塩の湯温泉 明賀屋本館 江戸時代創業 鹿股川沿いの歴史ある温泉旅館に泊まってきた

今回は塩原温泉郷にある塩の湯温泉 明賀屋本館に泊まってきました。

塩原温泉郷は栃木県北部を流れている箒川の近くに広がる一大温泉郷であり、温泉郷を構成する温泉の数はなんと11もあります。国道400号と塩原街道を走っていくにつれて、1000年以上の歴史を持つ温泉が次々と登場してくる様は圧巻の一言でした。各温泉によって泉質も効能も異なるということで、塩原温泉郷の全容を知るには何回も足を運ぶ必要がありそうです。

塩の湯温泉はその箒川の支流の鹿股川沿いに位置し、付近には大自然のほかに何もありません。さっきまで見てきた温泉街の雰囲気と比べるとまるっきりシチュエーションが異なっており、ちょっと移動するだけで全然異なる空気が漂っている点が塩原温泉郷の素敵なところだ。

もくじ

明賀屋本館の歴史と外観

明賀屋本館の創業は江戸時代まで遡り、最初は宇都宮の殿様に仕えていたところから茗荷沢(箒川の支流・小太郎ヶ淵の上流)という沢に引っ越してきました。その沢が山崩れになってしまったたため1674年(延宝2年)に再度引っ越しをし、現在の場所にやってきたという経緯があります。旅館名の由来はこの茗荷沢の「茗荷」を「明賀」と明るいイメージの当て字にしたものが由来になっています。江戸時代創業ということで、記録が残っている旅館としては塩原温泉郷で最古になるみたい。

明賀屋本館の建物は時代とともに増築され、現在では広い敷地内に以下の3つの建物があります。どれも文化財級の貴重な建築で、宿泊している最中には明治や昭和の時代に思いを馳せることが多かったです。

  • 本館:1993年(平成5年)建築。玄関や客室がある建物。メインで使用することになる。
  • 太古館:1933年(昭和8年)建築。食事会場として使用される和洋折衷でモダンな建物。昔は3階客室に泊まれたようだが現在では不可。
  • 下別荘(旧館):明治時代の建築。設計図等が残っていないため正確な建築年次は不明。鹿股川に接する形で川岸露天風呂の上部に建てられている。昔は自炊棟として使用されていたが観光旅行の増加に伴って山側に本館や太古館が建てられたため、現在は使用されていない。

というわけでまずは本館の外観から。

明賀屋本館の本館

道路沿いに大きく「明賀屋本館」と書かれた看板があるのでとても分かりやすい。

本館は平成の建築なので比較的新しい見た目をしています。玄関及び玄関ロビー周辺だけが1階分の建物で、奥へ向かうにつれて高層階になっていました。なお明賀屋本館はB1階~5Fまでの6層構造をしており、玄関があるのは3階部分。これだけで川と道路との高低差が大きいことが分かります。

明賀屋本館の太古館
本館とは渡り廊下で繋がっている

そのまま本館前の道路を進んでいくと見えてくるのが太古館。「太古」の文字通りに本館とは時代が違う見た目をしており、ここも明賀屋本館の一部であると初見では気が付かないほどでした。3階建ての造りをしていて横幅も本館に匹敵するくらい広いです。

道路脇の道を上っていくことで太古館の玄関前に行けるほか、本館から渡り廊下を渡ることでもアクセス可能です。

玄関上の意匠も凝っている

太古館の正面外観はこんな感じ。

現代建築にはあまり見られない各所が角張った構造をしていることに加え、玄関前の柱にはタイルを多用している。さらに柱そのものも驚くほど太かったり、1階玄関横や2階バルコニーの窓枠が円弧を描いていたりと、全体的に強いこだわりが見られる外観をしていました。ただここまで重厚感かつ存在感のある構造をしていながらも、落ち着いた色合いの外壁によって周辺の自然環境と合っているような気がします。

後述しますがこんなにも洋風な外観をしているのにも関わらず、内装はどちらかというと和風の色が強く出ていました。実際に食事をいただいた広間にしても100%の和室だったし、太古館の様式を分類するならいわゆる和洋折衷かつモダンな建物。当時にしてはかなり斬新な発想だったのではないかと思います。

