村上旅館 大正創業 奥出雲亀嵩の静かな木造旅館に泊まってきた

今回は、島根県奥出雲の亀嵩という集落にある村上旅館に泊まってきました。

島根県には自分の好きな鄙びた旅館が数多く存在しており、この趣味を始めてからは比較的訪問頻度が高い地域です。その中でも奥出雲は田園風景と集落の景観が素晴らしく、水田が広がるこの時期に宿泊も一緒にやれば一石二鳥じゃない!ということで行ってきました。

村上旅館は亀嵩の地で約100年前(大正時代)から営業を続けている旅館で、いわゆる割烹旅館なので宿泊以外にも仕出しや、ご主人自身が打たれている蕎麦の提供をされています。近年はコロナの影響で大人数が集まる機会が減っていましたが、これからは回復することを期待。

なお地図で見ると一目瞭然なこととして、亀嵩の町並みはすぐ近くを通る国道432号から道を一本入ったところにあります。こういう風に、かつては主要な街道として栄えていた表通り沿いに建っている旅館が個人的に好き。

もくじ

外観

まずは外観から。

亀嵩の表通りは西側が国道432号に面しており、そこを起点として北東方面に向かって一直線に続いています。村上旅館はその通りのちょうど真ん中くらいにあって、遠くからでも旅館の看板がよく見えました。

村上旅館の外観

表通りから見たところ1階左側に間口が広めの玄関があり、2階に客室があるようです。こちらに面している側にはガラス戸が多く採用され、日当たりの良さが伺えます。

2階については窓際に欄干がそのまま残されれている様子が確認でき、その脇には「おでん 焼肉」「割烹村上旅館」の看板。なお比較的新しい看板だけではなく、もともとあったと思われる木製の看板も残されていました。

ちなみに到着時点で2階に見えている廊下?広縁?部分に洗濯物が干されていたので、この時点で上に見えているあの部屋には自分は今日泊まらないであろうことが予想できます。ここまで外観から確認しておいてから投宿に至るのが、自分的な宿泊前のムーブと化している。

ただ宿に泊まりに行くのももちろんいいけど、せっかくだから色々観察してみるのも面白い。

村上旅館の側面と背面。真ん中付近に切れ目があるのが分かる

村上旅館の背面に回ってみると、予想以上に奥行きのある建物だということが分かりました。

特に昔は表通りに面している側が建物の玄関であり、利便性のために面積あたりの家屋件数を増やそうとすると各家屋の間口はかなり小さくせざるを得ません。そのかわりに奥行きを伸ばして生活スペースを確保しているわけで、いわゆる「うなぎの寝床」の家が多いのは当然と言えます。

で、さらに驚いたのが村上旅館には3階部分があるということ。側面から見るとなんか建物の真ん中で分割されたような切れ目があり、その上に3階部分がブロックみたいに乗っかっているのが分かります。

ご主人によると昔々に奥出雲に大雪が降って屋根に積もり、さらに雪が凍ったことによる重みのために家が2つに割れてしまったとのこと。その際に割れてしまった部分を改修され、現在の形になったそうです。

というわけで、早速館内へ。

館内散策

1階 玄関

村上旅館の1階には玄関や居間、厨房、そして一番奥には洗面所や風呂場がありますが、洗面所や風呂場には玄関から直接行くことができません。

まず玄関を入ってすぐにある階段を上がって2階に上り、廊下を歩いた突き当りにある別の階段を下ることで洗面所や風呂場に到達できます。つまり宿泊客が玄関に入った後は「2階への階段を上がる」という動線に固定されているので、行き先が非常に分かりやすい。

玄関を入ったところ。

玄関土間は幅・奥行きともに十分な広さがあり、今回はロードバイクを玄関土間に置かせていただきましたが、置いた後でも出入りに支障がないほどです。玄関土間は表通りに面した側に端から端まで設けられていて、右側については居間に直接上がることができるようでした。

式台、上がり框を上がって館内に入ると右奥に厨房があり、左側には2階への階段。厨房周辺は比較的奥まったところに位置しているものの、玄関のガラス戸が大きいので自然光が奥まで届いているようです。

ここでご主人が奥から出てこられ、村上旅館での滞在が始まりました。

ふぐも食べられるらしい
昔の料金表
絶妙な表情をしている招き猫

格子状の天井を眺めつつ壁貼りに目を通してみると、旅館賠償責任保険加入旅館、島根県調理師会会員証、ふぐ調理講習会修了証などの文字が。どうやら村上旅館ではふぐも食べられるみたいで、こんな山奥でふぐの文字を見るとは思ってなかった。

あと個人的にツボにはまったのが「大歓迎!!飲んで乗らないお客さん」の標語とともに書かれている招き猫のイラストで、招き猫の表情がなんか近年のイラストには見られないような独特なものでした。猫がこれだけ瞳孔を開くのはかなり珍しい気がする。

