白さぎ荘 武雄温泉の元遊郭旅館「満州楼」に泊まってきた

目次

遊郭の面影を残す宿

今回は、佐賀県武雄市の武雄温泉にある白さぎ荘に泊まってきました。

白さぎ荘はかつて武雄温泉に形成されていた遊郭街の名残を残す貴重な旅館で、分類としては元遊郭旅館になります。後述しますが武雄温泉の街並みは昔からすっかり変化しており、白さぎ荘周辺も例外ではありません。そんな中で、外観や内装を含め、白さぎでの滞在中は当時の雰囲気を感じることができました。

白さぎ荘の周辺にはいくつかの遊郭(赤線)が存在していたものの、昭和33年(1958年)の売春防止法の施行により赤線が廃止されたことに伴い、旅館等に転業を余儀なくされました。その旅館も時代とともに姿を消していき、現在でも営業しているのはこの白さぎ荘ただ1軒のみとなります。

現在、白さぎ荘を経営されているのはご主人一人だけで、お話によれば後継者不在等の背景によりご主人の代で旅館はもう閉めてしまうとのこと。なので、元遊郭旅館に泊まってみたいという場合は早めの方がいいです。

食事については現在は夕食の提供は行っておらず、朝食のみとなっていました。

白さぎ荘 | 泊まる - 武雄市観光協会

白さぎ荘 正面外観
玄関真上の2階客室が今回泊まった部屋

外観

まずは外観から。

武雄温泉の玄関口である武雄温泉駅から歩くこと約10分、武雄温泉街の中心部にやってきました。ここは重要文化財に指定されている楼門を始め、元湯、蓬莱湯、鷺乃湯といった共同浴場や旅館などが集まっているところです。特に楼門の前を通る県道253号は温泉通りと呼ばれ、昔から賑わっている一角でした。

白さぎ荘はその県道沿いに建っている旅館の一つで、楼門から目と鼻の先にあるのが特徴です。楼門や共同浴場の場所は昔からずっと変わっておらず、この白さぎ荘もまた同様。つまり、武雄温泉の歴史を常に傍らで見てきた旅館だと言えるでしょう。

路地の跡が歩道になっている

駅方面から県道を歩いてくるとまず楼門が目に入り、楼門を通り過ぎて右方向に白さぎ荘が見えます。遠くからでも存在感がある青色の瓦、それに3階建てという独特の外観なので一発で分かるはず。

楼門~白さぎ荘の間は今でこそ道路が大きく拡張されていて、道路の脇にはタクシーが駐停車する用のスペースが広く設けられています。というかこの周辺の交通量がかなり多く、しばらく立ち止まっていても共同浴場に入りに来る客で賑わっていました。

ただ、この白さぎ荘が遊郭だった当時は県道部分に道なんて存在しておらず、すべて建物が建っていたとのことです。現在の白さぎ荘の玄関口は裏口として扱われており、その裏口の前には細い路地のような道が通っていました。

現在でもその名残は一応残っていて、上の写真の歩道がちょうどその道に相当します。楼門方面から白さぎ荘方面に向かって路地が伸びてきて、裏口の前で折れ曲がって左方向へと走っていくような感じ。

建物右側面
複雑な構造となっているのが外観から分かる
建物左側面

旅館正面を見ただけでは全く想像がつかなかったものの、実は白さぎ荘の建物は奥側に長くなっていました。

側面部分に回ってみるとそれがよく理解できて、一様ではない独特の外観のあちこちに窓や雨樋が設けられているのが確認できます。奥へ行くに従って棟も連続的に変化しているようで、その幅や高さも同じものはありません。

いくぶんかは増築の結果によるものだと思うけど、昔ながらの木造の建物を外観だけ近代的にするとこんな感じに見えるのだと思います。確か広島県の一楽旅館も似たような外観でした。

建物裏側(昔の玄関口)
昔の玄関口の右横に飾り窓がある
遊女たちが「張見世」を行っていた、格子のついた窓

そのまま建物の裏手に回ってきました。正面方向と同じく裏手も同じく青い瓦が用いられていて統一感があります。

昔はこちらが大通りで、白さぎ荘への正式な玄関口もこちらにありました。しかし今では大通りは建物左側面の県道に移ったこともあり、人の通りはほぼありません。

昔の玄関口(今では勝手口)の脇には竹が組み込まれた飾り窓や、その右横には格子がついた大きめの窓があります。ご主人によればこれは遊女が張見世を行っていた場所で、つまり自分は当時の客と同じ目線に立っているということになります。ここからお目当ての遊女を選ぶ形式ですね。

