今回は、熊本県八代市にある木造3階建ての鶴之湯旅館に泊まってきました。
熊本県南部には人吉市を中心とした人吉盆地を貫通するように球磨川という一級河川が通っており、蛇行しながらやがて八代海(不知火海)へと注ぐ流域に従って人々の暮らしが形成されています。明治時代になるとJR九州の肥薩線が開通し、特に八代~人吉間は川線と呼ばれて親しまれるようになります。全国でも珍しい多数の木造駅舎や球磨川沿いの素晴らしい景観などに加え、SLが走る希少な路線として注目を集めていました。
今回泊まった鶴之湯旅館は昭和29年創業(1954年)の古い旅館で、創業から現在に至るまでずっとこの地で球磨川とともに歩んできた存在。
当時はかつて旅館のやや下流にあった荒瀬ダムの完成に合わせて、現在のご主人である土山大典さん(4代目)の曽祖父がダム観光の客を目当てに旅館業を始めたのがきっかけです。目の前の球磨川がダム湖になっていたために水位も高く、下流にある肥薩線の葉木駅から旅館まで宿泊客を運ぶ遊覧船まであったという豪華ぶり。
しかし、ダムがそこまで珍しい存在ではなくなるとダム観光の客も減少し、2006年には一旦休業状態に。その後、土山さんの尽力もあって2018年に営業を再開されました。休業時には壁の亀裂や調度品の傷みなど老朽化が激しくなっており、少しずつ修復しながらの再開となったそうです。
豪雨災害からの復活
記憶にも新しい2020年7月。未曾有の豪雨が球磨川流域を襲い、鶴之湯旅館も壊滅的な被害を受けました。
特に一階部分は全滅で、畳や障子、家具、台所家具、食器など、ほぼすべてのものが流されてしまったといいます。さらには電気やガス・水道がすべて止まり、復旧作業もままならない状態になりました。
九州豪雨:災害に強い地域の拠点へ。鶴之湯旅館復活プロジェクト(鶴之湯旅館 2020/08/24 公開) - クラウドファンディング READYFOR
そんな中で、クラウドファンディングを基軸に「鶴之湯の恩返し」プロジェクトが発足され、球磨川地域の復興拠点としての鶴之湯旅館の整備が進められてきました。
特に復興に関しては、再び地域が災害に見舞われたときのハブとなり、さらに観光客が減った球磨川流域に人々を呼び戻すための新しいシンボルとなることを目標にされています。
そして、現在。
2021年11月2日から鶴之湯旅館が1日1組という暫定的な体制のもと、営業を一部再開されたという情報を得たため、機をみて泊まってきたというのが今回の流れです。
結論から言うと、立地や建物の造りはもとより旅館からの眺め、温泉、食事、さらにはご主人の人柄の良さなど、すべてにおいてとても印象に残る素敵な旅館でした。
外観
まずは外観から。
球磨川の下流に位置する八代市街から、約20kmほど川を遡っていったところに旅館はあります。
旅館は肥薩線が並走している県道158号沿いにあり、対岸にある国道219号から見たときの存在感は抜群の一言。仮に旅館の存在を知らなくても、ひと目見ただけでその詳細が気になるくらいに目立つ建物といえます。
旅館に至るまでは主に国道を走ってきましたが、豪雨災害の爪痕は大きく随所で工事を行っていました。中には道路が完全に崩壊しているところもあり、災害から2年近く経った今でもその恐ろしさを実感できた気がします。
その道路状況とは裏腹に、旅館の前の球磨川の流れはいたって静かなもの。本来であれば球磨川は豊かな自然の恵みをくれる存在であるので、自分が今見ているのがその本来の姿だと感じました。
国道から葉木橋という赤い橋を経由して対岸の県道側に渡り、先程話に出てきた葉木駅を過ぎて上流側に進んだ先が旅館です。昔はこの橋の近くにもともとの建物があり、ダム建設に伴って水没予定地の魚の販売店を移転して開業したそうです。
国道から見た際に分かった通り、葉木駅周辺には集落の民家などが集まっているのに対し、旅館の周辺には他の建物が一切ありません。後から振り返ってみればこの立地が本当によくて、「自然に囲まれている」のが実感できる。
鶴之湯旅館の建物としては、球磨川に面した部分が多い細長い形をしています。これはダム湖の観光客を呼び込むためにこのような形にしたと考えられ、実際に球磨川方面は前面ガラス張りになっていて景観が非常に良かったです。
玄関は県道に面しており、その前には車を止めるスペースがありました。
