谷脇旅館 明治創業 吉田茂首相も宿泊した高知県越知町の木造老舗旅館に泊まってきた

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今回は、高知県の越知町にある谷脇旅館に泊まってきました。

越知町は江戸時代、商業を営むことを許可された隣の佐川町とは対象的に、農業を主体とした農村として存在していました。従って現在の市街地にも今のような町並みはなく、農家が点在するだけだったようです。
これが明治時代に入ると一変し、町の戸数が一気に増加して急速に発展を遂げていきました。その中には新しく建てられた旅籠屋もあったと当時の新聞に記載があり、谷脇旅館もその中の一つ。
かつての高吾北の産業は製紙の原料となる楮(こうぞ)や三椏(みつまた)の生産が主で、すぐそこを流れる有名な仁淀川はこれらを運搬する水運にも利用されたといいます。物流の集積や街道をゆく商人の増加に伴って、町には「宿」が求められるようになり、その中で谷脇旅館が誕生したのでしょう。

従って谷脇旅館の創業は明治時代にまで遡る一方で、現在の建物は昭和に建てられたものです。建物としては玄関を含む表通りに面した棟(昭和13年(1938年)建築)と、その奥に位置する棟(昭和12年建築)の2つの棟があり、中庭を挟んでロの字形に廊下が回されているのが大きな特徴。

昭和の時代は高知方面から洋品などを自転車で運んできた商人たちが多く泊まり、越知町の活気と合わさって連日盛況だったとのこと。今回は時代もスタイルも違うけど、同じようにロードバイクで高知方面から山越えをする際の宿として選んだことで、奇しくも似たような体験ができたと思います。

後述するように、時の首相・吉田茂が遊説に来た際に泊まった部屋もそのまま残されていました。今回はその部屋に宿泊をさせていただき、自分が好きな高知県での一夜を過ごせたことを嬉しく思います。

もくじ

外観

まずは外観から。

国道194号から県道18号に入り、仁淀川に沿って西方面へ移動。有名な浅尾沈下橋を過ぎると越知町の町に入っていきます。国道から一本入ったところが越知町のメインストリートで、こちらには飲み屋を始めとしてスーパーや美容室、薬局、銀行、郵便局などの一通りの施設が揃っていました。

そんな町並みの中で一際目を引く古い建物があって、それが谷脇旅館です。

谷脇旅館 正面外観

谷脇旅館の外観はそれだけで見るものにインパクトを与えるものであり、これを見てしまったら誰もが泊まりたいと思えるはず。それくらい全体的に荘厳な雰囲気が漂っています。

表から見える建物は昭和13年建築のもので、形としては旅館の左右にせり出すようにして棟が建っているのが分かります。真ん中の玄関部分は少し奥まったところにあって、こういう建物の造りは個人的に珍しい。

また玄関前には植木(松が目立つ)が植えられていて、建物+植物の組み合わせが全体として見たときに好きになりました。古い建物だけというのももちろんいいけど、植木の存在って意外と大きいです。
これは別に玄関前に限ったことではなく、中庭や建物奥にもたくさんの木々があります。館内を歩いているときや部屋で寛いでいるとき。そういうタイミングでふっと植物の存在が目に入ってくるのが素敵。

旅館の右側には小さい道が通っていて、これを通ることで右側面の様子を見ることができました。

左側に見える黒っぽい壁の建物が先程表通りから見た棟で、右側のガスボンベが置かれているのが奥の昭和12年棟です。これらは廊下で繋がっていますが、表からでは全く見えません。
こういう風に、泊まってみて初めて旅館の全体像が把握できるところが個人的に好き。敷地が広ければ広いほど、館内散策も楽しくなってくるので。