外観はこんな感じで、早速正面の玄関口から投宿します。

歴史

屋内の様子を見ていく前に、この白さぎ荘の成り立ちについて軽く説明。

白さぎ荘がこの武雄温泉の地で遊郭の営業を始めたのは昭和のはじめ頃で、当時は「満州楼」という名前でした。

明治時代の写真
大正時代の写真

白さぎ荘には昔の写真が何枚か残されており、これを元にすると説明しやすいのでそうします。

昔の旅館で写真が残っているところは数えるほどしかなく、昔のことを知りたい場合は今残っている内装から判断したり、女将さんやご主人の記憶に頼るしかない部分が多いです。しかし白さぎ荘では写真があるわけで、これが理解を深めるのにとても役立ちました。

上に写っているのが楼門が完成して間もない大正時代の写真で、ちょうど下に見えるのが楼門です。東京駅を設計した辰野金吾の設計で、大正4年(1915年)に建てられました。楼門を中心として、今とは比べ物にならないくらいに全体的に建物が密集しているのが見て取れます。

満州楼はその楼門から左斜め上方向に屋根沿いに移動し、高い木に半分ほど隠れている3階建ての建物です。こんな昔から両者の位置関係が変わっていないのは、やはり良いものだ。

上の写真は昭和10年(1935年)代のもので、蓬莱町(白さぎ荘がある場所、今は武雄町?)の裏通り(今の建物裏手)で撮影されたもの。

道の両脇に人がずらっと並んでいて壮観ですが、並んでいるのは芸者さん達です。最盛期は蓬莱町全体で芸者さんが200~300人ほどもいたそうで、遊郭街としての規模の大きさを伺わせます。

これらは戦後の昭和23年(1948年)の温泉祭りで撮影された写真です。上の方、中央やや右側にある3階建ての建物が満州楼。

写真に写っているのは先程見かけた建物の裏手側にあたるのですが、写真と現代とを比較してみると雰囲気や様相が全然違います。同じなのは建物が建っている場所くらいで、他は何から何まで異なっているので一見すると同じ場所だとは気づかないくらいでした。

昭和の時代には建物の前には立派な門や灯籠、植木などが配置されていて豪華そのものだし、こういう時代に宿泊してみたかった。

その後は売春防止法の施行により赤線が消滅し、「白さぎ荘」として旅館へと転業した後が上の写真です。

見えているのは旅館の正面部分で、玄関が裏手から正面へと今と同じ位置に移ってきているのが見えます。右奥に見える奥側の棟も含めて大枠としては今と大差はなく、白さぎ荘の基本的な建物部分はこの頃にすでに構築されていたわけ。

そして、上に写っているのが昭和39年(1964年)の蓬莱町周辺の区画図の一部を抜粋したものです。赤色で示されているのが白さぎ荘の場所で、その左下方向に伸びているのが先に述べた路地。大正時代の写真で確認した通り、路地の左右にも建物が密集しています。

青色で示されているのが「遊郭から旅館へ転業した店」で、白さぎ荘の周りだけでもなんと14軒もあったというから驚いてしまう。それだけ遊郭が多かったことと同時に、今ではそれらもすでに消えてしまっているという事実に悲しくなりました。特に白さぎ荘の下にある「花月」は数年前までは建物は現存していたものの、今回の訪問時では跡形もなくなっています。


以上が、白さぎ荘に関する簡単な説明でした。

激動の時代を経て今に至っていることは間違いなく、現代でも営業されているというのが個人的には一番嬉しい。特に遊郭の跡って「昔はここに遊郭街がありました」という言葉だけではあまりピンと来ないけど、こういう風に写真や地図で明確に残されていると、否応なしに今現在とのギャップを感じてしまう。