なお今回はチェックイン時間よりもかなり早く着いてしまったため、本館前や太古館周辺をうろうろして時間を潰していました。山に囲まれていることもあってミンミンゼミがずっと鳴いていたのが印象的。やはり夏場の宿泊はこうでなくては。

館内散策

本館 玄関~玄関ロビー

続いては館内へ向かいます。

本館は宿泊者が主に滞在することになる区画となりますが、その広さに反して旅館側の係の方の人数は多くないように見受けられました。つまり館内は明るくて過ごしやすさを感じる一方で、宿泊人数に比例した賑やかさや喧騒をそんなに感じません(フロントと食事会場以外で係の人を見ていない)。この館内の人口密度の低さは、塩原温泉郷の中心部にある他の宿とは明確に異なるかもしれないです。

玄関
フロント

玄関を入って左側にフロント、左側に靴箱があります。

まず正面玄関の雰囲気については、旅館というよりも完全にホテルのそれ。広々としたエントランスやフロントを見ると平成建築であることに納得がいきます。一般的なホテルと異なるのは玄関土間があることで、フロントの近くで靴を脱ぐ形になっています。

玄関ロビー

玄関ロビーもかなり広い&席数が多くて開放感があります。ロビーに置かれているソファは大きくて柔らかく、長時間座っても快適そうでした。

ちなみに明賀屋本館の館内にはWi-Fiが飛んでいて充実しているのですが、Wi-Fiが繋がるのは客室内ではなくこの玄関ロビー周辺のみ。従ってどうしてもWi-Fiを使いたいという場合は客室を出て玄関ロビーまで降りてくる必要があります。自分以外にも同じ目的の人を見かけました。

直進すると別の階への階段
お土産販売所

玄関ロビーやフロント前を通り過ぎてまっすぐ奥へ向かうと、お土産販売所と別の階への階段がありました。

本館の造りは上の写真に示すとおりで、1階~最上階5階までの造りは基本的に同一(1フロアごとに6部屋)。客室はすべて川に面した側に配置されており、どの部屋に泊まっても展望はそんなに変わらないはず。廊下と客室との位置関係についてもどの階も同一なので迷う心配がありません。

3階から4階及び2階への階段

本館の廊下の様子はこんな感じです。基本的にはフロント周辺の雰囲気がそのまま延長されているような造りをしており、2階~3階~4階には本館中央に階段があります。それ以外の階については本館右奥にB1階~5階まで連なる階段があって、加えてその階段の隣にエレベーターが1箇所あるシンプルな構造。廊下や階段はカーペット敷きである上に照明も多く、とても明るい印象を受けました。

注意点があるとするならエレベーターが一箇所しかないため、B1階の内湯や川岸露天風呂へ行く際に多少混むことが予想されるくらいかな。上りはともかく下りは階段を使った方が早く行けるケースがあるかもしれないです。

本館 泊まった部屋

今回泊まったのは3階の303号室で広さは10畳。3階は本館のほぼ中心に位置しているため階段を一つ上り下りするだけでフロント前に行けるほか、温泉に行く際にエレベーターを絶対に使わないといけない高低差でもないため移動がかなり便利でした。逆に最上階の5階に泊まる場合は縦方向の移動方法が限定されます。

設備については室内に洗面所とトイレがあり、さらにエアコン、テレビ、冷蔵庫、ポット、内線、金庫があります。アメニティは浴衣、タオル、バスタオル、歯ブラシ、石鹸が揃っているためこれらについては準備する必要はありません。

洗面所
トイレ
冷蔵庫の中身

ドアを開けると踏込に相当する区画に洗面所とトイレがあり、客室への入口には冷蔵庫(飲み物入り)が置かれています。

泊まった部屋
部屋からの眺め。大自然のみが見える
温泉の案内
アメニティ

今回は割と直前に電話予約したのでどのような部屋に泊まることになるのか不安な面もあったものの、実際にあてがってもらえたのは10畳という広い部屋でした。館内図を見る限りは明賀屋本館の客室は今回泊まった10畳の部屋ともうワンサイズ広い部屋の2種類のみがあるようで、つまり一人泊であっても設備が豪華な部屋を余裕を持って使えるということになります。これは嬉しい。

