。

最上部の高さはなんと45mもあって、橋にしては斜度が大きいなと思って走っていたらまさかの有名スポットでした。

江島大橋からの眺め

江島大橋は中海の真ん中を突っ切る道の途中にあるので、単純に境港から松江方面に向かいたいという場合に通ることが多いと思います。

この江島大橋からは中海を高い視点から見ることができるという良さがあって、その景色は上の通り。普通に湖畔を走っているだけでは同じような景色しか見えないので、気分転換を兼ねてちょっと上ってみるのがいいかも。

ちなみに宍道湖や中海の外周は遮るものがなく、日常的に風が強い島根県沿岸部における強風地帯となっています。

追い風なら歓迎ですが向かい風になるとなかなかの地獄。でも、風で湖面がまるで海のように波立つ様子を見れるのでこれはこれで良し。

笠浦

次に訪れたのは、同じく美保関町に属する笠浦という地域。

前者が鳥取方面にも開けた美保湾にあるのに対し、こちらは半島の北向き、日本海に面している集落です。

海沿いの集落は基本的に漁を生業としているため、集落の中心には港があり、その周りを取り囲むようにして家屋が密集しています。

島根半島の場合はそもそも平地が少なく、たとえ海沿いであってもそれは変わりません。なので限られた平地を有効活用するために家屋と家屋の間が狭く、うまく言葉にできないけど一つの集落として見たときの収まり具合がなんというか良い。

しかも、その家屋の屋根は島根県ならではの石州瓦で構成されている。

日本海に沿った細い山道を走っていった先々で、このような統一感のある町並みが突然現れてくるのが島根半島の良さだと思います。

特に観光要素があるわけではないですが、石州瓦と日本海、そして漁港という地域色が強い風景が、それこそちょっと走るだけで存在するというのは巡っていて本当に面白い。

ここを訪れたのは夕方の時間帯で、港付近では漁の片付けや翌日の準備をされている方がちらほら。家屋が集まっているだけだとこういった光景は見ることができないので、やはりこれは生活の場と仕事の場の距離が近い漁村の良いところかなと感じました。

旅先ではそこでどういった生活をされているのか?を重視する自分としては、色々な要素をひとまとめにして満喫できるのは嬉しい限り。知らない土地を旅する醍醐味の一つだと思います。

集落だけでなく、集落と集落を繋ぐ道についてもかなり味がある。

坂道が多いということは軽いヒルクライムとダウンヒルが連続するような構成になっていると捉え、そこから見える景色とロードバイクの速度感を目当てにしました。景観のことを第一に考えておけば疲労もそこまで気にならない。

小伊津

笠浦から西へしばらく進んだところにある小伊津集落は、海に面した急な斜面にそって形成された独特な町並みが特徴です。

ここに関しては、過去に訪問した記録をご覧ください。

鷺浦

猪目洞窟

今回自分が島根半島を中心に訪れようと思った最大の理由が、この鷺浦周辺の景観です。

ここはどうしても天気のいいタイミングで訪れたいという思いが昔からあって、今回がそのときでした。やはり散策するときの天気は晴れの方がいい。

集落を散策していく前に、集落の西側にある猪目洞窟へ。

このあたりの道は海沿いに無理やり作りましたという感が満載で、道の成り立ちなんかを想像しながら走るのが楽しいです。

車だったらすれ違いに苦労しそう。

目的の猪目洞窟は、鷺浦から道を走ってトンネルを抜けたすぐ先にあります。

なお猪目洞窟から先の県道23号(斐川一畑大社線)は全面通行止めになっており、現在では復旧の見通しが立っていません。なので、鷺浦を訪問できるのは出雲大社あるいは日御碕方面からのみとなります。

ただ出雲大社からの山道は道幅も狭く、地元民以外には通行には適さないとのこと。実質的には日御碕から県道23号を進むしかありません。


猪目洞窟は出雲国風土記に黄泉の坂、あるいは黄泉の穴として記載されている場所で、夢で猪目洞窟を見た者は必ず死ぬとされています。死後の世界へと繋がっていると言えば黄泉平坂(東出雲町)が有名ですが、猪目洞窟も同じような立ち位置なのかもしれません。

上の写真の通り、大きく傾斜した崖の下に広々とした空間が広がっていて、脇道から崖の下に降りられるようになっています。

見上げてみると石の断層が実に見事でほのかに緑がかった色をしている。そこに植物が覆いかぶさるように生えているのが見えて、単なる地層ではなく洞窟ということが実感できました。

なんとなく近寄りがたい雰囲気を醸し出しているものの、雨をしのげるような地形になっていることから漁業に使う道具置き場になっている様子。

最奥には小さな祠があって、その向こうにももう少し空間が広がっているようですが入るのはやめておきました。覗き込んだら奥に吸い込まれそうで、本当にあの世に繋がっていそうだし。