そのまま通りを歩いて建物の後ろへ。

こちらには若干の高低差を含む見事な日本庭園が整備されていて、その奥に見えるのが昭和12年棟の背面です。今回自分が泊まった部屋も、ここから視認できました。

旅館の看板
電灯にも看板がある

というわけで、建物の周りを回ってきたところで玄関前に戻ってきました。

さっきは遠目からだったのでそこまで感じなかったけど、玄関前は正面に加えて左右に2階建ての建物がそびえているので迫力がもの凄いです。でも不思議と圧迫感は感じなくて、客人を迎え入れてくれているような温かさがある。なんでそう思うのかはよく分からないけど、この時点でここに泊まることに決めて良かったと思えました。

向かって右側の部分については、2階のガラス窓の向こう側に欄干が残っている様子が見えます。

1階にも部屋がある感じになっているものの、今では特に使われていないのか屋内からもアクセスできません。

左側については、1階がバーの建物(営業しているか不明)で壁が他の微妙に異なる色合いをしています。

2階はカーテンがあって中の様子は分からないけど、ここは外に面した廊下ではなく部屋があると思う。左側と比較し、窓の高さが異なっています。

玄関上の妻の頂点に位置する鬼瓦には「谷」の文字が

改めて視線を正面に向けてみると、玄関周辺は組み格子の意匠が本当に素晴らしいです。ちょうど上に見える廊下の部分は左からずっと格子窓が並んでいる…と見せかけて、右端にワンポイントで明かり窓がありました。

玄関前の左右の建物の違いといい、左右対称でないのがむしろ美しさを増幅させている。ここだけ切り取っても非常に手が込んだ建物だと理解できます。

館内散策

昭和13年棟(玄関棟)玄関~1階

外観を確認したところで、次は早速屋内へ。

玄関を入って声をかけると奥から女将さんが出てこられ、ここで投宿となりました。

玄関を入って最初に目にする風景が上の写真で、円形の組み格子の明かり窓が真正面に設けられています。窓の向こう側は食事場所で、実際に夕食を取っているときは玄関から人が入ってくるのが見えました。

客として見たときには玄関土間は必要最小限に抑えられており、戸を開けたらすぐに靴を置くスペースがあって式台、上がり框という順番です。客の動線としては左側に廊下が続き、一方向なので分かりやすい。

入って右側は建物奥まで玄関土間が続いていて、今回ロードバイクをこちらに置かせていただきました。

奥へ進むと左側に厨房があって、女将さんは基本的にこちらにいらっしゃるようです。

ちなみに、右端には2階へ直接行ける階段がある

スリッパを収納しているラックのすぐ奥にあるのが、先程見た左側の棟1階へ繋がる戸です。

玄関上がったところにある廊下の色合いが、個人的に好きになる感じでした。しかも組み格子の前から左奥まで一直線に廊下が走っていて、パッと見たときに構造に丸みがないカチッとした造りなんですよね。そのあたりもなんか好き。

そのまま廊下を進んでいくと、ソファと2階への階段がありました。階段については数段上ったところで踊り場を介して左方向に折り返しており、しかも両サイドが壁に挟まれている珍しい造りでした。

で、この昭和13年棟なんですが、現在は基本的に宿泊することができません。

というのも、今は専門学校に通う学生達(3~4名くらい?)が下宿のような形で2階で生活をされていて、その自室として使われているからです。なのでこの階段から上は足を踏み入れていませんが、外観を確認したときに見かけた、欄干付きの廊下の奥にある部屋などにも住まわれてるっぽいです。

古い旅館で下宿生活を行っているのは過去に数回経験があるけど、これだけ古い木造旅館となると壁も薄いだろうし、自分のように一泊ではなく何ヶ月もとなるとまた話が違ってきそう。あと、下宿の場合の食事の提供はないとのことでした。

廊下を右に曲がる
食事場所
昭和13年棟と昭和12年棟を繋ぐ廊下
中庭

位置的には玄関を上がり、左側に伸びる廊下を歩いて2階への階段の前まできたところになります。

廊下はというと今度は右側に続いていて、向かって右側に見える中庭を挟んで昭和12年棟へと向かう廊下に切り替わりました。つまりここは棟と棟との遷移区間に相当し、従ってこの廊下は1階にしかありません。

