今回泊まったのは、日本仏教三大霊山の一つである山梨県 身延山にあるいさご屋旅館です。
身延山といえば修行で有名な地であり、朝早くからお参りして法華経を唱える「朝勤」が体験できたりもします。霊山ということで修行に訪れる方は多く、そういった方のために身延山周辺には身延山指定旅館という旅館がいくつかあって、このいさご屋旅館もその一つ。
ただし身延山久遠寺へ続く参道沿いにある目立つ旅館…というわけではなく、参道の脇にひっそりと建っていたのが印象的でした。
遊郭建築の建物
いさご屋旅館は木造3階建ての造りで、外壁は旅館には珍しいピンク色になっています。
これにはある種の背景が関係していて、いさご屋旅館は遊郭だった建物を移築してきた旅館。なので全体的な構造は遊郭建築そのままが残っていて貴重なのです。
以下、女将さんに伺ったお話。
- もともとこの地にも旅館はあったが火災で消失し、富士宮にあった遊郭を移築した。身延山の近くの旅館ということで、修行者のために急いで再建する必要があった。
- 富士宮には当時遊郭が3件あったが、そのうちの2件は消失。残った1件がここに移築されている。
- 鬼滅の刃で遊郭が舞台になり、ブームらしく最近は泊まる人が多い。あと水商売系の人も多くて遊郭に興味がある人も泊まっている。
鬼滅の刃が一種の転換点になっているようで、ここに限らず今まで泊まってきた元遊郭旅館も、最近は若い人が泊まるようになっているという話を伺ったことがあります。旅館というものは泊まる人がいなくなれば立ち行かなくなってしまうので、どのような形でも多くの人に知ってもらえているというのは嬉しい。
1階~2階
ロードバイクは駐車場の奥に止めさせてもらい、早速投宿します。
玄関はかなり広く、靴箱が玄関の両側にありました。身延山の修行者は団体で訪れることが多く、その分だけ広く造っていると思われます。
玄関入って真正面に2階への階段があり、右手には居間や厨房が、左手奥にはお風呂場がありました。
1階には基本的にお風呂場しかなく、宿泊者は靴を脱いでから2階以上に直行する形になっています。団体の食事会場である大広間も2階にあり、1階ではありません。
階段を上がった先の2階には大広間や洗面所、それに2階の客室があります。
客室については、現代ではほとんどの客を2階に泊めているそうで、和室でなく洋室の部屋もあるとのことでした。修行者は高齢の方が多く、確かに3階の客室に泊まった場合は上り下りするのが大変。この日は自分以外の宿泊者が8名ほどいましたが全員が高齢者で、予想通り全員が2階の客室に泊まってました。また、修行者の方には身延山への送迎も行っているようです。
2階の旅館中央にある大広間はかなりの広さを誇っていて、主に昼食会や宴会で使用されているとのこと。ここでちらっと旅館の方のブログを拝見すると、どうやらいさご屋旅館は身延山関連の弁当の仕出しが大きな柱になっているようです。なので仕出しをメインでやりつつ、並行して旅館業もされているという形。柱が2本あるのは事業として重要だなと感じました。
仕出しをされているということは、料理の方は期待していいのでは…と思っていたのですが、案の定めちゃくちゃ美味しかったです(後述)。
客の動線はというと、1階から2階への階段の背後に廊下が続いています。※2階の客室は洗面所隣の短い廊下を渡っていった先にあるようですが確認していません。
廊下の先には小さな売店があり、その手前で直角に折れ曲がっている廊下の先に3階への階段がありました。また、この階段の付近にもいくつか部屋があったものの、一時的な物置として使われているようです。ある部屋にはビール瓶が大量に並べられていたりもしました。
さらに奥には1階と2階を結ぶもう一つの階段があり、こちらは従業員専用となっています。位置的にはおそらく厨房と繋がっていて、大広間や客室に料理を持っていく際にはこちらを使っているようです。
3階
ここまで1階や2階を見てきましたが、今回私が泊まるのは3階。これは予め電話予約の際に、3階に泊まりたいんですけど…とお願いしておきました。
1階や2階はある程度の改装を経て近代的になっているところもありますが、3階については1階や2階よりは手が入っておらず、移築されたときの雰囲気が色濃く残っています。なので、なるべく古いところに泊まりたいという場合は予約の際に伝えておくのがいいと思います。
3階は階段を上がった先、旅館の中央に廊下が通っており、客室はその左右に配置されています。客室は1番から7番まであって、その内訳は以下の通り。
- 5番…今回泊まった部屋。3階で一番古い(最低限しか近代化されていない)。
- 1番…同じく古い部屋で、通りに面している。
- 2番…比較的新しい。
- 3番…比較的新しい。
- 7番…参道方向に面した客室で、二間続きになっている。