そう思うと、今回無事に泊まれたことにまず感謝したいです。

館内散策

玄関~1階

館内に移動して、宿泊が始まった。

白さぎ荘の客室はすべて2階以上にあり、今回泊まった部屋も2階にあります。まずは1階から見ていくことにしました。

玄関ロビー
フロント

すでに述べた通り、今の玄関口は昔でいう裏口に相当しています。

玄関を入ってすぐ左手に靴箱があり、そのまま先に進むとフロント前がロビーになっていました。ロビーの右側には囲炉裏付きの小部屋が設けられていて、ロビーやこの部屋には昔の写真が飾られています。

そのまま正面に進んだ先に2階への階段があって、階段の手前を右に進めば厨房や中庭へ、左に進めば朝食会場へと行くことができます。つまりチェックインをした後に客が真っ先に向かうのは階段であって、1階には基本的に常時滞在するような設備はありません。

玄関周辺だけを見る限り、昔ながらの遊郭といった雰囲気はあまり感じられないように思えます。

これにはちゃんと理由があって、遊郭から旅館へと転業した際に、時代の流れに適応するためにいくらかの改築をされたとのことでした。ただし大きな改築が行われたのは階段から手前側の部分のみで、逆に言うとそれより向こう側は昔のままの構造が残されています。

食事会場の食堂

朝食会場となっている部屋は相当に広く、おそらくですが宿泊者全員が一堂に会しても余裕で収まるくらいの席数があると思います。

この分だとかつては夕食の提供を行っていたような感じがするものの、今では朝食のみです。

普通なら階段を上がって2階へ向かうところですが、そのまま右側に進んで1階を散策していきます。

フロントへ続く扉の先には少し広めの廊下が奥へ続いていて、その右側には厨房がありました。厨房の広さはこの旅館の広さに見合ったもので、かつてはここで大人数の食事を作っていたんだろうなと思います。

厨房から廊下を挟んで反対側には居間があって、ご主人はもっぱらここで過ごされているようでした。居間は後述する中庭に面しているので、中庭の池にいる鯉の様子も伺いやすくなっています。

白さぎ荘を代表する太鼓橋
太鼓橋に面した中庭の池。鯉が多いです。

そして、その先にあるのが白さぎ荘を代表する太鼓橋です。

まさかの屋内に橋が…!?と自分の目を疑った光景がそこにはあって、廊下の左側にある中庭の池をまたぐ形で上に湾曲した橋がかかっていました。これは「橋のような廊下」というわけではなく、正真正銘の橋です。

橋の欄干にある手すりも1条ではなく2条で、手すりの立板も円錐状の木材を用いた優雅なもの。床板や天井は朱色に塗られていて雅な空気が漂っているし、ここだけまるで別世界のような雰囲気があるのが分かります。

橋という存在は言葉的に「端」にも繋がり、つまり橋を渡ることで今まで自分がいたのとは異なる世界に行けるという意味合いもあります。ここが遊郭であることを考えると、俗世間のことは一旦忘れて良い思いをしましょうねという意図があるのかもしれません。

中庭については、これは外観からでは全く分からない部分の一つじゃないかと思います。庭の部分には灯籠や植物のほかに(なぜか)小便小僧もいて、池はどことなく水路のようなレンガ造りになっている。繰り返しになりますが、この白さぎ荘の内部にこんな素敵な空間が広がっていることは、実際に宿泊してみないと分かりません。

この橋の上を、遊女や芸者と客が一緒に歩いたんだろうな。

太鼓橋を渡って建物奥へと移動。

廊下の正面には先程外観を確認した際に見かけた裏口があり、昔はここが正式な玄関でした。昔の玄関から太鼓橋へは距離がかなり近く、客としては入店すると同時に太鼓橋を渡る形になるようです。

裏口への前には廊下が左右に分かれていて、ここを右へ進むと風呂場と2階への階段がありました。階段はフロントの前にもあるので、1階と2階を行き来する階段は2箇所あることになります。

風呂場の様子はこんな感じで、一度に4人程度は入れるようになっています。

風呂については温度がかなり熱めでした。蛇口?から常にお湯が供給される仕組みになっているようで、放っておくと温度が限りなく高くなってくるみたいです。今の季節はお風呂の準備ができたらすぐに入りに行くほうがいいかもしれません。

2階

フロント前まで戻り、続いては2階へ。

2階へ上がったところ
1階と同じく天井は朱色になっていて鮮やか

2階へ上がってすぐの場所は各方面へ行けるように広けていて、すぐ左手には3階への階段があります。

この階段の敷板や開けた場所の床にはピンク色っぽいカーペットが敷かれているので、(別にそういう意図はないと思うが)どことなく元遊郭の旅館というイメージが感じられました。カーペットの下は元々の木製の床板があると思うけど、古い旅館ではこんな風に上に何か敷がちです。