鶴之湯旅館は復興の際にかなりの近代化をされていて、旅館前のEV充電スタンドもその一つ。目に見える部分・見えない部分も含めてただ単に古い旅館のままではなく、現代の状況に合わせて積み重ねてきたノウハウを活かした適切な設備になっています(後述)。
鶴之湯旅館ではそういった「現代に適応した古い旅館」という側面が強く感じられ、滞在中不便を感じたことは一度もありませんでした。ご主人である土山さんが持っておられるプランが素晴らしすぎる。
また、球磨川温泉の名前の通り旅館には温泉が湧いており、ほとりには源泉が球磨川に注がれている様子を見ることができます。
館内散策
外観を一通り確認した後、館内へ入ってチェックインとなりました。なお、チェックインは16時からとなります。
1階
鶴之湯旅館は1階から3階、さらに地下1階と計4層から構成されており、洗面所やトイレといったメインとなる施設は1階に、客室は2階にあります。
3階については泊まった時点ではそれほど出入りされていない様子でしたが、すぐにでも客室として使えるくらいに整えられていました。
中に入ってまず目に入るのが玄関です。
玄関を入ってすぐにかなり広めの玄関土間があり、玄関土間の左側には飾り用の棚や靴箱、右側には社と体重計が置かれています。玄関周辺は浸水による被害が大きかったと思われ、コンクリ製の土間も含めて新しいものに一新されているようでした。
正面に見えるのが玄関から奥の階段まで一直線に走っている廊下で、その左右に部屋があるのが鶴之湯旅館の基本的な構造になっています。一直線なおかげで非常に見通しがよく、自分がチェックインした際もご主人が奥から顔を覗かれていました。
ただし、宿泊用の部屋などの「客間」として使われているのはもっぱら廊下の右側(=球磨川側)にある部屋で、左側(=山側)は厨房であったり、2階の場合は押入れになっていたりとメインではない様子です。あくまで客が球磨川の展望を得やすいような造りになっていて、その理念は1階から3階まで変わりません。
玄関上がってすぐに2階への階段の裏手には洗面所とトイレがあり、宿泊中は主にここを使う形になります。
洗面所の受け皿はこれまた古いおしゃれなタイル造りのもので、トイレは最新式のもの。必要なところだけ新しい設備を導入されていて快適そのものでした。
洗面所とトイレを過ぎて先に進むと、左側に厨房があります。
ご主人はここで調理を行い、向かいにある大広間に運ぶという形になっています。
そして、廊下の右側にあるのが1階の大広間です。
広さはなんと32畳もあって、襖戸も何もなくぶち抜きで奥まで通っているので迫力がすごい。建具については1間ごとに大きさやデザインが異なっていて、これらは被災して解体された家屋約10軒から譲ってもらった建具を調整してはめ込んだものです。
災害によって1階は1.8mも浸水したため、この大広間も含めてすべてが泥で埋まってしまいました。しかし復活するにあたっては柱の泥を1本1本削って元通りにしているため、欄間などの木材と色が異なっているのが分かります。障子戸のガラスは一部が欠けたりしていますが、被災の記録を残すためにあえてそのままにしているとのこと。
この大広間でチェックインをしたのですが、あまりの開放感に驚くばかりでした。
また、大広間の照明はどれも独特な形状をしていて凝っているのが分かります。
これらはオランダに本拠を置くPhilips社の提供によるもので、お話によればなんとデンマーク王室御用達の一品。他の階についても照明は相当良いものを使用されているようで、リモコン一つでオンオフが可能でした。しかもオンオフする際の音が完全に無音で、静寂な旅館の雰囲気にマッチしています。
大広間の突き当たりには、音響機器やピアノが置いてありました。
温泉
続いては、廊下の奥にある温泉へ。
大広間の前を通って厨房のさらに奥へ進むともう一箇所の2階への階段があり、その奥が温泉になっています。
温泉の前にはもう一箇所のトイレがあって、旅館全体のトイレはすべて1階にある形になります。
廊下から脱衣所へは重厚なスライド式の木の戸になっていて、これをゴロゴロと開けると脱衣所がありました。
脱衣所内はかなり広いほか、ドライヤーも置いてあります。
温泉、めっちゃ広い。(驚愕)
旅館の規模的に温泉の大きさはたぶんこれくらいだろうな、と予め想像していたのですが、実際の浴室はそれを遥かに超えるものだったので驚き。洗い場の数は3つもあって、窓際にある半円状の湯船が想像以上に広かったです。
