浜田屋旅館 中山道長久保宿の木造3階建て旅館に泊まってきた

今回は、長野県長和町にある浜田屋旅館濱田屋旅館)に泊まってきました。

浜田屋旅館が位置する長久保宿は旧中山道第27番目の宿場町であり、東(江戸方面)に向かえば笠取峠、南(京都方面)に向かえば和田峠という難所を控えていることから旅人が滞在することが多かったといいます。最盛期には旅籠が43軒もあり、女将さん曰く旅館から少し離れたところには遊郭も形成され、木造3階建ての建物が数多く存在していたようです。

浜田屋旅館はそんな長久保宿においてただ1軒残り、江戸時代創業から現在に至るまで150年以上も営業を続けている老舗旅館です。
昔から続く宿が今でも残っているということがまず貴重であり、今も昔も主な客層は中山道歩きの旅人。古い要素が徐々に消えていくことが近年では多いですが、「変わらないこと」の素敵さを再認識できた宿泊となりました。

もくじ

外観

浜田屋旅館は中山道に面した木造3階建ての建物(明治3年建築)と、その奥に後から増築された木造2階建ての建物(昭和2年建築)の2つから構成されています。

これらのうち明治3年棟については旅館の方の生活スペースになっており(3階部分は宿泊できず、物置になっている)、宿泊者が泊まるのは昭和2年棟となります。昭和2年棟の部屋数は全部で4部屋あり、この日の宿泊者は自分だけだったのでのんびり過ごすことができました。

浜田屋旅館 明治3年棟の外観

まずは外観から。

旅館の前は三本の道が集まる三叉路になっていて、つまり旅館の前で進行方向がガラッと変わるために長久保宿の中でも特に目立ちやすい立地だと言えます。中山道は上の写真でいうと右側に進めば京都方面、左側の坂を上れば江戸方面(笠取峠)と、直角に折れ曲がって続いています。

浜田屋旅館の外観は全体的に白い色をしており、第一印象としてはとても明るい印象を受けました。それでいて建物の中では3階部分が非常にこじんまりとしていて、1階から3階までが一様な造りではないというのが理にかなっている。1階や2階が横に広いこともあり、相対的にどっしりとした安定感があります。

明治3年棟1階にある入り口が正面玄関で、右横にはポストが設置されていました。

2階部分に視線を移すと壁の面積に対して窓を大きくとってあり、右端の窓については丸い形状をしているのが分かります。

明治3年棟の左側面の様子。この方向から見ると1階から3階まで横幅が少しずつ小さくなっているのが分かりやすいと思います。

見えている箇所の1階部分は厨房で、3階部分については建物外周に廊下を巡らせている様子でした。さらに窓の外側には欄干が残されているのが見え、昔ながらの構造がそのまま保存されているっぽい。

「中山道 旅館濵田屋」の看板
変体仮名?くずし字?で書かれた「旅館はまたや」の看板

玄関の左側には昔の看板が飾られています。

浜田屋旅館の「はま」の字は昔は旧字体だったようですが、ネットで検索すると出てくるのが「濱」なのに対し、この看板だと異体字の「濵」になってました。正式にはどっちなのだろうか。

あと浜田という言葉は"海岸近くにある田"を意味する一方で、長和町は長野県の山間部に位置するのでもちろん周りに海はありません。一体どういう背景でこの名前に命名されたのか、とても興味があります。

旅館前には長久保宿の各スポットの案内があったり、実際に旧中山道を歩く人への道しるべがあったりと親切でした。浜田屋旅館は文字通り長久保宿における岐路でもあり、往時にはとても栄えたことが伺えます。

昭和2年棟

明治3年棟の前から江戸方面に横移動すると昭和2年棟が繋がっており、こちらは左右対称の造りとなっています。1階と2階の両方が客室で占められていることから、宿泊人数の増加に伴って明治3年棟では手狭になったため増築したようです。

正面には旅館名が上に掲げられた入り口があって、昔はこちらからも出入りしていた様子。なお後述しますが昭和2年棟の周りには木々や植物が多く、これも明治3年棟との明確な違いですね。