室内にトイレと洗面所があるため客室外に出る必要がなく、飲み物類も必要十分な量が冷蔵庫内に揃っている。ただ日中は太古館の散策と温泉に行きまくっていたため、部屋にがっつり滞在する時間は就寝時くらいだったのが少し申し訳なかったかもしれない。とにかく普通に過ごす上で憂うポイントは特に見当たりません。もっというとこの日に同じ3階に泊まったのは自分以外にもう一組だけで、当日・翌日を通じて静かに過ごすことができたのもグッド。

太古館 1階廊下~玄関ホール~2階廊下

客室で浴衣に着替えた後は本館を後にして、人気の少ない太古館へ行ってみました。太古館は夕食・朝食の食事会場になっていますが、それ以外の時間も太古館にはアクセスすることが可能です。

渡り廊下の様子
渡り廊下から太古館を見る
渡り廊下から本館を見る
渡り廊下を渡ったところ。左が本館、右が太古館方面となる

本館3階の右手前の廊下を歩いていくと「太古館・光風館・宴会場 連絡通路」を書かれた看板があり、そのまま直進すると渡り廊下があります。直前の本館の床と比較すると渡り廊下から先はカーペット敷きから板張りに変化していて、ここを境にして建築様式がガラッと変わっていることが分かる。

あとはなんといっても、渡り廊下の窓から太古館の全容が見えるのがいいですね。これから向かうことになる建物が一体どういう外観をしているのかがしっかり視認できるようになっている。この眺めは構造云々よりも散策中の演出として感動を覚えるものでした。

なお渡り廊下から先には木造3階建ての太古館と後から増築された木造2階建ての光風館が連なっており、渡り廊下を渡ってすぐの上部が光風館に該当するようです。

以下、太古館について公式サイトの記載を引用:

太古館は、戦時中女子学習院の疎開にも使われました。内親王の居室も当時に近い状態で保存されています。

現在の太古館は和洋折衷式建物で、総理丁技館・東京都技師で帝国ホテルの設計者といわれる鈴木愿一郎の設計になるものです。それ以前に和風二階建の別館があって、大正初期に来館の徳富蘇峰氏によって、太古館と名付けられました。氏は「静かなること太古の如し」と当館の環境をみて命名したものと存じます。
現在は1階が厨房と会議室、2階が宴会場、3階が客室になっています。

1階~3階までの各部屋のうち、現役で使われているのは1階の厨房と2階の食事会場兼宴会場のみのようです。3階客室には現在では泊まることができません(電話予約時に確認済み)。

渡り廊下を渡って通路は左に曲がり、表通りに面した通路を直進していくとこの分かれ道に到達します。右側の階段を上ることで夕食・朝食時に使用される大広間まですぐに行くことができました。

今の時間はあくまで散策なので左側方向へ歩いてみます。

さっき見た玄関の前

通路の先は太古館の玄関入ってすぐのホール部分へと繋がっていますが…これは度肝を抜かれてしまった。白塗りの壁に設置された木製の戸枠、格子状の天井、お洒落な照明、木造校舎のような全面板張りの床、玄関の凝ったガラス窓。それに加えて真正面に見えるのは2階へ続く階段と、その手前部分には大きなアーチ状の白壁が設けられている。現代の建物ではまず見ることのできない歴史ある建築様式が視界全体に広がっています。

特に横幅が徐々に変わっていく手前の階段~アーチ状のトンネルのような壁~まるで門のような一角~その奥の階段の一連の造りは、個人的に初めて見るレベル。玄関入ってすぐに階段がある建物にはたくさん出会ってきたものの、玄関から階段の間に別のレベル(踊り場?)があるのは見たことがありません。何をどうしたらこういう玄関ホールを造ろうと考えつくのだろうか。