そのまま正面に向かえば1階と同じく中庭へ面した一角があり、階段手前の左右にはそれぞれ客室が配置されています。現在ではこのあたりの客室に泊まるのが一般的なようで、自分と同じ日に泊まっていた方もこの部屋でした。

2階客室の配置図。中央の階段を上ってきたところ。

2階を散策していく前に、2階客室の配置を示しておきます。

階段を上がって手前側(玄関側)にはかもめ、孔雀、つばめ、うずらの4部屋が、中庭を挟んで反対側にはるり、うぐいす、大広間の3部屋がありました。なお今回自分が泊まったのは、玄関真上にある「うずら」の部屋です。

孔雀の部屋の前の廊下から階段方面を見る
孔雀の部屋
かもめの部屋
天井の意匠

2階の部屋は構造も広さも実に多彩で、宿泊人数や用途に応じた部屋が準備されている印象でした。広縁付きで大人数でも大丈夫な部屋もあれば、床の間付きの二間続きで静かに過ごせそうな部屋もある。

外観と同じく館内についても一様な構造というわけではなく、増改築を繰り返していたらいつの間にかこういう形になったのかもしれません。どの部屋も常に稼働状態にあるようで、布団類等についてはしっかりと準備がされていました。

欄干の意匠

2階の中庭に面している箇所はこのようになっています。

窓がない廊下の右側部分とは対象的に、中庭に面していて日光が入ってくる左側部分との対比が見事。窓にある欄干は1階のそれとは意匠が異なっており、段によって朱色の縦の柱の間隔が異なっていました。また欄干といっても全体的に細い木々で構成されているため、外観上は華奢なイメージを抱かせるのもポイント。力強さとは正反対なこともあって、スマートに仕上がっています。

廊下側から中庭側を見ると、この明暗の差が本当に素敵だ。特にやることもないのにこの場でしばらく佇んでいるくらいでした。

廊下の反対側には1階へ降りる階段と洗面所、それにトイレがあります。

2階に宿泊している場合はこちらの階段を降りて、目の前にある風呂場に向かうことになります。トイレに行くときもほとんどがここを通ることになるので、特に考えなくてもこの空間を意識することになるはず。夜になればこの辺りは灯りが灯るため、歩くにも支障ありません。

中庭の先にあるのは、大広間と2つの客室です。

こうして見ると、客室は中庭を中心にしてほぼ均等に配置されていてバランスがいいです。というかよく考えれば中庭が端っこにあるはずもなく、文字通り旅館の中心にあるため当然と言えば当然。よく考えられているなと思いました。

るりの部屋
大広間
大広間の床は一部が抜けている
うぐいすの部屋

廊下を伝ってこれらの客室にもアクセスできるわけですが、こちら側の客室はもう使われていないようです。

中に入らなくてもそれはよく理解できて、大広間に至っては畳が上げられていて床板が丸見えになっている状態。床板そのものも劣化が激しいようです。

現在はご主人一人でこの広い旅館を管理されているわけで、すべての客室を万全の状態で維持していくのは無理な話。今では2階玄関側の数部屋のみを主に開放していて、大広間等は朽ちるに任せているっぽい。

洗濯物干し場
大広間の前の廊下から中庭~玄関方面を見る

うぐいすの客室前まで歩いてきて振り返ったのが上の写真で、廊下の途中に鍵付きの戸があります。

そのまま目線を右側に移すと中庭の横が1階の屋根になっていて(2階部分がない)、その上に設けられているのは洗濯物干し場でした。実際にご主人がここで洗濯物を干している様子を見たし、他に洗濯物を干せるようなところもないのでここに作ったんだと思います。

廊下から向こう側を見てみると、中庭の奥に3階部分が見えました。こちら側の棟には1階と2階のみとなっているのに対して、1階~2階~3階への階段がある棟には3階部分があります。昔の写真を見た限りでは全域が木造3階だったと思ったけど、どこかの時期で一部を2階にしたんだろうと思います。

