今回は、熊本県八代市の日奈久温泉にある鏡屋旅館に泊まってきました。
古い旅館が立ち並ぶ日奈久温泉の中でも鏡屋旅館は最も古い歴史を持ち、その創業は明治20年(1887年)。同じく日奈久温泉の木造3階建て旅館である金波楼の創業が明治43年なので、それよりも20年以上早いことになります。日奈久温泉自体が熊本県最古の温泉であるため、鏡屋旅館は熊本県において最初にできた温泉旅館と言えるでしょう。
建物の構造は木造3階建てと稀有なものの3階はすでに使われておらず、宿泊者が泊まるのは2階となります。ご夫婦二人のみで営業されているため泊まれるのは多くても1日2組、10人程度。チェックイン・チェックアウトの時間は特に決まっていないので滞在時間を長く取れるのも素敵なポイントです。
外観
まずは外観から。
日奈久温泉街のやや西部にある日帰り温泉「松の湯」から伸びる小路は日奈久百年通りと呼ばれ、その名の通り歴史ある建物が立ち並んでいる一角です。日奈久には創業より百年を超える老舗が7軒あって、そのうちの5軒がここに集まっているというから驚き。
鏡屋旅館はその百年通りの途中にありますが、温泉街の中心部(温泉入口広場~ばんぺい湯周辺)からは少し離れているため目的を持って散策しないとなかなか見つけるのが難しい。そもそも日奈久温泉には木造3階建ての建物が多くて半ば溶け込んでいる感じで、これは他の温泉街とは明確に異なるところだと思います。
建物としては以下の3つから構成されており、内部で行き来が可能です。
- 右側:平屋。カフェ「百年通り」がある。
- 中央:3階建て。1階が玄関、2階以上が客室。
- 左側:2階建て。1階が温泉、2階が客室。
向かって右側のカフェ「百年通り」が併設されているところは昔は台所で、その2階は宴会等を催す大広間だったのを5年前(2018年)に改装して現在の平家になりました。後述するように内装はかなりお洒落で、旅館だけではなく現代風の施設を併設しているあたりに柔軟な経営方針が伺えます。
カフェ右横の庭には以前は駐車場があり、その前は露天風呂でした。さらにその横の塀がある先も昔は鏡屋旅館の敷地内で、昔は地下に温泉の源泉があったそうです。
館内散策
1階 玄関~廊下
それでは早速館内へ。
鏡屋旅館の内部構造は昔からほとんど変わっておらず、黒く太い梁や低い天井などにそれが見られます。建物の一部を現代風にしつつも本体の方はあまり手を加えていないというのが素晴らしいことだし、滞在中は昔ながらの要素を眺めたりしてました。
外観を見たときにも大きな旅館だと思いましたが、建物の規模と比例するように玄関の広さもかなりのものです。
角ばった上がり框や細かなタイルが敷き詰められた玄関土間、そして玄関から各方面へと繋がる廊下。玄関を入った瞬間からその宿での宿泊が始まる中で、建物の顔とも言える玄関の存在感は大きい。
動線としては玄関正面にカフェへの廊下と2階への階段があり、玄関を上がって左側の廊下を進んでいけば温泉と2階への階段(2箇所)があります。つまり2階へは玄関から直接行くことができ、屋外との行き来も楽になっています。
玄関の左側には玄関ロビーがあって、こちらにはなんとピアノが置かれていました。
一般的に建物の玄関は空間的にはそれほど広くなく、また玄関ロビーがある場合でも玄関とは仕切りがあって別スペースのような扱いになっているところが多いと思います。
しかし鏡屋旅館では玄関そのものが広々としていることに加え、玄関と玄関ロビーとが繋がっているので見通しがすごく良い。この見通しの良さが屋内の狭さを緩和させ、実際の広さ以上に開放感を演出していました。
玄関正面の小部屋には食器類等を収納しておく色んな棚が設置されていて、そのうちの一つはご主人曰く薬屋から譲り受けたものだそうです。そういえば小さな引き出しがたくさん付いた棚って薬屋によくあるようなイメージ。
他にも、こちらには過去に行った補修工事の詳細が展示されていたりもしました。ご主人はあれこれと色んなことを教えてくれる親切な方だったので散策が捗った面もあります。