廊下の右側には長い距離に渡ってガラス窓が取り付けられていて、ここからは昭和13年棟の裏側や中庭を見ることができます。中庭周辺は勝手口や倉庫などがあるようで、厨房から直に行くこともできるように見えました。
ひょうたんの形をした池には鯉が何匹かいましたが、冬眠中みたいで動く気配はなし。そうか、今は冬だった。

廊下を半分ほど過ぎると左側に男子用便所(小便器)、次いで洗面所があります。

これらは谷脇旅館の館内でここにしかなく、従って昭和13年棟・昭和12年棟のいずれに泊まっていてもここを使用する形になります。特に昭和12年棟の2階に宿泊していると少々遠いかもしれませんが、集中管理という面ではよくできていると思いました。
水回りがあっちもこっちもあると配管やらなんやらで複雑になってしまうし、まとまっているに越したことはない。

で、この洗面所は複数のタイルを組み合わせたカラフルな外観が特徴です。
洗面所全体の壁の色と合わせて赤・緑・青色の3色があって、これだけ色彩豊かなのは洗面所のみ。洗面所にタイルを用いるのは割りと一般的かもしれないけど、この色に決めた背景をぜひ知りたい。

水で濡れたタイルがまた良い
洗面所の窓
ブレーカー

廊下と洗面所は引き戸で仕切られていて、ここを一歩入ると洗面所の空間に入ります。洗面所の外には竹を組み合わせた明かり窓、そして中は壁や床もタイルでできた美しい造り。広さこそそんなにないものの、ここの雰囲気が良すぎてしょっちゅう訪れるほどでした。

以上が、昭和13年棟と奥側の廊下の様子。

宿泊者は例外なく昭和12年棟に泊まるっぽいので、玄関側に立ち入る機会は少ないかもしれません。しかし外観を含めたこちらの棟はいわば谷脇旅館の「顔」であり、そちらも詳しく見ておこうと思って色んな角度から撮影してみました。

昭和12年棟(宿泊棟)1階

続いては、今回泊まることになる昭和12年棟へ。

客室としては1階に4部屋、2階に4部屋の合計8部屋ありますが、そのうち稼働中なのは半分くらいのようです。

正面が2階客室、左側がトイレ、右側が1階客室への動線。
折り返しの階段が美しい。

昭和12年棟に入ると真正面に2階への階段があって、その左側が和式・洋式トイレがあります。階段は踊り場を介して真中付近から右上方向に折れ曲がっているのが確認でき、このようにすることで階段に必要なスペースを削減していました。

廊下を進んできたらそのままの勢いで2階に向かうことができるので、動線としてとてもしっかりとしています。廊下を曲がったところからでもすでに階段が見えており、次に向かうべき場所が遠くからでも分かるのは良い。

トイレを除くと行く方向は2つに絞られるので、手前側から来た場合に1階の客室へ向かおうとすると右側に行くしかないように見えますが、実際にはなんと階段を上ることでも向こう側に向かうことができます。

奥側の階段
奥側の階段下にはトイレのもう一つの入り口がある。

なんとこの階段、真ん中の踊り場までの小階段が手前側と奥側の2箇所にあるんです。

二股に分かれている階段が途中で合わさって2階へ続く形になっていて、どの方面から来てどこへ向かうにも最短経路で済むという合理性の塊のような構造。これは最初見たときにびっくりしました。

例えば玄関側から客室棟の2階に向かう場合はそのまま順当に階段を上っていけばいいけど、逆に今度は2階から1階客室に行きたい、という場合には階段を下りてからUターンしないといけません。しかし1階客室方面にも階段を設けることでそのラグをなくし、客が移動するすべての方向に対してスムーズに上り下りができるように工夫されています。本当によく考えられている…。

階段下は収納になっている。
踊り場に立って下を眺めた様子
踊り場から洗面所方面を見る
踊り場から1階客室方面を見る
2階廊下前から見た踊り場
踊り場にあるのは各部屋の電灯の主電源?

