今回は島根県を走ってきました。
個人的に、島根県は西日本の中でも特にお気に入りの県になっています。
ロードバイクで回るのにも適しているし、なんといっても自分が好きな風景、中でも鄙びた町並みが随所に散らばっているのがその理由の一つ。世俗から隔離されたようにひっそりと佇む温泉街も多く、今後も訪れる機会は多いと思います。
西日本の中でも比較的発展している山陽地方に対し、日本海に面した山陰側は良い意味で古い景色がそのまま残されている。そういう場所を巡るのが自分としては、山陰地方の天気がいいとなれば訪れない理由はない。
山陰を走る
今回は今まで訪れたことのある地域をあえて外し、ロードバイクで回ってみたら面白そうなところを中心にあれこれ走ってきました。簡単に言うと、1泊2日の行程の中で1日目は主に日本海に面したところ、2日目は思いっきり山間部に舵を切った行程にしています。
社会人の週末ということであまり時間がとれませんが、それでも、旅をするのであれば可能な限り満足の行く行程にしたいというのは誰もが思っていること。時間の使い方は大事にしていきたい。
この日は雨から晴れになるタイミングが読みにくく、結局宍道湖のほとりからスタートとなりました。
しかも午前中はがっつり雨が降っていたのでそもそも屋外に出ることができず、晴れ間がやっと見えてきてからの出発。今日泊まることになる宿までの時間もあるので、予定していた散策ポイントを一部切り上げて回ることにしました。実は風も強くて、宍道湖の湖面が海みたいに波打っているのを横目に見ながら移動してました。
周りに遮るものがないのでこういうときはなかなか辛い。やっと宍道湖から日本海側に出たと思ったら今度はアップダウン地獄で、斜度もかなりあって足を削られる始末。二週間ぶりに運動したので仕方ないとはいえ、やはり何らかの形で運動を続けておかないと今回みたいなタイミングで地獄を見る羽目になります。
そんなことを考えながら到着したのが、日本海に面した山の斜面に形成された小伊津集落です。
島根県は言うまでもなく日本海に面した県ですが、その海岸線のどれもが平坦というわけではありません。単純に海へ向かってなだらかな地形になっているところばかりではなく、特に宍道湖の北側は島根半島という山脈がそびえています。その山脈のすぐ北側が海になっているために、集落としてはめちゃくちゃ急な斜面にへばりつくように形成されているのがここ周辺の町並みの特徴かなと思います。
隣の町へ行くにも海岸線を伝っていくことができず、山脈の峠を超えていかなければ到達できない。さながら陸の孤島ともいえるような僻地なわけですが、その影響で唯一無二の景観がここには広がっていました。
小伊津集落は海に隣接している漁港を中心に栄えており、徐々に山側へ向かうにつれて建物の立地も厳しくなってきます。わずかな敷地を最大限に活用するために家屋に庭はなく、3階建ての家も珍しくありません。
家と家とが極限まで密接していて、まるで寄り添うかのように街全体がこじんまりとまとまっている様は非常に見ごたえがありました。町というのは一つの共同体という意味だけど、ここまで一体感が強調されている様子はなかなか拝めるものではない。
県道に面した高台からはそんな集落が一望できて、いつまでもここから眺めていたくなってくる。
ここから先の散策ではロードバイクの機動力が実に活躍してくれた。
県道23号から集落へ続く道は完全に車一台分しかなく、観光的な意味で車を走らせるのはかなり無謀です。集落内のカーブも急だし、そもそも道によっては車は通れないという道も多い。かといって車を降りて徒歩で散策をするにも、車の置き場所だったりを気にしないといけないので難しい面があります。
そんな中で、ロードバイクは非常に頼りになる存在となる。斜度に目をつぶれば比較的どんな道でも走れる上に、押し歩きができるというのがいい。狭い道でも歩きに切り替えることができて、たまに広い平地が現れれば乗って走ればいい。下り坂なら放っておいても前に進むから体力的にも楽だ。
完全に人力はちょっと体力的に無理、という場合でも、最近よく見かけるEバイクだと電動でアシストしてくれるので、散策も捗るんじゃないかなと思います。旅のお供に自転車というのは、結構アリなんじゃないかと思ってならない。
海まで下ってくると、この漁村の生活の様子がよく伝わってくる。
漁港の事務所には人が詰めていて、今まさに漁をしているであろう漁船の帰りを待っているのかもしれない。山側を振り返ってみれば、すぐそこの家では戸が開けっ放しになっていて、中では何か作業をしている。立地が立地なので主な産業としては漁業ということになると思いますが、「町全体が海とともにある」ということが、誰に言われるともなく感じられた。
