今回は山形県大蔵村にある豪雪の湯治場・肘折温泉、その中にある三浦屋旅館に泊まってきました。
冬の時期に肘折温泉を訪れたのには理由があって、以前紅葉の時期にロードバイクで走った際に一泊してみたくなったからです。
あのときは散策もそこそこに日帰り温泉に入ったのみで、そんなにゆっくりできなかったのが心残り。再訪するにあたっては肘折温泉が全国第2位の豪雪地帯ということを考慮して、思いっきり積雪がある冬にしました。
豪雪地帯の温泉街へ
もともと冬の時期は温泉に入ることを前提とした旅を組むようにしているので、肘折温泉に宿泊するのは遅かれ早かれだった気もします。やっぱり温泉地は日帰りでなく一泊したい。
が、車でこの時期の肘折温泉に向かうのは一言でいうと過酷でした。
国道458号に入って標高を上げていくに従って視界が白一色になり、しかも風が強いので飛ばされた雪で遠くの道が全く見えない。道路も雪、両サイドも雪なので下手をすると壁に激突して終了になってしまうので、この道中の運転はかなり緊張しました。
というか、積雪量が尋常じゃないんだが…。
車よりも遥かに高いところまで積もっていて3m以上ある。
そんなこんなでなんとか無事に肘折温泉に到着。以前来たときとは景色が全く違うのが印象深い。
雪に閉ざされた世界になっているだけに下界から切り離された感が強くて、温泉街に泊まりたいんだけど静かに過ごしたい…という目的の場合には肘折温泉は外すことができない。正直、これ以上のところはなかなかないんじゃないかと思います。
三浦屋旅館 外観
今回泊まった三浦屋旅館は老夫婦が主にご二人で営業されている旅館なのですが、知名度はそれほど高くないように思います。
インターネットの予約サイトに一切登録されておらず、公式サイトもありません。宿泊の詳細が乗っているのは肘折温泉の公式サイトのみというひっそり感あふれる旅館で、予約ももちろん電話のみとなっています。
チェックイン/チェックアウトの時間はかなり柔軟に対応してくれて、今回は道中やることがないので13時に行きますと伝えたら快諾していただけました。
知名度こそ高いとは言えない三浦屋旅館ですが、その外観は肘折温泉を訪れたことのある人なら必ず目にしているはず。実は雑誌などでよく見かける「肘折温泉のメインストリート」の入り口付近に立っているので、その存在感は抜群と言えます。
肘折温泉周辺がカルデラだった頃の影響からこのメインストリート周辺は岩盤の上に立っており、地震などの揺れに強いとのこと。逆に銅山川の近くは砂地になっているそうです。
建物としては通りに沿って立っている3階建てのものに加え、裏手の斜面方向に比較的新しい別の建物が伸びているのが見えました。
ここでちょっと三浦屋旅館の歴史について、女将さんから伺った内容を元に書いておきます。
- 旅館としての創業は明治30年頃で、その前は農家とか豆腐屋、小作人をかかえたりしていた。
- 昭和42年頃に裏手の新しい棟(別館と呼称)ができた。
- 営業は基本的に老夫婦二人だけで営まれている。忙しい時は増員するが基本は二人のみ。女将さんの代で15代目くらいとのことで、少なくとも250年前からは営業している(お寺の記録に残っている)。
歴史を見るだけでも古くからこの地で続いている旅館なのですが、木造建築の旅館が今も残っているだけでも珍しい。木造建築がそんなに多くないと思われる肘折温泉において、湯治宿としての雰囲気を色濃く残している貴重な旅館の一つです。
あ、余談ですが女将さんが本当に話し好きで、無限に話し続けるタイプのお方でした。三浦屋旅館の歴史に限らず部屋の造りなども丁寧にご説明いただいたので、とても嬉しいです。ありがとうございます。
旅館の看板には三浦屋旅館の名前の横に「三原半三郎」という屋号が書かれていて、これは何かというとご先祖の名前。人名が屋号になっているわけですね。