広い敷地を所有する谷脇旅館ですが、そこにどういう建物をどのように建てるのかは職人さんの手に委ねられます。

旅館建築ってその時代の建築の粋が集まっていると思っていて、和風建築で言うと明治から昭和初期、戦前までの近代に最盛期を迎えました。個人的に今まで泊まってきた中で印象的だった旅館はこの時代のものが多く、優れた旅館建築にはその意匠や様式に「時代」が反映されて、建材には「その土地」が反映されます。

その中で、この階段の凝った造りは職人さんが考える当時の最先端だったのだと感じました。和風建築、しかも旅館において途中で分岐している階段は多くありません。やはり鄙びた宿に泊まると好奇心が刺激されて、滞在中の時間がこれ以上ないものに思えてくる。幸せなことだ。

トイレについてはこんな感じで、和式と洋式の個室がそれぞれあります。

洋式についてはウォシュレット付きで不便はなく、トイレ自体が2箇所からアクセスできるので、どこに泊まっていても入り口まで回り込む必要はありません。

お風呂場前から見る昭和13年棟
1階奥にある水場。使われてはいない様子。
1階の客室

そのまま歩いていった先には1階の客室があり、向かって左奥側の部屋が上の写真です。

訪問した日の宿泊者は自分だけだったためか、ここでは布団が干されていました。今日はいい天気だったし、こんだけ晴れていたら誰もが布団を干したくなる。

1階は棟の外周の半分を囲むようにして廊下が通っている(周り廊下)ほか、ちょうど中央付近を横断するように別の廊下があります。なので左奥の客室は四方のうち2面が障子戸で、手前側の1面が隣の客室との境界として襖戸になっています。

お風呂場

同じく1階の今度は手前側、ここにはお風呂場があって、投宿したときにいつ頃準備しましょうかと聞かれたので夕食前でいいですと答えました。

入り口は少々小さいですが、戸に「浴場」と赤字で書かれているので一発で分かるはずです。

洗面所付きの脱衣所
浴室

脱衣所と浴室はこんな感じで、さっき見た洗面所を彷彿とさせるようなタイル張り。なお脱衣所にも洗面所がある(書き方がややこしい)ので便利です。

この日は高知空港から何を血迷ったのか山越えをして土佐町に至り、そこから順当に西へ進んでここ越知町に到着するという行程でした。山の峠には雪も残っていてなかなかの寒さで、終わり頃には比較的暖かくなってきたものの寒いものは寒い。

その疲労が湯船の中に溶けていくようで、短いながらも気持ちの良い入浴になりました。毎回思うけど、旅館に到着してお風呂に入っているときって一番心が休まるタイミングだと思う。

昭和12年棟(宿泊棟)2階

次は、1階から階段を上がって2階へ。

この特徴的な階段は幅こそ狭いものの、特に踊り場に立ってみると頭上の空間が開けているので狭さをあまり感じません。しかもその先の2階廊下はかなり広く、移動している=すぐ広いところに移るという心理的な流れから、ある意味で開放感を感じられました。

階段を上っている途中で右側にガラス窓が見えて、圧迫感がない
2階廊下から見た昭和13年棟

階段を上がってすぐの光景が上の写真で、左側には廊下と客室とを隔てる障子戸、右側には上から下まで見通しの良いガラス窓が手前から奥まで続いている様子が目に入ります。上を見ると天井部分が斜めになっていて、屋根部分と連続した構造になっているのが分かりました。

ここで思ったこととしては、この前面ガラス張りの窓の視覚的効果は非常に大きいということ。

屋内に自然光を取り込むには窓は大きい方がよく、加えて窓を通して屋外を見えるようにすることで、屋内で感じる狭さを和らげるといった役割があります。自分が2階に上がったときに狭さを感じなかった理由の一つは廊下の幅が広くて奥行きもあること、そしてもう一つが窓の向こう側に昭和13年棟が見えることでした。