これだけの複雑な地形の中で、ここには確かに人の営みがある。自分の旅の目的がまさにそれを見るためであることを考えると、いきなり初っ端の訪問地でこの風景を見ることができて感無量というほかないです。
最後は、集落の上部に位置する神社で涼んでから町並みを後にしました。
木次の町を目指す
小伊津集落を離れ、時間的にもう一箇所くらいは散策してから今日の宿泊地に向かおうかなと考えていたものの、あまり余裕がないのでこのまま宿に直行することに。
この日に泊まることになる天野館での散策もしっかりやりたいし、日が落ちて暗くなってから到着するのは避けたいところ。まあ、今回は午前中の雨が長引いたということで、回る予定だったところは次回に繰り越し。でも、これも悪い意味でとらえる必要はまったくなくて、むしろ次の楽しみが増えたと考えています。
一度の旅で、隅から隅まで巡る必要はない。あまり先送りにしていると、将来的には見れなくなる風景も出てくる懸念も一応ある。でも、特に焦って散策するのはまた違うんじゃないかなと思っていて。
宍道湖の河口から、そこに流れ込む斐伊川の上流に向かってロードバイクを走らせる。目指す木次の町はこの先だ。
この辺りも風がアホみたいに強くて、日本で風が強いのは春だけじゃなかったのかと絶望しながら走ってました。風速5メートル以上になるともうやる気が出ない。
斐伊川のほとりを走る県道26号を逆上っていくにつれて、徐々に視界に入ってくる景色が平野から山に切り替わってくる。
思えばスタートは完全に山の中だったのが、そこから海→山→平野ときてまた山になっていく。島根県は比較的狭い地域内で地形が次々と変化していくのが面白くて、それはつまり文化的な切り替わりポイントが多いということ。
平野部は人が住みやすいので家屋や田園が多いし、逆に山側に行けばそれと真逆で、町というよりは集落という風な家々の集まりがぽつぽつと出現してくる。
こういうのが実に好き。
同じ距離を走るにしても、まるっきり同じような風景が連続していくのと、そうでないのとでは受ける印象が全く異なってくる。単に長距離を走るだけのライドならそれでいいかもしれないけど、自分がやっているのは「旅」であって、ライド全振りではない。なので、これほど魅力的な風景に多く出会うことができるのは願ったり叶ったりだ。
で、島根県といえば石州瓦が有名です。
視界の端を流れていく家屋の屋根はどれも独特の赤褐色で彩られており、5月に入って芽吹いてきた新緑や、水を張って田植えをしている田園風景と非常に相性がいい。旅をしながら季節の移り変わりを感じられるだけも楽しいのに、どこか日本の原風景のような、静かに佇んでいる光景が味わえるとなれば風の強さなんて気にしていられない。自然とペダルにかかる力も増してくるというものだ。
木次へ
その後は次第に標高を上げつつ、お、なんか近代的な建物が多くなってきたなと思ったら木次に到着してました。
木次は雲南市に中心部に位置していて、近くを高速道路が走っていたり、木次線という電車が走っていたりと栄えているところです。
木次線といえば「奥出雲おろち号」というトロッコ列車が走っていることで有名なのですが、最近のニュースによると車両の老朽化によって2023年度で終了する方向で話が進んでいるらしいです。というか木次線自体が本数が少ないので、三江線みたいに廃止にならないだろうかとちょっと心配。
今回の行程でも気分次第では輪行で木次線に乗ろうかと考えていたものの、時刻表を見て諦めました。普通にロードバイクで走ったほうが早いです。
さて、木次に到着した勢いのままに、今日泊まる天野館にチェックインしました。宿泊記録については別記事でまとめています。
チェックインをしたらもう買い出し以外で天野館から出るつもりはなかったのですが、ご主人から近くの河川敷がいいところだという情報をいただいたので、ちょっと向かってみることにしました。
旅先で味わう旅情というか、その町独特の空気で溢れている。
この河川敷は地域の方の散歩スポット等になっているようで、犬の散歩をしている人や家族で遊びに来ている人たちも見かけました。町には憩いの場というものがあるもので、この木次にとってはここがそのうちのひとつ。すでに日も落ちかかっている時間帯で、それを静かに眺めながら座っているとなんともいえない思いになります。
ひとしきり孤独感を味わった後、買い出しを済ませて天野館に帰還。
その土地にしかない風景や町並み、それらは人の生活と密接に関わっていて、人の生活とともに存在してきたもの。この日は町の成り立ちについて色々考えてみながら走ってきて、そして明治時代から続く旅館に泊まっている。自分が好きな旅の仕方が実行できていると思うし、これからも多分こういう旅しかしないと思う。
そんなわけで、行程としては短いですが良い一日になりました。
山の中の棚田
天野館宿泊から一夜明け、今日は島根県の山間部へと向かっていくことになる。