三浦屋旅館に限らず肘折温泉の旅館はすべて屋号がこの形式になっているそうで、例えば三春屋は"二郎兵衛"、ほていやは"三次兵衛"となっています。温泉内では旅館名よりもこの屋号が一般的な名称として通じていて、もっぱら屋号で呼び合っている様子でした。
2階の戸袋にも旅館名が書かれている中で、右端の戸袋には「三浦館」の文字が。女将さん曰く、これは限られたスペースに文字を書くために三浦屋旅館を三浦館と略したのではないかとのことです。
館内散策
本館1階
到着してからは早速女将さんにご挨拶し、投宿のはじまり。
車は肘折温泉へ下ってくる坂道の途中にある車庫に入れさせてもらう形になり、この時期だと出発の際の雪かきをしなくていいのがとても楽でした。
館内へ入っていく前に、三浦屋旅館の全体の構造を上に示します。
通りに面した手前側の棟は2階までしかありません(屋根裏は物置になっている)が、奥にある別館は全部で3階建て。各階に客室がそれぞれ配置されており、温泉は1階にあります。ただ、別館の3階は今では利用されておらず、こちらも物置になっているとのことでした。
玄関入ってすぐの空間はこんな感じで、外観を確認した通り動線としては建物の奥へと続いている構造になっています。建物の幅としては一般的な家屋と同程度であるものの、奥行き方向に拡張する余地があったことから別館が後付された様子でした。
玄関前の廊下は一番奥の厨房までまっすぐ通っているために見通しが非常によく、広い館内とはいえ迷いづらい、理解しやすい造りになっていると思います。女将さんやご主人は基本的に厨房もしくはその手前の居間にいらっしゃるため、来訪者を容易に確認できるという意味でも理にかなっていると感じました。
玄関入ってすぐ右横には部屋がいくつか並んでおり、こちらはグループの人数が多い場合などに食事場所として使われるようです。他にも階段の上り下りが難しい年配の方のために割り当てられる部屋にもなっているとのことで、用途に応じて柔軟に対応できるのもポイント。
気になった点としては、部屋の障子が三枚戸であることと、蚊帳を引っかけるフックが残されていること。
障子戸って普通は四枚戸になっていることが多いと思うのですが、三浦屋旅館では2階も含めて三枚戸になっています。これは後述するように客室の広さを6畳にしているからなのか、別の理由があるからなのかはよく分かりませんでした。部屋への出入りは基本的に障子戸を一枚開けるだけで済むので、部屋の広さに合わせたと考えるのが自然かもしれません。
あとは蚊帳用のフック、これについては旅館で現存しているところはほとんどないんじゃないかと思います。
私は蚊帳を使ったことはありませんが、こういう部分がちゃんと残されているというのも貴重なもの。フックはいずれも部屋の四辺の真ん中に取り付けられていて、寝る際に蚊帳がきちんと使えるようになっています。
本館1階には合計6部屋の客室がありますが、客室として常用されていはいない感じでした。特に、奥側の3部屋は布団などが置かれているようです。
玄関周辺には本当に色々なものが飾られており、ここをじっくり眺めているだけでも時間が経つのを忘れるほどでした。
まずは、どこか角張った独特の形状をしたおかめの面。
これは創業当時から戸袋の上の方に貼られていたもので、それが昔あるときに落ちてきたが、もし道路の方に落ちていたら車に轢かれたりして壊れていたところを、建物ギリギリの内側のところに落ちたので難を逃れたという一品です。縁起がいいので玄関に飾ってあります。
おかめの面から右へ移って、明治時代の温泉分析表です。
今の時代は温泉分析表は保健所が発行しているものですが、保健所という存在がまだなかったころに旅館が独自に作成したものだそうです。というか、昔は温泉分析表は各旅館が作成するものだったらしく、それらを保健所が管理するようになったのは割と最近のこと。
