自分が元遊郭旅館を巡りはじめてまだそれほど日は経っていませんが、その中でも当初からずっと泊まりたいと計画していた宿があります。元遊郭旅館として抜群の知名度を誇るだけでなく、今なお残る木造建築の旅館としても魅力的なところ。
それが、青森県八戸市にある新むつ旅館です。
個人的に温めてきた行程がようやく実行できたということで、この旅館の宿泊記録を残します。
歴史と外観
最初に、この新むつ旅館を含む小中野新地の歴史について軽く説明。
小中野に遊郭ができたのは江戸時代の1850年頃とされており、小中野向かいの湊川(八戸)港に停泊した船夫達の世話をする洗濯娘が遊女になったのがはじまり。当時は長距離の物資の運搬には船が用いられていたため、船が集まる場所、つまり物流の拠点である船着き場が大いに賑わっていたことは容易に想像がつきますが、そういう場所には自然と花街が形成されていったようです。この江戸時代は小中野新地にほど近い、小中野新丁に遊郭がありました。
現在の小中野新地に遊郭が開設されたのは明治28年のこと。その3年後である明治31年には八戸警察署が貸座敷として「新陸奥楼」を認可し、翌明治32年5月には棚上げ、7月からは営業を始めています。貸座敷というのは遊女屋の別名みたいなもので、娼妓が営業するための座敷を貸すものとしてこう呼ばれていました。
つまり現存する新むつ旅館の原型はここにあって、この時代の建物が当時から残っているというわけです。大正14年に約400軒が消失した小中野大火でも新陸奥楼は焼けずに残っており、今日にその姿が拝めるのは強運もあったのかもしれません。
そして戦後である昭和33年には現在の「新むつ旅館」に改業し、玄関周りを改装して今に至ります。
まずは外観から。
遊郭として栄えていた頃の小中野の面影は現代ではほとんど残されておらず、この新むつ旅館だけがまるで時代が止まったかのようにひっそりと佇んでいました。
こんな風にかつての通りがそのまま道路になっているくらいしか、小中野新地の跡地の痕跡が見当たらない。でもその道幅は異常に広くて、ここには貸座敷群が軒を連ねていたんだろうなという想像はしやすかったです。
上の写真において向かって右側にあった貸座敷群は、戦時中に空襲の火除地として取り壊されています。これは近くを流れている新井田川に近い側ということで、逆に新むつ旅館を含めた通りの左側はそっくり戦後まで残されました。
正面から見ただけでも一種の重苦しさを感じさせるような厚みのある木造建築で、1階部分の格子窓や2階の雨戸が視認できました。庇の張り出し具合も含めて、木造建築ならではの重厚感が全体に漂っているのが実感できる。
あとは内部構造の影響だと思いますが、玄関の位置が建物の中央部ではなく、微妙に右に寄っているのが不思議でした。
鼻隠しとは、軒先の先端部(鼻)を隠す意味で取り付けられる板材のこと。
板材という風に通常ならば横板が用いられるのですが、新むつ旅館の鼻隠しは「七宝」と「鱗紋」という2つの意匠が凝られています。写真に見えているのが七宝で、木材の断面がまるで吉祥文様に見えるかのように複雑に組み合わされていました。ここだけを造るのにも多大な作業量になるだろうし、内部構造も含めて当時の職人さんの遊び心が伺えます。
そして、玄関をと開けていよいよ屋内へ。ここで女将さんが奥から出てこられ、館内の一通りの説明を受けました。
実はこの女将さんがめちゃくちゃ素敵な方でした。館内の説明や新むつ旅館の出来事などを詳しく教えてくれるし、こちらから話すときも自分でも驚くくらいにスラスラと言葉が出てきて、なんというか非常に話しやすいお方。
新むつ旅館の魅力はこの建物自体のものがベースとして存在する一方で、女将さんの朗らかさが占める割合がとても大きいと思います。女将さんと話したいから再訪するという人がいるのも納得しました。
玄関横には新むつ旅館の展示があり、ここを眺めるだけで新むつ旅館のことがだいたい分かります。新むつ旅館は宿泊だけでなく日中の見学も受け付けているそうなので、そのための資料を兼ねているのかもしれません。