館内散策

明治3年棟 1階玄関周辺

というわけで、早速館内へ。

玄関を開けると女将さんが出迎えてくださり、ここから浜田屋旅館での滞在が始まりました。

玄関と玄関ロビー
玄関入ってすぐ右側が食堂で、その左横が居間。

玄関の様子はこちらの通りで、玄関/玄関ロビーともに十分な広さがあります。

玄関土間がまず非常に広いので屋外から屋内に入ったときの狭さを感じないほか、その玄関土間の幅を保ったままスペースを延長した感じで玄関ロビーが続いている。また玄関周辺は殺風景ではなく植物やちょっとした物置台、展示物などが綺麗に配置され、宿泊客を歓迎している様子が伝わってきました。

しかしこの玄関土間、1階間口とほぼ同じくらいの広さがあるので大勢が一度に宿泊しても全く問題になりません。玄関を見るとその建物の様式がある程度理解できるというけど、これは実に素晴らしい。

食堂

玄関から見て右側にある小部屋は食堂として使われており、夕食や朝食やこちらでいただく形になります。

玄関から左奥に進んだところには厨房があって、厨房からの移動距離を短くする目的で玄関近くに食堂を設けたようです。客が泊まっている昭和2年棟まで料理を持っていくのはかなり遠く、また途中には階段もあるのでこの形になるのは当然かも。

食堂には、浜田屋全体の中でも昔の構造が比較的多く残っています。例えば天井は自分だと梁に頭をぶつけそうになるくらいに低い上に、天井表面には黒ずんだ木材がそのまま露わになっていました。ここまで古い部材が表立って確認できるのは食堂以外にはないようです。

壁掛け時計と蚕の種屋の寄せ書き
寄せ書きの左上には「贈 濵田屋旅館」の文字が確認できる

で、食堂の奥の壁に展示されている品がまた凄かった。

向かって右側には大きな壁掛け時計(大正時代のもの)があり、木材の細部には細かいデザインが施されています。
左側にあるのは蚕の種屋の寄せ書きで、これは昔とある蚕の種屋が定期的に中山道を歩いて佐久の方へ向かうときに必ず浜田屋旅館に泊まりに来ていたのが、国鉄バスが通るようになって中山道を通らなくても佐久へ行けるようになった際に記念として寄贈したものです。寄せ書きには蚕の種屋の業者名や代表者名が所狭しと記されていました。

養蚕においては蚕の卵のことを種(蚕種)と呼ぶことが多く、蚕種は当時の法律によって一般農家で作ることはできず、種屋という専門業者が作ったものを購入して蚕を飼う方式でした。当時の養蚕産業の歴史を語る貴重な資料が残っているなんて最高すぎる。

昔は移動手段が徒歩しかないので定宿が生まれやすいし、何回も泊まっていると旅館側と旅人の縁も深まってくる。こういったものが残っているのも浜田屋旅館が中山道の宿、つまりあちこちから色んな人が歩いてきては宿泊するという形態だからこそだと思います。

玄関ロビーには椅子やソファ、机が置かれており居心地がよく、宿帳への記入はこちらでやりました。

玄関ロビーの奥(建物の左側)には厨房があります。

玄関ロビーから玄関方面を振り返ったアングル。

玄関の窓が大きくとってあるので屋内への採光は十分に確保されており、明かりが何もなかったとしても自然光だけで特に問題ありません。玄関や玄関ロビーの天井は食堂と同じくらいに若干低めとなっているものの、この自然光のおかげで狭さを感じにくいです。

明治3年棟の2階への階段
2階の客室
舟底天井になっている

すでに述べた通り宿泊客が泊まるのは昭和2年棟になるのですが、女将さんのはからいで特別に明治3年棟2階の客室を拝見させていただきました。

上の写真は階段を上がって手前に回り込んだところに位置する部屋で、ちょうど部屋の奥側が中庭に面しています。表通りに面していない+景色が良いというシチュエーションを活用してここではよく宴会を催されており、宿泊用途で供するのは宿泊者がかなり多い場合に限られるとのことでした。

また天井には、数寄屋造りの建物に見られる「舟底天井」が用いられています。

舟底天井は文字通りに船の底を逆さまにしたような逆V字形状の天井のことであり、船がひっくり返るくらいにたくさんのお客で賑わうことを願って採用されたもので当時の建築の思想が伺えます。願掛け以外にもこの舟底天井によって部屋全体が広く感じられ、確かにここで宴会をやったらリラックスできそうです。