4番がないのは忌み数回避のためだと分かりますが、6番もないのはかなり不思議でした。何かの意味があるのでしょうか。
5番の客室は一人で泊まるにちょうど良いくらいの広さですが、床の間を備えていたり天井が竹でできていたりと特別な造りになっているのが分かります。
移築される前はここで遊郭の業務が行われていた…かどうかはわかりませんが、全体的に広すぎない程度の客室がいくつもあることからたぶんそうなんだと思います。
廊下と客室との境界は障子戸で区切られており、これもたぶん当時のままっぽい。
一応ネジ式の鍵がついていましたが、この日は自分以外に3階に泊まる人がいなかったことから結局使いませんでした。
さらには廊下に面した壁の一部が飾り窓になっていて、客室側と廊下側でそれぞれ模様が異なっているのも素敵。これのおかげで部屋が暗くても廊下の明かりが仄かに入ってきたりして、どことなく普通の旅館とは異なった雰囲気を感じられました。
あ、ここで遊郭とは全然関係ない話をすると、冬の旅館で炬燵を出してくれるところって間違いがないです。
確かにエアコンだけでも寒さは十分にしのげますが、炬燵の根源的なぬくもりとはまた異なる。それでいて炬燵は入ってるうちにそのまま寝ることもできるし、今回の場合はすぐそばに布団がすでに敷かれているしで最高でした。
部屋の炬燵でぬくぬくしながらまったりと過ごす。冬の旅にはやはりこれが外せない。
その他の客室については上の写真の通り。
特に7号の客室は二間続きなので大人数でも問題なく泊まれると思います。あと入り口がここだけ開き戸になっていて、開き戸は2箇所あるのに中で部屋が繋がっているというのが特殊でした。内装は5号の客室以外は比較的新しめですが、7号はそこまで近代化されていません。
また、通りに面した客室からは通りや身延山方面が一望できました。
3階建てなだけに高度感はかなりのもので、意味もなくここから旅館前の通りを眺めて思いに浸るという体験もできます。周辺には背の高い建物が少ないので比較的遠くまで見通せるというのも良い。
あとは、洗面所やトイレは3階にちゃんと備えられているので2階へ降りたりする必要はないです。しかもかなり最新式のもので憂うことはなし。
ほとんどの客は2階に泊まるだろうと当初は考えており、3階は客室しか存在しないのかなと思っていたのですが、案外そうでもなかった。ここまで設備に力を入れているところを見ると、3階にも普通に泊まる人が多いみたいです。
食事
食事については、夕食・朝食いずれも部屋出し。部屋で待っていれば1階から持ってきてくれますが、そこそこ急な階段を3階まで上ってくるのは大変じゃなかろうかと思わざるをえない。
なお、飲み物の注文などは客室にある電話で1階に電話する形になっています。
食事は地元の食材をふんだんに使用した豪華な内容で、豆から作ったポタージュや湯葉、地豚などあっさりとしたものばかり。どれも美味しくて食が進みました。
しかも、これだけの食事を炬燵に入りながらいただけるというのが最高すぎる。例えばどこかの広間に案内されての食事なら流石に炬燵はないだろうし、部屋に炬燵がある客室に部屋出しで持ってきてくれる形式だからこその体験といえる。
食事をしている最中には何度か部屋の中を見渡してみたけど、最初は少々手狭だと思っていた5番の客室がとても居心地良く感じました。布団+炬燵+αをセットになったときの部屋の広さが本当にちょうどよくて、静かな時間を過ごすにはこれ以上ない空間という感じ。眠くなったらそのまま布団に横になれるし、もし次泊まることがあっても自分はまた5番の客室を指定すると思う。
なお、翌朝の朝食には鴨肉が出ました。
今回の朝食までの流れはどこか独特で、目が覚めると気温が氷点下なのですぐに炬燵の電源を入れてそっちに脚を突っ込んでました。これは布団のすぐ横に炬燵があるからこそできる芸当だと思うし、「朝の寒い時間を快適に過ごせる」のは冬の旅においてとても重要。
寒いからといって布団にくるまっているだけなのはなんか違う気がするし、炬燵がある旅館はやっぱり好きだ。
おわりに
いさご屋旅館は元遊郭の建物を移築してきた旅館で、今でのその名残が色濃く残っているといえます。
ただし建物だけでなく、自分が特に凄いと思ったのは従業員の方々の接客の様子。どなたもめちゃくちゃに丁寧な言葉遣いや立ち振舞いで、旅館の経緯を説明いただいたときも、食事の際のやりとりも含めてとても気持ちよく接していただきました。
料理も美味しかったし、長い間身延山の麓という場所で愛されてきているのは、遊郭の雰囲気に加えて「旅館」としての魅力に溢れているからだと実感できた気がします。ここはぜひともまた訪れたい。
おしまい。
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