見たこともないような漢字が使われていますけど、なんとなく読めるあたりが面白い。
温泉分析表の下にあるのが、同じく明治時代の料金表です。
木の板に墨で直接書かれたものでかなり読みづらくなっているものの一応読めました。左の方に「宿屋組合」とあることから、すでに温泉旅館同士の繋がりが深かったことが伺えます。
その横にあるのが、昭和27年の温泉分析表です。
「山形県衛生試験所」が今で言う保健所のことと思われ、現代の温泉分析表と内容はそんなに変わりません。
最後が、昔の山形県の温泉旅館を列挙した温泉案内図のような書面です。山形市や酒田町、肘折温泉などにある旅館が示されていてとても分かりやすい。
肘折温泉以外の旅館については○○屋や○○旅館という名前が多いのに対して、肘折温泉の旅館の名前が全て人名になっているのが分かるでしょうか。これが先程述べた屋号のことで、つまりこの頃から旅館の名前は変わっていないということになります。
その中でもとりわけ大きく書かれているのが今泊まっている三浦屋旅館で、「明治39年10月発見 肘折新温泉 旅館 三浦屋号 主 三原半三郎」の文字が見えます。
どこか肘折温泉の代表的な旅館のような扱われ方をしていることから、昔は名の知れた旅館だったのだろうと思われます。
よく考えてみれば、三浦屋旅館は温泉街の一番入り口側にあって印象に残りやすい旅館といえます。
昔も今も、この地でずっと旅人を迎えている。玄関付近に飾ってあるこれらの資料を拝見した後に改めて温泉街を歩いてみると、その歴史の長さを実感できるようでした。
ちなみに隣にある三春屋さんの性は三原で、ここ三浦屋旅館の性も三原。こっちが本家で向こうが分家になっていて、この他にも温泉内ではほとんどが親戚の繋がりがあるみたいです。
そのまま玄関から廊下の左側を展示物に沿って奥へ進んでいくと、左手方向に本館2階への階段と温泉の入り口があります。
温泉は男女別になっており、中央の階段を挟んだ左右にあるシンプルな造り。玄関入ってすぐ左手方向の空間が浴室になっていて、階段からの距離も近いことから部屋から向かいやすい動線になっていました。特に寒い時期だと廊下を歩くのも億劫になるし、部屋から温泉まで行きやすいというのは助かります。
また、三浦屋旅館に限らず肘折温泉の旅館は日帰り温泉を受け付けています。
私が早めに投宿し散策をしていく中で何人かが日帰り温泉に入りに来ていましたが、玄関からも温泉が近いというのはいいですね。奥まったところにあるわけではないので分かりやすいです。
本館2階
本館1階奥に続いている別館は後回しにして、続いては本館の2階へ。
階段についても昔から大きく変わっていないようで、古い建物ならではのそこそこ斜度が急な階段でした。
階段下や途中にはスペースを有効活用した引き出しがありました。
階段を上がった先には自炊スペースや洗面所、その横には電子レンジや冷蔵庫、電話などがあって、この一角は湯治場としての面が強く感じられました。
流しやガスコンロだけでなく、冷蔵庫や電子レンジなど長期間滞在する上で必要なものがすべて揃っているからです。冬の時期はやってませんが肘折温泉は朝市(4月下旬から11月下旬)が有名で、例えば朝市で買ってきた食材をここで調理するということも可能。一度でいいから一週間くらいここでのんびり過ごしてみたい。
洗面所の前からは廊下が右(通り側)と左(斜面側)に分かれていて、今回泊まった客室は通りに面した側。分岐にはソファが置かれています。
反対側の左方向に進んでみると別館への扉やトイレがあるほか、その奥に進むと奥側の客室3部屋があります。また、こちらの廊下からは本館と別館の間にある池が確認できました。
この時間帯はちょうど一帯が雪下ろしをされている最中だったので、池を見つめていたら突如右上の方から雪が降ってきてかなりビビりました。
客室