明治3年棟 1階廊下~共用部分

改めて1階に戻り、奥へ進んでいくと玄関から廊下へと移ります。

廊下

廊下の左右の壁に飾られている多数の展示物はとても見ごたえがあり、暇な時間のときはここの展示を眺めたりしてました。展示物をざっと挙げてみると今まで浜田屋旅館に泊まった有名人のサインに留まらず、中国の篆刻の先生が作った篆刻の書、最高裁の判事が書いた書、長野オリンピックの際の写真やバッジなどなど…。

旅館という場所は色んな立場の人が訪れるところであって、その人が残していったものを見ていると他の宿泊者が浜田屋旅館に抱いた思いというか、思い出の一端を感じ取れたような気がする。

その廊下を抜けると少し広い場所に行き着きます。

ここから正面の階段を上れば昭和2年棟へと移ることになり、右の廊下を進めば洗面所やお風呂場へ、左へ行けばトイレへ行くことが可能です。つまりここは旅館の中において動線が明確に分かれるところであって、個人的にはこういう省スペースで行き先を複数確保できる場所が好きだったり。(なお浜田屋旅館の水回りは明治3年棟に集中しているため、使用する際にはこちらまで移動する必要があります)

階段の手前の本棚には多数の本が保存されており、やることがないときには読んで見るのもいいかもしれません。漫画本も複数ありました。

三叉路の右斜奥には中庭が位置していますが、その中庭に面した廊下にもまた大きな窓が設けてあるので館内が明るいです。玄関から見れば建物の奥まで到達しているように思えるものの、奥まったところには必ずこのように窓があるので暗くならないというわけです。

左が洗面所とお風呂場
居間
居間のガラス戸の意匠が良い
洗面所
お風呂場

三叉路から洗面所方面へ向かう廊下の右側にはちょうど居間が位置しており、そこを通っていくと自然の居間の窓ガラスが目に入りました。

窓ガラスの木枠をよく見ると外周部分に加えて内部にまで及んでいるほか、木枠自体が直線と曲線を上手く組み合わせた特殊な形状をしている。窓ガラス自体も透明な部分と磨りガラスの部分とで分かれていて芸術性を感じます。

今まで各旅館に泊まった経験から思ったこととしては、旅館のガラス戸は一つとして同じものが見られないということ。木枠だったり窓ガラスの造りだったり、大きさや高さも含めてその旅館独自のものが多いような気がします。
もちろん◯◯旅館という存在はこの世に一つしかないものですが、その旅館を構成する要素もまた唯一無二のものばかり。こういった細かいところに注意を向けながら散策してみると滞在がより楽しいものになる。

トイレの意匠
トイレの格子窓

で、ここで女将さんに「実はトイレも凄いのよ」とご説明を頂いたので、普段は紹介しないトイレについても紹介したい。

浜田屋旅館のトイレは全体的に近代化が施されていて使用しやすい一方で、昔からトイレにあったという格子窓や物入れがなんと女将さんの意向でそのまま保存されているんです。2箇所ある個室を開けた先にあるのがまさにその意匠で、背面と側面には細かい細工が見事な大きい窓がはめ込まれていました。

何かの設備を新しくするときには普通は全面的に一新するところ、浜田屋旅館ではそうではない。伺った話では女将さんは古いものはできる限り残していきたいという考えの方であって、トイレに限らず玄関周りや食堂、居間などについてもその思想が活かされています。

古いものを新しくするのは利便性の面ではメリットしかないものの、一方で古いものにあった良さは失われてしまう。古いものを残そうという考えの経営者は今では数少ない中で、女将さんの思想は本当に素晴らしい。

昭和2年棟は明治3年棟よりも後から増築された影響で、両者の間には1.5mほどの高低差があります。

増築といってもなんでこんなに大きな段差が?と思ってましたが、これは単純に浜田屋旅館が建っている場所が笠取峠方面に向かって上り坂になっているから。斜面の分の差を同じ建物内で吸収するために階段を設けている形です。