比較的時間が早いこともあって木次の町中に人影はなく、至って静かな朝の時間を味わいながらの出発となった。日曜日の朝というやる気が出ないシチュエーションなので、どちらかといえばもっとゆっくりしたいけど、後のことを考えれば出発は早いに越したことはない。
木次(雲南市中心部)から今日の目的地である奥出雲までは、普通に走るのであれば国道314号を南へ向かえば到着する。
しかし国道というのは一般的に真新しくて走りやすい一方、景色的に見ればそんなに自分好みというわけでもない。国道を通しやすい場所に道を作っているので、なんかどこにでもあるような風景ばかりが目についてしまう。
そういうことになるのが予感されたので、今回はあえて国道を走らず、木次線の線路沿いに県道45号や25号を走ってみた。
これがかなりの当たりで、山間部の間を縫うように走る道なので交通量はもちろん皆無だし、自然と一体となりつつあるような道の様相が直に感じられて面白い。ただ、それだけなら単に"狭い道"で済んでしまうところ、山ばかりかと思ったら急に田畑が出現してくる場所もあれば、線路が頭上に登場してくるところもあって意表を突かれた。
なんというか、山の中って視界が極端に限られてしまうもの。
これには悪い面と良い面があって、見通しが悪いと向こうから急に車が飛び出してきたりもするし、走る分にはちょっと遠慮してほしい。でも逆に考えれば「向こうに何が控えているかわからない」ということでもある。
これから目に入ってくるであろう景色が予め想像できてしまうのはつまらないものがあるし、見知らぬ地を走るのであればこの状況も悪くない。
具体的に言うと、やっと視界が開けたと思えばこんな集落に出会えたりする、というのがその理由です。
この曲がり道の向こう側はまた山か、それとも田畑か?と想像しながら走っていて、そういう予想を覆すように集落が一望できる眺めが味わえる。これが開けた道を走っていて、向こうまで何があるかがずっと見通せる状況だったらなかなかこうはいかない(それはそれで良いけど)。
山の中ということで斜度もかなりあって疲れましたが、旅という意味ではいい時間を過ごせました。
奥出雲の棚田を味わう
そんなアップダウンに満ちた道を走り続けて、遂に出雲の奥地である奥出雲に到着。
マップ上では高度感が全く掴めないのですが、実際に走ってみると想像以上にヤバかったです。名前に「奥」が付いているだけに山間部=坂が多いということは知っていたはずなのに、ここまで上って下ってが連続するとなかなかに大変。
気を取り直して、奥出雲の散策を始めていこう。
実は今回、この時期に奥出雲を訪れたのには理由がもちろんあって、それは奥出雲の各所に広がる棚田を見ること。実は奥出雲にはその傾斜地の多さを活用した棚田が多く存在していて、この田植えの時期だったらより一層その美しさを体感できるのでは、と思ったからです。
簡単に説明すると、奥出雲は古来からたたら製鉄が栄えていて、鉄の原料となる砂鉄を採取するため砂鉄を含む大地を切り崩してきました。
その跡地はその後棚田として生まれ変わり、今では有名なブランド米である「仁多米」を生み出す産業基盤として大切に営まれています。この特徴的な景観は文化的にも貴重で、平成26年には「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」にも登録されたほど。
というわけで、そんな奥出雲の風景をこれから巡っていく。
まず訪れたのは、出雲横田駅を通り過ぎて県道15号を上ったところにある福頼棚田。
この景色の「夏」感がたまらない。今にでも虫取り網を持って駆け出して行きたくなるような、あの夏の一場面がそこにはあった。この気持ちに共感してくれる人は多いはずだ。
福頼棚田のアクセスについて話すと、注意点としては、展望台に至るまでの道は完全に農道となっているので非常に狭く、しかも車を停めるような場所が全くありません。自分のようにロードバイクだったら問題なのですが、それ以外の場合は麓から歩いて訪れるのがよさげです。
ただ、その眺めはご覧の通り最高の一言。棚田というものは上から見渡せばそのスケール感がよく把握できるというものですが、こちらの棚田にはさらに展望台があり、そこまで上ることでこの絶景を見ることが可能です。
改めて思うことでもないけど、棚田の良さはやっぱりその高低差にこそあると思う。
「岐阜県を走る」シリーズでも述べましたが、棚田は空間の広がりが立体的になっているぶん奥行きがあるというか、景色に「手前」と「奥」があることがわかりやすい。ましてや、この山奥を切り開いて作られた棚田なのだから平面ではないのは当然なわけで、それが実感しやすいと思います。
心から安らぎを感じられる…。
自然と脳内に久石譲の楽曲「Summer」が響いてくるような、そんな風景だ。