昭和13年棟と昭和12年棟は中庭を挟んである程度離れているので、ここから昭和13年棟が目視できるということはまず遮るものがないということに他ならない。その上、ガラス窓の範囲が広いために端から端まで見通しがよく、階段を上って自然と視線が動く先がそうなっていることが凄いと思いました。

この2階廊下の雰囲気は個人的に谷脇旅館で一番好きになったポイントで、夕食や朝食のとき、それから洗面所に向かうときにふと外を眺めるのが特に好き。

廊下を進むとそれぞれの客室にアクセスできるようになっていて、階段正面の壁には大きな鏡。ここに鏡がある理由はよく分からないけど、ここで身だしなみを整えることがあったのかもしれません。

2階の廊下は階段がある面と、それから棟の中央に沿って手前から奥側に伸びています。

その中央の廊下というのがこんな感じで、廊下の左右がすぐ襖戸になっているというシンプルな造り。

もちろん、どちらも客室に即繋がっているので出入りがしやすいです。

左奥(東側)に位置する「菊」の部屋から廊下を挟んで反対側にある客室が「松」の部屋で、内装は上の写真の通り。

昭和12年棟は1階も2階も二間続きの部屋が1フロアに2セットずつ配置されている形で、上の写真でいうと右側に部屋が続いていました。人数が多いときは襖戸を開け放って広い部屋にできるし、少人数ならこのように適度な広さで過ごすことができます。
客室の名前は「松」のほかに「梅」「竹」があって、誰もが見て理解できるように連続性があるのが旅館らしい。

泊まった部屋

そして最後にご紹介するのが、自分が今回泊まった「」の客室です。

この部屋は昭和35年にかの吉田茂首相が高知県に遊説に訪れた際に宿泊した場所で、その貫禄ある部屋に今も宿泊できるというのだから凄いというほかない。

吉田茂首相は土佐国宿毛出身の土佐藩士・竹内綱の五男として生まれ、日本国憲法の公布に伴う第23回総選挙で高知県から立候補して当選。その後5回に渡って内閣総理大臣を努めた人物は高知県ゆかりの偉人ということで、今回の旅の出発地点である高知龍馬空港にも銅像が立っていました。しかも空港の中にも吉田茂の看板があり、あれを見てから谷脇旅館に到着するまでのライドは一際印象に残るものでした。

せっかく谷脇旅館に泊まるのだからぜひともこの客室にしたいという思いもあり、電話予約の際に「首相が泊まった部屋を…」とお願いしておきました。空いてて本当に良かった。

客室の広さは8畳あり、一人だと広々と使うことができました。

「菊」の客室

廊下から襖戸を開けると正面に床の間があり、右側に広縁のような配置で廊下があります。この廊下は外に面していて、ちょうど谷脇旅館の裏側にあたる庭園を一望することができました。

設備としてはテレビ、冷蔵庫、業務用っぽいエアコンがあり、窓側の障子戸についてはカーテンがあるので寝るときも安心。古い建物なので暖房・冷房設備は存在しないことを想定していたものの、実際には部屋の上部ではなく床に直置きするタイプのエアコンがあります。

それにしても、この部屋にいるときの居心地の良さが半端ではない。

高い天井、奥行きのある間取り、そして廊下に設けられた一面のガラス窓から差し込む陽光。時間帯的にちょうど夕日が差し込む形だったのが、この部屋の良さを増幅させていました。

部屋の床柱は百日紅の木を木材として用いており、ここまで大きいのは非常に珍しいとのこと。きっちりとまとまった構造の中にここだけワンポイントで古いゴツゴツした感触があって、とても美しいです。