なお、ここでは過去に拡張工事を行った際に弥生時代から古墳時代にかけての人骨や、また古代の生活が分かる道具類などが発見されているそうです。従ってこの地には古くから人が住んでいたということになり、あの世に繋がっているかどうかは置いておいて人々の生活の舞台となっていたということ。

周囲はしんと静まり返っており、人工的な音は全く聞こえてきません。聞こえてくるのは波の音だけで、それが洞窟内に若干反響してして耳障りがいい。

神話に絡んだ話は山陰地方の各地に広がっており、特に島根県でそういう話があると半信半疑になりつつもどこか信じてしまう自分がいる。古代から神々の地として栄えてきた土地で、今も人々の生活が根付いている。自分が島根県に惹かれるのはそういう背景があるからなのかもしれません。

鷺浦の町並み

猪目洞窟を後にして、来た道を戻って鷺浦集落を散策していきます。

鷺浦集落全体に広がる空気感は…文章で表現するのはすごく難しいんですが、現代で日常生活を送るうちに心のどこかで忘れていた懐かしさを思い起こさせる場所、というイメージだと思う。

実際に自分がここを訪れたのは初めてのはずなのに、懐かしいという気持ちになりました。日本人のDNAに刻み込まれている記憶がそう思わせるのかは定かではないけど、一昔前の港町の原風景、それがここ一帯に広がっている。

鷺浦集落は日本海に注ぐ八千代川を境にして西と東に分かれていて、家屋がより集まっているのは東の方です。まず海沿いに鷺浦漁港、そして県道23号があり、家屋はその更に山側に並んでいました。

まずは県道23号を東に進み、漁港を横目に見ながら海のそばの道を進んでみる。

日本海そのものが美しく澄んだ色を持っている中で、鷺浦集落から見るそれはより透明度が高い。

広場から眺める海や、カーブの向こう側に見えるのをカーブミラー越しに眺める海。海が見える風景というのは色んな角度や縮尺があって、そのどれもが鷺浦らしさを表現している。

そんな風に進んでいくと突然トンネルが出現。これは鷺浦隧道といって、鷺浦集落から海沿いを通らずに鵜鷺コミュニティセンター方面へ抜けることができるショートカットルートです。

トンネルの向こう側には鷺浦の町並みが広がっており、まさに「トンネルを抜けた先には…」というシチュエーション。これほど心躍る集落へのアクセス経路もなかなか見れるものではない。

高台の墓地からは鷺浦の町並みが一望できる

鷺浦隧道を抜けた先を右に上がると墓地があり、ここはちょっとした高台になっているので集落が一望できます。

ここでも島根半島の集落独特の統一感があって、建物の高さや色がどれもほとんど同じ。全体を見たときに突出した何かがなく、広範囲を見渡したときに違和感を感じないのが素敵だ。

隧道がある通りが昔のメインストリートで、この両脇にずらっと家屋が続いています。

一つ一つの家屋はびっくりするほど古い年代のもので、それが集まって一つの集落を形成している。壁には時代を感じさせるような看板や掲示板が貼られていて、ここだけ切り取れば現代ではないような気分にさえなってしまう。

ただ、そこには確かに鷺浦の人の生活がある。自分が散策している間だけでも近所の人が普通に出歩いていた上に、住民同士で世間話に花を咲かせる場面も少なくなかった。

よく見れば家屋に混ざって宿泊施設やカフェが何件か確認できて、鷺浦全体が静かな雰囲気を漂わせつつも今風になっている様子が見受けられます。

橋を渡って集落の西側へ。

こちらでは民家のすぐ裏手に海があり、現在進行系で小さな漁船に乗って海へと出かけようとしている方もいました。道はかなり細くまるで路地裏のようで、こういうところを歩いていると散策という感じがより強い。歩きでしか到達できないわけだから。

海沿いの集落なので平面上に広がっていると思いきや、ところどころには階段があって上方向にも道は続いている。あと鷺浦集落は広すぎず狭すぎずのちょうどいい範囲の中に収まっているので、今回のようにちょっと歩いてみるのにも向いていると思います。