温泉はこの一箇所だけとシンプルそのもので、鶴之湯旅館は今でこそ1日1組限定ですが、いずれ本格的に営業再開された際は部屋ごとの家族風呂形式になるみたいですね。
大人数で入るとなると他の宿泊客の目も多少は気になるし、これだけ広い温泉を見知った人のみで使用できるというのは嬉しいです。
浴室の壁や湯船の底には、日本の伝統模様である麻の葉文様(鬼滅の刃でいう禰豆子の着物柄)をあしらったタイルが採用されています。色についても一様ではなくカラフルになっていて、特に湯船のものについては青色が主体になっていて温泉の色とよく合う。
温泉については比較的熱めになっており、ロードバイクで一日中走ってきた身としてはこの熱さが実に気持ちよかった。浴室内が広いので気分的にも開放されたような感じで、旅館に到着して疲れを癒やすには最高の環境じゃないでしょうか。
以上、旅館の1階には主に共用で使用する施設が集中しています。
2階
続いては、階段を上がって2階へ。
玄関入ってすぐに見える特徴的で大きな階段はすべてが木製で、もちろん手すりも木製。
手摺の柱などに意匠が施されているほか、手で掴んだときの安定感はやはり木製ならではのもの。木のぬくもりというか、木独特の硬さが持っていて手に馴染む。
そして、階段を上がった先の動線は3方向に分かれています。
まず左手方向に向かうと3階への階段が続いており、その階段は2階の踊り場から左に90°回ったようになっているのが特徴。3階からの段をそのまま直線で下ろすと高さが不足するため、このような構造にしたと思われます。
右手方向に向かうと廊下が奥側と手前側に伸びていて、どちらも球磨川に面した客室を囲むように走っていました。
いわゆる周り廊下の構造になっており、客室からはどこからでも廊下に出られるという便利な造り。廊下と客室との境については玄関側の短辺のみが襖戸で、残りは全てガラスを含んだ障子戸になっています。
球磨川側にも廊下が通っているのは昔の旅館の造りというのと同時に、やはり眺めを第一に考えた結果なのだと思います。
階段上がってすぐのところには鏡があって、その横には「タバコの火を消さなかったらげんこつ百回」との注意書きが。
木造旅館にとって火事は何よりも避けたいことなのでこういう注意喚起が必要になるものの、げんこつ百回というのがなんか笑ってしまった。これは曽祖父さんによるものでしょうか。
この階段周辺は比較的空間が開けており、どの方向に行くにも便利な分岐になっていて居心地が良かったです。特に窓側へ行けば太陽の眩しい光が、逆に階段方面へ向かえば暖かな電灯の光が迎えてくれるというのが実に良かった。
そのまま廊下を進んでいくに従って右手側に客室が続いており、客室は見たところ3部屋あるようです。
いずれは鶴之湯旅館が一部ではなく完全に営業を再開される中で、宿泊者はたぶん3組までになるんじゃないかなと思います。大広間の机の数がまず3つだったし、部屋の数やご主人一人によるワンオペということを考えると3組くらいが限度。3階には泊まることができないため、泊まる際にはこの2階に連なって泊まる形になる様子でした。
廊下の奥には1階と3階への階段があり、こちらは階段のスペースを抑えるために階段の直上に別の階段がある構造になっていました。幅は一人分くらいで角度はそこそこ急と、これも古い建物のものが残されています。
客室
2階の客室は3部屋ある中で、今回我々が泊まったのは真ん中の部屋。
広さは6畳の部屋が二間続きになっていて計12畳あり、すでに布団が敷かれていました。
先程見たように、客室の長辺側は障子戸、短辺側は襖戸になっている非常に分かりやすい造り。
それでいて光の通り道が確保されているので明かりをつけなくても十分に明るく、この空間を占める要素が完全に和で占められているのがもう素敵すぎる。
しかもこの客室、エアコンもなければテレビもないという簡潔さ。なんて素敵なんだ…。
冬はファンヒーターを使い、夏場は扇風機と蚊帳で過ごす、という現代ではなかなか得難い昭和の体験が可能というわけです。夏場はガラス戸を完全に開け放ってしまうようで、球磨川から入ってくる涼しい風のおかえで快適に過ごせるのこと。今のような季節はファンヒーターが2台体制で稼働しており、春が近いということで気温がそれほど寒くなかったので全く問題なかったです。
ポットでお茶を飲みながら一息ついていると、自分が今泊まっているのはただ単に古びた旅館ではないことを改めて認識できた気がしました。休業から復活し、その後の震災も乗り越えてきた木造旅館。その建物は昔のままで保たれていて、何をするわけでもなくただ時間を過ごす。