床の間の天袋に描かれている絵も当時から変わっていないもので、その下の脇床に目を移すとそこには楕円形の明かり窓がありました。明かり窓の中には複雑な模様が組み格子で組まれていて、障子、そしてこの格子の間を通って外から入ってきた陽光がどこか柔らかく感じる。

ガラス戸
雨戸の戸袋へのスペースは座布団置き場に
中央の廊下と窓際の廊下はアコーディオンカーテンで仕切られている

そして、この部屋の居心地を良くしている最大の要素がこのガラス戸です。

ガラス戸の構成は下の2/3が透明で、上1/3が半透明の曇りガラス。その上、曇りガラス部には組み格子の模様があしらわれていました。いずれも建築当時のソーダガラス製で、斜めから見ると微妙なうねりが確認できます。

昭和12年棟奥側の面、その端から端まで存在するこのガラス戸は屋内にいながら屋外の様子を味わうには最大の効果があって、当時からここで歴史を重ねてきた木造建築、それを構成する木材を日光が優しく照らしている。今回のような冬場に自然光で暖をとるにはこれ以上ないほど適しているし、逆に夜には静寂の中、この座敷まで月光を通してくれるというわけです。

見ての通り欄干もそのまま残されており、その向こう側に並ぶガラス戸は一列になっていました。例えが下手だけど例えば襖戸のように段違いになっていないので、一部だけ開け閉めする場合でも一つ一つの戸を動かしていく必要があります。

ガラス戸の奥には裏庭として日本庭園が広がっていて、ここからはそれを一望することができました。

今回の訪問時は工事のための足場が組まれていましたが、これは積雪によって屋根の一部が破損したのでその修理用です。

で、さっきから旅館の各所で気になっていた細い木材による組み格子

大小のひし形を組み合わせたこの格子模様はなんと接着剤を一切使っておらず、枠内へのはめ込みだけで構成されています。よく見ると一つの枠内あたりに7本の木材があり、それらの寸法精度がよいことによって脱落しないでそのままの形状を保っている様子。あまりにも緻密すぎて感動…。

なおガラス窓は日光に当たり続けている影響で、近年では木材が収縮して外れてしまうことが多くなってしまっているようです。

部屋の様相に心を踊らせつつ、女将さんが持ってきてくれたお茶とお菓子でひとまず休憩する。

旅館に到着してからこのときまで、見るものすべてが本当に素晴らしすぎて心が休まるタイミングがない。散策して楽しいのは個人的に好きになった旅館の特徴だけど、いやほんと今回ここに泊まって良かったなって思います。

なお室内には浴衣、タオル、バスタオル、歯ブラシが揃っているので、特にこちらで準備するものはなかったです。

布団については、実は部屋に案内していただいた際にガラス戸周辺で天日干し中だったので、そのままセルフで敷きました。

このときはなんとなく上の写真の位置に敷きましたが、翌朝になってこれが正解だったということに気がつく。旅の途中で、後から振り返ってみればこの行動が良い結果を生んだという経験は結構多いけど、今回は布団の位置がまさにそれでした。

隣の部屋
カラオケセット?

「菊」の部屋から襖戸を挟んで隣にある部屋はこんな感じで、広さは6畳ながらも床の間があるなど豪勢な造りです。

こちらの床の間は釣床だったり、天袋の上の壁が雲形に切り抜かれていたりと実に特徴的なもの。「菊」の客室だけでなく、他の客室も一つとして同じように造りにはなっていない点にこだわりが見られました。

というわけで、以上が谷脇旅館の全容です。

夕食~翌朝

夕食は、昭和13年棟の1階にある食事場所で頂く形となります。

普段であれば三代目の女将さんに加えて四代目の息子さんで食事の準備をされるところ、今日は息子さんが高知に出ているとのことで女将さんのみ。なので夕食はちょっと遅れるかもとのことでしたが、こっちは何も急いでないので全く問題なし。