そして、玄関上部に飾られているのが木製の大きなプロペラ。鏡屋旅館創業者である嶋田三郎氏の五男・武男氏は航空機の一等操縦士として日本の民間航空の歴史を開拓した方で、その縁で寄贈されたものです。
なおプロペラが固定されている大きな梁は創業当時から鏡屋旅館を支えているものであって、個人的にもこれほど立派な梁を見たことはないくらい。建物の根幹とも言える骨の部分がこうして目に見えているだけに、長きに渡って旅館が続いてきたという背景にも説得力があります。
玄関から見て左奥に伸びる廊下を進んでいくと、温泉と2階への階段があります。
それほど距離が離れていない範囲に別方向へ伸びる階段が2箇所ありますが、客室の配置を考慮するとおそらく手前側が2階客室に泊まっている人用で、奥側が3階客室に泊まっている人用だと思います。奥側階段を上った正面方向に3階への階段があるため、動線をスムーズにするために階段を2箇所設けたと考えるのが自然です。ちなみに手前側の階段は側面の板の厚みが大きく、ちょっと珍しく感じました。
まとめると1階から2階への階段は玄関前の1箇所と温泉前の2箇所、合計3箇所あって、割とどこからでも上り下りが可能。特に温泉前にあるのは便利なのでよく使ってました。
1階 カフェ「百年通り」
続いては、夕食及び朝食会場となるカフェの一角へ。
すでに述べたように鏡屋旅館ではカフェを営業している(というかこっちが本業)ので、食事の提供が可能かどうかや、そもそもその日に宿泊が可能なのかはカフェの営業状態に大きく左右されます。宿泊日にカフェの予約が多ければ宿泊はちょっと難しいし、食事についても言わずもがな。
今回の場合は最初の予約時に「朝食のみなら可能ですが…」という話で、その後に夕食も提供できますと向こうからご連絡がありました。夕食はどこかで適当に済まそうと考えていたところ、これはとても運がいい。
カフェの様子はこんな感じで、同じ木造建築にも関わらず旅館部分とは雰囲気がガラッと変わっているのが分かります。新しめの木材や白い壁、所狭しと飾られている小物類、たくさんの照明など、ここでランチをいただけたら良い時間が過ごせるだろうなと思う要素ばかり。
こちらのカフェの厨房がそのまま旅館の厨房になっているので、ご主人達は基本的にこちらにいらっしゃるようでした。
2階 廊下~客室
鏡屋旅館1階部分の説明は以上で、続いては2階へ向かいます。2階や3階は客室がメインとして存在し、それ以外にもトイレや洗面所があります。
奥側の階段を上ったところ。
階段を上ると動線が3箇所に分かれていて、正面にトイレと洗面所並びに3階への階段があります。右へ進むと今回泊まる客室があり、さらに右方向へ回って階段の進行方向と反対側を向いた先に廊下は続いていました。
廊下を少し進み、振り返るともう一つの階段が見えます。
2箇所の階段を抜けて廊下をさらに玄関方向へと進んでいく道中では、廊下の右側(表通り側)に客室がずらっと並んでいます。これは外観から確認した通りで、表通りに面した方に客室があるというのは割と一般的な造り。
廊下の奥の左側には二間続きの客室がありますが、ここは今ではシーツ干場等として使われているようで襖戸は取り払われていました(シーツ干し専用?の赤い棒がある)。
そのまま廊下を進んでいき建物の右端まで到達すると、ここは1階から3階までを行き来できるようにそれぞれ階段が設けられています。
建物全体がどちらかというと横に長いため、横一直線に通る廊下の左右の端に階段があれば宿泊者の移動がとても楽(学校等と同じ造り)。動線を複数確保した上で目的地へ向かいやすいよう工夫されており、これは実に合理的な構造だと思いました。
宿泊者が泊まることになる2階客室の様子はこんな感じで、一日の宿泊者数は少ないとはいえどの部屋も稼働状態にあるようで綺麗でした。
部屋によって広さは多種多様なほか、部屋によっては二間続きになっているので人数が多くても問題ありません。表通りに面した部屋は広縁もあり、例えば夜の時間にはここに座って寛ぐこともできそうです。
3階は基本的に使われていないためか薄暗く、戸も固く閉められているようでした。
2階 泊まった部屋