その中で工事のことが触れられており、それについて補足がてらに一応書くことにすると、新むつ旅館は今までに土台と玄関内側の2回の修復工事を行っています。歴史が歴史なだけに当然といえば当然なんですけど、建物が相当古くなっているために大規模な修復が必要になっていたということです。
時期は未定ですが、残すところ最後の工事となる玄関庇の修復を行うことになっています。既に行った2回の修復と同じようにとんでもない金額がかかるので、自分も心ばかりの寄付をしました。
いつかは玄関先を当時提灯でやったようにライトアップしたいとは女将さんの談ですが、それが実現できることを願ってやみません。
館内散策
1階
その後はお部屋に案内していただき、完全に自由な時間となったところで散策を始めていくことに。
この日の宿泊者はなんと自分一人だけということで、文字通りこの新むつ旅館を独占できる。電話予約したときは「有名な宿だし部屋が空いてればいいな」程度に考えていたのに、これほどまでに滞在に好都合なシチュエーションになっているなんて想像できなかった。
玄関土間から一段上がった先にあるのが帳場で、2階の空間とは吹き抜けで繋がっています。
ここの雰囲気が自分はとても好きで、どれくらい好きになったのかというと、意味もなくここへ来て階段の一段に座り、上を眺めて時を過ごしたのが滞在中で一度や二度ではないくらい。
帳場といえば客が記帳をする場所ですが、色々なものが床や壁に展示されていて視界内が非常に忙しく、あっちへこっちへと目移りしてしまう。置かれているものはピアノや神棚、写真や絵画などなど多岐に渡り、すぐ横の机には新むつ旅館に関する資料が並べられています。
帳場はほぼ外からの日光によって明るさを得ており、時間に応じて明暗の程度が変化していくのが素敵です。例えば朝早いタイミングだったら朝日で神棚が照らされていたり、逆に夕方に近づいてくると全体的に暗くなってきたりと、その都度受ける印象が異なっていく。
そして、この空間内において最も目を引くのが2階へ通じるY字階段。
踊り場を介してその先の階段が二股に別れており、客は2階にある客室(玄関側3部屋、奥側4部屋)へと入っていくことになる。それらの回廊はちょうどY字階段の上に見える空中回廊にて繋がっており、行き来が可能です。
この階段の雰囲気がとても良くて、ふとすれば階段をゆっくりと下りてくる遊女の姿が見えてくるような気がしてくる。
木造で斜度が急というだけでも好きな部類に入るけど、それぞれの客室に行きやすくなっているというのがなおさら良い。考えるまでもなく往来のしやすさに特化していて、客と遊女がスムーズに部屋に行けるようにという意図があったのかもしれない。
かつては帳場だったところには椅子と机があって、椅子の方はいつも女将さんが座ってました。
ここには新むつ旅館に関する資料や新聞記事のほか、八戸の観光案内等も多く置かれています。なので、自分もまず最初にここで色々情報収集をちょこっとしました。まあ女将さんに話を伺った方が手っ取り早いので、最初からそうする方がいいかも。
帳場から隣の居間に移動すると、なかなか興味深いものが多数ありました。
窓際に置かれていたこの金精様は見ての通り男性器…なんですが、驚いたのはその使い方。てっきり大人の玩具的な用途かと思いきや、客がいないときに遊女がこれに紐をつけ、廊下を転がして館内を歩きまわっていたとのこと。これには「客が来るように」という願掛けの意味合いがあったそうです。
形が統一されているようなものではなくて、太いものもあれば細くて長いものもあるのがなんかリアル。
続いては、帳場で用いられていた遊客帳。現物が残っているのは貴重そのものなんですけど、こんなに無造作に置かれているのが驚きでした。
ここには現代でいう宿帳と比べて異なる点があって、それは客の特徴が書かれていること。客が訪問した日時や利用金額、名前や住所のほかに風体が細かに記載されており、身長や肉付き(中肉とか書いてある)、髪の長さなんかもあります。ちなみに、一番下の「相方」は客の相手をした娼妓の名前です。