忙しない毎日が続く令和の時代に、ここだけどこか忘れていたようなゆっくりとした時間が流れている。こういう旅館が自分は好きだ。
お風呂セットは浴衣や帯、タオル、バスタオルがセットになっていて、籠のまま温泉に持っていくだけでOK。
さらに「球磨川温泉 鶴之湯旅館」と書かれた独自の手ぬぐいは持ち帰り自由です。
ところで、このお布団の厚みが本当にすごかった。
内訳は敷布団×2の上に毛布が敷かれていて、上はというと毛布の上にさらに掛け布団×2という完全な防寒仕様。中に入ってみると布団の重みが今まで味わったことがないレベルで、暖房なしでも快眠できました。
布団については個人の好みがあると思うけど、自分としては圧迫感を感じたいのでこういう重い布団が好き。
我々が泊まった客室の奥側には別の客室があり、ここにはなんと舞台がありました。
客室に敷かれている畳からは明らかに高いところに設けられており、壁には大きな松に鶴が二羽、そして太陽が描かれています。端の方には衣類や寝具等を入れる長持が置かれている。旅館の中にこんな立派な舞台があるなんて想像にもしていなかっただけに、その豪華さに驚きました。
ここでは隣りにある客室の襖戸を撤去して大広間をつくり、たくさんの集落の方が結婚式を挙げられたそうです。1階もそうですが、昔の建物はこうやって戸を付けたり外したりすることで部屋の広さを調節できるのが素敵。大人数のときは外して大広間にできるし、逆に少人数のときは今のように6畳×2の客室にもできるし。
客室の川側には一直線に廊下が伸びていて、そこには飾りがぶら下げてあったりして風流な感じでした。
廊下がここまで見通しがいいのは建物としてシンプルな上、滞在中はどこか爽快な気分になることが多かったです。建物の内部の込み入った部屋に泊まるのも趣がある一方で、景観メインで風通し・見通しに優れた旅館は別の意味で気持ちがいい。
鶴之湯旅館が古さの割に明るい雰囲気に包まれているのは、これが理由かもしれません。
3階
続いては、階段を更に上がって3階へ。
3階については泊まった翌日にご主人のご案内のもと、散策させていただきました。今ではなかなか見ることができない木造3階建て旅館、その3階を散策できるだけでも大きな価値があると思います。
3階も2階と同じように周り廊下が外周に走っており、その内側に客室があります。
廊下について異なる点としては、階段を上ってすぐにその周り廊下が始まるところ。1階や2階のように玄関周辺の屋根がないので、その分外周のスペースを確保できるようになっています。なので視界に入ってくるのがほぼほぼガラスで占められていて、2階よりもさらに「外」を感じられる構造でした。
川べりに建っている鶴之湯旅館の3階からの眺めは予想以上で、球磨川の川幅すべてを見ろすことができるという贅沢っぷり。
もちろん対岸の国道や山々も眺めることができて、しかもこれが一部の部屋からだけ見える景色ではなく3階ならどこでもというから素敵すぎる。泊まった人が等しく絶景を味わえる仕組み、やはり色々考えられているんだなと感心してしまった。
3階の客室については2階以下と同じく川側にあるのが客室で、山側にあるのが押入れ兼倉庫という位置づけは大きくは変わっていません。しかし大きく異なっているのが部屋の間取りで、2階が襖戸で区切られていたのに対し、3階は一部が壁になっていて"客室"という側面が強くなっています。
そして、階下以上に色んなものが置かれているのが3階の特徴の一つ。いずれも近隣の家屋から寄贈されたもので、今までに見たことのないような貴重なものが飾られています。
最も玄関側にある部屋はこんな感じで、6畳×2の二間続きの部屋の奥側が壁になっています。
また、部屋には床の間と物入れがあって、さらに建物中央への廊下の境も障子戸ではなく壁と木の戸になっているのが分かります。
この床の間に飾られていたのはなんと大正時代の雛人形で、人形の着物や飾りはもとより、中央にある家財類の造りが精巧そのもの。古さを一切感じさせないくらいに生き生きとしており、整然と佇んでいる様が見事でした。
その隣の部屋にはどうやってここまで持って上がったのか不思議に感じるくらいの大きな箪笥と、古びた壁掛け時計が一つ。
この部屋は6畳一間で、両側が壁になっている構造でした。