さて、今回泊まったのは階段上がって右側にある「八番」の部屋で、広さは8畳+広縁です。どうやら一人泊の場合は基本的にこの部屋に泊まることになるようです。
二間続きとなっている隣の部屋(6畳)にはベッドが置かれており、案内された際にベッドで寝るか布団で寝るかを選ぶことができます。自分は布団の方が好きなので6畳の部屋の方は使わず、8畳のみを使いました。
滞在中には温泉に何度も行くことを考慮すると、この部屋の「温泉に最も近い」というロケーションがとても良いと思います。例えば冬場なんかはせっかく温泉で温まっても部屋に戻るまでに身体が冷えてしまうケースもあるし、温泉と部屋は近いに越したことはありません。
客室の設備はエアコン、テレビ、冷蔵庫、ポットがあります。またアメニティは浴衣、タオル、バスタオル、歯ブラシがあるので準備する必要はありません。
こじんまりとした部屋ながらも立派な床の間があったり広縁があったりと、寛ぐにあたって憂うことはない感じ。あとよく考えてみれば表通りに面した客室ってある意味で目立ったりするので、こういう風に建物裏側のひっそりとしたところにある方がのんびりできると思います。目立たないので常にカーテンを開けっ放しにして採光を得たりもできて、それもメリットですね。
温泉
ひとしきり館内を歩いてみた後は早速温泉へ。
寒い時期になると温泉旅館に泊まりに行く人が多いと思うけど、温泉に入った後はある程度のクールダウン時間が必要なので一泊二日の滞在中に入りに行く回数はそんなに多くないと思います。
しかし鏡屋旅館はすでに述べたようにチェックイン可能な時間が比較的早く、日奈久温泉の散策を含めても旅館における滞在時間を長めにとることができる。結果的に温泉に行くことができる回数も増やせるというわけで、これからの時期には特に向いていると思います。
- 源泉名:日奈久温泉旅館協同組合(混合泉)
- 泉質:ナトリウム-塩化物温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)
- 温泉成分の特徴:肌についた塩分が放熱を防ぐので、保温効果が高く湯冷めしにくい。
- 泉温:44.8℃
- 湧出量:1リットル/min
- 知覚的試験:無色透明無味無臭
- pH:8.2
- 循環、かけ流しの状況:かけ流し式
- 加水の状況:なし
- 加温の状況:入力に適した温度に保つため、冬季加温
今日の宿泊者が自分一人ということは、つまり鏡屋旅館の温泉を独占できるということ。温泉旅館においてこれほど嬉しいことはないだろう。
温泉の入口は「ゆ」と書かれたのれんや淡い水色に着色された木材、大きなガラス窓などに見られるように、旅館とは明確に造りが異なっています。
温泉ののれんをくぐったところ。
まず右側に洗面所や洗濯機があって、向かって左側にそれぞれの浴場に続く扉があります。扉の向こう側にはすぐ脱衣所が設けられており、そこから階段を降った先に浴室が広がっていました。
浴室は中央にある壁を境にして男湯・女湯が分かれていますが、今日の宿泊者は自分だけということで左側のみが使用されています。人数が多かったりすると右側の方にも湯が入るみたいです。
鏡屋旅館の温泉は日奈久温泉に見られる「地面よりも深いところに複数の湯船がある」構造が特徴で、空間的に大きな広がりを持っていました。脱衣所と浴室の床との高低差はおおよそ1m程度あり、小さな階段が良い味を出しています。
自分がこの温泉を訪れてまず感じたのは、全体がとても明るい雰囲気に包まれているという点。
先程通ってきた旅館部分は古くて黒光りした太い木材がいたるところに多く使われ、どっしりとした重厚感がありました。逆に温泉部分は白い壁や床のタイル、入口部分と同じような水色が多めの配色、横にも縦にも広い空間、大きな窓…といったように明るい要素が多く、重厚感とは真逆の浮遊感を感じさせる。
一番の理由はやっぱり天井が高いことで、これは特に湯船に浸かっているとその効果を大きく実感できました。このように高低差を設けているのは源泉の供給の関係によるものだろうか。
浴室だけではなく湯船もまた非常に特徴的で、大きさや形状、端部のR部等がすべて異なる湯船が3箇所あります。構造は一番上の"へり"の部分が肌触りの良い石でできており、そこから下は青色のタイルが貼られています。