続いては通り側の廊下を進み、今回泊まることになる客室へと向かいます。
本館2階の平面図を改めて示したのが上の写真で、本館2階には7番、8番、10番~14番の計7部屋あるのが分かります。別館にも後述するように部屋はあるものの、主に使われているのはこれらの本館の客室のようでした。
通り側の廊下は客室を挟んで奥側の廊下と平行に走っており、廊下のすぐ外側が屋外になっています。廊下の幅は人一人分程度で、客室が横に並んでいることを考えればこれでも十分。
廊下は建物の端から端まで一直線になっているため見通しがよく、構造としてもシンプル。窓には後付の尖った柵が設けられている他ほか、タオルや洗濯物を干す竿と手すりもありました。また、湯治宿らしく廊下と客室との境界はすべて障子戸で、鍵はありません。
全体的に柱や廊下などが木でできているためにどこか温かみがあり、気温は別にして一泊を過ごす上で特に問題を感じるようなことはありませんでした。何より障子戸を開ければすぐ前の前がメインストリートだし、気軽に温泉街の様子を確認できるのは嬉しい。
今回泊まったのは、通り側の廊下沿いで階段に近い8号室と10号室です。主に過ごしたのは炬燵が置かれている8号室で、隣の10号室は寝室として使いました。
客室はどこも広さが6畳で統一されていて、どの部屋にも床の間と押し入れがある画一的な造りになっています。廊下との境にある障子戸は三枚戸で、隣の客室との境にある襖戸は四枚戸。こちらも統一感がありました。
設備としてはテレビやファンヒーター、炬燵があり、暖房については全く問題なし。あと、古い建物にあまり手を加えていないためかエアコンがなく、個人的にはここにも良さを感じました。エアコンなしのため夏場は扇風機だけで乗り切ることになりますが、標高が高いので気にならない程度だそうです。
6畳間がずらっと並んでいるということで、自分が湯治場に泊まっているということを強く実感させてくれる。実際に昔は湯治で訪れる客がものすごく多く、場合によってはこの6畳の客室に6人が泊まったりもしてたそうです。いわゆる雑魚寝状態ですが、団体で来る客って顔見知りばっかりだろうしそれはそれで面白そう。
こんな感じで今回は宿泊客が自分一人ということもあって、二間続きの部屋をあてがっていただきました。なお1グループの人数が多い場合には並んでいる部屋3つを三間続きで使うケースもあるようで、基本的に複数の部屋を使わせてもらえるみたいですね。これは嬉しい。
隣の10号室も基本的には8号室と同じで、今回は寝室として使うため布団のみが敷かれています。
他の客室も一応確認してみたところ、7号室は建物側面に沿った面が押入れや床の間になっていました。配置としては、正面の壁の向こう側が階段になってます。
肘折温泉は噂に違わず結構な寒冷地で、温泉以外の時間は寒いだろうなと思ってましたけど炬燵があるのなら話は別。「冬場には炬燵」という組み合わせが本当に良くて、一度入ってしまえばなかなか出られなくなってしまう点も含めて魅力的なものだと思います。
温泉へ入ったり、屋外からの散策から戻ってきてすぐに炬燵へ入って暖まる。仮に暖房がエアコンしかなかったらこうはいかないわけで、湯治場+温泉+古い建築+炬燵、という良さしかない要素ばかりなのが嬉しい。
別館
続いては一度1階に戻り、建物奥側にある別館に行ってみます。
別館は本館より後に建てられたので比較的新しいものの、廊下と客室との境界が障子戸だったり、襖戸があったりと基本的な部分は本館と変わりません。別館が建てられた時点ではまだ湯治文化が色濃く残っていたため、湯治をする前提で客室などの仕様が決められたと推測されます。なので、そこまで近代的な要素がないわけですね。
違いと言えば階段が本館に比べれば若干緩やかなことと、メインストリートから離れているので静かに過ごせる…というくらいですが、そもそも肘折温泉自体が非常に静かなところなので音に関しては全く差はないと言えます。今回本館に泊まったときも物音が全くしなくて熟睡できたし、特に理由がないのなら本館の方がおすすめ。