民家の玄関に示されている屋号

また、鷺浦の特徴の一つが民家の表に屋号の札が掲げられていること。

これがない民家を見た覚えがないくらいにどの家にも屋号があって、想像するに生活していく上では名字ではなく屋号で呼び合っているんだろうなと思います。

屋号といえば旅館などの古い施設や店でしか残っていないイメージがあったものの、ここでは普通に現役で使われているんですね。

八千代川

集落の西を東を隔てる八千代川。

清流と呼ぶにふさわしい透明度を誇っていて、海へ注ぐ河口では海鳥が羽を休めている場面に遭遇したりもしました。夏になれば幼稚園の児童たちが川遊びに来るらしいです。

集落西にある鵜鷺郵便局の隣に今も残っている、旧鵜鷺郵便局の建物。

昼時で休憩に入ったと思われる職員さんに話しかけられたので色々伺ってみたところ、昔はこの建物が郵便局として使用されており、後に畑だった場所を埋め立てて今の郵便局が完成したそうです。旧局舎と現局舎が小径を挟んで隣り合っているという風景、なかなかにレアだと思う。

てっきりこういう古い建物って「新」ができたら取り壊されるものと思っていたんですが、「旧」の方はちょっと前までカフェとして営業したとのこと。ただ今はもうやっていないそうなので、このままだといつかは取り壊されてしまうかも。

その後は伊奈西波岐神社に参拝して、鷺浦集落の訪問は終了。

広い境内に大社造りの本殿と、例えば夏の夕方なんかにここで涼んだりしたら最高だろうなと思います。

神社入り口の階段から振り返ってみると海が見えたりして、今はまだ5月なのに夏を感じさせてやまない。もっとも、この日も十分暑かったので夏の雰囲気だけは満喫できました。

以上が鷺浦集落の全容になって、海沿いの集落が好きなら一度はここを訪れてみるのがいいと思います。歩いているだけで自分の中の毒のようなものが抜けていく感覚になれるし、ある意味で精神が浄化できました。

日御碕

日御碕灯台

最後に訪れたのは、島根半島の西の端に位置する日御碕です。

東の端である美保関は比較的平地が多い地形だったのに対して、日御碕はというとその真逆。湾だけでなく砂浜や灘になっているところも多く、道に関してはアップダウンが非常に激しいです(しかもカーブが多い)。

出雲大社から日御碕に至ると全体的に地形が隆起していて、その様子を360°堪能できるのが日御碕灯台。全国的にも数が少ない上ることができる灯台の一つなので、ここまで来たら上ってみるのがベスト。

日御碕周辺は遊歩道が整備されていて、この灯台だけでなく日御碕神社についても徒歩のままアクセスすることが可能。カフェや飲食店もいくつかあるので散歩するのにちょうどいいです。

灯台については美保関灯台と同じく白色の石造りで、青空によく映える外観。灯台そのものが海沿いに建っていることを考えれば、白色というのはコントラストが鮮やかで実に良い。

そしてこれが灯台上からの眺め。

日御碕自体が島根半島の西の端に突き出た形になっているため、そこからの景色は全方向に見晴らしが良いです。北や西を見れば美しい日本海が、東や南を見れば島根県内陸部の山々が見渡せる。特に東については風力発電の風車も見えたりして、島根半島の大きさを味わいやすい。

今回は日中の訪問になったけど、西端の灯台なので夕日の眺めも抜群なんだろうなと思います。あと日御碕は海沿いに行くに従って柱状節理の地層が切り立った崖になっていて、ギリギリのところまで歩いて行くことができるのでスリルがあるかも。

日御碕神社

日御碕から近い場所にあるのが日御碕神社という神社で、こちらもまた出雲国風土記に登場しているくらいに歴史あるところ。

三重県伊勢市にある伊勢神宮が「日本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」という勅命のもと建立されたといいます。

先ほど訪れた灯台が白色で海や空といった青色への相性がいいのに対し、神社はハッとするような朱色が特徴。この朱色が不思議と自然界の色と組合せたときの違和感がなく、周囲の風景と一体となっている様子は全国各地で見られると思います。

ここでもその特徴は変わっていなくて、むしろ日御碕という自然の景観がよい場所に建っていることでより存在感がある。御利益は縁結びや夫婦円満、安産の神、厄除けなど多種に渡るので、日御碕を訪れたらこの神社にも参拝するといいです。

おわりに

こんな感じで、今回の島根半島巡りは終了。

形としては東から西まで一通り回ることになり、その中では観光スポットというよりは、日本海という自然の中で生きる人々の生活の場が、集落という形で根付いている様子を見ることができます。

確かにネットで取り上げられるような有名な場所ばかりではないけど、そこを訪れることで懐かしいような、日常の喧騒を忘れられるような体験ができるのは間違いない。美保関や鷺浦ではそれが顕著で、ふとしたときに行きたくなる感じの場所だと感じました。

島根県沿岸部は出雲大社や玉造温泉といった名所が多くあり、それにプラスして島根半島を選択肢に入れてみるといいかもしれません。そこではまだ味わったことのない感覚になれるはずです。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマーク・シェアをしていただければ嬉しいです。

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