踊り場に立ったところ。アーチ状の部分は気をつけないと頭を打ちそうになる
この部分の天井は低い

玄関のレベルから間を置かずに2階への階段へと繋げてしまえばスムーズに行くところ、1.5階とも言えるような踊り場を設けている影響もあって天井がかなり低く感じられます。ただこれは現代人の感覚からすればであって、当時の人達にとってはそうでもなかったのかもしれません。

踊り場の奥は右上方向へと曲がる階段が伸びていて、ステップの段差は結構低めです。

2階への階段

階段の左側には建物奥の屋外へ繋がる大きな窓があるため、照明の灯りが全くない状況でも歩行には問題なし。階段の傾斜に合わせた斜めの窓枠が美しいです。

2階廊下の様子。

1階の洋風な雰囲気とは裏腹に、階段を上って2階に上がった途端に和風建築へと切り替わりました。階段脇の欄干、階段の上にまた階段が伸びる省スペースな構造、そして横一直線の廊下に面するたくさんの襖戸。やっぱりというか、大人数を相手に部屋や食事を用意するのは昔ながらの和室のほうが向いていると思います。2階に関しては中の襖戸を開け放ってしまえば大部屋としても使用できるし、そういう兼ね合いもあって2階及び3階は洋風ではなく和風建築にしたっぽいです。

写真に示す通り3階への階段は封鎖されており、訪れることはできなくなっています。

2階・階段横にある食事の準備室
廊下を手前方向に歩いていくと先程の分岐に戻る

以上が太古館の散策でした。本館にはここまで広々とした大部屋が存在しないらしく、ここ太古館を食事会場として利用するのはこれからも変わりそうにありません。これはこれで結構お得な面があって、「宿泊自体は便利な本館に泊まり、食事は雰囲気のある場所でいただく」というひと粒で二度美味しい体験ができるわけです。

新しい建物を建てた後は古い建物を使わなくなる宿もある中で、明賀屋本館は古い建物を有効に活用している様子が見て取れました。建物って人の出入りがなくなると急速に荒廃していくし、なんだかんだで現在も使われているのは好感が持てます。

温泉

内湯 大浴場

散策が終わったので次は温泉へ。

明賀屋本館の温泉は男女別の「大浴場・太古の湯」と有名な「川岸露天風呂」、女性専用川岸露天風呂、そして貸切露天風呂の4箇所があり、今回は貸切露天風呂を除いた最初の2つに入りました。温泉の効能を直で体感できる源泉かけ流しが特徴で、どの温泉に入るにしてもB1階から向かうことになります。

  1. 源泉名:塩原温泉 刈子の湯
  2. 泉温:55.8℃
  3. 泉質:ナトリウム-塩化物温泉(中性低張性高温泉)
  4. 湧出量:290リットル/分(掘削自噴)
  5. pH:6.0
  6. 知覚的試験:ほとんど無色透明・無臭で微塩味を有する
  7. 適応症:神経痛、筋肉痛、関節痛、運動麻痺、うちみ、くじき、冷え性等

太古の湯についてはB1階のエレベーターを降りたところにありアクセスは容易です。入浴可能時間は15:00~翌朝9:30までとほぼ24時間可能なのもあって、川岸露天風呂まで何回も行くのが大変という場合はこっちでも十分満足できます。

内湯の様子

太古の湯の浴室の様子はこんな感じです。

2つある湯船の手前側が熱く、奥側が湯船に直に加水されている様子でぬるくて入りやすい印象。ただ源泉温度が55.8℃と非常に高温で、そのまま源泉かけ流しだと人間が入れる温度ではなくなるため手前もある程度加水されている様子でした。温泉としては舐めると鉄の味がする上にちょっとヌルヌルしているかな?湯から上がるとなんか身体が重くなるような、肉体的に疲れるような気がします。温泉の効能が強いということだろうか。

なおこの太古の湯には滞在中に3回ほど入りに行ったものの、人に出会ったのはだった1回のみ(それも一人だけ)。逆に川岸露天風呂はどのタイミングでもそこそこ人が多かったので、ゆっくり入りたい場合はこっちが穴場です。