ここまで端から端まで田んぼばかりというのは正直度肝を抜かれたというか、その広さに圧倒されました。ちょっとした小山や丘の合間に家々があって、その他の部分は全部田んぼが占めているかと錯覚してしまうくらいに。
それにしても、視界の中の緑色の割合がすごい。緑色じゃないのは家屋の色とか空の色くらいで、他は全部緑色だ。まさに新緑の季節を象徴するような鮮やかさを全身で感じることができている事実に驚くとともに、その緑色も場所によって全く異なっているというのがまた良いわけです。
木々の緑色にしても、木の種類や遠近によっても微妙に異なっているし、木々の密集具合でも違うし、木と草ではもちろん違う色。もっと言うと、稲の緑色ともまた異なっている。よく風景を観察しているとそういう僅かな違いが次第に把握できてきて、ふと写真を撮るのも忘れて景色に没頭しそうになってくる。
日常的に家屋に囲まれたような環境で生活していると、来る日も来る日も同じような風景・同じような色しか見えないので、こういう気持ちになることはまずないと思います。なので、単純な色だけを考えてもここまで差が感じられる、一様というわけではない…のが、うまく言えないけどグッと来るんじゃないかな。「自然ってこんなにも色彩豊かなんだ」と再認識できるというか。
自分としては、そういう体験をどんどんしていきたい。
その後も棚田の周辺を走り回っては、そこで出会う景色に感動していった。
日本の原風景とも言えるような、棚田・家屋・山、川という組み合わせがそこかしこに広がっていて、どこを切り取っても懐かしい気持ちに駆られてしまう。そういえば昔はあぜ道を走り回ったし、轍の左右に広がる草むらで遊んだような記憶もある。
奥出雲を散策していく中で、忘れかけていたあの頃の情景に出会えたような、そんな気がしてならない。
水が張った田んぼといえば何故か夏を思い出す。
夏の風景は別に田んぼだけではないはずなのに、自分の記憶の中に刷り込まれている「地元の夏」はどれも水田の風景ばかり。昔、小さい頃に遊び回っていたのが田んぼばかりだったからなのか、それとも何か別の理由があるのか。
海も夏要素が強いはずなんだけど、個人的には水田が広がる景色を見ると地元を思い出します。
その後は、福頼棚田の東側に位置する綿打公園の棚田を楽しみました。
こちらでは、おそらく複数世帯の家族と思われる一団が共同で田植えをされており、しかも若い人が大勢いたことが印象に残りました。田植えはいくら機械化されたといっても人手が必要で、作業を行うには多いほうがいいのは間違いない。田植えのために帰省されているのかも。
安来へ
一通り棚田と家屋が広がる場所を散策し、そろそろ良い時間になってきたので切り上げて北へ向かいます。
といっても、時間的に焦る必要はまったくない。
ここ奥出雲からゴール地点の安来まではほぼ下り。奥出雲自体が高地に位置しているので、ここを折り返し地点にすれば軽快な気持ちで他の場所へ向かうことができる。行きは上りばっかりだっただけに、ここから先は下りが多くて助かりました。
途中で見つけた湯野神社でしばし休憩したり、道の脇にある食堂で割子そばをいただいたり。「途中で見つけた」というのが結構重要で、その時の気分で立ち寄るかどうかを決めているので計画性は正直ないです。でも、そういう突発的な行程がかなり面白かったりする。
気になったから立ち寄るし、予め調べておいたところでも琴線に触れなければ長居はしない。旅って、自分の好きなことばかりで埋めていくのが普通の考えなので、自分が好きな場所じゃなかったら立ち寄る必要はない。単純なことだ。
その後もずんずん下っていって、気がつけば島根県の有名な観光地である足立美術館に到着していた。
足立美術館には日本画の巨匠でもある横山大観の作品や、めちゃくちゃ有名な日本庭園があります。なので時間が許すのなら何年ぶりかに寄ってみても良かったのですが、帰りの時間のこともあるので今回はやめました。
じっくり見て回ると数時間単位で時間が溶けてしまうので、訪れるのならそれ専用に時間を確保してから臨みたい。
そんなこんなで無事に電車に乗り、帰路につきました。
車窓から見える景色は湖面そのものな一方で、今回訪れた場所を思い返してみると実に色んな風景を見た。最初は日本海で、その次は川に面した町並み。かと思ったら急に山ゾーンに突入し、それを過ぎたら田園地帯に入った。
そして今自分が眺めているのは、出発地点の日本海にほど近い宍道湖だ。とても1泊2日とは思えないほど濃い行程になってくれて、計画した当初では想像もできないくらいに満足している。
次に島根県を訪れる際の目的地はすでに決めているので、そのときが楽しみで仕方ない。今後も島根県を旅する機会は多そうです。
おしまい。
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