一番奥にある客室も6畳×2の二間続きになっており、奥側に浴衣などを入れる箪笥が設置されています。
この部屋には本当にたくさんのものがあって、そのどれもが博物館レベルの歴史あるものばかり。ご主人に一つ一つご説明いただいたところ、ここまで貴重な品を収蔵している旅館はそうそうないと思いました。
私はこれらのものを現役で使っていたという世代ではないのですが、本や町の資料館とかで見た覚えがあるものも中にはある。眺めているだけで何か懐かしい気分になってきた。
これらの品はそのままだと廃棄されてしまうものばかりで、ご主人が声をかけて引き取ったもの。これからは鶴之湯旅館の中で彩りの一部になると思うと、まったく無関係の身ながら嬉しくなってくる。
以上で、3階川側の部屋の見学は終了。続いては旅館中央の廊下に移ります。
2階でいう押入れがあったスペースは3階だと倉庫になっていて、ここもまた様々なものが保管されています。
1840年の収納具や当時の警察?の道具など、少し眺めてみるだけでも興味深い道具ばかり。地域の家屋から持ってきたものといっても、むしろよくこんな歴史的な財が残っていたなと思わざるをえません。蔵などに保管されていたものなのでしょうか。
続いては、その廊下をまっすぐ進んでいった先にある洗面所。
てっきり木造3階には水気はないと勝手に思い込んでいたものの、実に素敵な造りをした洗面所がありました。全体的にタイル張りの構造で色も爽やか、周りが全て木造な分、この一角だけハッとするような明るい雰囲気になっています。
見た目がそのままで機能だけ復活させるというのは、思っているよりも何倍も困難なことだと思う。
当時の器具や部品なんてそうそう残っているものではないし、機能的にも現代風に変更するのが理にかなっているという意見もあると思う。でも昔のものって一種の温かみがあって、うまく工夫されてそれらを残されている点について本当に敬服した。
洗面所の山側には小部屋が2つと階段があって、ここから2階へと下ることができます。
地下1階
ここまで散策してきた1階から3階は外観からでも視認できる部分で、特に3階については展望も抜群で言うことなしの場所でした。
しかし鶴之湯旅館にはなんと外からでは全く分からない「地下1階」があって、そこも案内していただけました。
どこに入口があるんだ…?と最初は全然分からなかったんですが、なんと大広間の畳の下にあります。
端っこの畳2枚を除去するとまるで隠し通路のような階段があって、その下が地下室になっています。ここは完全貸切制のバーになっていて、特に夏場はひんやりとしていて過ごしやすいとのこと。
棚には、熊本県ならではの焼酎がたくさん並べられています。
誰にも邪魔されないこの空間で飲み明かしたらさぞかし楽しそうと思うと同時に、歴史ある館内にちょっとしたこのような遊び心を設けるご主人のプランがすごい。
夕食
食事については、夕食・朝食ともに1階の大広間でいただく形になります。
今回の鶴之湯旅館の宿泊において一番感動したのがこの食事で、なんと一品一品すべてがご主人による手作り。そこには既製品は一切なくて、食事本来の手間暇かけた温かさを十二分に実感できる内容になっています。どの品も大満足の美味しさでとても良い思い出になりました。
これだけ広い旅館をご主人一人だけで運営されているというだけでも驚きなのに、まさか食事までワンオペでこの美味しさ。完全に自分の予想を上回っていて、この食事だけでも今回宿泊に至った価値が十分にありました。
これがその夕食の献立の全容。
色彩的にも豊かで、地元で取れたもののみを使った素朴な品ばかりです。
それでは順番に内容を列挙していきます。
最初の膳は上から順に、葛豆腐のお刺身、きくらげ、白あえ、ほうれん草の胡麻和え。
真ん中が鮎のうるか(塩辛)、このしろ寿し、イワナのいくら、きんぴらごぼう。特にイワナのいくらについては一般的ないくらとは異なり、コリコリとした弾力のある食感が新鮮でした。
下がわさびの葉っぱとじゃこの混ぜご飯、ハモのすり身と青のりの吸い物、漬物は葛豆腐の味噌漬け・黒にんにく・梅干し。
混ぜご飯については予め材料を混ぜて置いたものではなく、夕食のタイミングで釜からよそって作るという手の込んだ作り方になっています。
ご飯はとてもふっくらしていて、そこにわさびとじゃこの風味が加わってこれだけでおかずとして強力すぎる一品。
続いては球磨川のマスのムニエル、いちごとポンカンの水菓子、クレソンのサラダ。