温泉
散策を続けていたら身体が冷えてきたので、浴衣に着替えて温泉へ。
三浦屋旅館の温泉は、先程見た玄関横の男女別のものと別館1階の家族風呂の2箇所があって、後者は貸切になるため他に使っている人がいないときに使用可能です。
いずれの湯も肘折温泉ならではの“あったまりの湯”の名を持つ温泉で、泉質はナトリウム-塩化物炭酸水素塩泉。含まれた塩分が皮膚を覆うことによって、いつまでもポカポカのあったまり効果が持続する湯です。さらに源泉かけ流しなので温泉の成分がそのまま身体に浸透してくるため、要は冬場の寒い時期にこそ気持ちよさが倍増する温泉ということ。
まずは、通常の温泉の方から。
こちらの温泉は日帰り温泉でも入ることができ、源泉名は肘折温泉組合二号湯。洗い場は一箇所で浴槽も一つというシンプルさで、温泉は透明ではなく濁っていました。また、"あったまり湯"という名前から湯の温度が高いと思っていたのですがそんなことはなく、共同浴場と同じ43~44℃程度なのでじっくり長湯をすることが可能でした。
湯船は石造りで身体へ接触したときの親和性が絶妙で、そこに音もなく静かに源泉が注がれている。湯については浸かっているうちに身体の芯の方から温まってくるのが実感できるんですが、不思議と湯から上がるのではなくて長湯をしたくなってくるような湯。そんな印象でした。
湯から上がった後も汗がでるわけでなくスッと浴衣を着ることができ、なんか温まり効果に割にあっさりとしていて何度も入りに行ける。現に夕食前や夕食後、夜や早朝と何回入りに行ったか覚えてません。
家族風呂の方も湯船などの構造は同じで、三人くらいが一度に入れるくらいの広さがあります。
源泉名は三号湯となっており、先程入った温泉とは明確に温度が異なっていました。こちらの方はかなり熱く、個人的には水で薄めないと入るのは難しい感じ。ただこちらには日帰り温泉客は来ないと思われるので、例えば人が多い時にじっくり浸かりたいという場合にはこっちの方が向いているかもしれません。
夕食~翌朝
夕食はだいたい18時から開始で、部屋食なので部屋で待っていれば持ってきてくれます。
また、食べ終わった時や飲み物を追加したいという時には廊下にある電話で厨房に連絡する形になります。
夕食はなんと膳でいただく形式になっており、山の中にある温泉街なだけあってなめこやぜんまい、タラの芽など山菜が中心。さらには山形県の郷土料理である芋煮もしっかりあって、ぬくもりを感じられる内容でした。
女将さんは「田舎料理ですが…」と仰ってましたが、やはり冬場に温泉に浸かった上で食べたい食事というのはまさにこういうもの。
特に芋煮は身体の芯から温まるような旨さがあって、一緒に注文した日本酒が進みました。食事が膳の上に乗っているというのも実によくて、昔のままの方式で提供されているという感が強いです。
食後は何度か温泉に入りに行き、就寝。
翌朝。
布団は敷布団の上に毛布が敷かれており、さらに掛け布団の上下にも毛布があるサンドイッチ構造だったおかげで就寝中の寒さは全く問題なし。暖房が特になくても肘折の夜を快適に越せたので、女将さんのご配慮には感謝しています。
8時からの朝食はこんな感じで、旅館の朝食のイメージのままでした。
温泉旅館に泊まるたびに思うけど、普通の旅館に泊まったときと比べると白米の消費量が全然違う気がする。温泉旅館の場合は何度も温泉に行く影響でお腹が空きがちになるためですが、旅先で食欲が湧くことほど嬉しいことはありません。
何よりも自分の身体が食事を欲しているということに他ならないし、知らない土地でいただく食事は多いに越したことはないので。