これらを記載しているのは何故かというと、警察に見せるため。
遊郭を利用する客は荒くれ者が多く、とかく客同士等でのトラブルはつきものでした。なので、もしものときのために客の特徴を記録し、情報提供するために記載されています。一番上の欄外に押されている朱印は、警察が確認したときに押したもの。
そして、個人的に一番鮮明に思えたのがこの古写真でした。
撮られた時代が時代なので色は当然白黒なものの、それが白黒とは思えないくらいに瑞々しさで溢れている。ポーズを取っている人もいれば、日常の一瞬を切り取ったようなものもあった。写真というものは確かに一瞬の時間を切り取るものなんだけど、こうして実在した人のありのままが写真に撮られていて、それが現存しているというのがもう凄いことじゃないでしょうか。
昭和33年を堺にして遊郭から旅館に転業したところは数多い一方で、その記録が残っているのかというと決して多くはありません。単に古いものだからというだけでなく、様々な理由から昔は遊郭だったという歴史を封印せざるをえなくなった場所もあるからです。そんな中で、現役で働かれていたときの様子をこうして鮮明に見ることができるというのは、なんかもう感謝しかない。
居間から玄関側に移動した先には、一段高くなったこじんまりとした部屋がある。
ここは通りに張り出た上見世と呼ばれる遊郭特有の部屋で、その名の通り格子の中の遊女を「世間」に「見せ」ることに由来しています。この部屋の高さは「通りに立っている客の目線の高さ」=「上見世に座っている遊女の目線の高さ」になるように調節されており、遊女側は座って対応する形になります。
客はこの格子窓越しに中にいる遊女を確認し、良さそうな子がいれば中に入って事に及ぶというシステム。現在の風俗みたいに写真を見て選ぶ形ではなく本人がすぐそこにいるので、指名したら写真とは似ても似つかぬ子が来たという悲劇にはなりません。
ちなみに、玄関を挟んで反対側には元「下見世」の部屋があるのですが、ここは今ではトイレになっています。
2階
1階部分の散策はあらかた終わったので、さっきのY字階段を上って2階へ。
階段の手すりはステップ部分とは独立していて、柱の間に通された斜めの板に沿って手すりが走っているのが分かります。
柱の形も非常に凝った形になっており、円形断面が連続的に変化していく様子は加工がとても大変そう。ですが手すりも含めて少々力をかけたくらいではびくともせず、強度もしっかりあります。
ステップ部分は一段歩くごとにギシギシときしんでいて、床材が鳴っている音が結構心地よい感じ。しかも足が乗る部分は他と比べて色が剥げており、過去から現在まで、数え切れないくらい大勢の人が上り下りしたことを物語っていました。
階段を上がったすぐ脇には反対側の回廊へと渡る空中回廊があり、階段側の手すりは若干丸みを帯びるように組まれています。反対側の手すりには竹が使われており、その特徴の通り一直線に渡っているのですっきり感を感じられました。
今回泊まったのは、Y字階段を上がって建物奥側に位置する六番座敷と七番座敷です。
この新むつ旅館には2階に一番から八番まで(四番は忌み番で存在しない)の合計7箇所の座敷があって、それぞれの詳細は以下の通り。
- 一番:10畳。表通り(階段上がって右)に面している。
- 二番:同上。
- 三番:6畳。吹き抜け横に位置する。
- 五番:同上。
- 六番:8畳。建物奥側(階段上がって左)に位置する。
- 七番:6畳。建物奥側に位置する。
- 八番:6畳。建物奥側に位置する。現在では布団置き場になっている。
一番・二番と六番・七番はそれぞれが二間続きになっており、つまり現状で泊まることができるのは一日で最大4組とのこと。
女将さんによれば、今回泊まった六番座敷と七番座敷は新むつ旅館で一番格式が高い部屋とのことで、この部屋をあてがっていただいて感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。
二間続きの客室というだけで、そこには確かな安らぎが与えられるもの。