泊まった部屋

今回泊まった部屋は、2階の玄関側に位置する「うずら」の部屋です。

入り口
うずらの部屋
入り口側
とても古いエアコン
脱出用のロープ

広さとしては6畳で、ちょうど真ん中に位置しているため窓は前方の一つのみ。両側は壁になっています。部屋の設備は浴衣、歯ブラシ、エアコン、テレビ、冷蔵庫、ポットがあり、長期滞在でも全く問題なし。

ここだけ切り取ると一般的な旅館のように思えますが、この部屋の本当の姿は窓方向から振り返った入り口側にありました。入ってすぐの畳の部屋だけでなく、なんとその手前側に洗面所やトイレ、寝室が併設されてるんです。

こちらがその洗面所とトイレで、部屋に入ったときの印象だとこの和室のみだろうと思っていたのが予想外の展開。2階でこのような構造になっているのはどうやらこの部屋だけらしく、他の客室では一般的な旅館同様に、和室が一部屋のみという形式でした。

部屋の中で生活が完結するため部屋を出る必要がなく、特に用事がない限り部屋でゴロゴロすることができます。例えばホテルなんかではこの形式は今では当然だけど、昔から部屋が特に変わっていないと考えれば先進的だと思いました。

そういえばご主人の話を振り返ると、玄関正面の階段から手前は大幅な改築を行ったということでした。その際にこの部屋も大きく様変わりしたのかもしれません。

寝室。木製のベッドが心地よかった

そして、短めの廊下を進んだ先には寝室がありました。

客室は和室だけだろうと思っていたら近代的な洗面所とトイレが併設されていたし、寝室も何かしら一工夫ありそうだなと思っていたらベッドが登場してきたので驚いてしまった。客室は和風で寝室は洋風、でも敷かれているのは敷布団に掛け布団。このギャップがたまらない。

この寝室には大きなベッドがドンと置かれており、このベッド以外に特にモノは置かれていません。見ての通り完全に寝るためだけの部屋になっています。

入り口を含めた4面が壁に囲まれていて窓が一切なく、つまり余計な光が入ってこないので寝やすい環境といえます。今で言うビジネスホテルの先駆けのようなものかも。

部屋からの眺め

和室に戻ってきてお茶を入れ、今日一日を振り返りながら一息つく。

ふと思い立って部屋の窓を開けて外を眺めてみた結果、何も遮るものがない景色の向こうに楼門が見えました。

白さぎ荘と楼門の位置関係は昔から変わっていないものの、その周辺の景観はもう面影もないくらいに一変している。そういうお話を伺った後にこの風景を見てみると個人的に思うものがありました。昔この部屋に泊まった客も、たぶん自分と同じように窓を開けて楼門を見ていたんだろうと思う。

3階

最後は、階段を上がって3階を散策しました。

今自分がいる棟にしか3階は存在せず、つまり3階への階段もここにしかありません。

階段を上がって左側には客室が3部屋あって、逆に右側へ向かうと廊下に面した窓や洗面所、トイレがあります。

こうしてみると、各階に洗面所とトイレがあるのは宿泊する上でかなり便利だと思いました。自分が泊まっている部屋は例外にしても、特に木造3階に水の設備を設けるのは配管等が大変になるはずです。

まずは一番右の部屋から見ていきました。

こちらの部屋は踏み込みの向こうに3畳の和室があり、その右側には寝室が、左側には洗面所とトイレがあります。配置は違えど「うずら」の部屋と同様に滞在する上で便利な構成で、奥に見えるベッドや窓側で傾斜した天井など、どことなく秘密基地感のある部屋という印象でした。

また、こちらの部屋は旅館の左側面に面しているので窓が大きくとってあります。

続いてはその左側の部屋へ入ってみたところ、ここは横にとても長い広間のようになっていました。なお部屋への入り口は二箇所あって、どちらもこの部屋に通じています。

広縁も一般的なそれとは比較にならないくらいに広く、広縁というよりはもう一つの部屋のような感じ。これだけ広ければ何人でも問題なく寛げそうです。

階段横にある客室は一人用にちょうどいい6畳間でした。布団も同じ部屋に置かれていて、テレビとの位置関係も理想的。個人的にはこれくらいの広さが一番落ち着きます。

以上をまとめてみると、白さぎ荘には異なる広さの客室が整備されており、宿泊する人数に応じた部屋割りが可能ということ。遊郭として営業していた頃は一人客がメインだったと思われますが、旅館として営業する場合は小部屋ばかりでは難しい。転業されてからの一連の改装の歴史が感じられたような気がします。