昭和2年棟 1階廊下~客室

それでは、次は昭和2年棟へ。

1階廊下

昭和2年棟は1階/2階ともに向かって右側(中庭側)に廊下が通っていて、客室はそこから左側に配置されています。棟に入ってすぐ左側に2階への階段があり、1階の客室はそのまま廊下を直進していった先にありました。

1階中央、外観を見たときに確認した出入り口。向かって右側が客室。
浜田屋旅館の空中写真

廊下を進んでいくと建物中央で廊下が左へと分岐し、その先には昔使用されていた出入り口がありました。これは外観の時点で見えていた入り口の屋内側にあたり、つまり自分はいま建物のちょうど中央にいることになります。

この廊下を境にして左右に客室が配置されている形で、外観だけでなく屋内も左右対称の構造になっていました。

昭和2年棟1階の客室
床の間の造り

こちらが1階の客室の様子で、6畳×2の二間続きの部屋になっています。宿泊人数が多いときにはそれぞれに客が泊まると最初考えたものの、向かって右側の部屋は設備が簡素なので普段から二間続きで使用されているのかもしれません。

入り口から見て奥側には床の間が設けられているほか、その床の間が左右の部屋に合わせるように対照になっているのが見事でした。押入れの存在によって床の間自体が小さくコンパクトになっていて、個人的にはこういうこじんまりとしたスペースが好き。


なお窓の外には昭和2年棟の周りに作られている小さな庭を眺めることができ、これも外観から見たときに感じた素敵ポイントの一つ。

昭和2年棟にとっての表通り(笠取峠へ向かう道)は現在では車が行き交う道路になっているのに対し、建物と道路の間に庭というワンクッションがあるので昔ながらの雰囲気がある程度保たれている。建物は古くて趣があるけど、窓を開けたら現代の景色が目に入って気分的な落差が…という心配が多少薄れます。

昭和2年棟 2階廊下

1階の様子は以上で、続いては2階へ。

階段がそこそこ急
階段を上がってすぐに押入れがある
2階廊下の様子。左に見えるのが今回泊まった部屋。
廊下が広縁みたいになっている。

細くて急な階段を上がった先にはまず押入れがあり、押入れの前で振り返る形で廊下が続いていました。ただしその先に伸びる廊下の途中にはまるで広縁のような空間があり、今回泊まった部屋の延長のような扱いになっています。

この様子から察するに、浜田屋旅館への宿泊は昭和2年棟1階に1組、2階に1組の合計2組が基本となるということ。そこから宿泊者数が増えれば部屋を分割して使用するようで、部屋数が4部屋だからいつも4組泊まれるというわけではなさそうです。

もう一つ言うと、先程上ってきた階段は結果的に自分が今日泊まる部屋へのみ繋がるもの。従って自分専用の部屋に加えて自分専用の廊下や階段まで得られたことになり、なんか一種の秘密基地感がありました。

廊下に繋がっているベランダからは、明治3年棟の3階を別アングルから見ることができました。3階にはしごがかかっているのは非常口としてのものだろうか。

昭和2年棟 2階 泊まった部屋

今回泊まったのは、2階に上がってすぐの10畳の客室です。

部屋の4面のうち2面が廊下(障子戸)、1面が窓に面しているので風通しが良いほか、残る1面についても水墨画が見事な障子戸が設置されているので平凡な部分が見当たりません。さらに全体を見渡してみると部屋を構成する壁が最小限なので十分な採光も得られていて、建物の他の場所と同じようにとても明るいのが特徴です。

少し高めの天井、広々とした机、すでに敷かれている布団、そして客室の外にある広縁。客室の中では広い部類に入る10畳という広さの中に寛げる要素がたくさん詰め込まれており、日中の疲れが消えていくような安心感を感じました。

客室入り口の電灯スイッチとインターホン
泊まった部屋
天井は鳥類の羽根のような木材を使用している
隣の客室(10畳)はすぐにでも稼働できる状態にあった
窓の外の眺め
床の間の前に布団が敷かれているのが良い

一人泊で10畳というと一般的には少し広いように思えますが、この客室はとても大きな座卓と布団の割合が結構占めているのでちょうどいい収まり具合です。物が少ない部屋ならおそらく6畳くらいがジャストなのに対して、布団があってテレビがあって…という風に室内に置かれているものが多い場合は10畳くらいがいい感じ。