就寝時に布団に潜り込む部屋に加え、それ以外の時間を過ごすための部屋が別途あるというのは滞在する上でかなり重要なウェイトを占める。単純に自分の行動範囲を広く持つことができる上に、長手方向に見通しがいいので閉塞感を感じずに過ごすことが可能。
ましてや襖のみで仕切られたこの座敷の風通しの良さは想像以上。今日は自分ひとりの貸切という点を考慮すると、引け目なく襖を開放してぶち抜きの景色を眺めることができる。
せっかくなので他の客室も見せてもらうことにしました。
まず最初に訪れたのは、通り側吹き抜け部の隣に位置する三番座敷。壁の向こうにある五番座敷と同様に6畳の広さで、一人で宿泊するという場合ならちょうどいいこじんまり感がある。
遊郭でのひとときは最初は大広間で宴会をし、盛り上がったところで各座敷に移動して遊女と夜をともにするというのが思い描く有様といえますが、そうなると、新むつ旅館に2箇所存在する二間続きの座敷がその大広間だったのかもしれない。
そして、新むつ旅館で最も広い座敷である一番・二番座敷の居心地の良さはまたひとしおだった。通りに面しているだけあって採光も十二分で、障子戸をフルオープンにしていると特に明るさを感じられる。
さっきの理屈でいくとかつてはここで宴会をしていて、おそらくだが客や芸妓、娼妓たちが大人数で盛り上がっていたのだろうと想像してみたりもした。飾ってある着物や床の間の造りなども見ても豪華な雰囲気は伝わってくるけど、目の前に広がっている広々とした空間を眺めているとその有様が浮かんでくるようで、なんか儚い。
こちら側も六番・七番座敷と同じように、窓際には遊女たちが通る細い廊下があります。
個人的にはこの細い廊下の狭さが結構気に入ってて、特に座るところではないのにも関わらずふと座ってみたりもしてました。座敷の広さとは裏腹に、あくまで遊郭側の通路は非常に狭い。
ところで、新むつ旅館は旅館として営業を続けていく中で適度に近代化されてはいるものの、その程度が実に良い塩梅です。
消防法とかの法律を満たすように必要最低限が電化されていたりするだけで、基本的な構造だったり内装はそのまま残しているのが非常に好感が持てる。古い建物を旅館化する際には必然的にリフォームをすることになるのですが、昔の雰囲気をそのまま保っているのが凄いです。座敷の設備についても新しすぎないものになっていて、パッと見だと完全に溶け込んでいて風景に違和感がない。
歴史のある旅館という風に古さを推す旅館とは言え、どこもかしこも古いままがベストとは言えないこの現代において、まさに古さと新しさの均衡がとれた旅館だと感じました。
実は階段は特徴的なY字階段だけではなくて、七番座敷の裏側に1階の仏間前に通じる急な別の階段があります。
細い廊下の途中にいきなり登場する異質な階段で、下りた先がいきなり壁になっているので常用するのは大変かもしれません。
これは消防法の関係で後付されたもので、最初は無かったんだそうです。消防法によれば階段は2箇所以上必要となっていて、確かに有事の際に階段があそこだけというのはちょっと怖いものがある。ちなみに階段の目の前には仏間があって、そこに至る廊下には浴衣が干されていて生活感がありました。
仏間の前から建物奥側に直進するともう一つの棟があり、こちらは女将さん達が暮らす場所になっています。
1階部分はお風呂や洗面所に厨房、そして食堂があり、2階は居室になっている様子。この棟についても旅館側と同様に昔は古い建物だったと考えられ、もしかしたら食堂や厨房の場所も同じだったのかもしれません。
お風呂から上がったときにはもう夕方を通り越して夜になっていた。
というか、昼間とは違って夜になるともう明かりって人工的なものしかない。なので昼間の自然光の温かみとは異なっていて、夜に目にする「明るさ」にはどうしても人という存在が介入してくる。ましてやここは遊郭。電灯に照らされる廊下の照かりが、遊郭における夜の長さを無言で語りかけてくるようだった。
帳場を照らす天窓。
天窓からは鎖が垂れ下がってきていて空中回廊の手すりに結び付けられているが、これは戦時中に光漏れを防ぐための暗幕の開け閉めに使用されたものです。