階段がある場所まで戻って、今度は反対側へ。

トイレの入口にある「お手あらゐ」の文字が書かれた電灯に歴史を感じる。いずれもこじんまりとしており、この空間に納めるために小規模にまとめているようです。

トイレの奥には小さな階段があり、ここを下れば2階(1階も?)へ降りられるようでした。

廊下の窓から外を見た様子はこちら。

正面に見えるのが大広間等がある棟で、左下に見えるのが洗濯物干し場です。眼下には中庭に植えられている植物が茂っている様子が見えて、上から見るとこんなに緑で溢れていたんだ…と驚きました。この植物の葉の間を通ってきた日光が、2階の廊下や1階の太鼓橋から見る風景に降り注ぐ形ですね。

中庭は4方の壁に完全に囲まれているため、外からその存在を知ることはできません。こういうのもなんか隠し要素的な感じで個人的には好き。宿泊者しか見ることのできない風景を、今自分は見れているのだから。

夜の時間~朝食

さて、これで白さぎ荘の館内の散策はすべて終了。

夕食は近くのお店で適当に済ませ、帰ってきてからは風呂に入って部屋でゴロゴロしたり、灯りに照らされる館内を歩いたりしてました。白さぎ荘からちょっと歩くと飲み屋街があるので、食べる場所には特に困りません。

自然光がメインな昼間と異なり、電灯が支配する夜の時間もまた趣があって良いです。

遊郭だった頃は灯りは非常に限られていて、暗くなれば寝るのが普通だった。それに対して現代では、暗さを特に気にせずに行動することができる。

今自分がいるのは昔の建物だけど、遊郭から旅館になって現代まで残っている。そういった時代、周辺地域、建物の外観、内装…といった要素について、昔と現在を対比して考えることが滞在中は多かったと思います。古い旅館に宿泊すれば自然とそういう思考になるのが常ですが、元遊郭旅館である白さぎ荘ではなおさら。

そんなことを考えながら布団に入っていたら、いつの間にか眠りについていた。


翌朝。

今日はもう予定もないので、遅い時間に目が覚めました。階下ではすでに別の宿泊者が朝食を頂いているようで、その音が聞こえてきます。自分は朝食の時間を8時にお願いしたので、布団から這い出るのはもう少し後。

旅館というものはどこも居心地が良すぎて、いつまでも惰眠をむさぼっていたくなる。

朝食の内容はこんな感じで、食欲が出る献立であることは山盛りになったご飯を見てもらえば分かると思います。

なんだろう、旅館の朝食っておかずの一品一品はシンプルなはずなのに、その品数が多くなると途端におかずとしてのパワーが何倍にも増幅される気がする。普段は少食なのに宿泊先では大食らいになるし、旅館での宿泊は健康に良いという説を推していきたい。

歴史ある武雄温泉楼門
楼門の上から白さぎ荘を望む

最後は楼門を訪問し、武雄温泉を後にしました。

楼門からは昔と変わらず白さぎ荘が見える。両者の位置関係は、今後もずっと変わらないでほしい。楼門には遊郭時代と同じように、この先も白さぎ荘を見守っていてほしいと思います。

ただ、ご主人にお話を伺ったときに仰った言葉が強く印象に残りました。

「遊郭時代からたった50年で遊郭の面影がなくなってしまうくらいに武雄温泉は変化したのだから、50年後は白さぎ荘も跡形もなくなってしまうだろう」という言葉。ご主人の代でこの白さぎ荘は閉めてしまうため、何も言えず悲しい気持ちになりました。

おわりに

白さぎ荘は、武雄温泉に唯一残る元遊郭旅館です。1階の太鼓橋をはじめ館内には遊郭時代を感じさせる風景が今もそのまま保存されており、旅館になった今でもそれは変わりません。

武雄温泉自体が賑やかというよりは落ち着いた静かな佇まいがあり、その歴史も相まって平穏な滞在が満喫できるはずです。当時の写真を見ながら、昔の客が泊まった部屋に自分も泊まりながら、かつての時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

おしまい。

白さぎ荘 | 泊まる - 武雄市観光協会

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