朝は5時くらいから目の前のメインストリートを中心に除雪車がフル稼働で作業されていて、その音で目が覚めました。昨日も散策中に雪下ろしの作業をされていたのを見かけたけど、雪国では毎日雪が降るために除雪作業も毎日やらなくてはなりません。
一晩でこれだけ積もったのかと驚くと同時に、この地で生活していく苦労も少しは理解できた気がしました。
最後は10時頃にチェックアウトし、ちょろっと肘折温泉を散策してから離脱。
昨日よりは見通しがいい肘折温泉街を最後に眺めてから終了となりました。
番外編
肘折幻想雪回廊の散策
夕食後に宿の方から「雪回廊が開催中なので如何ですか」というお誘いをもらい、温泉に行く前に行ってきたのでその記録も載せておきます。
雪回廊というのは豪雪地帯である肘折温泉の特徴を活かし、積雪が壁のようになった場所に灯籠(蝋燭)を設置したイベントです。冬の間はずっとやっているというわけではなく、どうやら毎年1月~2月の週末だけしか開催していない様子。今回はその情報を全く知らないまま投宿したので、思いがけないイベントがある日に泊まれたことが嬉しい。
場所としては「肘折温泉 優心の宿 観月」の前に掛かっている橋を渡った対岸の周辺で、夕食後にも関わらず多くの人出で賑わっていました。点灯時間は19:00~20:00です。
自分が散策したときの天気がまた絶妙で、ほのかに雪が舞っていて微風というのが散策に最適。もし風が強かったらかなり寒かったと思われますが、まさに良好でした。しかも空を見上げれば星が見える快晴だったり、流れているBGMが自分が好きなRaujikaだったりともう素敵すぎる。
雪国の夜ってとにかく寒いので出歩く人はいないのが一般的ですけど、こうやって幻想的な灯りがともっている場所を創り上げることによって外出の機会を生んでいる点が実に上手いと思います。自分も夜は寒いので完全に温泉タイムに突入するつもりだったし、いい意味で期待を裏切られる光景が広がってました。
肘折温泉街の散策
あと、久しぶりに肘折温泉を訪れたので日中の時間の大部分は温泉街の散策にあてました。
肘折温泉に到着した時点ではかなり吹雪いていた一方で、少し時間が経てば青空が見えたりと天気については目まぐるしく変わった一日だったと思います。
自分が散策した時間だともう他の旅館の宿泊客は到着しているはずなのに、歩いている途中で出会うのはほとんどが地元の方の様子でした。どうやら客は早々に温泉に入って温まっているようで、これだけ建物がひしめき合っているのに散策しているのは自分くらいしかいない。
正直普通に歩いているときは寒いんだけど、でもやっぱり散策は季節のよらず自分の旅からは外すことができない。歩きであちこちを回ることで町並みの細かいところまで意識がいくし、そこで新しい発見もある。
夜になると人工的な灯りが温泉街を照らしていて、昼間とはまた異なった異世界感を感じられました。
改めて考えてみると、こんな山奥にこれだけ建物が密集した温泉街もなかなかないと思う。冬の間は特にたどり着くのが簡単ではない分、そこで過ごす時間はかけがえのないものになる。
今回泊まった三浦屋旅館では客室や温泉、食事、宿の方の人柄の良さに加えて、肘折温泉という環境がそのことを強く感じさせてくれた気がします。
おわりに
三浦屋旅館は肘折温泉で一泊しようと考えた際、通常のルートではなかなか見つけづらいと思われる旅館です。
ですが旅館としての良さは申し分なく、自分も今回ここに泊まってよかったと心から思えました。次はまた季節を変えて再訪したいと思っています。
おしまい。
コメント
コメント一覧 (1件)
今の会社に入社した時に部署の先輩が肘折温泉の宿の跡取り息子でした。
子供の頃はスキーで一滑りしてから学校に行っていたそうです。
先輩が跡を継いだ後に泊まりに行ったことがありますが、地元の人が方言で何を言っているかわかりませんでした。
宿名の 集合写真に先輩の宿名がありついついコメントしてしまいました。