自分が泊まっている六番座敷の明かりだけ光のホワイトバランスが微妙に異なっていて暖色系なので、なおさら座敷の存在感が強調されている。
改めて部屋に戻り、部屋の中にある展示を見渡してみる。
明日の予定をどうしようかと考える前に、この宿のことをもっと知りたいという欲求の方が強まってくるから不思議。
面白かったのが、土蔵を解体したときに大工の墨書。これには大工の棟梁や娼妓、それに女将さん達の名前など、当時の遊郭に関わった人々の名前が記されていた。他にも貸座敷遊興料なるものも書かれていて、要は一時間○○円ってやつ。
これらの展示がめちゃくちゃ無造作に置かれているので、よくよく近寄ってみてはじめてその貴重さに気づくことが多かった。1階の遊客帳もそうだし、とにかく全体的に見どころが多すぎる。
夕食~夜
夕食は食堂でいただきます。
食事はすぐ横にある厨房で女将さんがリアルタイムで調理してくれて、できたてを机に運んでからいただく形。
内容はというと実に家庭的かつ素朴な献立で、その優しい味付けはいただいているうちに心が休まってくるほど。これに日本酒をセットで味わうとあっという間に酔いが回ってしまって自分でも意外でした。
そして、食事と並行して女将さん(川村紅美子さん)とあれこれお話をしました。
自分からは出身地だとか今回の旅の目的だとかを話し、逆に女将さんからはここに嫁いできたときのこととか、この周辺のおすすめスポットなどを伺うことができて本当に楽しい。女将さんは話し上手な面が強くて会話が盛り上がり、自分からもかなり話しやすかったです。
旅館を運営される側として、嫁いでこられた昭和37年からの時代の流れを体験してきた方のお話を直接伺えたのは本当に素敵な体験でした。
食後はというと、旅館の外をふらふら散策するのと並行して夜景撮影タイムに突入。
夜の新むつ旅館のなんと美しいことか。これほどまでに、明かりに照らされる旅館を美しく思ったことは今までにないとさえ思った。
建物全体が柔らかい光を背景に浮かび上がるようにして強調されていて、そこにはもう令和3年の雰囲気はどこにもない。本当にこの一角だけが昭和や大正、そして明治の時代に在るかのようなほどの存在感だった。
遊郭の朝
翌朝。
遊郭の朝に似つかわしくないほど早い時間に目が覚め、時間を確認してみると朝の6時過ぎ。
なぜこんな時間に起きたのかというともちろん理由があって、「日本一の朝市」と呼ばれる館鼻岸壁朝市に行くためです。
なんでもこの朝市は新むつ旅館から1.5kmほど離れたところにある岸壁で開催されており、日の出とともに始まるという話。八戸の朝を味わいたいのならここに行くのがいいと昨晩女将さんにおすすめいただいたので、早起きして行ってみることにしました。
館内はまさに静まり返っており、この遊郭の朝が始まるのはもう少し後のようだ。そんな中で、自分だけが起きて行動しているという現実がなんだか不思議だった。
朝早い時間なので女将さんはまだ起きておらず、その時のために扉の開け方を昨晩のうちにご教示いただいていた。
玄関は今では普通な鍵方式ではなくつっかえ棒が挟まれていて、これを外せば開けることができます。このあたりも、昔の方式を大事にしている様子が伺えて嬉しい感じ。
そして想定通りに朝市を満喫してから帰還。
朝食の時間までに戻ってきてねーと言われていたので、ちょうどいいタイミングで旅館に帰還。朝市で食事をとるのもいいが、今回はやはり新むつ旅館の朝食を味わうのがマストだ。
朝食もまたしんみりとした献立で、これをいただいたら出立しなければならないため必然的に悲しい気持ちになってしまう。連泊ならまだしも、やはり魅力的な宿に一泊しかないのはとても短い。
そして、女将さんにご挨拶をして旅館を後にしました。
元遊郭旅館と、優しい女将さん。それらが合わさった新むつ旅館でのひとときは、決して一般的な旅館では味わえない素敵な一夜となりました。
おしまい。
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