設備としては今挙げたテレビ、金庫、ファンヒーター、ポットがあります。冬場はファンヒーターで問題なく過ごせるものの、エアコンがないので夏場だとちょっと大変かもしれません。

アメニティはタオル、館内着、歯ブラシがあります。

館内着はスーパー銭湯とかでよくあるパンツと上着が別々になっているやつで、旅館だと一般的な浴衣ではないところが新鮮でした。

浜田屋旅館の散策はこれで終了し、夕食までの時間はお風呂に入ったりお茶を飲んだりしてまったりと過ごす。

午前中は晴れていた天気も投宿した時間帯にははすでに曇りになっており、しかも明日の天気は完全な雨。つまり明日はもう帰路につくだけなので今はもう完全な自由時間です。今回はライドを日帰りにしたこともあって、結果的に滞在中は浜田屋旅館のことだけを考えることができました。

夕食~翌朝

夕食の時間は18時からで、玄関横の食堂で頂くことになります。

夕食の内容はサラダ、チャーシューとエリンギのマヨネーズ焼き、刺し身、ブリの照焼き、野菜の天ぷら、もずく、漬物、デザート(りんごとパイナップル)です。厨房がすぐそこなので出来たてを提供してくれるために非常に美味しく、この美味しさは旅館ならではというよりも家庭的な美味しさ。浜田屋旅館でしか味わえない料理だと思います。

特にブリの照焼きはご飯を何倍でも食べられるくらいに味付けが絶妙だったし、天ぷらについては珍しい黒舞茸(舞茸のボス)があったりと本当に凄い。その日泊まる宿場町に到着して、夕食にこれらの料理が出てきたら明日も頑張って歩こうという気になれますね。

夕食の内容

なんというか、一品一品がおかずとして完成しているような気さえしてくる完璧な布陣でした。野菜に肉に魚にと種類も調理方法も豊富で見た目の色彩も良くて…と、良いところを挙げたらキリがない。久しぶりに心温まる食事ができて幸せ感がある。

夕食後は軽く近所を散歩した後、遅くまで起きている理由が特にないのでそのまま就寝。いつもだったらありえないけど、旅館に泊まっている日は自然と眠くなるので19時くらいに寝ることが多いです。

布団

布団は掛け布団の下に毛布を重ね合わせている方式で、そういえばもう秋に入っていたことに気がつく。夜遅くや朝早くの時間帯は毛布一枚では厳しく、ダブルで布団があると安心して眠ることができます。

で、翌朝。

この日は起床した時点ですでに雨が降っており、窓の外から聞こえる雨音を聞きながら二度寝をしてました。

朝食の内容

朝食(7:30~)はこんな感じで、かまぼこや納豆、海苔、ベーコンエッグ、味噌汁などが揃っている健康的な内容です。暖かい布団で寝た後に元気が出る朝食が加わり、もう健康になる以外の未来が見えない。

あいにくの雨の中の出発となったものの、女将さんにご挨拶をして浜田屋旅館を後にしました。中山道歩きは自分もやってみたいと思っていて、その際にはまたお世話になりそうです。

おわりに

創業から150年以上経ち、現代においても中山道の宿場町で営業を続ける浜田屋旅館。

すでに述べたように浜田屋旅館に泊まる人のほとんどは中山道歩きが目的ですが、よく考えてみれば何日もかけて旧街道を歩くという行為はとても身体に良い。日中は平地や山谷を徒歩で歩いて距離を重ね、宿場町に着いたら十分な睡眠と活気の出る食事が待っている。肉的的に疲労が溜まっている分、その日の宿には単なる宿泊施設以上の親しみを感じるはずです。

昔から旅人を癒やしてきた旅館だからなのか、建物自体の古さに加えて女将さんの優しさやしみじみとした雰囲気を強く実感できた滞在となりました。また暖かい季節になったら再訪してみたいと思います。

おしまい。


本ブログ、tamaism.com にお越しいただきありがとうございます。主にロードバイク旅の行程や鄙びた旅館への宿泊記録を書いています。「役に立った」と思われましたら、ブックマーク・シェアをしていただければ嬉しいです。

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