これら3つの湯船は規則正しく横並びになっているわけではなく、洗い場を除いた床面積に対して割合を最大にするためなのか途中で直角に曲がるように配置されていました。入浴客が壁沿いに回り込めるように、湯船が壁に接しているわけではない点にも工夫が見て取れます。見れば見るほどによく考えられている。
源泉の供給方法は至ってシンプルで、一番上流にある小さめの湯船に注がれるのみ。この湯船がいっぱいになったら下流にある湯船へと順番に湯が入る形式(湯船を経るごとに温度も微妙に下がっていく)で、3つ目の湯船から流れ出た分は床を伝って排水の溝に流れていきます。なお上流側の湯船に入ると自分の体積で湯が溢れるため、下流側への供給がしばらく止まります。
よく見ると湯船の深さ自体は同じですが、"へり"の高さが上流側は一番高く、下流へ向かうにつれて低くなっていました。必要最低限の造りで効率的に湯を移動させつつ温度調整も兼ねていて、最初にこの方法を考えだした人は本当に凄い。
温度としては1つ目の湯船は少し熱めなものの十分入れる程度で、3つ目になると自分でも長湯がしっかりとできるレベル。もっぱら3つ目の湯船に入り、たまに1つ目や2つ目の方にも入りに行ってました。
右隣の浴室はこんな感じで、左側と右側は階段の位置や湯船の形状が左右対称の造りになっています。
夕食~翌朝
温泉に入りまくっているといつの間にか夕食の時間。予め伝えられていた時間になったので階下のカフェに向かいます。
鏡屋旅館はカフェを営業しているだけあって料理のバリエーションがとても多く、一般的な旅館では見られないような品をいただくことができました。
ちょっと挙げてみるとハニーマスタードチキン、白菜と挽肉の蒸し物、タチウオ・タイ・サーモンの刺身、生春巻き、豚肉の大葉巻き揚げ、クルマエビ、タイの煮付け、茶碗蒸し等があり、もちろんどれも美味しいので幸せというほかない。
料理の種類というか色彩的にも彩りがあって新鮮そのもので、さらに温かい料理については出来たてを持ってきてくれます。ご飯もしっかりおかわりしてお腹いっぱいになれました。
鏡屋旅館に宿泊する前はシンプルに歴史ある温泉街の旅館という認識だったのが、実際に泊まってみると予想外に新しい要素を兼ね備えていて驚くばかり。自分は宿泊に際しての下調べを全くしないのがテンションの上がり方という意味で良い方向に働いているようです。
夕食の後はちょっと温泉街を散策した後にまた温泉に入りに行き、身体が温まったところで就寝。部屋が表通りからはだいぶ離れていたこともあって熟睡できました。
で、翌朝。
この日は同じ熊本県にある湯の鶴温泉に宿泊する行程で、つまり朝早く起きる必要は全くない。旅館に泊まっているときくらいは朝をゆっくり過ごしたいと思っているところ、今回はまさにやりたいことができていると言えます。
朝食の内容はこんな感じで、なんというか調理の仕方を工夫していますというのが素人目にも伝わってくるほどでした。当然ながら食材そのものも美味しいんだけど、それを料理として仕上げる過程が凝っているような気がする。
うまく言葉にはできないものの鄙びた宿の料理というよりはどこか高級感があり、それでいて素朴な味わいになっています。
というわけで、鏡屋旅館での一夜はこれで終了。
ご主人と女将さんにご挨拶をし、昨日と同じように快晴に包まれる日奈久温泉を後にしました。
おわりに
鏡屋旅館は日奈久温泉の中でも屈指の歴史を持つ一方で、旅館業に加えてカフェを運営されるなど現代に適応されている側面があります。自分はもともと日奈久温泉の雰囲気が好きで今回再訪することを決めたのですが、鏡屋旅館での滞在によってまた次回、次次回と訪れたくなりました。
ご夫婦二人だけで営まれているため宿泊可能な日には不透明な部分はあるものの、一度泊まればそのホスピタリティに感動するはず。ここは季節を問わずにおすすめできる宿だと思いました。
おしまい。
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