クレソンについてはこのあたりでよく栽培されているものらしく、地域の方にとっては馴染みのある食材とのことです。またマスのムニエルは火の通し加減が絶妙で、しっかりとした魚肉がもう最高でご飯によく合いました。
焼き物は豆腐の田楽、バターを乗せた原木のしいたけ、餅。
これらを実際に焼きながら焼きたてをいただくことになったものの、その焼き方というのが火鉢によるものだったのでもう驚くしかない。確かに昔ながらの方式といえばそうなんだけど、ここまで料理に凝っているなんて客側からしてみると感謝しかないです。
火鉢で焼いたこれらの食材は、主に砂糖醤油でいただきました。ただ単に焼いたというだけでは得られない独特の風味が感じられ、餅やしいたけってこんなに美味しいものだったのかと感じるほどに美味しい。しかもそれらが地域のものをそのまま使っているとなれば尚更です。
最後は、隣の球磨村で育てられた赤豚を使ったスペアリブ。
油っこくなくてとてもあっさりとした味付けになっており、夕食の全体的な素朴さのコンセプトに沿ったしんみりとした味わい。これもまたご飯との相性が抜群でした。
以上が夕食の献立の詳細で、さらにはお茶もポット等などではなく鉄瓶を火鉢で沸かすという今までに体験したことのない形でした。
古いものが好きというご主人のお言葉はこんな形で食事つくりにも十二分に現れていて、自分も実際に宿泊するまでまさかここまでのものだとは思っていませんでした。今こうして記事を書いていても思い出して涎が出てくるレベルだし、その美味しさや味付けの素晴らしさはうまく言葉にはできないほどです。
これらは言うまでもなくご主人である土山さんの方針によるもので、その方針と料理の旨さが密接に繋がっている。ここまで温かみに溢れた食事を満喫できたのは感動でした。
夜~翌朝
夕食後はありがたいことにご主人が鶴之湯旅館全体をライトアップしてくださることになり、夜景を撮影しにいきました。
たまらん…。
特に建物側面部分が丸ごとガラス窓になっているので灯りがダイレクトに見え、それに建物前方の玄関部分の灯りが加わって幻想的な景色になっているのが分かります。
すでに述べたように周囲には他の建物がなく、対岸の国道も夜になれば交通量がほぼ皆無。そんな中で、この鶴之湯旅館だけが浮かび上がっているような錯覚になるほど際立って見えました。
一通り夜の寂しさを味わった後、就寝。
二層構造になっている重たい布団が実に心地よく、暖房なしでも快眠できました。
翌朝はごく自然に目が覚め、1階大広間で朝食をいただく。
朝食の献立は上から金時豆、ほうれん草、塩昆布、梅干し、クレソンのサラダ。真ん中がクレソンの生ハム巻き、オイルサーディン、熊本の青のりが入った卵焼き、しらす大根、きんぴらごぼう。そして下が無農薬米としいたけ・油揚げ・大根・豆腐の味噌汁。
あくまで主役はご飯と味噌汁で、それ以外はご飯のおかずとして控えめな主張をしています。しかし味の方は全然控えめではなく、どれもがおかずとして強すぎる旨さ。そしておかずの旨さが白米の美味しさを引き立てており、熊本の米を最大限に満喫できる献立でした。
こうして静かに朝食を食べながら今回の行程を振り返ってみると、最初から最後まで驚くことばかりだったと思います。
まず被災したとは思えないくらいに玄関周辺が綺麗になっているし、2階より上は昔ながらの歴史ある構造が保存されている。しかし新しくすべきところは新しくなっており、温泉や洗面所をはじめ不便を感じることはありませんでした。
極めつけは夕食や朝食の内容で、地産地食を極めたような素敵な品ばかり。味の方もびっくりするくらいに美味しくて、この鶴之湯旅館でのひとときをより彩りあるものにしてくれました。
最後は、何度も旅館を振り返りながらの出発となりました。
おわりに
鶴之湯旅館は清流球磨川のほとりに建ち、展望はもちろんのこと温泉や食事といった熊本の豊かな恵みを味わえる旅館です。
今は1日1組と限定的な体制のもと運営されている段階で、これから完全復活されることを願ってやみません。滞在中は至るところに歴史を感じさせる要素が散りばめられていて、特に3階部分には貴重すぎる品がたくさん飾られていて感動しました。
熊本県を訪れる機会があれば、この素朴で魅力に溢れた旅館に泊まってみることを心からおすすめします。
おしまい。
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