川岸露天風呂 B1階~下別荘~脱衣所まで

続いては明賀屋本館の目玉でもある混浴の川岸露天風呂へ。川岸露天風呂は24時間入ることができますが、朝7~8時は女性専用の時間帯となります。

川岸露天風呂の良さを自分の言葉で言い表すとするなら、温泉に入っている最中の景色の良さに加えて「温泉までの道中」の眺めもまた素晴らしい。川岸露天風呂という温泉が存在するロケーションがその魅力を引き立てているのは間違いありません。ただ少し注意点があって、行き帰りの道中に階段がそこそこ多いため年輩の方などは多少疲れるかもしれないです。あとB1階に下ってきてからさらに川岸まで階段で下ることになるので、部屋に忘れ物とかするともう大変です。

屋外へ

男女の大浴場の前の廊下を歩いていくと屋外へ通じるドアがあり、その先にはスノコが敷いてありました。

右側に伸びる通路を歩いていくと木造の階段があります。ここの階段は古い建物らしく傾斜がかなり急な上に段差も小さく、気をつけていないと足を踏み外しそうになります。

階段は踊り場を介して右方向に折れ曲がっており、下り終わったところには山肌にへばりつくようにして通路が設けられていました。また通路の左側は常に開放されていて眺めが良く、窓がなくて暗かった階段の中と比べて一気に視界が開けるため印象的な一角です。

通路の途中には明賀屋本館の建物の中で最も古い旧館・下別荘の説明書きがありました。

左手に見える木造の建物は昔の自炊棟です。当館では下別荘(したべっそう)の名前で呼んでいました。

以前は農家の方が農閑期に2~3週間、米や味噌を持参し自炊しながら湯治をしていました。現在は使用しておりません。

この階段は88段です。青森県で以前自炊のお客様をお泊めしていた旅館の階段も、やはり88段だったそうです。自炊は農家の方が多く、「米」という漢字を分解すると八十八になり、そこから88段になったのではと推測されています。

現代では湯治文化は一般的ではなくなっているものの、昔はどちらかというと自炊して湯治をするのが普通だったことを踏まえると階段の段数が88段になっているのは納得がいきます。こういう風に一見すると気が付きにくい箇所にも昔の文化の名残が見えるのがいいですね。

下別荘

そしてこちらが下別荘(木造6階建て)の外観。

ここまでインパクトのある外観の木造建築、それも木造6階建てという稀有な構造のものは今までに見たことがない。しかも下別荘は今回泊まっている本館からは直接見ることができず、こうやって自分の足で階段を下ってきて初めて見ることができるため初見時の衝撃が大きいです。細い廊下の先にいきなり登場してくる巨大な建造物の良さと、これから向かう温泉はその建造物の中にあるという事実。温泉に入りに来たというよりもまるで探検しているような楽しさがある。

なお明賀屋本館の公式ブログによれば下別荘は将来的に解体する方向で検討しているとのことで、実物を見てみたい人は早めの訪問がベストです。

見づらいが別の建物がある

下別荘の下流側には半分の高さくらいの別の木造建築がありますが、今いる通路からそこへ至る階段は朽ち落ちてしまっているためアクセスはできそうにありません。現時点ですでに建物全体が緑に覆われているし、もう何年か後には完全に山に還ってしまっているだろうな。

下別荘に到着

下別荘に到着。

ここからは下別荘の山側に伸びる廊下と階段を歩いて階下の温泉まで向かうことになります。ただ建物が屋外に暴露されているため天候による経年劣化・損傷が激しいようで、歩行者が通行するための補強工事を行ってなんとか通れるといったレベル。ここだけ切り取るとなんか廃墟の中を歩いているようにも見えますが、確かにこれだけ古びているのならそう長くは保ちそうにないかも…。

下別荘に入って階段を2回下ると男性脱衣所・女性脱衣所の分岐があり、上流側が男性、下流側が女性となっています。

というわけで脱衣所に着きました。温泉に向かうだけでも結構な距離を歩いてくることになり、これはこれで楽しいですね。

なお下別荘を含めて建物内には照明が一応あるものの、いかんせん設置箇所が少ないため場所によっては昼間でも暗く感じられるほどでした。足元には十分注意する必要があります(足を踏み外した人)。