さっき示した食事場所は一般家庭のダイニングという感じで、実際に自分の夕食が終わった後にはお子さん?が同じ場所で食事をされていました。

夕食
ブリの刺身
豚肉と海鮮の鍋

夕食の内容はこんな感じで、豚肉と海鮮の鍋、ブリの刺し身、サラダ、とろろ、野菜の和え物と家庭的な献立です。いずれもご飯の消費が進み、特に鍋は素朴ながらも染み出した栄養がそのまま汁にプラスされていて美味すぎる。

ブリの刺身の前に置かれている小皿は醤油と、それから葉ニンニクから作ったぬたです。実はぬたをブリの刺身に付けて食べるのは高知県のみらしく、にんにく独特の香味とピリッとした辛味が特徴。さっぱりとした口当たりは魚介類の脂と相性がとてもよく、いつも刺し身=醤油ばかりな自分としてはとても新鮮に感じました。

夕食が終わったあたりで下宿生が次々と帰宅してきて、玄関周辺が賑やかになっていくのが分かる。一般的な旅館だったら夜の時間に歩くのは宿泊客くらいなのが、ここではその限りではない。ここまで見てきた古い木造建築もそうだし、谷脇旅館に到着してから新しく体験することばかりだ。

夜の谷脇旅館

夜の時間は静かに過ぎ去っていって、自然と眠くなったので寝ました。

無理やり寝ようとするわけではなく、身体が自動的に寝る準備を始めるのは安心している証拠。居心地の良さは快適な睡眠に繋がります。

谷脇旅館自体が交通量が多い国道から離れたところに位置しているのに加え、泊まっている昭和12年棟は表通りからも距離があります。しんとした静寂は旅情をかきたててくれるし、安眠を妨げる要素はここにはない。本当に静かに眠れました。

翌朝。

セットしておいた時間よりも実は早めに目が覚めて、それは何故かというと床の間にある明かり窓のおかげでした。この明かり窓は東の壁に設けられているので、朝が来て太陽が上ってくるとこの窓から日光が差し込むようになっているんです。つまり室内、それも枕元が朝になれば自動的に明るくなってくるわけで、目覚ましが不要という仕組み。

朝っぱらから感動してしまって、普段だったら100%二度寝するのに今回はそういう気がおきませんでした。何から何まで客のことを考えて造られているというのは、まさにこのこと。

朝食

朝食の内容はご飯、なめこの味噌汁、塩鮭、卵焼き、納豆などが揃っています。

今日は自走で高知空港まで戻るわけで、その準備として申し分ないボリュームでした。旅をしている休日の間だけ食欲が倍増しているのは、たぶん気のせいではない。

以上で、谷脇旅館での短い一夜は終了。

女将さんにご挨拶をし、朝日に照らされる越知町を後にしながらまた再訪することを強く思いました。

おわりに

谷脇旅館は高知県内陸部の越知町に位置する歴史ある木造旅館で、かつては首相もここに宿泊したほどの荘厳さがあります。

複数の棟から構成される建物は敷地こそ広いものの、非常に分かりやすい動線をしていて移動がとても楽。加えてガラス窓を多く採用しているので自然光を取り込みやすく、屋内にいるという閉塞感をまるで感じないくらいに快い空間が広がっています。

古い造りだけでなく随所にこだわりが見られ、特に組み格子の造りは当時の職人さんの技量の高さを伺わせるものでした。館内のどこを歩いても魅力あふれる建物、ゆったりと寛げる客室は唯一無二のものだし、静まり返った部屋でお茶を飲んだりなんかしていると、ああ自分はこういう時間が好きなんだなって再確認できる。

古い旅館はとにかく後継者不足で閉めてしまうことが多いものの、谷脇旅館は女将さんから息子さんに代替わりをされておられ、今後も越知町で長く続いていってほしいと心から願う旅館でした。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマーク・シェアをしていただければ嬉しいです。

過去に泊まった旅館の記事はこちらからどうぞ。

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