この標語は2階にも貼ってあるので、何もしないときについつい見に行ってました。

玄関付近には共同設備はないので、そのまま2階へ。

2階 階段~廊下

2階には客室とそれに繋がる廊下があり、客室の様子を見た限りでは一日に泊まれるのは2組程度のようでした。客室そのものは他にもあるものの、ご主人と女将さんのご二人で経営されていることもあるのでこれは自然です。

階段を上がった後の動線はそのまま正面に続いている廊下を進むのと、階段の後ろ側にある横方向の細い廊下を進む2通りがあって、表通りに近い側の客室に向かう際には後者となります。

階段は途中に踊り場がない直線形状で、2階に設けてある背の低い手すりもおそらく当時から変わっていないもの。

昔の手すりって高さが膝くらいまでしかなくて、本当に転落防止の効果があるのか気になってしまう。

階段後ろにある細い廊下には畳が敷かれており、その廊下の左右に合計4つの客室が配置されています。

向かって右側が表通りに面した一号室と二号室、左側が今回泊まった三号室及び四号室です。なお一号室と二号室にはこの廊下からしか出入りができないのに対して、四号室(と間接的に三号室)は階段前の太い廊下に面しているのでそこからも出入りができます。

2階 客室

現在、村上旅館で供されている客室は上に示した4つのみのようで、それぞれが二間続きの客室になっていることを考えると2組まで宿泊可能っぽいです。

単純に表通りから離れた客室だと日当たりが悪いし、古い旅館において全部の客室が満室になるような機会はそう多くありません。なので、その他の客室については物置のようになっていました。

一号室と二号室の様子は下記の通りです。

まず手前側の一号室は8畳の広さがあり、大きな床の間や付書院が設けられた豪華な造りが特徴。

隣りにある二号室と合わせて表通り側には別の廊下が走っていて、ここには表通りから見えた欄干が横一直線に通っています。もともとは欄干と雨戸という組み合わせで用いられていたところを、後からガラス戸を付けたことによってこのような形になっています。

つまり一号室と二号室は客室4面のうちの1面から常に自然光が差し込む形になっているというわけで、灯りをつけなくとも室内には十分な明るさがありました。昔は特に自然光の存在が重要だし、いかに屋内に光を取り込むかを考慮すれば客室の配置も自然とこうなる感じ。

奥側にある二号室の広さは6畳。

こちらにも床の間がある一方で、この面の半分は壁ではなく廊下になっていました。つまり廊下は表通り側にしか通っていないと思っていたのが、突き当りで左方向に折れ曲がったところで途切れています。廊下を構成する板材が交差部分で美しく組み合わさっていたりして、こういうのが好き。

個人的にこの客室で一番気に入ったのが廊下からの眺めで、特に廊下の一番端に立って反対側を見るとその見通しの良さに驚きます。

昔の建物って曲線の部分がとにかく少なく、どこを見てもまっすぐだったり角ばったりした要素で成り立っている。廊下と壁、壁や天井という風に直線と直線が交差したり組み合わさったりする箇所が多くて、構造的に整理された良さを感じました。

2階 泊まった部屋

今回泊まった三号室と四号室はそれぞれが居室と寝室用に分けられており、二間続きの客室として運用されています。

  • 四号室:廊下側(定員三名、6畳)。大きな座卓があり、夕食は朝食はこちらで頂く。
  • 三号室:奥側(定員四名、8畳)。寝室用で床の間付き。床の間は一畳分の広さがある。

さっき見た細い廊下を挟んで両側に似たような客室がある形ですが、面白いのがその広さの組み合わせでした。同じ6畳+8畳でも、表通り側は手前側(一号室)が8畳だったのに対し、こちらは手前側(四号室)が6畳になっていて左右対称ではありません。

確かに、よく考えてみれば同じ広さの客室が連続するような並びだったとしても、床の間の位置や押入れの場所などが微妙に異なっている旅館が多いような気がします。構造的な制約があるからこうしているのか、その辺をもっと詳しく知れたらいいのですが。

四号室は階段前の廊下から出入りできてアクセス性がよく、滞在中は特に寒いわけではないので襖戸を常に開けっ放しにしておきました。

室内には座卓以外には何もなく、左側の壁が押入れになっているくらいでシンプルです。

三号室は完全な寝室用で、到着時にはすでに布団が敷かれていました。

こちらの床の間はなんか特殊な感じをしており、違い棚や地袋がなくて床が客室部分と同じ高さになっています(床板も無い)。というか客室部分から延長されたように畳が敷いてあるし、こういうのは珍しい気がする。

三号室の窓は向かって正面にある一方で、窓の向こう側にはすぐ隣の建物が面しているために自然光はそれほど入ってきません。

設備についてはエアコンやテレビがあって、他にもバスタオル、タオル、浴衣があります。あと歯ブラシも階下の洗面所に置いてありました。

ここから村上旅館における一泊が始まったわけだけど、6畳+8畳の二間続きを一人で使えるというのはとても満足度が高いです。

一般的には一人泊というと6畳一間をあてがわれるところが、村上旅館の客室は広さ的にはその2倍以上ある。これは実際に二間続きの部屋で過ごしてみるとよく分かることで、広々とした室内で過ごせるのは精神的に楽になれます。