川岸露天風呂 湯船

川岸露天風呂は鹿股川のほとりに面しており、数人が入れるこじんまりとした湯船が複数ある点が特徴です。従って混雑具合によって入る湯船を変えたり、川岸に座って空くのを待つといった風にある程度の柔軟性があります。自分のお気に入りの湯船を見つけてみるのも面白いかも。

湯船は合計4つあって、脱衣所横に位置する屋内のは温度が温め、川に面した3つのうち真ん中はかなり熱めで、上流・下流の2つは適温でした。

屋内の湯船

まずは屋内の湯船について。

脱衣所からは階段が2方向に伸びており、屋内方向への階段を下るとこの湯船があります。真ん中付近の細いところで2つの湯船が一つに繋がっている形をしており、完全に屋内に位置しているため外の影響を受けにくく、温度も温めなので長湯ができました。

四角形の湯船

続いて川側の階段を下って左手方向(下流側)にあるのが2箇所の四角形の湯船です。その更に下流側には女性専用の川岸露天風呂があるのが見えます。

この四角形の湯船のうち、真ん中の方については温度がかなり熱めで入るのに苦労しました。同じく温泉に訪れている人を見渡してみても真ん中の湯船に長居する人はおらず、決まって下流側か上流側の湯船に入るため空きやすいとも言えます。寒い季節なら逆に人気の湯船になりそうな予感。

上流側の湯船

最後は階段を下って右手方向(上流側)にある、岩に囲まれた湯船です。

他の湯船と比較すると少し毛色が異なっていますが、こちらにもちゃんと屋根があるため雨が降っていても大丈夫。温度は適温で、ここの湯船で身体をある程度温めてから川岸に座って冷ますのを繰り返してました。

この素晴らしきロケーション
目の前が鹿股川。昔は対岸にも渡れたような跡が見られる

改めて周囲を見渡してみると本当に良い場所に温泉があることに気がつく。

目の前を流れる鹿股川は水深が浅めで流れも緩やかであり、頭上に広がる青々とした木々と雰囲気がマッチしている。温泉と川との境界は極めて曖昧で、温泉に浸かっていながらまるで川に入っているかのような錯覚を感じる。屋外に面した"露天風呂"は全国各地にある中で、静けさと厳かさを両方持っている露天風呂は珍しいです。公式パンフレットの言葉を借りるなら「明賀屋の川岸露天風呂は自然に見守られながら、今も枯れることなく湧き続け三百年の歴史を伝えて」いる。

湯船から溢れ出た湯はそのまま鹿股川に注がれていて、大地の恵みである温泉と周囲の環境とがこの一角で確かに混じり合っている。人工物と自然との調和がとれた見事な温泉だ。

上を見上げると下別荘がそびえている

川の縁に立って上を見上げてみると、温泉の真上に建てられている下別荘の迫力がすごい。

この地に温泉が湧くことが予め分かっていたとして川岸に温泉を造るというのがまず凄いし、人が泊まる建物をその真上に造ってしまう発想もまたぶっ飛んでいる。おそらく昔は川沿いにしか道がなかったためにここに建てざるをえなかったと思われますが、下別荘の歴史を考えるとこの眺めは明治時代から不変のものなのだろう。川岸露天風呂に入ったかつての湯治客を思いながら温泉に浸かってました。

温泉の成分による析出物
洞窟の中にいるみたい

夏の時期の訪問、そして川沿いの温泉ということでアブの襲来を心配していたものの、拍子抜けするくらいに全く出会わなくてとても運が良かったです。この日が完全な晴れではなく若干曇っていたからかも?