室内に置かれているものも必要最低限といった感じだし、床にあんまり物がなくて綺麗に片付いているのは気分的にも良い。できることなら常に二間続きの部屋に宿泊したいものです。

2階 廊下~1階 洗面所前

続いては客室を出て、旅館の奥側へ。

階段を上がった先の廊下は村上旅館の左側面に占める割合が大きく、確かに細々と廊下を配置するよりも太いものを一本通す方が移動しやすい。廊下を太くすると客室に使える広さが減ってしまうのでその辺はバランスが重要になるものの、うまく言えないけどいい感じの幅だと思います。

右側のドアの先には3階への階段がある
「砂の器」の碑。写っているのは関係者と見られる。

ところで亀嵩といえば、松本清張の長編推理小説「砂の器」の舞台として登場したことでも有名です。

村上旅館のすぐ近くには映画化の際に撮影されたJR木次線の亀嵩駅や湯野神社があり、上の写真は湯野神社前にある記念碑の竣工式の様子っぽい。写真の古さ云々ではなく、写っている人の服装から年代が相当前だと理解できます。

この周辺は前回のライドで通った場所でもあって、その際に湯野神社も参拝しました。奥出雲全体が落ち着いた雰囲気がある地域だし、作品の舞台訪問と合わせて散策してみるのもいいかもしれません。

廊下を奥に進んでいくともう一箇所の階段があって、この先に洗面所やトイレ、風呂場があります。

古い旅館においてたびたび問題となるのが水回りをどうするのかという話ですが、村上旅館ではそれらを一箇所に集めることで管理しやすくしているようです。古い構造部分に後から配管を通すのは大変だし、これは理にかなっていると言えます。

階段の近くには客室がいくつかあるものの、特に使われてはいないようです。

階段を降りた先には右側に厨房の入り口、正面にトイレ、左側に洗面所とトイレがあります。全体的に新し目な印象を受けたので、最近になって改修したようです(家が割れたのより後)。

お風呂については夕食の一時間前くらいに入りますとご主人に伝え、準備ができたら部屋まで声をかけに来てくれました。温泉旅館と違って一般的な旅館の風呂は民家と同じシステムなので、こういう風に家庭的な一面を感じられるのがいいですね。

あとトイレについてはウォシュレット付きだったので、宿におけるトイレの形式が気になっている人にとっても問題なかったです。

結局、この日は村上旅館に到着してからはずっと部屋で昼寝をしており、お風呂に入った後もゴロゴロするというだらけっぷり。

宿でどういう時間を過ごすのかは人によるところが大きい中で、個人的には疲れていたら割と横になっていることが多い。逆にほとんどやらないのがテレビを見ることで、テレビを見る時間のかわりに布団の上で寝ているという感じ。

でも旅館の居心地が良くないとここまで自然と眠気が襲ってこないわけだし、村上旅館の雰囲気が自分に合っていることにほかならない。表通りは交通量も少なく、とても静かでした。

夕食~翌朝

夕食や朝食については、時間になれば階下からご主人が部屋まで持ってきてくれます。

夕食の内容
ご主人が打たれているそば

この日の夕食の内容はカツ丼の上の部分、みょうがや舞茸等の野菜の天ぷら、刺し身、酢の物、そしてご主人自身が一から打たれている割子そばとボリュームたっぷり。

特に島根県を代表する割子そばが絶品で、「蕎麦は私が打っています」という背景を聞いた後だとなおさら旨い。あと村上旅館は仕出しもやっているということで、料理の品もそういえば仕出しみたいだと感じました。

遠方の地に出かけていって日中を過ごし、一夜を過ごす宿に到着してゴロゴロした後に食事をいただく。

自分が想定する旅においてはこの流れを外すことはできないし、これからもできる限りは宿泊までをセットでやっていきたい。その土地の集落に古くから根ざした木造旅館で、しみじみとご飯を食べているという体験は何物にも代えがたいので。

夕食後は軽く亀嵩の通りを散歩した後、部屋に戻って床につきました。

エアコンはおろか扇風機すら必要ない季節は一年の中で短いものの、この快適さはぜひとも家ではなく旅館で味わいたい。

朝食の内容

翌朝は自然と目が覚め、活力がみなぎる朝食をいただいて一日が始まる。

奥出雲は日本有数の米の産地として有名ですが、米自体が美味いのか炊き方が上手いのか、たぶんその両方だと思うけど食が進みました。

宿泊から一夜明けたこの日は平日で、出発の準備をしていると村上旅館の前を通学する生徒たちが通過していきました。亀嵩という土地と村上旅館は別々の要素ではなくて、まさに地域に溶け込んだ馴染みのある存在。これからもこの地で営業を続けてほしいと思います。

おわりに

村上旅館は奥出雲亀嵩に静かに佇む木造旅館で、今も昔も奥出雲を訪れる人にとっての心休まる宿として親しまれています。

奥出雲は棚田が多い特徴的な地形も好きだし、そこにある旅館も個性的で好き。これからも精神を開放させるために山陰を訪れる機会は多そうです。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマーク・シェアをしていただければ嬉しいです。

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