自然に囲まれているせいもあって川べりまで下ってくると気温がちょうどよく、温泉に入らなくても寒くないのがいいですね。温泉エリアの縁に座って適度に身体を冷やしながらまったり過ごすことができました。

本館への帰路

明賀屋本館の川岸露天風呂は温泉に入って終わりではなく、本館に戻るまでが温泉。行きで下りだったところは帰りでは上りになります。間違っても酒に酔った状態で入りにくるのはやめたほうがいいかな。自分だったら間違いなく帰ってこれなさそう。

夕食~翌朝

温泉に入って体力を消耗したと思ったら夕食の時間(18:00~)。夕食及び朝食は太古館2階の大広間でいただく形になり、時間になれば各自で現地へ向かうことになります。

日中の散策時は薄暗くてひっそりと静まり返っていた太古館ですが、食事の時間になると打って変わって賑やかになります。人数そのものは少ないかも知れないけど、この雰囲気は太古館が現役で使われていた頃とおそらく同じ。やっぱり建物って人間が過ごすためのものだし、人がいないよりは居た方がいいですね。

夕食の内容はイワナの塩焼き、豚しゃぶ、お造り三種盛り、茶碗蒸し、湯葉、蒸し物(枝豆と白身魚に味噌をかけたもの)、デザート(杏仁豆腐、メロン、ケーキ)等が並びます。

夕食の内容(正面の膳)
右隣の膳

昔の人と同じく大広間で食事をいただけることに加えて、食事が膳で提供されているのも嬉しいポイント。なんでかは分からないけど個人的に畳+座布団+膳の組み合わせで食事をするのが最近好きになっています。

せっかくなので夕食のお供として冷酒を注文したところ、茨城県古河市・青木酒造「御慶事」の生 300mlを持ってきてくれました。度数強めなのか、少しずつ飲んでいたはずなのに割と早めに酔ってしまった感がある。料理はいずれの品も美味しく、一品一品がご飯にも酒にも合うのでとても満足できるものでした。

少し気になった点としては、大広間は古い建物であるため冷房設備がないということです。今回のように夏場の宿泊時の鍋料理は確実に汗をかくので用意が必要かもしれません。

夕食を終えて部屋に戻ってくると布団が敷かれていました。夕食後は川岸露天風呂…に行くと帰ってこれなそうだったので大浴場でさっぱりした後に就寝。本館前の道路は塩の湯温泉のみに通じるものなので交通量が全くないことに加えて、泊まっている部屋の真ん前が山と川なのでそれはもう熟睡できました。

で、翌朝。

翌朝は女性専用時間に切り替わる前に川岸露天風呂に入りに行き、さらに大浴場にも入って食欲を増幅させた後に太古館へ向かって朝食タイムです。朝食は7:30 or 8:00から選ぶことができ、今回は8:00開始を選択。

朝食の内容
湯豆腐が特に美味しい

夕食時に入った大広間の隣の広間が朝食会場になっていましたが、7:30開始組がとても静かに朝食を食べていて部屋を間違えたかとびっくりしました。朝食の内容は焼き鮭、湯豆腐、温泉卵、ポテトサラダ、とろろ、ご飯と味噌汁、デザート(コーヒーゼリーとフルーツ)。朝から温泉に入ってお腹が空いていたためご飯が一杯では足りない始末でした。

朝食後は布団に入って二度寝するか…と思って部屋に戻ったところ、朝食中に布団が片付けられてしまっていてそれ以降は布団で寝ることができません。なので大浴場に再度入りに行き、畳の上でチェックアウト時間まで昼寝をするという流れで過ごして明賀屋本館での滞在は終了。たった二日間なのにとても濃い時間になった。

おわりに

明賀屋本館は塩原温泉郷の中でも古い歴史を持ち、新しい建物だけではなく古い建物もそのまま残されている素敵な旅館です。和洋折衷かつモダンな太古館や下別荘については見るものすべてが新鮮で、館内散策の時間をより濃密なものにしてくれました。

そして明賀屋本館を代表する川岸露天風呂では大自然の中でゆったりとしたひと時を過ごすことができ、悠久の時の中で創業湯治から今まで湧き続けている温泉に自分も入れることに感謝。あの独特の雰囲気は唯一無二のものであり、これからも訪れる人を癒やしていってほしい。今度は夏以外の季節に訪問したいと思っています。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマーク・シェアをしていただければ嬉しいです。

過去に泊まった旅館の記事はこちらからどうぞ。

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